『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

4巻14話アンの愛情と沈黙について

扉絵が花びらをもつアンです。リチャードに愛を与える比喩にも見えながら、花を持っているところがオフィーリアっぽくも思えます。『ハムレット』(以下、Hm)でオフィーリアが花を持って登場する時は、もう正気ではなくなっているのでアンのような優しい表情ではない絵が多いのですが、多少とも扉絵に近い印象なのはこのあたりでしょうか。

 

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Thomas Francis Dicksee - Art UK, Public Domain, Link

 

14話で大きく印象に残り、主人公リチャードの物語として重要なのは、アンの発言がリチャードに誤解を与えたことですが、全体としては、ウォリック伯が謀反の計画を進める話として進んでいます。ウォリックは、リチャードとジョージをエドワード王から離反させようとし、リチャードにはアンを、ジョージにはイザベルを近づけていました。アンとの会話を聞かれて、リチャードを自分の側に引き入れることが難しくなったこともあり、ウォリックはフランスを援軍にランカスター家とも盟約を結びます。リチャードとアンの悲劇はそこで生じたすれ違いになっています。

 

リチャードの愛情について

14話では2人でスケートです。リチャードがアンに徐々に心を開いていく様子が描かれ、〈アンは俺を俺でいさせてくれる〉〈初めてだ〉〈こんな気持ちを女性(ひと)に抱いたのは〉と、リチャードはアンとの関係に安らいだ気持ちを抱きます。リチャードがアンのスケート靴の紐を直して足に触れたことに気づき、「…すみません」と2人でどきどきして、リチャードがアンの首筋や足首にときめく描写もあります。じれったいほど初々しい2人。

 

リチャードはロマンスを読んだり、〈彼女は…『特別』なんだ〉と思いながら、風邪を引いたアンを喜ばせようと雪だるまを作ったりもしていました。

 

ですが、そんなリチャードのところに例によってジャンヌが出てきて「女を愛したからって、男になれるわけじゃないのに」と言います。この辺の揺らし方もいいですよね。多分、リチャードにも、読者にも、リチャードがアンに惹かれるのは男性であることを確認させてくれるためではないかとの不安を抱かせます。ヘンリーとアンと、違う2人だからリチャードも違う形での愛情を持つのか、ヘンリーを愛すると自分のアイデンティティが揺らぐからヘンリーへの愛には否定的で、アンには安らぎを覚えるのか、敢えて宙づりにされます。アンとの関係がどうなるのかは13巻以降も気になる話ですが、今話の後半は、そんな揺らぎも些細なことになるほどの絶望展開でした。

 

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ポローニアスのような父ウォリックについて

イザベルとジョージに対しては貞操の大切さを説きながら、アンが奥手で引っ込み思案に見えるためか、どちらにも一線を超えない程度に煽れということなのか、父のウォリック伯はアンには「彼〔=リチャード〕もまだ若い、女の体の魅力には抗えまい」などと誘惑するようけしかけます。

 

ポローニアス このわしにもおぼえがある、情欲の血が燃えると、魂はいくらでも誓いの言葉を濫発するのだ。Hm

 

これは、13話の記事のジョージとイザベルの箇所で引いたポローニアスの同じ台詞からなのですが、それを2つに分けたものかな、という印象です。父親が自分の過去の不品行を例に娘に忠告するのは今の感覚ならドン引きだと思いますが、Hmではだからこそ操を自分で守れという論理になっています。

 

「私達はそんな汚らわしい関係じゃないわ」というアンの発言も、オフィーリアからのポローニアスへの回答に一寸似ています。ただ、アンはそれ以上に、父が、リチャードを味方にするために自分と結婚させようとしたことに反発しました。

 

アンの愛情と沈黙について:『リア王

この場面の誤解による悲劇展開は、全体の流れやリチャードの側にとっては、Hmの「尼寺」の場になっているだろうと思います。(これについては15話の記事でまとめて書く予定です。)

 

ですが、アンの行動やその思いについては、オフィーリアとは違っているように思えます。オフィーリアが(色々な演出はあるものの、少なくとも台詞上では)父の言いつけ通りにハムレットに対応するのに対し、アンは反抗しています。その言動は、『リア王』のコーディーリアを思わせるものがあります。

