『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

14巻64話夢から醒める薬について

(薔薇王の葬列アニメ20話対応)

(※ネタバレになっていますので、ご了解の上お進みください。)
 

ジェーンの薬について

リチャードは吐き気や体調不良が続き、不承不承、身体の秘密を知っておりバッキンガムが契約したジェーンに診察を依頼しました。ジェーンは、妊娠の可能性もあるとし「“お薬”が必要でしたらお申し付けを」と言って退出します。リチャードは、ジェーンの診たてに動揺し「信じるに値しない」と否定しますが、62話と63話で、それぞれリッチモンドエドワード5世が悪魔の体だから子どもを作れないと言った直後の皮肉な流れです。この場面でも64話最後でも、ありえないと言うリチャードが現実逃避をしているように見えてなりませんが、その一方で、妊娠ではない可能性も残されている気はします。

 

ジェーンの堕胎薬の話が、ここまでの射程だったとはーー!リチャードもこれまでこの件はあまり本気にしていなかったように思えますし、私も想定外でした。11巻50話でジェーンが堕胎薬の話をした時にはどきっとしたものの、その薬がヘイスティングス処刑の口実になる呪いの道具として使われ、同時に母・セシリーへの反撃の話にもなるというあまりに素晴らしい展開だったので、それでエピソードは完結と思ったんですよね。

 

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それが12巻では、バッキンガムの熱を覚ますかのような『夏の夜の夢』の「ダイアナの蕾」に転用され、それにも唸りました。それぞれのエピソードが見事で、そこで終わったと思わせて次があることも凄いですが、これらが今回の布石にみえることが更に凄いです。11巻でもリチャードと母親との関係が描かれ、堕胎薬だから当然とは言えますが「子を殺す母は…どれだけいる」の台詞があり、12巻では夢の中でジャンヌが「愛なんて狂乱の夢」と言って「夢から醒める薬をあげようか」とこれを差し出しました。12巻は『夏の夜の夢』のようなハッピーエンドでしたが、61話で、森での一夜が〈朝になれば、きっとすべて消え去るから…〉〈美しい夢もー〉と言われ、今話で再度薬の話が出てきました。

 

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バッキンガムの領地への帰還について

ヨークに出立の日に、バッキンガムが領地に戻ることをリチャードに告げました。『リチャード3世』(以下、RⅢ)では、4幕2場での決裂の後で「ブレックノックへ戻ろう」というバッキンガムの台詞がありますし、史料的にも叛意が明らかになる前に領地に戻ったとされているようです。既読でも多分そうでなくても “ああ、バッキンガムがこのまま帰るってまずい……”と思わせられますが、そこからリチャードがバッキンガムを追う流れ。そして二転三転、しかも65話では……という展開です。

 

先にヨークに出発してほしいと言われたアンの顔が暗いのも気になりました。63話でリチャードがバッキンガムバッキンガム言うのをアンは聞いていますし(2人の密なところはもっと前から見ています)、この時の2人のやりとりも傍で見ており、アンも何か気づいているかもしれません。

 

リチャードがバッキンガムの領地まで出向いても会食までは気まずいままだったものの、そこでリチャードが倒れたことをきっかけに、バッキンガムがリチャードへの想いを吐露します。傍にいるとどうしようもできないから離れたということも、2人が互いの愛を確認できたこともRⅢとは逆と言えます。

 

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えんまな       写真AC

 

子どもをめぐる対立について

ですが、バッキンガムに体調を気遣われたリチャードが、ジェーンから言われた妊娠の可能性を告げたことから再び2人の関係が危うくなります。リチャードがバッキンガムを追い、2人が想いを確認したからこその暗転です。

 

妊娠と聞いて愛しさに溢れたような表情になるバッキンガム(←作画の素晴らしさ!)に対し、リチャードは「あるわけがない、そんな“悪夢”がーー、“本当”だったら、何もかも、すべて終わりだ」と言いました。少し65話にも入りますが、ここではリチャードが政治的見地からも個人的な感情からも子どもを否定します。62話とは反対です。「“血の繋がらぬ子どもの存在”など比較にもならん大罪だ」というリチャードの判断はその通りでしょう。妊娠すれば王位には危機的だと考えたからこそ、バッキンガムも一旦は「王の身体(からだ)はこの国のもの」と決意したはずです(51話)。その時は、自分がリチャードを通じた王位を欲していると信じたかったこともあったでしょう。ですが、バッキンガムは、もう後戻りできないほど王冠ではなく愛を取りたくなっています。

