『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

メトロポリタン・オペラ、K.プッツ作曲『めぐりあう時間たち』紹介・感想

オペラ『めぐりあう時間たち』がWOWOWで4月13日に初放送(+オンデマンド配信)になります。これもシェイクスピアではないのですが、素晴らしい作品だったので紹介・感想を書いています。(でもウルフの『ダロウェイ夫人』などには、シェイクスピアの『アントニークレオパトラ』が言及されてます。←無理矢理)

 

オペラ『めぐりあう時間たち

www.wowow.co.jp

 

放送がわかった3月下旬あたりに記事にしようかと思いつつ、本当に素敵な作品なのに大したことを書けそうになくて逡巡して遅くなってしまいました。でもいいや、ともかくよかったとだけでも言っておくと、どなたかに引っかかるかもしれないしという気持ちになりまして。

 

Photo by TOMOKO UJI on Unsplash

 

マイケル・カニンガムの原作による、ケヴィン・プッツ作曲、グレッグ・ピアス脚本の新作オペラです。ヤニック・ネゼ=セガン指揮、フェリム・マクダーモット演出(ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの『となりのトトロ』演出家)、ルネ・フレミング、ケリー・オハラ、ジョイス・ディドナートの3人が主役です。ダンスパートも充実していて、アニー=B・パーソンの振付です(デイヴィッド・バーン『アメリカン・ユートピア振付家)。ルネ・フレミングがオペラ化の企画発案とのことで、その功績も大きいですよね!

 

www.shochiku.co.jp

↑こちらのサイトにもいっぱい動画が入っています。ここではとりあえず最初の方の場面のtrailerだけ載せます。

 


www.youtube.com

 

ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』を軸に、同書を執筆中のウルフ(ディドナート)、耽溺するかのようにそれを読んでいる1950年代の専業主婦ローラ(オハラ)、詩人の元恋人から「ダロウェイ夫人」のあだ名で呼ばれている1990年代の編集者クラリッサ(フレミング)、3人の思いや人生が交差するような作品です。『ダロウェイ夫人』を合わせ鏡のようにモチーフにしたところが素敵です。1990年代のクラリッサと元恋人リチャード・今の恋人サリーの関係とか、1950年代のローラの置かれた立場とかが、『ダロウェイ夫人』登場人物や、ウルフ自身の夫や姉との関係の反転や変換のようになっています。登場人物やウルフ自身の家族関係の重ね合わせや変換の仕方はおそらく複層的になっていて、部分的に書く程度でも物語についてかなりネタバレになりそうなので注の形にしますね*1。原作『めぐりあう時間たち』を読んでいないのにテキトーなことを書いてアレなんですが、ローラに関しては、なんとなく『自分ひとりの部屋』や『女性にとっての職業』も想起したりしました。私は、本歌取りとか変換のような作品やパスティーシュがもう性癖的に好きなのだと思いますが(『薔薇王』もそうですし)、今作のクラリッサがパーティを企画して“花は自分で買いに行く”と歌って始まるところから痺れました。しかもオペラは、繰り返しによってモチーフが綺麗に浮かび上がる気がします。

 

私は原作も読んでおらず映画も未見でしたが、話の流れも割合つかみやすく、おそらく初見だからこそ物語の展開も堪能できて感動もしました。バレエの『ウルフ・ワークス』(2015年、ウェイン・マクレガー振付)がやはり『ダロウェイ夫人』『オーランド』『波』を主題にした作品で、両作品にかなり似た雰囲気も感じつつ、今作の方が更に物語に入り込みやすくメッセージもストレートな感じがします。オルガ・ノイヴィルト作曲のオペラ『オルランド』(2019年)も幻想的で挑発的な素敵な作品ですが、今作の方がやはりわかりやすいと思います。記憶がおぼろげになっていますが、初見の人にもわかるように作ったことが幕間のインタビューでも語られていた気がします。

 

女性達のドラマであるとともに、同性間の恋愛にも焦点が当たり、その歴史的変化も、相手との様々な関係性も、更に一枚岩でない想いも描かれていたのも感慨深かったです。同性への恋愛はもちろん、恋愛自体がそもそも多面的であるというか、その人の何を愛するか、どこを理解するか、その人とどう生活を共にするかといった複雑さがあることも『ダロウェイ夫人』は描いていたと再認識させますし、今作のクラリッサ、元の恋人リチャード、リチャードの恋人(男性)との関係は、私には更に切実に胸に迫りました。

 

主役3人は当て書きだったそうですが、男性キャストも含めて、キャストのはまり方も素晴らしかったです。あるいは、はまって見える演技が素晴らしかったのかもしれません。また3つの時代を意識した楽曲になっているそうです。私にはそこまで明確な違いはわからなかったものの、音楽の感じと声はウルフ役のジョイス・ディドナートのパートが一番好みでした。死の天使のようなカウンターテナー役のジョン・ホリデーもよかったです。

 

幕間のインタビューで、主演の3人が役や物語について語るところも、通常のMETインタビューより深い内容の気がして、この作品のテーマ性が見え、なじみの演目との違いを感じました。ドラマまたは役としては、ヴァージニア・ウルフが書かずにはいられない衝動と同時に創作=仕事に苦しむ立場、ローラが文学への衝動を抱えつつ家事育児だけをこなすことに苦しむ立場だと思うのですが、ローラ役のオハラが、一世代前の女性の立場に同情/共感しつつ自分に仕事があってよかったとポジティブに捉えていることにも感銘を受けました。アーティストなのである意味ではウルフと同様に苦悩もあるはずなのに、彼女は制作活動や仕事をそのように肯定しているのか、と。

 

