『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

5巻19話リチャードへの愛を競う王子エドワードとアンについて:『十二夜』

今回は後半で『十二夜』の話です(こじつけ感満載だったり、あやしかったりするのはいつも通り)。十二夜(Twelfth Night)って、万聖節とクリスマスという一連の祝祭が終わる1月6日のことなのだそうです。祝祭を終えて日常に戻る日ということで、このタイミングで(←いや、相当遅れているけど)『十二夜』の話ができるのは一寸嬉しいです。と言いながら、多分2月頃まで続けることになりそう……。

 

前半は、『ヘンリー6世』第3部(以下、HⅥ(3))準拠の話です。

 

ヘンリーが見た幻覚について

ウォリック伯とランカスターが手を結んだことで、ヘンリーは解放され王に復位しましたが、精神的にはかなり危うい状態になっていました。史料上でもヘンリーは幽閉で憔悴し、病気が再発したとされているようです。

 

ヘンリーが鳥(鴉)の幻覚を見たり、「王宮(ここ)はとても息苦しい…」〈塔から出ても…、僕は、自由じゃないー〉とする箇所は、HⅥ(3)で、ヘンリーが釈放時にロンドン塔の看守に言った台詞を逆にして使っているのだろうと想像します。(引用については、小田島雄志訳・白水社版からです。)

 

ヘンリー おかげで幽閉の身も楽しくすごせたのだから。そう、たとえば籠の鳥が、はじめのうちはふさぎこんでいても、やがて自分がいま自由を失った身であることも忘れ、美しい声で家じゅうに歌をひびかせるときのように楽しくな。(HⅥ(3))

 

また、HⅥ(3)には「あの傲慢無礼な王妃は(中略)多くの高慢な羽をつけた鳥どもとともに、とろけやすい王を蝋細工のように思うがままにしています」という台詞もあります。実はこれは、ヨーク公の弔い合戦に赴く場面でウォリックが語る言葉です。『薔薇』ではこの台詞は出てきませんし、ここと掛けられているかはわかりませんが、かつて敵だったウォリックがマーガレットと組み、ヘンリーを「思うがままにして」いるのは皮肉です。

 

また、twitterやpixivで『薔薇王』感想や考察をしていらっしゃる夏至さんが、この場面のブラックバードパイは、マザーグースの唄に出てくると指摘されていました(夏至さんは素敵な二次創作もされていますよ〜)。

 

 

知らなかったのですが、鳥型のパイ用スチームベントなどもあったりするんですよね(これをパイを焼くときに真ん中に入れて蒸気を出します)。

 

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そして、HⅥ(3)では、ヘンリーは、マーガレットと息子のエドワードの顔を見るまで不安だと言っていますが、『薔薇』では、それがリチャードへの想いに転換されているようです。

 

ウォリックの王権掌握について

HⅥ(3)では、松岡和子先生が訳注で「はしゃいでいるようだ」と書いているくらい(ちくま文庫版)、ヘンリーは王に戻ったことに上機嫌で、ウォリックに感謝し自発的に彼を摂政にしています。(以下も、引用の方は小田島雄志訳・白水社版からです。)ヘンリーの状態としては史料とHⅥ(3)では真逆の感じですが、HⅥ(3)の台詞を使いながら史料の方に話を寄せているという、いつもながらの巧みな展開になっています。台詞を活かしつつニュアンスを変えてしまうところが、本当に見事だなーと思います。

 

ヘンリー ウォリック、神に次いでおまえがこの私を自由にしてくれた、神とおまえになにより感謝したい。(中略)王冠こそ私の頭上に残しておくが、政治の実権はおまえに譲り渡すことにしたい、おまえはすることなすことすべてに幸運な男だから。(中略)私自身は、身を引いて一私人となり、罪を悔い、わが造物主をたたえまつるべく、信仰と祈りのうちに余生をすごすことにしたい。(HⅥ(3))

 

