『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

4巻16話誰が玉座に相応しいか、という問いについて

ウォリック伯の謀反について

15話の後半から、国内の叛乱(実はウォリック伯による謀反)の鎮圧で、エドワード王やリチャードが戦場に赴く展開です。

 

〈帰ってきた、俺は戦場に、ここが俺の居場所だ〉。原典リチャードが愛の代わりに王冠への野望を抱くのに対し、3巻9話の記事でも書いたように、『薔薇』のリチャードが愛の代わりに自覚的に求めているのは戦場です。エドワード王とエリザベスの愛の行為の目撃後、ヘンリーと過ごした後、アンから離れた後、と繰り返してそれが描かれました。ですが、16話では、エドワード王が捕らえられ、ジョージが王に名乗りを上げたことで、リチャードは王冠への思いに多少とも揺れ、そしてバッキンガムはリチャードを王にする野望に火がつきます。

 

『ヘンリー6世』(第3部)(以下、HⅥ(3))では、フランス王宮で婚約交渉中のウォリック伯にエドワード王の結婚の知らせが届いて急転直下、その場でウォリックがマーガレットと盟約を結びフランスの援軍を得て謀反というスピーディーでまさに“劇的”な展開です。『薔薇』では史実準拠ということもあるでしょうが、それぞれの心理的な機微が描かれ、ウォリックが水面下で工作し、国内の叛乱と見せかけてエドワード王をおびき出して捕らえる流れになっています。

 

もしウォリックとジョージに「裏切られるようなことがあれば…、私はただ失墜するのみ」というエドワードの台詞は、HⅥ(3)(のこの後の場面の「弟クレランス、おまえもそこにいるのか?とすればエドワードは大地に転落するほかあるまい。」)からかと思います。ですが、その前に、彼らの謀反を疑うリヴァース伯の発言をエドワードは退けています。ジョージは弟であり、「ウォリックとは…何度も、死線を共にし…兄弟以上の絆を結んだ」と。

 

ここは9巻40話と同様、『ヘンリー4世』とも掛けられ、エドワードの彼らへの信頼とそれが裏切られる顛末が描かれているような気がします。「私の魂の間近にいる腹心だった(中略)彼はまるで実の兄のように私のために奔走し、愛情も命もこの足元に投げ出してくれた」(『ヘンリー4世』)。同時にエドワード自身のこれまでの振る舞いを鑑みれば、それがあまりに脳天気な信頼だということもしっかり示唆されています。

 

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https://www.pakutaso.com/20120255059post-1236.html

 

ベスへのキスについて

やはり15話で、戦に出る前にエドワード王から請われて、リチャードが幼子のベス(姪のエリザベス)にキスをしており、このシーンもHⅥ(3)との面白い転倒が見られます。HⅥ(3)では、リチャードがキスするのは後のエドワード5世(エドワード王の長男)で、ランカスターとの戦いが終わりエドワード王の王位が安泰になった後です。息子が王位を継ぐことを前提に、エドワード王は祝福のキスをしてくれと言うわけですが、リチャードは次の王位を狙っており「胸に悪意を抱きつつ、イエスに口づけし、『万歳』と叫んだユダと同じ」と傍白しながら王子にキスします。

 

15話ではリチャードには他意はなく、キスも神聖で慈しむかのような感があり、対して、王子さえ生まれればエドワード王の死を願ってさえいるかのように思えるのは王妃エリザベスになっています。

 

『リチャード3世』(以下、RⅢ)既読者にとっては、アンとの別離の後でのベスへのキスと、「ベスは貴方のことが好きみたい」というエリザベスの発言も、意味ありげにみえる仕掛けになっている気がします。この辺も含めてベスの今後も気になりますね。

 

「運命の忍受」と挑戦について

16話は、兄弟の少年時代のかくれんぼの回想シーンから始まります。いつも負けてしまうジョージにエドワードが「弟が兄に勝てないのは当然さ」「運命の課する所人間(ひと)はこれを忍受せざるを得ない」と言うのですが、『薔薇』ではこの台詞に重要な意味を持たせ、また、後(11巻)に繋げるやり方が見事だと思います。

 

baraoushakes.hatenablog.com

11巻では、多分RⅢでのリチャードとエリザベスの台詞(これも元々は王位とは別の意味)と掛けながら、リチャードが運命に挑む形にされています。

 

もとのHⅥ(3)では、「運命の課する所……」という台詞は、(『薔薇』ではこの後に出てくる場面で)ウォリックとジョージに捕えられ王冠を奪われたことを「甘受するしかない」とエドワードが言うものです。ですが、この少年時代の回想では、長男・年長者の変えがたい優位を示す台詞として使われ、それが王位の正統性(一方では長幼の序や血統、他方では資質)を示唆するものにもなっています。ウォリックらはエドワードが王の資質に欠けるとして廃位を目論みましたが、どちらの点でもジョージにエドワード以上のものがあると思えないエピソードが挟まれる訳です。

 

他方、この回想エピソードでリチャードは登場しないまま「隠れるのが本当にうまい」と言われています。長幼の序・血統の点では劣位でも資質の点では「忍受」しなくてよい能力があるかもしれないこと、エドワードとジョージの対立の影にいること、あるいは逆にセシリーに除け者として連れて行かれそのゲームにも参加できていないかもしれないことなどを想像させます。

 

揺れるリチャードについて

2人の対立に際して、HⅥ(3)のリチャードは「おれの狙う的はもっと遠くにある。とどまるのはエドワードのためではない、王冠のためだ」と明快ですが、『薔薇』では王位の正統性や相応しさと、王冠への欲望(と愛)との間でリチャードは揺れます。16話では愛が後景に退いた代わりに、相応しくない王が並び立つ展開になり、リチャードは、自分の王としての資格についても〈あり得ない〉と考えつつ、王冠への思いが高まります。

