『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

13巻59話仮装したリチャードとバッキンガムについて

(薔薇王の葬列アニメ18話対応)

ヴェニスの商人』レビューのみ読む方はこちらをクリックして下さい。
(ネタバレになっていますので、ご了解の上お進みください。)
 

リチャードを試すアンについて

58話の記事は、リチャード対リッチモンドの文脈での仮装舞踏会の話だけになってしまいましたが、これと並行して、リチャードとバッキンガムの関係というか、アンとの三角関係というか、それも展開しています。そして、59話からはこちらが中心になってきます。こちらも『ヴェニスの商人』(以下、MV)と擬える形になっているように思うんです。このすごい盛り込まれ方が『薔薇王』。

 

58話ではリチャードは「王冠の輝き」を顕示せず、目立たない形で人々を「なりたいもの」「違う者」にさせる王として振舞っていましたが、それでも自分自身はそのままという、ある意味で特権的な位置にいました。今話でリチャード自身も「違う者」になれと挑戦したのは、もう1人のポーシャと言えそうなアンです。58話最後の方でリッチモンドとアンが交代するようにすれ違っているようにも見えたり……。

 

まずは「私たちは“アダム”と“イブ”?」の謎かけ試練(←多分違う)。自分たちだけが、「悪魔の楽園」の住人になっていない、という軽い苦情のようにも取れますが、未だ肉体関係を持っていない“男”と女なのか、という問いにも聞こえます。アンは他愛ないふりで、王と王妃が入れ替わる提案をし、リチャードが本当は女性であるなら拒むだろうとドレスを着るよう迫ります。

 

それに対して自分の仮装を提供しましょうかというケイツビー。“ケイツビー……リチャードをかばって?!”。でも、その仮装は……、

……のだめカンタービレ』から借りてきましたか? ぐらい微妙なマスクのような気も。

(のだめの方はロバですが。ロバはあまり芳しくないですよね。)

 

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©️『のだめカンタービレ』13巻

 

話を戻して、今話でのポーシャとしてのアンの役回りは、仮装エピソードと指輪エピソードのミックスの感じで、夫バッサーニオ=リチャードを試すような要求をすることと言えそうです。男装したアンは見た目もポーシャっぽい!(12巻でも一番タイテーニアみたいでした。)ポーシャ/アンがそんな要求をする原因には、バッサーニオとアントーニオ/リチャードとバッキンガムとの関係があるでしょう。MVについては解釈の1つということになるでしょうけれど。

 

MVの裁判の場では、バッサーニオはポーシャが目の間にいると思わず、殺されそうになったアントーニオに、自分よりポーシャよりアントーニオ(の命)の方が大事だと口にしています。ポーシャはそんなバッサーニオの“告白”を目のあたりにし、妻がそれを聞いたら喜ばないだろうと言い、裁判に勝った後、感謝して礼を申し出るバッサーニオに彼の指輪を所望します。その指輪は、ポーシャ自身がバッサーニオに大事にしてほしいと言って贈ったもので、バッサーニオは相当困って一度は断りながら、ここでも裁判官・ポーシャの巧みな弁舌とアントーニオの頼みもあって指輪を譲ります。

 

アンは、「夜のつとめ」を果たさないまま「真夜中に妻を置いて」「友人」の部屋にいたリチャードを目撃し、不安を抱えていました。

 

(以下のサイトで松岡和子先生が指輪の件を「試す」行為だとしています。松岡先生は、別人のふりをして指輪をほしいと試すポーシャが大嫌い、だそうですが……。裁判であれだけ苛烈だったポーシャが、バッサーニオのアントーニオに対する気持ちや発言をそれ以上責めず、別件の指輪のことに託けて本音を混ぜてバッサーニオを責めて謝らせ、単に美しいだけでない賢くてずるい面を明かしてしまうって可愛らしくも思えます。MVの方はうまく喧嘩できてよかったね、って感じもしちゃうんですよね。)

MVのあらすじも載っていまして、こちらの方が時系列的でわかりやすいかもしれません。

『ヴェニスの商人』座談会! - ほぼ日刊イトイ新聞

 

57~59話前半まで、この3人の関係性としては、リチャード=バッサーニオ、アン=ポーシャ、バッキンガム=アントーニオという印象です。

 

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バッキンガムと「アントーニオの憂鬱」について

58話の記事にも書いた通り(また上記サイトのあらすじにある通り)、アントーニオは、バッサーニオのために自分の身体を抵当に借金をしてまで(あ、肉1ポンド切り取らせるという意味ですよ)、ポーシャ求婚計画に必要な費用を整えてやります。「おれの財布も、からだも、おれにできることならなんでも」「おれにできそうだと思うことを、ただこうしろとさえ言えばいいのだ」。ある意味バッキンガム以上に熱いオファー。その一方でアントーニオは、友人以外には(特にシャイロックに対しては)非常に傲慢です。借金する時にすら「おれはこれからもおまえを犬と呼ぶだろう(中略)その金をおまえの敵に貸すと思うがいい、そうすれば万一契約を破られたとき、大きな顔で違約金をとれるだろう」と、不遜な態度。アントーニオは、投機を是とする投資家で、返せる自信もあったのです。