それぞれのエピソードが美しく、かつ痛みや懐かしさを伴って融合していき、それが二重唱、三重唱として表現されます。オペラ化の魅力が十二分に生かされた作品だと思いました。私のオペラ観が古いのだろうと思いつつ、これほど現代的で、また内面的で繊細なテーマがオペラになることに結構驚きました。ルネ・フレミング、さすが慧眼です。

 

『ウルフ・ワークス』と『オルランド』の記事や動画もこの下にリンクしておきます〜。

 

バレエ『ウルフ・ワークス』

『ウルフ・ワークス』の曲はマックス・リヒター、振付がウェイン・マクレガー。『巡り合う……』では「卒業」宣言をしていたレミングが今作でMET復帰とのことでしたが、こちらは一度引退したアレッサンドラ・フェリがロイヤル・バレエで主役の客演でした。ナターリア・オシポワ、エドワード・ワトソン、フェデリコ・ボネッリ、スティーブン・マックレーといったプリンシパルを揃え、キャストの豪華さも似ているかもしれません(記事を見ると、高田茜さんやフランチェスカ・ヘイワードはこの時点はプリンシパルでなかったのかな……)。こちらもフェリは当て書き(振付)かもしれません。フレミングもフェリも年齢を重ね、それを生かした作品に出ていることも素敵です。他も当て書きかと思うほどのはまり方で、オルランド役のオシポワ、セプマティス役のワトソンは特に印象的で、セプマティスの妻役の高田さんもとてもよかったです。原作の妻ルクレイティアとは違う印象なんですが、セプマティスと戦友とはまた違う、この夫婦にはこの2人なりの愛がありそうなのがよいと思ったのかも。ロイヤル・オペラ・ハウスの配信や円盤で見られます。

 


www.youtube.com

 

(↓Royal Opera House Streamのリンク)

https://www.roh.org.uk/tickets-and-events/woolf-works-2017-digital

 

www.chacott-jp.com

 

spice.eplus.jp

 

www.chacott-jp.com

 

オペラ『オルランド

オルガ・ノイヴィルト作曲、キャサリン・フィルー脚本、ポーリー・グラハム演出と、下記リンクにもあるように作曲、脚本、演出が女性だったことも、コムデ・ギャルソンの衣装(なのでこちらも女性)も話題になりました。指揮はマティアス・ピンチャー。これで“おおう”と思ったので、『めぐりあう……』は、まだ一寸男性率高めかもしれません。『オルランド』の方が音楽的にも物語的にもとがっていて難解な感じはしましたが、ヴィジュアル的に幻惑される素敵な作品です。この下のリンクが円盤販売にもなっています。

 

www.hmv.co.jp

www.vogue.co.jp

 

(↑上げておいて私自身まだ未読という……。)

(↑私が読んだのはこちらですが、訳者あとがきの最後に「丹治陽子と丹治愛が共訳したが訳者名として丹治愛を出した」と書かれていて、ウルフの本で丹治愛先生=男性のみ名前が出るのは一寸複雑な気持ちになっちゃいました、共訳じゃだめだったんでしょうか? 複数翻訳本は複数あり、未読ですが女性訳者のものが以下。)

*1:わかりにくいので『めぐりあう……』『ダロウェイ夫人』で色分けします。両作のネタバレ的です。

1990年代のクラリッサと元恋人リチャードの関係は、ウルフ=作家と夫=編集者に対してクラリッサ=編集者と元の恋人=作家のようでも、ダロウェイ夫人=クラリッサ・ダロウェイと相思相愛的だったピーターのようでもあります。ダロウェイ夫人が結婚した相手の名前がリチャードなので、名前と立場の変換・入替かもしれないものの、そのあだ名呼びに、詩人リチャードの想いも私は勝手に想像したりしました。クラリッサ・ダロウェイが過去にやはり憧れと恋愛感情をもっていたと思える登場人物がサリーですが、編集者クラリッサには現在、同性の恋人サリーがいます『ダロウェイ夫人』には、戦争トラウマで苦しむ英国人男性セプマティスも登場し、彼もやはり特別な想いを抱いていた戦友の死が大きな影を落としていて、彼の妻の“憂慮”や“献身”(“”つきですが)にもかかわらず自死してしまいます詩人リチャードには同性の恋人もいましたが、編集者クラリッサはエイズを発症したリチャードの世話をしていて、セプマティスと妻の関係も思わせると同時に、2人はどこかサリーとダロウェイ夫人のような憧れの感情もあるように思えます。本人の思いをやや置いてけぼりに世話を焼いちゃうあたりは、編集者クラリッサがセプマティスの妻のような感じがします。

ローラは、優しい夫がいて幸せそうな主婦でありつつ満たされない思いも抱えていて、その点でダロウェイ夫人に自己投影しているのかもしれません。ローラは近隣の主婦キティを愛しており(≒ダロウェイ夫人とサリー)、様々な思いに行き詰まった彼女は自殺を企てつつ思い止まり、そのしばらく後に彼女は夫と子どもを置いて家を出ます。『ダロウェイ夫人』では元々クラリッサ・ダロウェイが自殺する予定だったものが、セプマティスが自殺する展開になったとされておりローラとリチャードとの関係を思わせます。オペラでは自殺を考えて思い止まるローラと、彼女自身が自殺願望を抱える作家ウルフの二重唱のシーンになっていてここも感動的です。ローラが自殺しなかったことは、ダロウェイ夫人の小説内の役割の変化のようにも思えますし、彼女がそうせず家を出たことは「家庭の天使」としての自分を殺したようにも思えます。「家庭の天使を殺すことは女性作家の仕事の一部」(『女性にとっての職業』)を想起しました。