『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

3巻11話苺をめぐるエピソードについて

同じベッドで眠ったのに、目覚めるとベッドはもぬけの殻。屋敷内にもヘンリーがいない。実はヘンリーはリチャードのために苺を摘みに行っただけだったのですが、「出て行ったのか……勝手なやつだ……あいさつもせず……」とリチャードは意気消沈。ですがマントを忘れていったと思って追いかけます。前々日にはリチャードの方から「朝になったら勝手に出ていけ」(10話)と言っておきながら、ヘンリーを見つけると「出て行くなら出て行くと言え!帰る場所なんてないと言ったくせに!」と詰り、見本のようなツンデレぶりです。

 

苺をめぐるエピソードについて

ここから11までのネタバレを含みます。2つ画像を挟みますので、ネタバレ箇所を抜かしたい方はこの下苺の画像をクリックして下さい。

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写真AC   キララ813

  

 

苺については、原典『リチャード3世』(以下、RⅢ)ではイーリー司教を議場から追い出す場面で出てくるだけです。ただ、この場面の苺のエピソードは多分それなりに有名だったり印象深かったりするのでしょう。『薔薇』では11巻50話の話ですね。

 

ですので、

 

好きなもの

リチャード:苺

ジョージ:ワイン

 

これだけ書くとブラック・ジョークのようですが、『薔薇』では物語や登場人物の関係性を描くアイテムになっている気もします。ジョージのワインについてはブラック・ジョーク的なところもありますが、『薔薇』の中では、兄弟仲が悪くなり宮廷からも疎遠になって、エドワード王の治世に火種となってくるジョージを描くエピソードで効果的に使われていました。

 

苺についていえば、RⅢと11巻では、王位簒奪(の一環となるヘイスティングス処刑)のために、公的な議場から邪魔な者を追い出すための口実です。ここに向けて苺のエピソードが重ねられているようにも思うのです。

 

今話に登場した苺をめぐるエピソードは、側にいてほしいヘンリーが、知らないうちに苺を摘みに行き、出て行ったと思ったリチャードが追いかけるというものです。菅野先生が意図されたかはわからないのですが、RⅢや11巻50話の話と、ほぼ逆の形になっているようにも思います。10話の記事でも書いた“王冠か愛か”で言えば、今話の苺は愛に関わるもの50話の苺は王冠に関わるものです。濁流に巻き込まれても流されずにすんだ苺を、ヘンリーは「奇跡だ」と言い、手ずから食べさせてあげたりしています。

 

4巻ではアンが、苺を「一緒に摘みに行きませんか?またふたりで馬に乗って…」と誘いました。これも原典の苺の話とはかなり逆を行く形です。アンからは愛のオファーで、しかも一緒に行こうとリチャードが誘われます。ですが、それを自分の立場を利用するための口実だと誤解したリチャードは、誘いを断ります。そして「もう二度と……己の感情に振り回されて、立場を見失ったりしない」と言って、愛を否定し、自分の立場を踏まえた行動に移行しようとしたのでした。

 

今話では不憫な目にあったランカスターの王子エドワードは、5巻17話で苺のパイをリチャードのために買いました。ただ、パイを食べながらリチャードが思い出すのはヘンリー(ここでも不憫か……)。「俺のもやろうか」「お前の欲しいものを買ってやりたかったんだ」と言うエドワードは、話に熱中し、自分のパイを食べずに落としています。思いを伝えているのにそれがリチャードには届きません。そして、「お前の欲しいものはなかったのか」とリチャードに問われたエドワードは、欲しいのは〈お前だ〉と思い、かつ「王冠が欲しい」と言いました。

 

ケイツビーは、その時にリチャードがパイをくれたり(←リチャードがエドワードにもう1つ買ってもらいました)、苺のパイを好きだったことを思い出し、市場で思わずパイを買っています(11巻)。ですが、彼はそれをリチャードに渡せず、また渡せると思ってもいないのです。

 

バッキンガムは、そんなケイツビーに「今のあいつが望むものは、甘い菓子や優しさじゃない」と挑発的に言い放っていました。ここでは、苺を好きかどうかは重要でなく、望むのは王冠というRⅢとほぼ同じ位置づけでしょう。

 

同時並行で進む、イーリー司教にリチャードが面会に行った際の苺のエピソードでは蛇まで出てきます。ここまで来ると、リチャードも、蛇が象徴する様々な欲望を含み混んで王位を目指している感もあります。そして、リチャードに肉欲を抱いて襲いかかった司教に、蛇の死骸と一緒になった苺を届けたのがティレルでした……。

 

この変遷を描く構成、素晴らしいですよね。

 

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写真AC   acworks

 