19話では、自由にしてくれたことに感謝しながらも「王宮(ここ)はとても息苦しい…」と言うヘンリーに、ウォリックが巡礼の旅に出ることを勧め、「政治の重責は、我々が担いましょう」と提案しました。それを受けて、ヘンリーが促されるかのようにウォリックを摂政にすると言います。

 

また、HⅥ(3)ではその場にジョージもいて、ウォリックとジョージの双方が相手の方が摂政に相応しいと譲り合い、結果的に2人が摂政になる流れです。普通に読む限りこの2人の間に亀裂も生じません。

 

ウォリック 一つだけ陛下をおとがめせねばなりません、クレランス公がおられるのに私を選ばれたことです。

(中略)

王〔=ヘンリー〕 ウォリック、クレランス、二人とも手をかしてくれ、(中略)私はおまえたち二人をこの国の摂政に任ずる。(中略)

ウォリック クレランス公は陛下にどうお答えになります?

ジョージ ウォリックが承諾するなら私も承諾しますと答えよう、ひたすらおまえの幸運に依存している身なのだから。

ウォリック (中略)政治の重荷はわれら両名がにない、その栄誉と安楽は陛下に味わっていただきましょう。(中略)いまなによりの緊急事は、ただちにエドワードを謀反人と宣言し、その土地財産のすべてを没収することだと思いますが。

ジョージ もちろんだ、それと、王位継承者を定めることだろう。(HⅥ(3))

 

摂政がウォリックのみか2人なのかで展開としてかなり違うとはいえ、台詞としてはここを踏襲しながら全く異なる印象にされているのがわかります。

 

『薔薇』では、ヘンリーの部屋を退出した後で、ウォリックがジョージに「摂政として相応しいお方がおられるではないか」「いかがする?」と問うていて、これは選ばれなかったジョージの力量の揶揄と、選択を与えない問いのように聞こえます。「お前が承諾すれば…、私も、承諾する」という台詞も、HⅥ(3)では2人で摂政になる承諾ですが、『薔薇』ではウォリックの摂政就任へのやむを得ない同意です。王位継承者についてのジョージの発言も、2人が権力掌握をしているように聞こえるHⅥ(3)、自分の王位継承権が危うくなって焦っているように聞こえる『薔薇』、と、ジョージの立場がなくなっていく状況の描写になっています。そしてウォリックが一層狡猾に振舞っている描き方です。

 

でも、外交(婚約)交渉で裏切られたからとはいえ、ウォリックがエドワード王に反旗を翻し旧敵のヘンリーを復位させたことや、今後のジョージの行動を鑑みれば、台詞の字義通り摂政位を譲り合い、恭しく承諾するのはむしろ不自然で、2人が腹芸をしていていい場面かもしれません。HⅥ(3)の解釈によって、そんな演出の可能性も見せる素晴らしい作り込みだと思います。

 

リチャードへの愛を競う王子エドワードとアンについて:『十二夜

18話で結婚したランカスターの王子エドワードとアンは、エドワードも〈形だけ〉と思っていたりして、食事の間すらほとんど会話がありません。母マーガレットにベッドを共にしていないことも見抜かれ、床入りするよう命じられます。

 

ベッドの両端にそれぞれが腰掛けたまま、エドワードはアンに「リチャードのことが…好きだったのだろう?」と問いかけます。エドワードとしては「気持ちが断ち切れぬと言うなら」を言い訳に、アンと肉体関係を持つことを先延ばししようとしたように見え、オレ様的ながら優しさも感じます。その後の言い争いで台無しな感じもしますが、こういうところも人気の所以かもしれません。

 

そこから話が変な方向にエスカレートし、夫婦の間で、リチャードを愛しているのは自分の方だと言い争いになります。しかも、エドワードは、口づけしたとか「何度も夜を共にした」とか色々盛って/歪曲している!

