『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

10巻42話 王位継承の攻防について

(薔薇王の葬列アニメ15話対応)

 

42話の扉絵は王然としたエドワード。王として凋落が見えたエドワードがこの回で亡くなります。

 

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権力委譲の攻防について

エドワードが倒れ危篤状態に陥ると、リヴァース伯たちが早々と世継ぎとその摂政の件を話し出し、ヘイスティングスが怒ってそれを非難します。

 

『リチャード3世』(以下、RⅢ)でもリヴァースたちは世継ぎの王子がいると言っていますが、不安にかられるエリザベスに“王は快復するだろうし、世継ぎの王子もいる”と落ち着かせようとするものです。摂政についても、自分たちを憎むリチャードが摂政になるのをエリザベスが心配する形です。一方、『悪王』によれば、史料からは、リヴァースたちが摂政位を狙ってリチャードを排除しようとしたと考えられるそうで、『薔薇』では、演出と言ってもよい位のRⅢの台詞やニュアンスの改変でその史料の話に近づけています。RⅢがエリザベスや親族(ウッドヴィル一族)をリチャードの犠牲者として書いているのに対し、その台詞を生かしたまま、『薔薇』では両者の相剋的な関係を描く形になっています。

 

また、ヘイスティングスの台詞は、もともとはリチャードの(ジョージ暗殺前の)台詞です。39話の記事でも書いたように、RⅢのリチャードはかなり喧嘩腰です。

 

リチャード 私は兄の大義のために(中略)敵を根こそぎにし(中略)兄の血を王の血とするために、自分の血を流したのだ。(中略)その間ずっと、あなたとあなたの夫グレイは、ランカスター家の一味だった。リヴァーズ伯爵、あなたもだ。〔王妃に〕あなたの夫は、聖オールバンズの戦いでマーガレットの武将として殺されたのではなかったかね。お忘れなら、思い出させて差し上げよう、かつてあなたがたが何者であって今何者であるか、ついでに、かつての私、今の私が何者であるか。(RⅢ)

 

ですが、史実ではエドワード王逝去の際リチャードは自分の居城におり、リチャードの摂政位を巡って言い争ったのはウッドヴィル一族とヘイスティングスだったそうです(石原孝哉『悪王リチャード3世の素顔』、以下『悪王』)。ここでもヘイスティングスにこの台詞を言わせるとむしろ史料に沿う形になるわけです。また、ヘイスティングスとウッドヴィル一族は対立関係にあり、敵対的なエピソードを積み上げる形にもなっています。RⅢではエリザベスたちとの対立で逮捕までされているヘイスティングスですが、その代わりに『薔薇』では対立するエピソードが重ねて描かれています。

 

RⅢの台詞を使いながら、話者を入れ替えたり、ニュアンスを変えたりすることで、むしろ史料に近づけてしまっているのは、41話での『ヘンリー5世』の使用とはまた違う見事さですよね。

 

ヘイスティングスの言葉を受けて、エリザベスは、確かに亡夫グレイ卿が敵方だったと戦死の経緯を語り、しかしもうグレイ卿未亡人ではなくエドワード・プランタジネットの妻で王妃だと涙ながらに宣言します。(39話ではリチャードが、42話ではエリザベスが、涙を流して揉め事を回収してしまうのも対比でしょう。かなりいい勝負、という感じ。)上で引用したリチャードの台詞は、ここでエリザベスの台詞にもされています。

 

そして思い出させる側と思い出す側も逆転させられています。RⅢではリチャードが思い出させると言っていますが、『薔薇』では、このエリザベスの話と形見の品から、「何者で」あったか(=グレイ卿殺害)を思い出すのはリチャードの方になっています。話者の逆転とともに、「思い出す」という台詞と掛けられた実に2巻からの伏線回収!しかも、このタイミングでの伏線回収によって、ここからリチャードとエリザベスとが本格的に対決する形になるわけです。構成の巧みさに痺れます。

 

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エリザベスとマーガレットについて

この後、エリザベスとリヴァースは、王子の王位盤石化のためにリチャードの排除を相談します。エリザベスがRⅢのようには嘆いてくれない代わりに、『薔薇』では娘のベスが悲しんで父の快復のために祈りを捧げています。そこに現れたのが、ジョージの娘のマーガレット。

 