 

彼は、借金の「証文のことなら(中略)きみの心に入り込ませることはない」し、自分のために急いで帰ってこなくてよいと言って、「バッサーニオの手を固く固く握りしめ」てポーシャの元に送り出すのです。友人も”I think he only loves the world for him.” と言うぐらいの振る舞いです(小田島先生の訳は「あの男にとって唯一の生きる喜びはバッサーニオへの友情だろう」ですが、原文の方が微妙なニュアンスですよね)。裁判に至っても、バッサーニオのために死ぬなら構わないとさえ思っているふしがあります。

 

そんなアントーニオが登場時にこう語ります。

 

アントーニオ まったく、どういうわけだか、おれは憂鬱なんだ。いやになる(中略)おれはこの憂鬱のために白痴同然となり、自分がなにものであるかさえわかりかねる始末だ。

(中略)

サレーニオ とすればきみは、恋をしているんだ。

アントーニオ ばかな!

 

アントーニオがなぜ憂鬱なのかをめぐっては様々な解釈がありますが、アントーニオ自身は否定しているものの、「恋をしている」説はそこそこ流布しています。そう読む一定の読者・観客は、物語の進展と共に、12巻・13巻前半で読者がバッキンガムに抱いたような感想をもつ訳です。“無自覚だったんだね/否認したいんだね……、アントーニオ”。

 

バッキンガムは、リチャードが王になるために「神に博打を仕掛けて」尽力し、自分との「誓約ももはや必要ないと言い、「完璧な王になれ」とアンの元に送り出しました。リチャードが、玉座に上がるため手を貸せと言おうとしたのに(←これは『リチャード3世』の台詞から)その手に口づけし、アンが視線を向けるほどその手を握りしめてもいました。自分の部屋に来たリチャードに「王(あんた)の部屋へ戻れ」と言いながら、口とは裏腹に抱きしめて離せません。57話後半に嫉妬と共にようやく自分の想いを自覚した後は、(眼鏡を握り潰したので)よく見えなかったり、落馬したり、祝宴の対策を話している際も判断は冷静ながら常より精彩を欠いたりしていました。

 

リチャードはアンとの関係を「王の務め」と言い、この点は、ポーシャに恋をし、彼女の美点をアントーニオに語るバッサーニオとは違うように見えます。ですが、ポーシャについてバッサーニオが語り出す最初の言葉は「ベルモント大きな遺産をもつ女がいる」です。バッサーニオは、ポーシャへの求婚計画の前から既にアントーニオに借財があり、ポーシャと結婚すればそれが返せると考えているところもあるのです。

 

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acworks   写真AC



仮装したリチャードとバッキンガムについて

アンとリチャードがそれぞれ男装、女装してからは、リチャードがポーシャやジェシカのパートになり、そこからバッキンガムとの関係性も(バッキンガムのパートも)変化する形だろうと思います。

 

宴ではリチャードとは気づかれることはないまま、その美しさに注目が集まります。

 

ところで、ここで「美味そうなべっぴんさんがいる」と言う(なぜか宴に来ていた)ダウトンと、目もくれず「飯の方が美味い」と食事を堪能するフォレストの会話が挟まれます。「お前にゃ言ってねえよ」と返すダウトン。←フォレスト、やっぱり!!(と思う私が、上のようにアントーニオを読んでいます。)美人と踊れば気が晴れるのではとか、なんだかんだティレルを気にかけている2人が微笑ましい。“やっぱり”でもそうでなくても、この2人大好きです。

 

さて、多くの求婚者が押し寄せるポーシャのように、リチャードは次々とダンスの相手を申し込まれ、「さあ誰を選ぶ?」と迫られます。リチャードは、〈ひたすら“求め”に応じ続ける…、それが“女”の運命(さだめ)か……〉と、仮装や舞踏会から抜け出せばいいと思いながら、“誰か”を探してそこに留まっています。全てを手に入れたはずなのに〈こんな無様な姿を…、きっとあいつ・・・は笑うだろう〉とリチャードは考えます。〈無様な姿〉は、仮装姿以上に、リチャードの怯えを指しているかもしれません。しかも惑うリチャードを「早く見つけなきゃ」とジャンヌが煽ります。

 

ここでポーシャやジェシカの台詞の掛けた進行も、いつもながら絶妙です。

 

MVでは、侍女ネリッサに幸せすぎる境遇となだめられても、ポーシャは自分に課せられた結婚の条件(箱選びの謎解き)を嘆きます。「『選ぶ!』なんて悲しいことば!私には好きな人を選ぶことも、嫌いな人をこばむこともできない」。彼女はおそらくバッサーニオに来てもらいたいと思っていて、多分ネリッサもそれに気づいている様子(←これも『薔薇』経由でそうか、と思ったところでした)。バッサーニオの方もポーシャが愛を向けてくれている確信があります。そして「嫌いな人」の箱選びの失敗に安堵したポーシャの下に、「ゆたかな夏の到来の間近なるを告げ知らせる春4月」のような使者を先触れに、バッサーニオがやってきます。