 

この19話から21話まで、『十二夜』オマージュが入っているような気がします。特にこの場面は、オーシーノー公爵とその求婚相手のオリヴィアが、小姓シザーリオを大事に思っているのは自分の方だと言い争うところみたいだなー、と思いました。

 

十二夜』のオーシーノー公爵は、求婚してもなかなか承諾してくれない(というよりは拒否している)オリヴィアのもとに、新しく雇った小姓シザーリオを再度求婚の遣いに行かせます。ところが、オリヴィアの方はオーシーノーではなく遣いに来たシザーリオを好きになり、シザーリオに結婚してほしいと言い出します。しかし、そのシザーリオは、実は男装していた女性(ヴァイオラ)で、嵐で生き別れた双子の兄弟の安否を気遣いながら彼を真似た格好をしていたのでした。

 

オリヴィアはオーシーノーに、自分が愛しているのはあなたではなく別の人だと告げます。オーシーノーは、それがシザーリオのことだと察知しつつ、自分を拒否し続けるオリヴィアに気持ちが冷め、嫉妬もあって「心から愛している大事な小姓、あなたの残酷な目には二度と触れさせはしません」と、2人はシザーリオを争います。

 

『薔薇』でも『十二夜』でも、カップルのような男女が、リチャード/シザーリオに惹かれ、その性別を間違って考えています。もっとも、『十二夜』では、オーシーノーもオリヴィアもシザーリオを男性だと思っていて、オーシーノーは、恋愛対象ではなくお気に入りの従者、可愛い年下の若者としてシザーリオを好いているという違いはあるのですが。

 

誤解と恋愛のもつれが生じた渦中に、無事だったヴァイオラの兄弟セバスチャンが現れ、この2人の取り違えも起こります。この点でも、女性(シザーリオ/ヴァイオラ)と男性(セバスチャン)が間違われるのです。

 

十二夜』ではヴァイオラが男装したために話がややこしくなり、19話では、リチャードの身体の秘密もありながら、エドワードがリチャードは女性だと主張するために、話がややこしくなっています。(最後の歌詞の部分以外の引用は、小田島雄志訳・白水社版。)

 

ヴァイオラ 私は男だからいくら公爵をお慕いしても望みはない。また、私は女だからーああ、なんということだろうーお嬢様がいくら溜息をついてもそれはむだ!

ヴァイオラ自身はオーシーノー公爵が好きになってしまったのですが、打ち明けらません。)

 

このヴァイオラの台詞は、言い争いの中でエドワードが言う「お前〔=アン〕がいくらリチャードを想おうと、お前が女である限り、あいつがお前を愛することは、絶対にないんだ!」に一寸似ている気がします。

 

リチャードへの想いを競う点では、エドワードとアンは、オーシーノーとオリヴィアのようですが、好きな相手への想いを胸に秘めて耐えている点では、アンとリチャードの2人がシザーリオのようでもあります。エドワードとアンが言い争うところは、オーシーノーとシザーリオが議論する場面とも似ている感じがします。

 

オーシーノーは、自分の愛について「女の愛と、オリヴィアにたいするおれの愛とは、とうていくらべるわけにはいかぬ」「おれの恋はいかなる拒絶にあっても耐えるものだ」と得意げに述べます(ですが、上述の経緯で結局はオリヴィアを諦めます)。それに対してシザーリオは、自分の姉妹のことだと仮託しながら自分の愛を語って反論します。「でも私は知っております」「女も(中略)まことの愛を捧げます」。「自分の恋をだれにも言わず、胸に秘めて(中略)悲しみにほほえみかけていました。これが愛です、まことの」。

 

今話では、エドワードが「お前の気持ちなんて大したものじゃない」「おれの想いはそんなものではないぞ」「どんな障害にも負けはしない」と言うのに対し、アンは自分の想いは断ち切った、「貴方なんかにわからない」と反論します。また、アンはリチャードを政争に巻き込まないために、実際に自分の恋を「胸に秘め」たままにしました。そして(シザーリオ・ポジションの)リチャードについて、〈いつも何かを心の奥底に秘めているような〉と印象を抱きます。

 

