『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

10巻43話リチャードとバッキンガムの「誓約」について

(薔薇王の葬列アニメ15話対応)

 

多くの読者に激震を走らせた43話。リチャードが王冠への野望を認め、バッキンガムと「誓約」を結びました。43話も場面場面で何層もの意味が交錯しながら展開する形になっています。特に43話についてはそれをいちいち書くのは野暮だろうと思いますが、もーここは野暮に徹します。

 

(※『ヘンリー6世』(第三部)はHⅥ(3)、『リチャード3世』はRⅢ、『薔薇王の葬列』は『薔薇』と表記します。)

 

万愚節について

エドワード王亡き後ウッドヴィル一族が権力を狙っており、『薔薇』では王太子も(RⅢとは逆に)愚かで、その事態が、“誰でも(愚者でも)王様ごっこができる”万愚節(All fools’ day)と重ねられて43話の最初に寓話的に描かれます。それはリチャードの子どもの頃の夢か記憶の中の万愚節の話となっています。リチャードはそこでも「わたしは……王さまになれない」と言うのですが、道化(fool)は「馬鹿だな!ここは狂乱の世界じゃないか」「悪魔だって、王になれるさ」とヨーク公を思わせる風貌で語ります。“子ども”のリチャードと、王冠への野望と逡巡と、逡巡の理由と、それでも今なら王になれる、という背景がこのエピソードで一気に示されています。

 

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薔薇の庭について

リヴァース伯たちが大軍を率いて王子を迎え、リチャードを排して摂政就任を目論んでいるというヘイスティングスからの情報をケイツビーがリチャードに知らせに来ました。警戒していたリチャードたちでしたが、バッキンガムの画策により兵も少数でリヴァースは歓迎ムード。リヴァースとの会合も問題なく済みリチャードは宿所に戻ろうとします。

 

新王を支えることを自分に任じながら、寝所に戻る途中の薔薇が咲いた庭で、リチャードはヨーク公とウォリック伯の誓いを思い出します。1巻1話の冒頭で、HⅥの場面通り、ヨーク公がヨークの白薔薇を手にして王位奪取を宣言し、薔薇の庭でウォリックがそれを支えることを誓った場面です。

 

ここでも非常にきれいに対比が作られていますよね。ヨーク公の意志/遺志を継ぐことを自認しているリチャードが、ウォリックに取って代わったバッキンガムと薔薇の咲く庭で誓約をすることになる訳ですね。

 

また、1巻の子どもの時から、ヨーク公の栄光や楽園として王冠に憧れてきたリチャードと、既にそこから遠くに来た現在のリチャードとが重ねられることにもなります。ここでリチャードは「あの日、何故父上は王になると決めた?」と問うています。今やリチャードはヨーク公と並ぶ立場に立っており、そこから王になろうとした父の意図を現実的に問うているのです。

 

これまでの数話で、スコットランド戦が『ヘンリー5世』等と絡んで描かれ、リチャードの実力と王権の重みが示されると共に、闘いと苦悩を伴う現実の王権をリチャードが欲していることが描写されました。また、王たらんとする者が王になればよい、とリチャード自身がオールバニ公に唆してもいました。それはヨーク公百年戦争を機に王権を狙うことになった展開ともパラレルになっているようにも思います。そして、かつてのヨーク公と同様、王に求められる資質と能力を備えているのは新王ではなくリチャードの方です。

 

1話ではヨーク公が薔薇を手に王位を掴みにいくことを宣言しますが、リチャードもここで、(掴めぬ“光”)と思いながら薔薇を手にしています。薔薇の棘でリチャードの指から流れた血は、この後の「誓約」の仄めかしに見えます。

 

リチャードとバッキンガムの関係について

リヴァースとの会合の裏では、バッキンガムが伏兵とともに潜んでいました。バッキンガムは、リチャードの秘密を知る男に命じて身体を暴いた後、その男を殺害し、リチャードに「あんたには俺が必要だろう」「望むものを手に入れるか、何ひとつその手に掴めず人生を終えるか」と迫ります。

 