 

菅野先生がどこかで『薔薇』のアンには『赤毛のアン』のイメージも重ねていると書いておられまして、ほら、『赤毛のアン』と言えば“コーディーリアと呼んでくださらない?”じゃないですか。ええ、ここでのアンはそういうことで(←どんな三段論法)。赤毛のアンの方は、名前が素敵、と「コーディーリア・フィッツジェラルド」とすごい組み合わせの名前を自分につけたりしていて、必ずしも『リア王』と直接関係はないとは思うのですが。

 

リア王』では、老父リア王が娘たちに、自分に対する愛情を語れと命じます。引退に際し、彼女たちが語る愛情に即して、財産分与=領地分割をするというのです。父への愛情を語る点と、結婚相手として繋ぎとめようとする点では異なるものの、打算目的で愛情を示すことをコーディーリア/アンは拒否します。

 

コーディーリアが選択したのは「愛して黙っていよう」ということでした。自分は思ったことを口にできないのだ、ともコーディーリアは言っており、その辺も、自ら口下手と言い、それでリチャードを怒らせたのだろうと考える『薔薇』のアンを思わせます。そしてコーディーリアもアンも、愛情深く大人しい印象ながら、結構頑なに自分の信念を貫いたり、大胆な行動をとったりするところも似ています。

 

コーディーリアの沈黙はリア王の誤解を招くことになり、リア王は怒って彼女に財産も渡さず勘当すると言い出します。そのため求婚者の1人が去ることになりますが、コーディーリアは「財産目当ての愛しかおもちでなければ、そのかたの妻となりたくはありません」と、打算的な結婚も拒否。アンはリチャードを政治利用するなら「絶対に、結婚なんてしない…」と言いました。その後、アンは、ランカスターとのエドワードとは父の言いつけ通り結婚するのですが、彼女が〈本当に、リチャード様が大好きだからー〉と思っていることは、リチャードにもウォリックにも伝わっていません。愛して、黙っている形になっています。

 

他方、『リア王』で姉娘たちの方は、美辞麗句で愛を語り、抜け目なく領地を得ています。『薔薇』では、イザベルがジョージを手のひらで転がすかのように愛を語り王妃の座を狙っており、姉と妹が逆だったり3人が2人だったりしますが、姉妹の対照性も『リア王』的です。後には、ネヴィル家の財産・領地分割の問題が2人の姉妹に生じていることも、史料通りではありながら、『リア王』のようですよね。

 

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Edwin Austin Abbey [Public domain], via Wikimedia Commons

真ん中で睨んでいるのがコーディーリアで、コーディーリアの手に口づけしているのは、彼女の真当さに惹かれて結婚するフランス王でしょう。

 

アンの部屋の中ではこんな展開だったわけですが、その部屋の外で「リチャードを愛していなくても」結婚させるというウォリックの発言と、「絶対に、結婚なんてしない…」のアンの返答だけを耳にして、リチャードはアンが父の命令で嫌々自分に会っていたのだと誤解します。安らぎを覚え、信頼しつつあったアンにも裏切られたような状況になり、自分は愛を得られないと思い込みます。12巻での重ね方も凄かったですが、ここも『リア王』、Hm、『ヘンリー6世』第3部(以下、HⅥ(3))と神業的な重ね方だと思います。

 

ウォリックは、この会話をリチャードに聞かれたことに気づいて、リチャードとアンの結婚の可能性が消えたと考え、いよいよランカスターとの同盟に乗り出します。

 

ウォリック伯とマーガレットの同盟について

フランスの宮廷での、ウォリックとマーガレットや王ルイとのやりとりは、かなりHⅥ(3)通りですが、アンと王子エドワードとの結婚を提案するのはHⅥ(3)ではウォリックです。

 

ウォリックが、エドワード王の結婚の件でフランスとの盟約を裏切る形になったことから、HⅥ(3)では、王ルイが援軍を約束しつつ「私の疑念を晴らしてくれ、あなたの揺るがぬ忠誠の証は何だ?」と聞きます。それにウォリックがランカスターの王子エドワードにアンを嫁がせると答えるのです。そして、HⅥ(3)にはもちろんリチャードとアンの最前のいきさつもないので、割と淡々としたやりとりです。

