『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

11巻48話騎馬のリチャードが運命に挑んだ!ことについて

(薔薇王の葬列アニメ16話対応)

48話ではリチャードが“騎馬で”運命に挑みました!ここは48話で(11巻で、かもしれない)一番胸熱なところでした。46話のリチャードとバッキンガムの台詞の逆転とか、47話の苺の伏線とか色々素晴らしいんですが、この48話の『リチャード3世』(以下、RⅢ)を反転させたかのような展開はただひたすら嬉しい。

 

それだけを書いてもいい気もしたのですが、そうするとすごく短くなってしまうのと、ヘイスティングスとエリザベスのRⅢとの違いも気になってググったりしたので、まずはその辺から書きます。

 

※RⅢ2-2などの数字は2幕2場を指します。

 

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ヘイスティングスとエリザベスの関わりについて

リチャードたちがヘイスティングスの動向を注視するなか、エリザベスがヘイスティングスを巻き込んで彼女と息子エドワード5世=王子の礼拝式を画策したことがわかります。礼拝の計画については、苺伏線で弱みのあるイーリー司教が教えにきました。

 

エリザベスと王子の礼拝式を行うことも、中止させることも、どちらもリスクがあることを承知しながら、リチャードは礼拝式を中止させ、「欲しいもの」を「力で奪う」ことを決意します。ここから、エリザベス・エドワード5世派(ヘイスティングス)とリチャード派が対立を深めていきます。

 

RⅢではヘイスティングスとエリザベスはこうした関わりをもちません。確かに、リチャードはエリザベスとジェーンが結託して自分に呪いをかけ、ヘイスティングスがジェーンの愛人であることを理由に彼を処刑するのですが、それは明らかに言い掛かりであることが明示されます。 RⅢのヘイスティングスはエリザベスや親族リヴァース伯達のせいで投獄されたりして、エドワード4世王(兄上)の仲裁でなんとか和解はしたものの、リヴァース伯達の処刑を歓迎しています。リチャードが本気で王位簒奪を目論んでいるとまで思わず、リチャードではなくエドワード5世の王位継承を支持すると言い、エドワード5世の侍従でもある自分がリチャードと共に権力を掌握できると考えています(甘い……)。

 

wikiを見た程度なんですが、史実には諸説あってエリザベスとの共謀を反逆として処断されたという話もあるそうです。この辺、wikiの項目を読むだけでも菅野先生の取捨選択がうかがえて、とても面白いです。もっと様々な史料を組み合わせておられるんでしょう。

 

ウィリアム・ヘイスティングス (初代ヘイスティングス男爵) - Wikipedia

 

『悪王リチャード3世の素顔』には、リチャードの摂政就任後、バッキンガムやリチャードの側近に比べてヘイスティングスは冷遇されたため、エドワード5世の王位就任に向けてエリザベスやその親族ウッドヴィルと手を組んだという説も紹介されています。その際、エリザベスとヘイスティングスの間を繋いだのがジェーンという説もあるそうです。

 

『薔薇』では、ヘイスティングスがエリザベスの親族には反目しつつ、エリザベス自身に徐々に同情していく過程を描いているので流れにも無理がありません。ジェーンとの関係なども含めて非常にうまく話をまとめていることがわかりました。エリザベスとジェーンの、ヘイスティングスが「善人よね」という発言は、RⅢでヘイスティングスの処刑後に、リチャードが処刑理由を公に説明する台詞から取られているだろうと思います。

 

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MIXAN      写真AC

 

神に挑むリチャードと天罰を祈るエリザベスについて

これと並行してリチャードはハワード卿たちの支持をさぐります。前王やエリザベスに対する彼らの不満を聞いて、人間は「運命を変えることはできない」と前置きしながら、運命=神への勝負に挑むことにハワード卿たちを誘います。悪魔なら運命を斬り裂けるとリチャードは決断するのです。

 

この場面にカットバックでエリザベスが「我が守護者に神のご加護を」「我が敵に神の雷を」と祈るシーンが挟まれます。RⅢで対応が想定される箇所は、全く別の意図・文脈で言われているので意味は逆になっていたりしますが、以下のリチャードとエリザベスの会話です。

 

リチャード 人間ならばあくまで運命の手はのがれられないのだ。

エリザベス そのとおり、悪魔が人間の運命を手にするかぎりは。

小田島雄志訳、白水社

 

『薔薇』の語感に近かったので、ここは小田島訳版で。

 

エリザベスが神にリチャードに罰を下すよう祈り、リチャードが自らを悪魔として神に挑む場面にこの台詞を転用して、畳みかけるようにつなげています。

 

文章力がなくたらたらした書き方になって残念ですが、『薔薇』のこの場面展開は本当にスリリングでぞくぞくします。ついでに言うと、「天よ、雷でこの人殺しを打ち殺せ」も、別人物の台詞でRⅢ1-2に出てきます。

 

“騎馬の”リチャードが運命に挑んだことについて

ハワード卿らがエリザベスに批判的で自分につくだろうことを見て取ったリチャードは、馬上槍試合の賭けに託言しながら「私の賭けた方に乗ってくれ」「勝負の相手は“神”、賭けるものは“魂”」、勝てば得られるものは「望むものすべて」と、戴冠への協力要請を仄めかします。台詞もかっこいい!

 

その上で、リチャードは自ら馬上試合に出て勝利をおさめます。

 

原典の対応箇所としては、やはり「この命、投げた賽に賭けたのだ。」(RⅢ)でしょう。ああ、ここは原文も引きたい。(だんだん深みにはまってきた。)

 

I have set my life upon a cast,

And I will stand the hazard of the die

     
原文についてはありがたいことに複数のサイトで参照できます。

http://www.william-shakespeare.info/script-text-richard-iii.htm  

 

おそらくRⅢ4-4の箇所も使われているのではないかと想像します。

 

「この血塗られた戦争に生死を賭け、なんとしても勝利を得ようという私だ。その固い決意を持ってあなたがたのために善を施すことを約束しよう。」「今度の危ない戦に必ず勝ってみせるように。でなければ、我とわが身を破滅させる!神よ、運命よ、幸せな時を奪え!」(RⅢ)

 

『薔薇』とは違って、RⅢではこの台詞はリチャードがエリザベスを丸め込もうとする口先だけの嘘なんですが、他方でリチャードが“今度の戦”に相当追いつめられている感があるというか、破滅に向かっている感がある箇所です。それに対して『薔薇』では、ハワード卿たちが“過去の戦”でのリチャードの勇姿を讃えていて、そんな彼らに「望むもの」を約束するのです。この反転!どこまですごいんだ、と思います。

 

(※注記したもの以外は、RⅢは河合祥一郎訳・角川文庫版から引用しています。)
 
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