バッキンガムは、ここで全員を欺いています。リヴァースたちにはリチャードを油断させるためと言って兵を少数にさせ、リチャードの秘密を知る男にはリチャードを処刑して彼を取り立てるかのように思わせ、ティレルには“リチャードの望み”だと言ってケイツビーを遠ざけさせ、リチャードには黙ったまま会合に潜んで来てリチャードを襲います。それぞれに違うことを言って皆を騙す、むしろRⅢのリチャードに近い感じです。

 

 

11巻46話の記事で既にかなり書いてしまって重複するところもあるのですが、菅野先生は、登場時からバッキンガムを原典リチャードの野望を語る存在、半身として描いてこられたと思うのです。

baraoushakes.hatenablog.com

 

第2部でのジョージやエドワードに対する見方も、むしろバッキンガムの方がRⅢのリチャードに近かったりしました。今話でも、バッキンガムは「俺達は 同じ ・・ なんだ」と言っています。これは直接には、「あんたは俺と同じ…鬱屈した野望を身中で燻らせてる」(6巻)と過去にバッキンガムが語った、王権への止み難い野望を2人とも持っているということでしょうが、バッキンガム=リチャードという設定も暗示されているような気がします。

 

そんなバッキンガムがリチャードを“裸にして”追い詰め、本音に迫った形です。

 

象徴的には、2人の性関係は、2人のリチャードが一体になるというか、リチャードがずっと抑圧してきた王冠への野望を受け入れてリチャード3世になることだと言えそうです。

 

ですがそれだけでなく、逆に王冠への野望と誓約を語る台詞も性的な隠喩に満ちていて、二重写しのように話が進行していくのです。「あんたも知らないあんたを、誰も知らないあんたを俺に捧げるなら」は、通常は肉体関係の謂いでしょうが、ここでは本人も自覚がなく周囲もまだ気づいていない王冠を求めるリチャードが自分のもとに来てくれるなら、ということでもありますよね。他方、組み敷いた相手に「欲しいと言え!」です。そして王冠を「欲しい」と言わせています。(←こんな乾いた記述だと伝わりにくいですが、画面だとそれはもう……。)その台詞の間には、血のかかった白薔薇のコマが入っており、これも王位と性関係両方が象徴されているだろうと思います。

 

“Play the maid's part…”

しかもそれはある意味でRⅢの通りです。

 

そもそもRⅢの中で、リチャードの王位受諾が、性的な隠喩、しかもロスト・バージンの隠喩で語られている箇所があります。

 

バッキンガム 何か恐れているふりをなさい。強く求められるまで話に応じないでください。(中略)こちらの求めにたやすく応ぜず、乙女の役を演じてください。いやよ、いやよと言いながら、結局受け入れるというわけです。(RⅢ)

…intend some fear; Be not you spoke with, but by mighty suit:…And be not easily won to our request: Play the maid's part, still answer nay, and take it.

  

バッキンガムとの関係は明らかにオリジナル展開なのに、RⅢのこの箇所が43話で文字通りの形に描かれていることがわかります。「女の部分を愛されたことは?」と、“Play the maid's part”〔女性の側をする〕だし……。しかも、ウッドヴィル一族の陰謀と二重スパイ的に振る舞ったバッキンガムの話を進行させ、他の伏線も入れながら、です。なんという神展開。

 

もっとも、RⅢの場合は、単なる茶番の打ち合わせです。(ヘイスティングズの粛清後の場面で、12巻以降の展開に該当する箇所になりますが、部分反転すると意味がわからなくなるしこのくらいならいいだろうと思うので今回はそのまま続けます。)バッキンガムが市民を連れてリチャードの王位就任の請願に来るから、すぐには承知せず“謙虚なふり”をしてほしいとバッキンガムは言っているのです。この場の戦術自体はバッキンガムの提案ですが、王位就任に向けた大きな戦略を練っているのはRⅢではリチャードです。そしてこの台詞の後、王位就任の請願とそれを固辞する(ふりの)やりとりがされます。

 

『薔薇』では、逆に、この場面の前まで、バッキンガムがリチャードに王位簒奪を言い続けても、リチャードは取り合ってきませんでした。王冠への欲望はありながら、それに対する「恐れ」もあり、ここまで「強く求められるまで」耳を貸そうとせず、自分自身に対してもそれを否定してきたわけです。

 