 

リチャードは、62話では、自分と父の関係を重ねて、実の子でないエドワードを愛することができたわけですが、今話や65話では、自分と母の関係を重ねて、〈宿った“悪魔”が、臓腑を食い破り這い出す…〉〈この俺が“母親”に、地獄の罰より耐え難いーー〉と嫌悪と恐怖を抱いています。親子関係の投影だけでなく、リチャードの男性アイデンティティにとっても、これは性愛の上で女性であること以上に障壁がありそうです。

 

そして、この件も、RⅢの王子達への対応の変奏かもしれません。自分の玉座の脅威になる子ども、それには「“あの薬”がある」と言うリチャードと、受け入れられないバッキンガム、ということになります。妊娠という全く異なる事態ではあるので、変奏というのは乱暴かもしれないものの、息子エドワードのこと以上にこれが決定打となり、また2人がRⅢ通りの立ち位置になります。更に深読みしすぎかもしれませんが、史料上でエドワード5世達とリチャードの子どもの重ね合わせが見られるところがあります。ここはエドワード5世達に関わる箇所なので一応飛ばせるように注にしますね*1。加えて、上で引いたRⅢの「ブレックノックへ戻ろう」の同じ台詞で、バッキンガムは「ああ、ヘイスティングズの轍を踏むな」とも言っています。RⅢでは自分も粛清される危険があるという意味ですが、最初に書いたように、『薔薇』ではヘイスティングス処刑の口実を作るためにリチャードはこの薬を使っています

 

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子どもをめぐる関係性については、62話記事で書いたように、ソネット1話も想起させられました。

 

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あとは、やはり『マクベス』のことも頭に浮かびます。王位簒奪のために王を殺すのを躊躇するマクベスに、マクベス夫人は、一旦誓ったら私ならお乳をあげている子どもでも殺すと言っています。62・63話で、次の王位がランカスターの子孫に行くことに納得できないバッキンガムが(これまでとは逆に)マクベス的に思えると書きましたが、64・65話での自分の子どもについての語りはリチャード=マクベス夫人的にも思えます。ですがもう1つ、『マクベス』では、夫人はお乳をあげたことがあると言っているのに、夫妻には子どもがいないことになってもいます。この辺はシェイクスピアの筆が滑っちゃったんじゃないかという気がしますが、これが推測を呼んだり演出で色々工夫されたりすることもあります。64話あたりからが、『マクベス』の、語られるけれど存在しない子どもについてのその演出的工夫にも思えたり……。この辺は今後どうなるかわからないところではあるんですけれど。

 

(※RⅢは松岡和子訳・ちくま文庫版から引用しています。)

 

2020年11月に上演されたコンテンポラリー・バレエ版『ソネット』(“Shakespeare THE SONNETS”)、上が2020年上演時、下が初演時のハイライトです。『オセロー』『夏の夜の夢』『ヴェニスの商人』なども入っています。
 
こちらには、ハンカチで手首を縛るシーン(2:30ぐらい)とかもありますね。ハイライトだけでも愛と嫉妬が感じられてすごく素敵です。
 

 

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*1:史実としてはリチャードには嫡子のエドワード以外に庶子がいました(史実の庶子は、詳細は不明ながら年齢的にはエドワードより少し年上ぐらいらしいです)。エドワード5世達との重ね合わせについては、王子達暗殺の犯人説と関わるものです。リチャードの在位の後年に「庶子殿下」に服などを送った明細書があり、それがリチャードの息子に宛てたものか、エドワード5世達に宛てたものかで(エドワード5世達に送っているならその時に彼らは生きていたことになるので)、犯人説を左右するものになっているそうです(『悪王リチャード3世の素顔』)。