 

リチャードは、エドワード王とジョージを〈王たる自覚のない男〉〈王たる資格のない男〉と形容し、〈そのどちらも玉座に相応しくはない〉と思い、〈どちらにつくのが得策か、ジョージかエドワードか、誰が玉座に最も相応しいか〉と、結果的にHⅥ(3)に近づきます。

 

ケイツビーに「どうする?俺が王を裏切ったら」とも問いかけました。そこまで思いながら、ケイツビーが「この命はお父上に拾っていただいたものですから、ヨーク家に殉じることが私の宿命です」と答えると、父やヨーク家に言及したためか、宿命・運命を思い出させたためか、リチャードは(少なくともここでは)その思いから引き返したように見えます。(ケイツビーはケイツビーで、「ヨーク家」と言いながらリチャード一筋だったりする訳ですが、そうは言わないままでしたし、リチャードにもそれが伝わっていませんし。)

 

そして、リチャードは、ウォリックの実質的な王権支配こそをありえないものとして排除することを決意します。ある意味では葛藤の昇華、ある意味では欲望の抑圧でしょう。“玉座への相応しさ”や父への思いで揺れることや、自身の王冠より相応しくない者から玉座を取り戻すことを決意するあたりに、やはりなんとなく(原典リチャードには見られない)ハムレット的なものも感じてしまいます。

 

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同行するケイツビーについて

野営地でウォリックたちの急襲を受けてエドワードは捕らえられ、リチャードは女装して逃れますが、女性として襲われそうになったところをケイツビーに助けられます。ここはもう、ケイツビーがまさに姫の危機を救出する騎士。お姫様だっこもしちゃうし。2巻ではリチャードを背負っていたのが、ドレスのためもあるでしょうが、ケイツビーがリチャードの成長を慮っているようで感慨深いです。

 

おそらくここではHⅥ(3)でのヘイスティングスが、素敵変換を施されてケイツビーにされているのだろうと思います。HⅥ(3)でリチャードと共に逃げ、エドワード救出に同行するのはヘイスティングスです(2人が“舞台を横切って逃げる”とト書きがあるだけなんですけどね)。HⅥ(3)のヘイスティングスは、その前に、エドワード王から、ウォリックの下に去ってもよい、だが「おれに忠誠をつくしてくれるつもりなら、まことの味方であると誓言して」ほしいと言われて誓言しています。

 

ヘイスティングスは(史料的にはそうでもなかったようですが)RⅢでも忠実で人がよい人物として描写され、11巻で清廉実直な面がケイツビーに転換されている感がありました。

 

5巻17話の記事を書いた時には気づかなかったんですが、宿屋で雑魚寝する際に、ケイツビーがリチャードの“壁に”なって守る展開も、多分HⅥ(3)からだろうと思いました。

 

番兵3   王のテントで王とごいっしょに休んでいる貴族がいるだろう、あれはだれだい?

番兵1   ヘースティングズ卿さ、王のいちばんのお味方の。

 

(『薔薇』のエドワードとヘイスティングスが「ごいっしょに休」んだら、8巻でのような「刺激的」な展開になってしまいそうですが。)

 

ということで、16-18話のケイツビー≒HⅥ(3)ヘイスティングスというのが順当だと思いますが、私の中でケイツビーは『ハムレット』のホレーシオ枠という強固な妄想が出来上がってしまっているので、今話でも『ハムレット』語りを続けてしまいます。14話の雪だるまの回想シーンにケイツビーが出てきて、アンが「いつだってリチャード様のお側にいらっしゃった」と言っていました。『ハムレット』では、オフィーリア以上にハムレットの側にいて秘密を共有し、信頼を得ているのがホレーシオです。

 

そしてオフィーリアに別れを告げた「尼寺の場」の次の場で、ハムレットはホレーシオの誠実さと穏やかさを讃えて抱きしめたりしています(←一寸誇張?でも本当です)。冷静なホレーシオに敵討ちのための作戦を依頼する趣旨の台詞ではありますが、そうであっても、過剰にホレーシオへの思いが語られている気はします。『薔薇』では、リチャードが15話でアンに別れを告げた後、16話でケイツビーと再会し、対ウォリックの作戦を考えながらケイツビーの忠実さに賛辞を述べています。

 

ハムレット』では、ホレーシオに対する時、ハムレットは真っ当であろうとしているように思えます。信頼を寄せつつ、真っ当な自分でいなければ、という想いを喚起させられる相手という点でも、ホレーシオとケイツビーは近い感じがするのです。今話では「どうする?俺が王を裏切ったら」と王冠への揺れる気持ちを語り、ケイツビーの回答でリチャードはそれを抑え込んでいます。

 

王を裏切り正しさを踏み外そうとする11巻では、だからこそ、リチャードはケイツビーを失うことを恐れ、ケイツビーがリチャードへの忠誠を誓った後は、自分の所にケイツビーが堕ちてくれたことに安堵したように思えます。

 

(※HⅥ (3)は小田島雄志訳・白水社版、『ヘンリー四世』は松岡和子訳・筑摩書房版から引用しています。)
 
先日、↓をいただきました。「五分咲き薔薇王」……つい口に出したくなる商品名ですね。薔薇がそのまま花茶になっています。いい香り。「地獄のクリスマス」用の自己購入(by『腐女子のつづ井さん3』)じゃなくて、本当に、貰ったんですよー(言えば言うほど、疑わしくみえるのをどうしたら)。

最上級 八重五分咲き薔薇王 10g 美麗花茶
 

 
次から5巻です。