RⅢでは、「いやよ、いやよと言いながら、結局受け入れる」ことを、本気の‘nay’(古語のno)とは取っておらず、単に奥ゆかしさの譬えにしています。ですが、‘No means no’、#Me Tooの現代。『薔薇』はこの譬えの暴力性を踏まえて描かれていて、これもすごいと思うんです。ここでバッキンガムはリチャードに本当に恐怖を与えていますし、リチャードは「王冠が欲しい」と言うまで本気で「やめろ」と言っていて、この場面のバッキンガムとリチャードの関係は非常に暴力的でもあります。

 

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yurisyan   写真AC

 

荊棘を切り裂くバッキンガムについて

その一方で、リチャードの欲望をわかっていて、枷から解き放って背中を押すのもバッキンガムです。これまでもバッキンガムは荊棘を切り裂くというHⅥ(3)のリチャードの台詞をしばしば口にしてきましたが、「望むものを手に入れるか、何ひとつその手に掴めず人生を終えるか」という台詞の後、象徴的な画で荊棘を切り裂いています。

 

リチャード はるか遠くの王冠を手にしたいと望み……できもせんことを口走っていい気になっているだけだ。……おれの手と力がそれにともなわない限りは。(中略)茨の森に迷い込んだ男が、茨を引き裂こうとして……死に物狂いにもがくように―イギリスの王冠をつかもうと苦しみもがいている、もうそのような苦しみとはおさらばしたい……血まみれの斧をふるって道を切り開くまでだ。(HⅥ(3)3-2)

 

もがいているリチャードのために、道を開いてくれるのがバッキンガムになってもいるわけですね。

 

更に、荊棘をめぐるリチャードとバッキンガムの関係は、リチャードとヘンリーの関係とも対照的に描かれているだろうと思います。暴力的に始まるバッキンガムとの関係とは逆に、ヘンリーに対してはリチャードは自分から関係を求め、甘美な恍惚感の中で2人がキスを重ねていくように見えました。ですが、その途中でヘンリーは「僕に近寄るな……悪魔!」とリチャードを暴力的に拒絶したのでした。実はヘンリーのトラウマによるものでリチャードの身体ゆえではなかったのですが、そこでリチャードをがんじがらめにした荊棘を、今度はバッキンガムが切り裂きます。

 

「罪を犯して、ともに地獄へ」と、リチャードがヘンリーに対して抱いた想いは成就されず、バッキンガムの方は「共に犯す罪」を担うと言って「罪の痛み」を伴う「誓約」をリチャードに求めます。

 

幼子の導き手について

その少し前では、バッキンガムは「悪魔の半身になってやる」とも言っています。これもヘンリーの拒絶の言葉(やリチャードを「天使」と言ったこと)と対になっていると思いますし、“悪魔”と言われたリチャードの身体を肯定して欲すること、王位簒奪の共犯になること、バッキンガムが原典リチャードのパートを担っていること、と様々な層での意味が重ねられていそうです。また、11巻46話の記事でも引いた台詞に「半身(分身)」の表現がありました。

 

リチャード わが分身、腹心、この身を導くご神託、予言者だ、いとしいバッキンガム。俺は幼子のようにおまえの指図に従うまでだ(RⅢ)

 

その記事で、この台詞を(RⅢとは違って)敢えてその通りにしているだろうと書きました。43話では“幼子”の思いが導かれるような展開にもなっています。冒頭でも、王冠が欲しいのにそう言えない子どものリチャードが出てきました。薔薇の庭で思い出した“子どもの頃からの憧れ”と、現実的な王権を意識する伏線もありました。そしてバッキンガムが「あんたがずっと望んできたものを、欲しいと言え!」と言った後は、まさに子どものリチャードが憧れに手を伸ばすシークエンスになっています。答えて「王冠が欲しい」と言うリチャードの表情は、子どものようにも、エクスタシーのそれのようにも見えます。

 

2人で王位を狙うことについて:『マクベス

この先は、いつもの妄想(あやしい推測)で、バッキンガムはマクベス夫人のような立ち位置にも見えるという話です。さっきはバッキンガムが原典リチャードだと書いておきながら、更にマクベス夫人かよ!と言われそうですが……。

