『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

1巻4話リチャードとヨーク公の繋がりについて

ヨーク公の勝利と敗北について

 4話では、『ヘンリー6世』(第三部)の、以下に引用したヨーク公の台詞をメインというか下敷きにしつつ、ヨーク公の凱旋と、再びの戦闘での敗北とが描かれます。

 

(※『ヘンリー6世』(第一部)(第二部)(第三部)はHⅥ(1)(2)(3)、『リチャード3世』はRⅢ、『薔薇王の葬列』は『薔薇』と表記します。自分の忘備録も兼ねて2幕3場など細かいところまで書く場合はHⅥ(1)2-3のように表記しますが、書いたり書かなかったりです。
翻訳は、HⅥ(1)(2)は松岡和子訳・ちくま文庫版、HⅥ(3) は小田島雄志訳・白水社版、RⅢは河合祥一郎訳・角川文庫版から引用しています。)
 

いつもながらの細かい話になりますが、このヨーク派とランカスター派の戦闘については、2話とは逆に、シェイクスピアが省略してまとめたものを『薔薇』では史実準拠で1話と4話とに分けて丁寧に描写していたりします。

 

ヨーク リチャードは三度までおれのために血路を開き、三度まで「父上、勇気をもって戦い抜きましょう」と励ましてくれた。(中略)そしてもっとも頑強なわが精鋭たちがついに退却したとき、リチャードは、「進め、一歩も退くな!」とどなり、エドワードも、「王冠か、さもなければ名誉の戦死だ!王笏か、さもなければ地下の墓だ!」と叫んだものだ。HⅥ(3)

 

HⅥではこれは敗北直前となったヨーク公が語る台詞ですが、『薔薇』では、リチャードがヨーク公と一緒に戦うことはない代わりに、2人のつながりが夢や精神的呼応として描かれます。

 

このリチャードの“励まし”は、まず『薔薇』2話で敗走するヨーク公の脳裏をよぎるものとして登場します。その時のリチャードの「臆病者め、王は退かぬ」(『薔薇』)は、基本的にはこのHⅥ(3)の台詞からの引用だと思いますが、もしかしたら、未来にあたるRⅢ5-3の「良心とは、臆病者が使う言葉にすぎぬ(中略)進軍だ!勇敢に続け!」とも関係づけているのかも、と思います。

 

更にこの4話のヨーク公凱旋時に、「お前の声が何度も聞こえた」とリチャードへの感謝の言葉のなかでこれが言及されます。そしてヨーク公は「王となった今、2度と戦場で退かぬ」(『薔薇』)と誓います。

 

リチャードにとっては、戦に参加していない自分の功績を父が認め、父から特別扱いを受けるこの上ないエピソードです。しかもその前に自分は「ひとり」だと孤独を感じていた(これについては後述)リチャードのところにヨーク公が来て、これを語り「お前に何か特別な繋がりを感じる」と言ってくれるんですよ。

 

ですが、これはもちろん悲劇フラグですよね。ランカスターとの再度の戦闘で、ヨーク公はこの誓い通り退却せず死ぬことになります。また、この2人のやりとりを離れたところから母セシリーが見ていて、リチャードの存在がヨーク公に死をもたらすと一層危険視し、戦闘に同行しようとするリチャードを阻止します。

 

ランカスター側の兵力が4倍という不利な状況で、ヨーク公が撃って出るのもHⅥ(3)通りではありますが、HⅥではそれを提案するのは実はリチャード(と叔父)です。相手が多勢でも「なにを恐れることがありましょう?」(HⅥ(3))と。その点ではHⅥでも結果的にリチャードが敗北に追い込んだとも言えますが、ヨーク公も過去の戦闘実績から過信がありました。

 

