『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

15巻67話 ヘンリーと“贄”について

(薔薇王の葬列アニメ21話対応)

(※ネタバレになっていますので、ご了解の上お進みください。)

 

戻ってこなかったヘンリーについて

67話でも、戴冠式を促すヨーク公の幻影が悪魔的で闇を象徴するかのように描かれる一方、戴冠式で黄金の光を捧げることを人々に宣言するリチャードは、やはりヘンリー5世的で光に満ち、13巻でのような目を眩ます黄金への皮肉は感じられません。

 

リチャードはヨークでの戴冠式の直前までバッキンガムが来るものと信じて待っていましたが、バッキンガムは到来せず代わりに手紙が届きます。手紙を持ってきた男をバッキンガムだと思ったリチャードは追いかけて「ヘンリー」と名を呼び、覚醒した状態では初めてティレルと出会います。12巻での遭遇については、やはり夢や薬が見せた幻覚と思っていたということなんですね。

 

〈必ず、必ず戻ってくる、お前はきっと、俺の元にーー〉というリチャードの独白や、ヘンリーと呼んだリチャードに「違うよ」と答えるティレルとか、ケイツビーにバッキンガムかと問われて「ヘンリーではなかった」と答えるリチャードとか……、過去との重ね合わせや言葉の掛け方にも揺さぶられます。

 

バッキンガムに代わってティレルが来るのが『リチャード3世』(以下、RⅢ)4幕2場的でもありますね。それに、なるほどRⅢでは4幕2場でリチャードが初めてティレルに会うんでした(といっても、RⅢでは他もう1場面しかティレルは登場しませんが)。

 

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蛇を殺すティレルについて

ティレルはリチャードに「僕は、ジェイムズ・ティレル君の●● 暗殺者」と告げ、リチャードの傍の蛇を刺し殺しました。

 

絵的には、一瞬、ティレルがリチャードを刺したように見えるので、“なんだー、違った!”という効果かもしれませんが、そこは菅野先生なので、やはりティレルが蛇を殺した意味を考えたくなります。しかも、「君の暗殺者」は、“君を殺す者”と“君に仕える暗殺者”の両方に取れます。65話からの流れでは前者、RⅢ的には後者(彼の最初の台詞が「ジェイムズ・ティレル、陛下の忠実な僕です」(RⅢ))。前者から後者に移行する比喩なのか、他の象徴的な意味があるのかについては、この先の展開を待った方がよいかもしれませんが、とりあえずつらつら思ったのが以下のことです。

 

1つは、66話でバッキンガムが言った、リチャードを殺す前に必要な“贄”(の代わり)。しばらくしたら、リチャードを“殺す”という予告にも思えます。バッキンガムの言った“贄”はエドワード5世達のことのはずで、RⅢのティレルの役割もそれですが、今話、ティレルはそこに関わっていません。(バッキンガムとティレルのやりとりや、もう少し細かいことはこの下で書きます。)

 

また、66・67話で、リチャード自身が光になろうとしている文脈を考えると、リチャードの傍にいた蛇を殺すことは欲望の浄化とも取れそうです。11巻でイーリー司教がリチャードを襲おうとした時、ティレルはうまく介入してリチャードを助け、殺した蛇と苺を司教に届けていました。苺の下にいる蛇は、司教にとっては肉欲でしょうし、リチャードにとっては王冠への野望と策謀とも言えそうです(リチャードは、その後、RⅢ通りに苺を口実に司教を議場から退出させヘイスティングスを処刑してもいます)。『マクベス』では王位簒奪を計画するなかで、マクベス夫人が「無心の花と見せて、そのかげに蛇をひそませるのです」と言っています。「奪い、殺し、半身(あいつ)と共に悪魔になったーー、だが今はーー、王冠(“光”)はこの頭上に在るーー」。王冠への欲望と情欲を経由して、リチャードは光と、またバッキンガムと共に、愛を見出したという経緯もあり、その比喩のような気もします。

 

そして、メタファーの更にもう1つの可能性は、マクベス夫人の死でしょうか……。

 

バッキンガムの“贄”について

次の68話まで敢えて不透明にされてはいますが、バッキンガムが言った「“リチャード3世”を殺せ」は、リチャードの廃位、または死の偽装で、ティレルもその辺は承知しているのでしょう。バッキンガムは、反リチャード勢力とも手を結び、ランカスターのリッチモンドに王冠を与えてよいとすら考えつつありました。そのための“贄”がエドワード5世達ということです。

 

66話でバッキンガムがティレルに言う「それでお前も救われる」という言葉は、バッキンガム主観では、リチャードを荊棘から解き放ってティレルの望む愛を示すことでもあるでしょうし、過去のヘンリーが望みつつも果たせなかったことをする意味もあるかもしれません。(もしかしたらそれ以上の含意もあったかもしれないことを最終話の記事で考えて書きました。)

 

ですが、その発言にティレルは「それが貴方の、“愛”なの……?」と問いかけており、(それまではバッキンガムにベッタリだったのに)ここでバッキンガムに対する距離や疑いが生じた気もします。バッキンガムが“贄”の必要を語った相手がティレルなのに、ティレルが暗殺に関わらなかったこともこの流れでは気になります。とはいえ、今回、RⅢをよく読んだら、ティレルが直接手を下したとは限らない書き方になっていることがわかって驚いたりはしたのですが。“贄”がエドワード5世達のことのはずと思わせるのも、トリッキーな仕掛けだったりするんでしょうか。