このシーンは、RⅢの王妃エリザベスと前王妃マーガレットの対決、王妃エリザベスとジョージの子どものやりとりが重ねられています。

 

RⅢでは、上記のリチャードとウッドヴィル一族との応酬の途中で、突如前王妃マーガレットが登場し、お前たちが取り合おうとしているものは元々私のものだったと恨みを語ります。そしてランカスター家の者を殺した「おまえたちの誰一人として、寿命を全うせず、非業の死を遂げるがいい!」、エリザベスには「別の王妃を、今私がおまえを見るように見るがいい。」(RⅢ)と告げるのです。奪われた側が奪った側を呪う構図を、王妃の対決から『薔薇』ではヨーク家内の娘同士の対決にしているんですよね。掛け方として面白いだけでなく、ヨーク家が王権を奪取したのに、その中で権力闘争と悲劇が繰り返されることを強調する効果を生んでいるように思います。

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「王はしぬ、……わたしが神さまにおねがいした」は、39話の記事でも引いた、もともとジョージの子どもが言っていた台詞からですね。「天罰が下りますよう……そうなるように神様にお願いする」(RⅢ)。その他にも、RⅢではエドワードの死を嘆くエリザベスに「伯母様は僕らの父上の死を泣いてくださらなかった」と子どもは冷たく言ったりもしています。

 

リチャードの口づけについて

エドワードの枕辺に一人残ったリチャードは、エドワードの肉体の衰えを見ながら〈闘えぬのなら王ではない〉と考え、エドワードに口づけして「死に時です、兄上」と言います。RⅢにはない2人きりになるシーンです。

 

ここはもう推測ですらない印象の域になりますが、リチャードの口づけは、エドワードに別れを告げるものであるのはもちろん、私には、一方ではユダによる“死の接吻”(kiss of death)を、他方では王位継承の比喩という、相反するイメージを喚起するものでした。

 

「死に時です」と口づけする展開に、文字通りの意味で“死の接吻”の言葉が喚起されたのですが、ユダの“死の接吻”はイエスを裏切る行為のことで、これはHⅥ(3)の最終場面で言及されています。HⅥでリチャードがキスをした相手はエドワード王の息子なのですが、それが裏切りのキスであると言っています。

 

リチャード 陛下への愛のしるしとして、その果実であるお子に愛をこめて口づけいたします。(傍白)実を言えば、胸に悪意を抱きながらイエスに口づけし、「万歳」と叫んだユダと同じさ。(HⅥ(3))

 

『薔薇』のリチャードは、この時点ではまだ王子に王位継承させるつもりですが、結果的にはHⅥで言ったように裏切ることになっています。

 

そして、これとは相反するイメージになりますが、死にゆく王の枕辺で思いを馳せるところは『ヘンリー4世』も思い起こしました。41話のヘンリー5世=ハル王子つながりです。『ヘンリー4世』では体調を崩していた王が戦勝の報を聞いて倒れ枕辺に一人残ったハル王子が、ヘンリー4世が経験した王位の苦悩を慮る場面があります。そこでハルは王冠の忌まわしさを呪いつつ、それを継承することを宣言し王冠を戴きます。

 

似ているのは王が倒れるタイミングと2人きりになることだけで、リチャードはエドワードの苦悩を思いやるより〈闘えぬのなら王ではない〉と考えています。ただ、エドワードが亡くなる時機を初めから見計らって王位簒奪を狙うRⅢと42話のこのシーンとはかなり異なる印象です。リチャードがエドワードの様変わりを言う台詞は、同時に過去のエドワードの勇姿を讃える弔いの言葉にもなっているように思えます。〈闘えぬのなら王ではない〉という言葉は、“闘う王がそれに代わる”とも取れます。ハルがヘンリー4世に口づけをするわけでもないのですが、リチャードの口づけは、なんとなく王位継承のメタファーのようにも見えたりするのです。

 

そして死にゆくヘンリー4世が言う台詞が「私のこの世での仕事も終わった。ウォリックはどこだ?」。

 

(だから『ヘンリー4世』を使っているだろう、というわけではないんですが……。もし仮に掛けられているなら嬉しいなあ、と思って。ただ、そもそも『ヘンリー4世』のウォリックは生きていますし、2代ぐらい前?の違うウォリックです。)

 