『薔薇』のヨーク公は、補給部隊を見捨てられないと危険を承知の上で自ら戦場に出ます。そして部下が「血路を開く」ので逃げるよう頼んでも、部下を死なせて逃げるのは王ではないと言うのです。「王冠か、名誉の死かだ」(『薔薇』ではヨーク公の台詞)。ここでもヨーク公はやはり高潔で、配下の人間を守ることも含めて王の資格ということでしょう。

 

「この名にかけてお前に誓った」とヨーク公がリチャードに心の中で語りかけ、「私がお前のそばにいる」とヨーク公が語る夢をリチャードが見るなかで、ヨーク公は敵の手に落ちます。

 

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写真AC      ライムル

 

父と共に闘えなかった『薔薇』のリチャードについて

ヨーク公を敗北に追い込んだとはいえ、HⅥのリチャードはすでに兄エドワードと並んで、あるいはそれ以上にヨーク公の右腕となる存在です。また、HⅥではRⅢ以上にというか、RⅢとは違ってというか、リチャードの有能さや戦功が目立ちます。リチャードの攻撃性や狡猾さが対外的に発揮されて、ヨーク家によい形になっているということかもしれませんが。

 

4話で印象的だったのは、そのリチャードの置かれた状況の違いのために、引用元のHⅥの台詞が『薔薇』では全く違う意味で使われて効果を生んでいることです。また、それによって、リチャードの王位への欲望についてもHⅥより複雑な陰影がつけられているように見えるのです。

 

原典HⅥでの「言葉がだめなら、剣にものを言わせます」(HⅥ(2)5-1)という台詞は、ヨーク派とランカスター派が対立する公的な場で、ヨーク公が息子たちに助力を求め、リチャードがランカスター派に対決を宣言するような形で語られます。

 

その後リチャードは実際の戦闘でも一番の武功をあげますし、摂政ではなく王になるべきだとヨーク公を説得して(『薔薇』では1話)、血気盛んなだけでなく頭も切れることが印象づけられる、という流れです。(HⅥではエドワードもヨーク公が王になるべきだと言っているので、王位奪取をしても誓約を破ることにはならない、とリチャードがその“論理”を示すことの方が印象に残ります。)

 

この後のヨーク公の弔い合戦でもリチャードは活躍し、ランカスター派を撃退して兄エドワードを王にします。1話でも言及した名前の継承についての箇所は、仇討ちを誓う場面で出てきます。

 

リチャード 父上、同じ名前のこのリチャードが父上の仇を討ちます(中略)

エドワード 勇敢な公爵はその名前をおまえに残されたが、爵領と公爵位は、このおれに残された。

リチャード いや、兄さんが鳥の王者、鷲の子であるなら(中略)公爵位とか公爵領とか言わず、王位、王国と言わなければ。それを手に入れないようなら、兄さんは父上の子ではない。(HⅥ(3))

  

エドワードの台詞は、だから自分が仇を討たねばならないという含意でしょう。リチャードの後半の台詞は、『薔薇』では2巻でウォリック伯の言葉になっています。まだ表舞台には立てていないリチャードと、ウォリック伯の貢献を強調するうまい転換ですよね。

 

ところがエドワードが王になって間もなく、リチャードは兄への憎悪を口にして王位への野望を語り始めます。この急展開は正直よくわからないところもありますが、有能な自分の王位継承が遠いことと、平和な宮廷で身体の障害のために愛されず人並み以下に扱われるだろうことに我慢がならず、という感じにも読めますし、実は最初からヨーク公の後の王位を狙っていたということかもしれません。リチャードはエドワードの死を願い、また仮にエドワードが死んだとしても、ジョージもランカスターのヘンリーもエドワードもいると言います。

 

そして、ランカスターとの戦いが終わり、エドワード=ヨーク家の王位が安泰になった後、兄ジョージの暗殺を仄めかし次の王位を狙って言う台詞が以下です。

 

リチャード おれはどの兄弟にも似ていない、年寄りどもが神聖視する「愛」などということばは、似たもの同士の人間のあいだに住みつくがいい、おれのなかにはおいてやらぬ、おれは一人ぼっちの身だ。(HⅥ(3)5-6)

