『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

3巻12話王冠と愛とキングメイカーについて

リチャードとヘンリーのその後について

2人きりで過ごしたリチャードとヘンリーですが、その後の態度は対照的です。そして再びヨークとランカスターの対立の中に置かれます。

 

ヘンリーは王の任を解かれ〈争いも憎しみもないこの世界で、僕は自由なのだから〉と、リチャードを思いながら巡礼の旅に出よう〉としていました。しかし、王子エドワードに唆された酒場の男たちが「生涯一の獲物だぞ」と彼を捕らえます。ヘンリーがどう考えていようと、まだ決着がつかない王権争いの前王/ランカスターの当主としてヘンリーは狙われたわけです。ここも『ヘンリー6世』第3部(以下HⅥ(3))で、ヘンリーが捕えられる場面の描き方とは異なります。HⅥ(3)では、ヘンリーは(前)王を蔑ろにする森番を非難し王として振る舞うのに、森番は意に介さないという話になっています。『薔薇』では、王位から自由になろうとしても許されないヘンリーの皮肉な運命としてこの捕縛が描かれています。

 

一方のリチャードは、ヘンリーと過ごした日々を早く忘れたいと願って、槍や剣の鍛錬にのめり込み〈戦になればいいすべて忘れていられる、戦っている時だけは〉と考えています。ランカスターの残党がまだ国境近くにいると家臣にも警告していますが、ヘンリーと再会する前の3巻9話の〈だったら誰もいらない、俺にはただ戦場があればいい〉に無理に戻ろうとしている感じです。

 

そこに来たウォリック伯が、マーガレットが故郷のフランスと組めば脅威となると言ってリチャードに同意するのですが、2人のこの会話が予言の自己成就のように戦になっていきます。ウォリックとマーガレットの双方がフランスと組もうとする情勢については、HⅥ(3)ではヘンリーやエドワード王周囲の臣下が語っています。『薔薇』ではやはりヘンリーには情勢を語らせず、ウォリックがこの政情を思慮して婚約交渉をしたこと、それがエドワード王の結婚で水泡に帰すことが強調される形になっています。

 

ウォリックは、リチャードにアンからの恋文を渡したりもしていますが、リチャードは開封もしないままで、ヘンリーのこともアンのことも考えないようにしているようです。

 

ジョージは熱心にイザベルからの恋文を読んでいて、3人がそれぞれ恋文を出したりもらったりしているあたりも一寸『恋の骨折り損』を思わせます。

 

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エドワード王とウォリック伯の決裂について

リチャードとヘンリーがお互いに誰かを知らないまま惹かれていくことも、エドワード王とウォリック伯が決裂するのも、神経がすり減るような展開です。

 

HⅥ(3)では、ウォリックがフランスでの婚約交渉中に急使がエドワードの結婚を告げてウォリックが面目を失う形です。エドワードには兄弟や臣下がフランスとの同盟が有利になることやウォリックの立場がなくなることを諭しても、エドワードは自分が王であり、「私の意志が法律だ」として譲らない流れです。こちらはこちらでやはり神経がすり減るような感じはあります。

 

『薔薇』ではウォリックがイングランドの宮廷で婚約成立を発表した後で、エドワードがちゃぶ台返しのようにエリザベスとの結婚を報告した形です。(怒りと放心で、食器類をテーブルから落としたのはウォリックの方ですが。)ウォリックが色を失って、「王の結婚は個人の問題ではないのです……」と言いますが、エドワードは翻意しません。

 

私とその女…どっちをとるのです!」と叫ぶウォリックに、エドワードは「私は愛をとる!」と返します。ここも『薔薇』の名シーンの1つですよねー。

 

HⅥ(3)での、王だから自分の決めたことが絶対で、フランスとの同盟はなくてもよいと考えるエドワードは、愛に盲目になった者というより判断力に欠ける傲慢な王という印象です。対して『薔薇』では、ここでも“王冠か愛か”の選択肢が強調される形です。そして、個人の問題ではない、国益が優先というウォリックも、思わず出た言葉は「私とその女…どっちをとるのです!」。情勢を読み、政略に長けているはずのウォリックもまた愛憎に捉われている描き方です。

 

それと同時に、ウォリックの謀反も、エドワードへの単なる感情的な反発だけでなく、HⅥ(3)以上に政略的判断と愛憎の入り混じったものとして描かれる工夫もされています。HⅥ(3)では、ウォリックは(彼の立場としては当然とはいえ)即座に直情的とも言える形でエドワードに反旗を翻します。

 

ウォリック もはや私の王ではない、私にこんな恥をかかせたのだー(中略)俺は忘れたのか、ヨーク家のために戦ったせいで父上は非業の死を遂げたのではないか?(中略)頭には王冠を載せてやっただろう?(中略)とどのつまりその返礼がこの恥辱か?恥を知れ、エドワード、俺は名誉に値する男だ!(HⅥ(3))

 

『薔薇』では、これがフランス王ルイがウォリックの叛乱を煽る台詞にされています。『薔薇』のウォリックは怒りで席を立ちつつもその後もエドワードに仕えますが、エリザベスの親族ウッドヴィルの台頭で、彼の権力が削がれていく状況が描かれます。その点でも彼は侮られるわけです。ヨーク公への敬愛から尽くしてきたエドワードに裏切られ、権勢衰退にも不満を抱えたウォリックがフランスに詫びに出向いた時に、ルイがウォリックに報いないエドワードを批判し、後ろ盾になることを仄めかします。ランカスターとフランスの繋がり、ルイの思惑という政情も絡んできます。ウォリックが権力奪取の勝算と愛憎の双方から報復を企てることがわかりやすくなっているように思います。急展開のHⅥ(3)、ウォリックが鬱屈を募らせる『薔薇』、どちらもいい!