ウォリックの出迎えについて

エドワードが死出の旅に向かうシーンは、風景も含めて何とも美しく描かれています。

 

英雄的な王ではなく「闇を彷徨うカインの末裔」の方だった、エリザベスからも愛されなかった、とエドワードは言います。「闇を彷徨うカインの末裔」については、41話での雲霧に覆われたエドワードと、闘いに光を見いだしたリチャードとの対比が思い起こされます。カインが兄でアベルが弟ですよね。それでも人生を楽しんだ、と達観するエドワードを、ウォリックが迎えに来て「彼は立派に“王”を全うした」と言うのも、エドワードの放蕩や依存の裏の苦悩が描かれてきただけにほっとするものがあります。

 

『薔薇』では、エドワードとウォリックの愛憎半ばする関係が掘り下げられていました。「私とその女……どっちを取るのです!」とか。HⅥのウォリック自身の台詞だったものを6巻ではエドワードがウォリックを讃える言葉として語り、「私以外の者の手で逝くな」と言ってもいました。そんなひりひりするような関係にもぐっと来ましたが、「憎」の方が洗い流されて、多少の恨み節はあるもののいい意味で淡然としたウォリックに迎えられるのは素敵じゃないですか。6巻からの約束でしたし。

 

こちらの風景等のモチーフには想像が及ばなかったのですが、13巻発売のイベントで菅野先生が質問を受け付けて下さる企画があり、質問させてもらったところありがたく回答をいただきまして、『神曲』の煉獄山がモデルとのことでした。その他にも気づいていない古典のオマージュがあるかもしれませんね。

 

 

 

エリザベスの復讐とバッキンガムの暗躍について

グレイ卿の殺害(←これは『薔薇』のオリジナル設定ですよね)を思い出したリチャードは「秘密はないと誓った」と、その事実を率直にバッキンガムに告げました。しかし、バッキンガムはそれをエリザベスやリヴァースたちに教えてしまいます。

 

これによってエリザベスの復讐は、王位を自分の子どもに継がせることだけでなく、リチャードを処刑することにもなりました。5巻17話の記事で、エリザベスが『タイタス・アンドロニカス』のタモーラに重ねられているだろうと書きましたが、42話でエリザベスの復讐の相手がリチャードに明確化され、更に『タイタス』的になったと思います。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

エリザベスから「私のキング・メイカー」と信頼の言葉をかけられ、真っ黒な笑みを浮かべるバッキンガムで42話終了―。

 

(と言いつつ、記事は続きます。)凄い引きでしたが、RⅢでは、バッキンガムは、王亡き今皆で協力して王子を支ようと提案しておいて、直後にリチャードにリヴァースたちを裏切る計画を話しています。バッキンガムは、多勢の兵を従えて王子を迎えに行くのは却って衝突のもとになりかねないと言ってリヴァースたちの兵を少数に抑えて、彼らを王子から引き離し逮捕してしまうのです。繰り返しになりますが、RⅢではエリザベスやリヴァースたちは(摂政就任やリチャードの排除など考えていない)他意のない犠牲者で、リチャードとバッキンガムが彼らの排除を狙ったように書かれており、逮捕の理由もわからないままにされています。

 

『薔薇』では、リヴァースがリチャードを出し抜いて王子を迎え、リチャードを摂政職から排除する画策がされたとする史料に近い展開です。その中でRⅢ同様、バッキンガムが不穏に思われないようにと言って兵を少数にしています。ただ、史料では、ウッドヴィル一族との対立もあって兵の数を減らすように強硬に主張したのはヘイスティングスで、彼はリチャードに警戒を促し、バッキンガムに助成を求める手紙を送ったという話もあるとのこと(『悪王』)。

 

これは43話でヘイスティングスがケイツビーを通じてリチャードに警戒を促す話に繋げられていますね。リヴァースたちとの対面の場にバッキンガムが駆けつけたのも史料通り。ただ、『薔薇』では、リチャードやケイツビーが大軍を警戒するなか、バッキンガムはリヴァースたちを欺く一方、リチャードにもそれを告げず、“自分の計画”のために暗躍していました。

 

(※翻訳については、HⅥ(3)を小田島雄志訳・白水社版、RⅢを河合祥一郎訳・角川文庫版、『ヘンリー4世』を松岡和子・筑摩文庫版から引用しました。)

 

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