 

『薔薇』では、「貴方の言葉が嘘偽りでないという、『保証』をいただかなければ」と言うのはマーガレットになっています。更に彼女は、ウォリックの唇に指を当てて自らの口を近づけ、「私が欲しいのは貴方の『愛』よ」と言い、一見官能的な仕草か?と思わせた後、ウォリックの胸元を掴み上げてアンを王子エドワードの妻にすることを要求しました。HⅥ(3)でも十分強いマーガレットですが、『薔薇』のこの場面では更に強くて(怖くて)主導的です。

 

ウォリックとハムレットについて

このウォリックの謀反には、〈真の王はあの方 ●●● だった、 その息子●●●●ではなく……〉〈誤った歴史は正さなければならない〉という彼なりの正義や忠誠の思いもあったことが描写されています。

 

そしてこの箇所と13話で、ヨーク公肖像画が登場していました。

 

ハムレット ごらんなさい、この絵を、それからこれを。2人の兄弟〔前王とクローディアス〕の絵姿だ。(中略)これこそ人間のなかの人間、男のなかの男と知らしむるために印を押した契約書。母上、これがあなたの夫であった人だ。こちらはどうです、あなたのいまの夫、カビの生えた麦の穂のように健やかなその兄までも枯らしたやつだ。Hm

 

と比べるシーンのオマージュではないかな、と思います。

 

『薔薇』ではヨーク公エドワード王の外見はそっくりだったりしますが、前王とクローディアスが違うという重要な台詞はこれ以外にもあるのにHmでもこの2人を同じ俳優が演じる演出がそこそこあったりします。(ハムレットの主観の中で違っているだけ、ということを強調したり、外見での違いではないということを示すことになる訳ですね。)

 

12巻でも時々でリチャードもアンもタイテーニアだったりしたように、このプロットではウォリックがハムレットの役割になっているように思います。

 

父王に敵を討てと言われたハムレットは、「いまの世の中は関節が外れている、うかぬ話だ、それを正すべくこの世に生を享けたとは!」と、敵討ちだけでなく相応しくない王を廃して世界を正すことを自らの使命と考えます。これがウォリックの思いとして展開されているように見えます。

 

もっとも、ウォリックが選びなおそうとした者のなかにも相応しい王がいるわけでなく、権力を手中にしたウォリックは結果的にクローディアスのようになってしまう訳ですが……。

 

(※HⅥ (3)の翻訳は松岡和子・筑摩文庫版から、Hm、『リア王』は小田島雄志訳・白水社から引用しています。)
 
 
イアン・マッケラン主演の『リア王』は、見逃してしまったんですが、コーディーリアが軍服です(多分軍人設定)。感想を読むと、この設定には賛否があるようですが、面白い解釈だと思いました。通常、コーディーリアは上の絵画のようなイメージですが、こちらは寡黙で無骨な軍人という感じなのかも。『薔薇』でもアンが騎士に憧れていたり、乗馬が得意で男装したり、とステレオタイプを外そうとするトレンドを感じます。(NTライブは上映期間が短いのでうっかりしていると見逃してしまうんですよね。本当に残念。今年の後悔の1つです。)
マッケラン様、もうちょい若い頃はリチャード3世も演っていました。それでも32歳よりは相当上の感じです。こちらもモダナイズです。その点は面白いんですが、独裁だからという理由だけに見える露骨なナチスの比喩は微妙かな……。廉価のBD版を出してくれているのがドイツのようなので、ドイツでもあまり気にされていないのかなと思いますが。
 
衣装が下のプリンセスの表紙っぽく見えないこともない……(←本当は多分1世紀から半世紀ぐらい時代がずれています)。普通は出てこないベスが最初の方から結構登場していたり、ティレルが原典以上に活躍していたり、マーガレットが出てこなかったりするところは『薔薇』っぽい気もします(このぐらいのネタバレはきっといいですよね)。あ、あと、白くないけど猪も出てきてティレルとの絡みもありました(相当誇張)。 『薔薇』のリチャードのイメージが崩れる!と思う方はスルーしてくださいねー。


Richard III - Ian McKellen - Original Trailer by Film&Clips