濁流で溺れることについて

リチャードがヘンリーを見つけた場面に話を戻しますが、リチャードが足場も確認せずヘンリーに突っかかっていったため(足下が見えないくらい気持ちが動いていたんでしょう)、増水した川に2人が落ちて溺れます。溺れたリチャードを助けたのが、少し前から2人の様子を窺っていた王子エドワードでした。

 

RⅢに、ジョージが見た夢の語りで、リチャードがつまずいて転びかけ、受け止めようとしたジョージが濁流に溺れる話が出てくるのですが……うん、違うよね。

 

ジュリアス・シーザー』に、シーザーに敵対するキャシアスが、今は偉そうにしているシーザーだが、昔、激流の川で溺れて俺が助けてやったぜ(←マウス・トゥ・マウスということではありません)、と言うシーンがあるのですが……うん、違うよね。

 

運命に流され危うい恋に溺れる象徴とみるのがよいのかもしれません。川に落ちる瞬間にヘンリーがリチャードを抱きとめているのも胸熱です。

  

王子エドワードの失敗について

そして王子エドワードが絡む展開は『夏の夜の夢』のようだとも思います。それについては12巻53話の記事で既に書いてしまったのですが、そこだけ再掲します。

 

エドワード=ディミートリアスにしてパック、のようだと思います。(中略)アテネの法/本来の身分から離れて、森の中にいる2人と、それを嫉妬して追ってきたディミートリアス=ランカスターのエドワードという印象でした。エドワードは川に落ちたリチャードを救い、“Sleeping Beauty”なら王子の特権を与えられてもいいぐらいのところでしたが、姿を隠したために、リチャードが目覚めた時に傍にいたのはヘンリー。パックとしては(『夏』とは逆の形で)失敗し、リチャードは取り違えをおこして更にヘンリーを意識するようになった経緯がありました。(再掲)

 

この件の後、館に戻ったリチャードとヘンリーは更に打ち解けて過ごします。雨があがった朝にヘンリーは館を後にしますが、この場面も一寸ロミ・ジュリのようです。別れを惜しむような会話をしているところで人の気配がして、〈きっとまた……会える〉と、ヘンリーは出て行くんですよ。去るのはヘンリーですが、次の約束を求めるヘンリーの方がジュリエットっぽいですね。

 

ジュリエット ああ、私たち、また会えるかしら?

ロミオ 会えるとも。

 

ですが、王子エドワードは……。パックは恋愛の当事者ではないので失敗しても平然としていますし、ディミートリアスには別の恋人ができますが、2人の親密な関係を見たエドワードは、父のヘンリーが自分から「王位だけじゃなく何もかも奪うつもりか」と逆上します。ランカスター復権のために連れ戻すはずだったのに、憎悪のあまり、酒場にいた男たちにヘンリーを捕らえてヨーク側に引き渡すよう話を持ちかけます。『ヘンリー6世』(以下HⅥ)では、ヘンリーが単に森番に捕らえられる展開なのですが、王子エドワードの愛憎を絡ませることで余計に面白くなっています。

 

『薔薇』ではランカスターの王子エドワードもまた感情に任せた選択をしています。これは本来は失敗のはずで、ヨークのエドワード王とフランスの姫が結婚して同盟が強化されれば、ヘンリーを取られたランカスターは更に形勢不利になるところでした。ですが、エドワード王の方も私情を優先して結婚し、それが外交交渉を決裂させウォリック伯に謀反を起こさせることになります。その展開が一層複層的になっているだけでなく、それぞれの人物に政治的判断と個人の感情とが問われる展開になっているようです。

 

フランスでの婚約交渉では、ウォリックが、HⅥ以上にフランス王と妹の姫に「名誉と信用も賭けて」エドワードの姫に対する愛を誓ってしまっていて(HⅥでウォリックが誓うのはエドワードが正統な王だということです)、ヨーク側もランカスター側も波乱が起きることを予感させて12話に繋がります。

 

※『ロミオとジュリエット』の翻訳は、小田島雄志訳・白水社から引用しました。

 

今話の“Sleeping Beauty”的なキスで連想してしまうのが、マシュー・ボーン版の『眠れる森の美女』の“エピソード”です。(キャラ的にはかなり違っていて、オーロラ姫は『薔薇』で言えばベスに近い雰囲気の娘です。)こちらのネタバレは書きませんが、『薔薇王』が好きな方には気に入ってもらえるんじゃないかな、と布教。よかったらTrailerだけでも是非見て下さい。Trailerではそこまでわかりませんが、バレエ版『ロミオとジュリエット』のオマージュ(振り付け)も多分入っています。 
 


Matthew Bourne's Sleeping Beauty - Official Trailer 2015