 

王妃エリザベスについて

HⅥ(3)ではエリザベスは王妃になることに裏の意図はなく、普通に読めば身分は低いものの頭と性格のよい女性という印象ですが、ウッドヴィルの台頭を踏まえるとどう演出・演技するかで違ってくるのかもしれません。

 

エリザベス 皆様、私は陛下の思し召しにより王妃の座にまで昇らせていただきましたが、それ以前の私も下賤な生まれではありません。(中略)王妃の地位は私と私の一族の名誉でございますが、親しいおつきあいを願う方々の反感を買うのなら、私の数々の歓びも不安と悲しみの雲に覆われてしまいます。(HⅥ(3))

 

あれ程皆様に嫌われては…喜びも心許なさや心配に曇らされてしまいます。……お味方がたったおひとりでは……(『薔薇』)

 

皆の面前でそれなりの矜持を示す箇所を削り、「一族の名誉」の箇所を強化した演出的造形になっていることがわかります。『薔薇』では、(時折うっかり黒い笑みを出したりしつつも)エリザベスの猫の被り方とその強かさが半端ありません。

 

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画像は薔薇のクイーン・エリザベスを使わせていただきました(もっとも、命名は現在のエリザベス女王に因んでいるようですが)。と言いながら、思ったより書けることがなかった……。しかも記事のタイトルとも関係がなくなってしまったんですが、使うなら12話かなと思いまして……。
 

バッキンガムの登場について

最初に読んだ時は、“へー、バッキンガムがもう登場するのか”、“ナショナル・チームに入って、2人でワールド・カップ目指そうぜ”みたいなノリだなー、なんて思っていましたよ(遠い目)。この下で引いたバッキンガムの台詞が、リチャードの独白であることもあまり気にしていませんでした。ウォリックの台詞も入れ替えられていたりするので、この時点では重要性がわからないうまい仕掛けだとも思います。

 

キングメイカー・ウォリックの凋落やエドワード王との決裂を契機に、新たなキングメイカーに名乗りを上げるバッキンガムが登場するのも面白い展開です。こういう展開やキャラクターの対置もとても美しく構成されていますよね。

 

今話最初の方でリチャードが〈戦になればいい〉と思っていたのと呼応するように、「戦になるなーー」と言って登場です。平和な世界でリチャードと暮らすことを願うヘンリーと対照的です。

 

戦が起きて世の中がひっくりかえれば、俺だって王になれる可能性がある」「あんただって王になれるんだぞ……!」。エドワード王、リチャード、王子エドワード、ウォリックも絡めて“王冠か愛か”を描いてきて、ヘンリーと対照をなす王冠の道筋(ルート)としてのバッキンガムが強調されているように思います。

 

11巻46話の記事でも書いたように、HⅥ(3) 3-2の、『薔薇』で何度も登場するリチャードの重要な独白が置かれている、エドワードが結婚を決めた後の場面での登場です。そして、そのリチャードの独白の核となる王冠を夢見る箇所をバッキンガムが語っているのです。

 

リチャード 俺が女に愛されるような男か?ああ、そんなことは思うだけでも罰当たりだ!ならば、この世が俺に与えられる喜びはただ1つ(中略)力を振るうことしかない、だから王冠を夢見ることが俺の天国にしよう(中略)だが、その冠を手に入れる手立てが分からない、俺と目的地のあいだには大勢の邪魔者がいる、まるでイバラだらけの森に迷い込んだようなものだ(中略)いっそ血まみれの斧をふるって道を切り開こうか。(HⅥ(3) 3-2)

 

バッキンガム 俺たちと王冠の間には大勢の権力者(やつら)がいる、光もささない荊棘の森同然だ、だが戦が起きれば、斧をふるって、その道を切り開くこともできる……!(中略)もし…あんたが代わりに持つ気があるなら……俺があんたの「キングメイカー」になるってのも面白そうだ(『薔薇』)

  

baraoushakes.hatenablog.com

 

9話でも部分的に引かれたHⅥ(3):3-2のこのリチャードの独白は、王冠と(叶えられない)愛の両方を渇望するものであるのでしょう。愛が得られないから、という背景を『薔薇』では丁寧に描写し、9巻でもなおそれに迷うリチャードを描いています。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

ヘンリーは、リチャードの愛への希求と孤独を敏感に察知しますが、王冠や権力への欲望には気づかない人です。それは妻マーガレットの誇りや義務感を全く顧慮しないこととどこか繋がっているようにも思います。片やバッキンガムは、リチャードの王冠への欲望には聡いものの、その寂しさや愛情への渇望にはあまり目を向けようとしてきませんでした。

 

「前王ヘンリーの首を持参」する者が現れるという引きも、引きとしても凄いんですが、王冠の方に振れたリチャードのところに、“王冠と愛”のどちらに影響する話なのか、と思わせる流れも素晴らしいです。

 

(※HⅥは松岡和子訳・ちくま文庫版から引用しました。)
 
恋の骨折り損』は13巻でもバッキンガムと絡んで出てくる気がしています。ここではロマンティックで衣装も16世紀的なStrasford FestivalのTrailerを。


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次から4巻です。