 

『薔薇』では誰かを探すリチャードの前に、MVとは対照的に悪魔の仮装でバッキンガムが現れます。悪魔の仮装をしているので最初はわからない設定ですが、この満を持した感の登場はバッサーニオ以上に印象的かもしれません。悪魔の仮装は12巻でのリチャードの希望でしたよね。

 

このあたりからの展開は、ジェシカと彼女の恋人ロレンゾーが仮装舞踏会の夜に駆け落ちする場面とも掛けられている気がします。

 

ジェシカ 夜でよかった、顔を見られないですむから。こんな姿をして恥ずかしくてしょうがないのよ、私。でも恋は盲目って言うわね、恋するものの目には自分たちがしているばかなことが見えないものだって。

 

ジェシカは暗いから見られないですむと言っていますが、バッキンガムは(眼鏡がない上に)被り物の仮装のせいではっきりとは見えないと言っています。リチャードも片目側だけは覆って顔を隠しています。また、ジェシカはこの台詞の前に、愛するロレンゾーは見えなくても声でわかると言っており、リチャードは、その声と手とぬくもりでバッキンガムと見極めます。

 

仮装したリチャードとバッキンガムは美女と野獣のようでもあるので、姿がよく見えないことは、うわべに捕らわれずに真実を選ぶというモチーフの変換のようにも思えます。ジェシカは、一方で愛するロレンゾーなら見なくてもわかるのだと言い(=うわべでない真実)、もう一方で恋は盲目とも言っています。MVはこの場面でも見えないことと恋愛とについて、相反する2つのことを言っているように思えるのです。バッキンガムの目がよく見えなくなっているのも、両方の意味(うわべでない真実に近づく、恋に盲目になる)に取れる気もします。

 

見えているリチャードが視覚に頼らず、はっきり見えないバッキンガムが視覚に捕らわれ、「似ている」とまで思ったのに仮装に欺かれたのも面白いですが、仮装に欺かれて逆にリチャードの前では言えなかった本音を語ることになったのも面白いです。ここでも仮装と真実とが色々に作用していると言えそうです。そしてバッキンガムもリチャードだと気づくのは、その声と多分抱きしめられた感覚からという流れです。(バッキンガムがリチャードに語った、「真実の言葉は、決して口には出せない」等の台詞も何かのオマージュかもという気がしつつ、ここはわかりませんでした。)

 

そして、バッキンガムの「真実の言葉」を聞いたリチャードは、ジェシカのように2人でその場から逃げ出していくのです。

 

(※MVについては小田島雄志訳・白水社版から引用しています。)
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2004年版のこちらの映画は最近ようやく見ました。アントーニオとバッサーニオの関係については大前提のような作りでしたが、それ以上にシャイロック×アントーニオにすら思える解釈に開眼させられました。薔薇ワイズ・ポーシャ(Wise Portia)の画像を挟んで、それについて一寸書いてしまいます。『薔薇王』とは全く関係ない妄想は読みたくない方や、映画を観る前に見たくないという方は、ここまでとして下さいね。
現在、Amazon等で配信はないようですが、レンタルというのもありですね。
 
 

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T.Kiya from Japan English rose Wise Portia CC BY-SA

 

(という訳で映画の話です。)MVは上で引いたアントーニオが憂鬱を語る場面から始まるのですが、この映画はその前にユダヤ人の深刻な迫害場面を描写しています。(映画全体としても、ユダヤ人差別を掘り下げて描いている点が特筆されるべきところとは思います。でもこれについては既に色々なところでコメントされているので。)その迫害がなされる場面で、シャイロックはすれ違うアントーニオにすがるように「アントーニオ!」と呼びかけ、アントーニオの方は唾を吐き掛けます。相互に憎んでいるだけではない関係がこの2人にはあった、と思わせる冒頭。その後でバッサーニオとの関係(または彼への想い)を隠そうとするアントーニオが描かれます。MVでシャイロックが最初にアントーニオに呼びかける際は、“good signior”なんですが、その前に名前呼びが来る訳です。

 

借金契約をする場面では、これまで自分を蔑んだアントーニオを非難するシャイロックの執拗さを強調するかのようなアル・パチーノの演技。対して「おれはこれからもおまえを犬と呼ぶだろう」のアントーニオの台詞は尊大な感じではなく、後ろめたく“自分の態度は変えないから”とそそくさとその場を切り上げたい感じ。(の、ように見えました。)ジェレミー・アイアンズは苦悩する風情が似合います。何倍もの返済額を提示されても、その提案を飲まずシャイロックがアントーニオを殺そうとしたことや、自分を殺そうとまでしたシャイロックにアントーニオが寛大な処分を求めることもその文脈で読めてきます。これは考えたこともなかったです。まだまだシェイクスピアは色々読めますね。