 

塔の王子達の運命について

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James Northcote, “Murder of the Princes in the Tower
Public domain, via Wikimedia Commons

 

今話途中までのエドワード5世と弟リチャード2人の会話は、再度『タイタス・アンドロニカス』準拠。敵を殺してパイにするなどと言って(『タイタス』の話自体は逆ですが)憎々しいタモーラの息子達のようです。ですが、そんな話をして気が紛れたと2人は初めて互いへの思いやりを示して、RⅢの可愛い王子達に移行したところでの(擬)暗殺場面。それだけでもエグいし凄いのに、更にこの上に複数の犯人説とRⅢを全部合わせた話が乗ってきます。それでいて、そんな複雑さを感じさせない流れるような展開です。

 

今までが凄かったので、14巻63話の記事でエドワード5世達の暗殺に関する複数の説を並べ、それらをどう絡めるか予想もつかないままこう書きました。「菅野先生は複数ある犯人説とRⅢを全て絡めて描く予定ではないかという気もしますし、採用する説によっては『薔薇』内ではエドワード5世達は無事なままの可能性がある気もします」。これ、“or”のつもりで書いたんです。そうしたら、全て絡めて“その上”無事な可能性も残すという、予想を超えた描き方でした! 

 

リッチモンドの「念には念を」の台詞からも、ビスケットを食べた2人が死んだと取るのが順当でしょうが、そこもはっきりさせず、いつの間にかいなくなり(少なくとも15巻では)死んだかどうかもわからない、という複数の説が並び立つ史料の通りの描かれ方になっています。複数の説とRⅢの絡め方も見事で、またもやの神業です。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

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See page for author, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons

 

黒幕はリッチモンドで、説の通り、王位継承順位の高い者を排除する動機が仄めかされる一方、リッチモンドとスタンリー卿のやりとりは、RⅢの4幕2場のリチャードとバッキンガムのやりとりがほぼそのまま使われています。ここでもリッチモンドはRⅢのリチャードです。

 

マーガレット・ボーフォートもこれを知っており加担しているだろうことが次の68話で示されます。

 

バッキンガムはRⅢ通りエドワード5世達を殺して、ここではスタンリーとリッチモンドに対する信を示すよう言われます。反乱を前にバッキンガムとリッチモンドがつながったことは、史料上でも指摘されているそうですし、RⅢの台詞にも出てきます。

 

元々はエドワード5世達がリチャードの王位の脅威になるため暗殺を考えたバッキンガムでしたが、今ではリチャード廃位のためにリチャードを暗殺の犯人に仕立て上げようとしています。歴史的には、エドワード5世達の暗殺の噂がリチャードに対する反乱を促したとされ(『悪王リチャード3世の素顔』)、確かに反乱の“贄”として機能したところはありそうです。

 

エドワード5世達が消えたと報告を受けたリチャードは、反乱の旗印にされないよう2人の殺害の噂を流すよう命じます。リチャードは、バッキンガムが反乱のために2人を拐ったことを疑い(68話)、リッチモンドとの共謀を聞いた後は王位継承者の暗殺を危惧します(69話)。

 

ティレルはRⅢでも現場にいなかった?!

ダウトンとフォレストが現場に行ったのはRⅢ通り。これまでの経緯からすれば、バッキンガムの依頼でしょう。彼らは「依頼主がこの塔の主」とも言っており、バッキンガムが武官長職として依頼した、あるいは彼らにも王命の暗殺と言って依頼したと考えられます。RⅢではティレルの台詞の中にだけ登場する2人ですが、この2人の会話もRⅢ踏襲です。で、上にも書いたように、特に河合訳版だとRⅢではティレル自身が直接殺したとは限らず現場にすらいなかったようにも読めることに初めて気づきました。(雇う/雇われるの関係は逆です。)上の2つの絵も、ダウトンとフォレストの2人だけですよね。小田島訳版・松岡版だとティレルが現場にいた感が強くなっていて、訳によってニュアンスが違うことも発見でした。ティレルが暗殺に関わっていないことが気になったものの、ここもある意味RⅢ通りなのかも。

 

ティレル この虐殺のために俺が雇った二人は、ダイトンとフォレストという(中略)子供のかわいらしさを見て腑抜けになり、胸を熱くして同情し、王子らの悲しい死に様を話して子供みたいに泣きやがった。「こんなふうにかわいらしく眠っていた」とダイトンが言う。「こう、こんなふうに、重なり合うようにして」とフォレスト、「アラバスターのように白い無邪気な腕をまわしていた。唇は、まるで一本の茎に咲く四つの赤薔薇、キスするように寄り添って初夏の光に美しく映えた。枕元には祈禱書だ。それを見て」とフォレストが言う、「決心が揺らいだ──だが、ええい、畜生」(後略)(RⅢ)

 

今話では、彼らの決心が揺らぎ、「やめとくか? このまま救け出して英雄にでもなるか」と言ったダウトンに、フォレストが「バラも雑草も魂の価値は同じだ」と返しました。これも暗殺の決意(「だが、ええい、畜生」)とも、中止とも取れる台詞ですし、なにしろ死んだはずのヘンリー=ティレルを拾って面倒を見た彼らなので……。

 

(※RⅢは河合祥一郎訳・角川文庫版から、『マクベス』は小田島雄志訳・白水社版から引用しています。)
  
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