 

それに対して、『薔薇』では戦功を立てたのは兄エドワードのみ。エドワードは頼もしい嫡男として周囲からも期待されています。リチャードは文武の才気をうかがわせるものの、ヨーク公の役に立てない自分を歯がゆく思っている状況です。凱旋したヨーク公の抱擁を受けながら〈嫡男(いちばん)じゃない、けれど父の名をもらったのだ〉と自分に言い聞かせているといった感じです。

 

そしてヨーク公のためにヘンリー殺害を仄めかし「剣にものを言わせましょう」と言うものの、やや場違いな焦りの言葉になっており、ウォリック伯からものごとには順番があるとたしなめられます。

 

身体のせいで誰にも愛されないと思っている点は原典と共通ですが、“あなたは特別”という意味での「他の人と違う」というアンの言葉を誤解して〈お前(=リチャード自身のこと)は誰とも同じじゃない……お前は『ひとり』なんだ〉と傷ついてしまいます。その前に、兄たちの女性対応が描かれていたりして、うまくHⅥ(3)の台詞とかけてくるなあと思います。

 

HⅥのリチャードに比べると、まだまだ若くて未熟な感があり、この時点のリチャードにあるのは、名前も含めた父との精神的つながりだけです。

 

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ヨーク公の幻影/亡霊について

HⅥで能力も実績もあるリチャードが、それに見合う処遇を求めて王位への野望を抱き、その野望に自覚的なのに対し、『薔薇』のリチャードは、ヨーク公の望みを叶えることや仇を討つことと王位への欲望が、かなり後まで渾然一体となっているようにも思います。ヨーク公の戦死後は、その幻影/亡霊がリチャードにオブセッションのようにつきまといます。

 

ヨーク公の遺志の尊重は、時に父の栄光につながる王位への欲望を煽り、時にヨーク家の安泰のために逆に自身の欲望を否定し抑圧するものになっているように思います。

 

エドワードが王になった直後にリチャードが王位への野望を語る台詞は、実はすでに1〜3話にも少しずつ出てきて、この後からも繰り返される重要なモチーフですが、その台詞がこの後の巻でまた出てくる時にもヨーク公の幻影が現れ「私の名を残せ」と言うのです。

  

(そしていつものように妄想が入って来ていますが)『薔薇』のリチャードは、尊敬する父の亡霊に促されて仇を討つことに囚われるハムレットにも似てくる印象です。6巻では兄ジョージを寝返らせる作戦としてではありますが、ハムレット・オマージュも出てきたりしますし……。戦場で、ヨーク公の幻影/亡霊がリチャードに言う「私の仇を討て」「誓え」という台詞も、ハムレットの父王と似ている気がします。

 

妄想ついでに言えば、ヘンリーの母・キャサリン王妃の描き方は、夫の死の直後に再婚したハムレットの母・ガートルードを彷彿とさせます。キャサリン王妃については史実準拠で、母の愛を得られなかったリチャードとヘンリーの共通性(と、7巻のクライマックスの伏線)を描くためのものだろうと思います。ですが、HⅥにはキャサリン王妃が出てこないこともあり、父の仇討ちパートをリチャードが、母の“不適切な再婚”(息子から見ればということですが)パートをヘンリーが分けもっているようにも連想してしまうのです。

 

1巻部分を書き終わったので、次は最新刊の11巻まで飛んで間を埋めていこうかなーと思っています。HⅥと『薔薇』で、リチャードの王位へのスタンスが違う気がすると書いておいていきなり飛んでしまいますが、菅野先生はリチャードの成長や絶望や葛藤をじっくり丁寧に描いてこられ、11巻でのリチャードには既に武断の王の実力と風格が十二分に備わっています。そして王位奪取の野望を自分のものにして動き始めます。

 

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次から2巻です。