(追記:↑記事を書いた時にはリサーチ不足でしたが、菅野先生、この以前にtwitterでリチャードとバッキンガムがマクベス夫妻のイメージと書かれていました!公式だ!以下、どうぞ安心して(??)お読み下さい。)

 

RⅢでもバッキンガムは王位簒奪の重要な役割を果たすものの、上でも書いたようにリチャードの戦略の中で動いている印象です。他方、『薔薇』のリチャードは、バッキンガムがいなければ王位を狙えなかったのではないかと思わせるところがあり、その辺がマクベスを彷彿とさせます。

 

『リチャード3世』と『マクベス』はしばしば対比されますが、リチャード3世が迷いなく王位簒奪の途を突き進むのに対し、戦場では勇猛でも1人では王位簒奪に向かえなかったのがマクベスです。英雄的な武功を立てて凱旋するマクベスに、魔女が、王になると予言し、その予言に我を忘れるほど魅入られ王の殺害を思い浮かべながら、マクベスはすぐその思いを打ち消そうとします。そのマクベスの欲望を読み取り、背中を押すのがマクベス夫人です。こちらもむしろ主導権を取ってマクベスを導くのがマクベス夫人と言う方が妥当かもしれません。

 

マクベス夫人 この世の華と思い定めた王冠を手に入れたいと望みながら、ご自身で臆病者と思い定めて生きていこうというのね。

 

あなたがほしいものは、「ほしければこうせねばならぬ」と叫んでいる、そしてあなたはそうしたほうがいいとわかっていながらそうするのを恐れておいでだ。(中略)私の舌の勇気で黄金の王冠からあなたを遠ざけている邪魔物を追い払ってあげる(『マクベス』)

  

1巻1話から魔女に絡む予言があり、殊に第2部になってからは魔女を自認するジェーンの筋書きに乗ったジョージの暗殺、ティレルの手の血、40話での「嘘が真実」というジャンヌの台詞など、『マクベス』オマージュを思わせる箇所がありました。

 

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「命じろ、全て叶えてやる」(8巻35話)「……手を汚すのは“王”の役目じゃない、我々の役目だな」(9巻36話)と言うバッキンガムの台詞も、「今夜の大仕事、安心して私におまかせなさい」「あとのことは私が引き受けます」と言うマクベス夫人に似ているように思えます。

 

謂わば夫婦2人で王位を狙うのが『マクベス』で、リチャードとバッキンガムの関係はそれに擬えて見えてしまったりもします。

 

語られない愛について

45話で「愛に似せた儀式」とリチャードが思っている箇所で書く方がいいような気がします(45話について書くことがなくなるかもと思いますし)が、原典と絡めて読むと“愛”が隠れているんじゃないかな、と。妄想続いています。

 

バッキンガムが、リチャードの身体の秘密を暴いてなお「俺達は同じ」と言った意味は大きいと思います。9巻37話や8巻32話で(8巻では道化の台詞でしたが)、リチャードは「俺は誰とも似ていない」と言っていました。9巻37話の記事でも引いた元の台詞は以下の通り。

 

リチャード おれはどの兄弟にも似ていない、年寄りどもが神聖視する「愛」などということばは似たもの同士の人間のあいだに住みつくがいい、おれのなかにはおいてはやらぬ、おれは一人ぼっちの身だ。HⅥ(3)

 

「誰とも似ていない」「一人」「愛……をおいてはやらぬ」、これらをバッキンガムは否定していることになります。HⅥのリチャードの決意とは逆に、『薔薇』では王冠を狙うリチャードは既に孤独ではなく、同じもの同士なら「愛」はありうるわけです。

 

そして、RⅢで、上で引いた打ち合わせの後、王位就任の請願に来たバッキンガムはこうも言っています。

 

バッキンガム この愛の捧げ物、どうか拒絶なさいませんよう。(RⅢ)(松岡和子訳・筑摩文庫版)

Refuse not, mighty lord, this proffer'd love.

 

(※翻訳については、HⅥ(3)と『マクベス』を小田島雄志訳・白水社版、RⅢを河合祥一郎訳・角川文庫版から引用しました。RⅢは、注記したもののみ松岡和子・筑摩文庫版からの引用です。)
 
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