杉の柩について

ここから先はとりとめのない連想をつなげるような話になりますが、イラスト集『荊棘の棺』の表紙に、男女の双子のようにも見えるリチャードが描かれていますよね。

 

十二夜』の中に、「杉の柩」または「糸杉の棺」(英語は単にSad Cypress)というフレーズが出てきまして、アガサ・クリスティのポワロ・シリーズのタイトルにもなっています。その本の邦訳タイトルも『杉の柩』。イラスト集のタイトルは、もしかしたらこれと掛けられているのかも、と思ったりしました。

そしてクリスティの『杉の柩』には、メイン登場人物のエリノアとその婚約者が幼かった頃、ヨークの白薔薇とランカスターの赤薔薇とどちらが好きかで喧嘩をするというエピソードがあります。

 

その「杉の柩」のフレーズは『十二夜』の中の歌に出てきます。7巻のネタバレ込みで書きますので、ネタバレが嫌な方はここで引き返すか、この下の『十二夜』のシザーリオとオリヴィアの絵をクリックしていただければ、ネタバレ部分を飛ばすことができます。

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William Powell Frith "Olivia unveiling" [C2C BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons

 

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「杉の柩」と出てくるのは下の歌の中です。オーシーノーとシザーリオが愛について議論する直前のシーンで歌われます。本当は失恋の(恋を葬る)歌で文字通りの死の歌ではないでしょうが、7巻で王子エドワードが亡くなる場面や、その後のリチャードの境遇を彷彿とさせます。7巻28話は、エドワードの死と恋の終わりとが重なっている感じもありますよね。そして、アンがエドワードのためにリチャードに刃を向けるほどの「友達」になっていることも(アンには友達というだけではなく“ランカスター家”という意識もあるのでしょうが)、なんだか歌詞に合う感じです。ここまでは流石にこじつけすぎとは思いますが、こじつけたくなる歌詞なんです。

 

これも歌の動画があるので、原文も全部引いちゃいますねー(これも有名曲のようで、作曲者が異なる複数の曲の動画があります)。「杉の柩」と訳しているのは小田島先生で、河合先生は「糸杉の棺」と訳しているのですが、河合祥一郎訳・角川文庫版の直訳版がわかりやすかったのでここではそこから。

 

来たれ、来たれ、死よ、悲しい糸杉の棺に私を納めよ。

絶えろ、絶えろ、息よ、私は美しくつれない乙女に殺される

櫟(いちい)の枝に飾られた私の白い経帷子(きょうかたびら)、ああ、それを用意してくれ。

私ほど誠実な者が私のような死に方をしたことはない。

花一つ、甘い花一つさえ、私の黒い棺に撒かないでくれ。

友一人、友一人も訪れるな、わが骨が投げ込まれたわが哀れな墓を。

何千ものため息をもらさせないために、私を埋めてくれ。

私のように悲しき真の恋をした者が私の墓を見つけて、そこで泣かないようなところに。

 

Come away, come away, death,

And in sad cypress let me be laid;

Fly away, fly away breath;

I am slain by a fair cruel maid.

My shroud of white, stuck all with yew,

O, prepare it!

My part of death, no one so true

Did share it.

 

Not a flower, not a flower sweet

On my black coffinlet there bestrown;

On my black coffin let there be strown;

Not a friend,not a friend greet

My poor corpse where my bones shall be thrown;

A thousand thousand sighs to save,

Lay me, O, where

Sad true lover never find my grave,

To weep there!

 

今回引用が多かったせいもあり、既にすごく長くなってしまいまして(汗)、19話のクライマックスはリチャードとヘンリーが再会する話のはずですが、それについては次の記事で……(ごめんなさい)。

 
ということで“Twelfth Night & Richard III”のアルバムからCome Away Deathの歌を。『十二夜』は歌満載のお芝居です。“おお!”なアルバム・タイトルですが、このタイトルなのは、多分、単にシェイクスピア・グローブ座がブロードウェイでこの2作品を上演したからという理由です。アルバム・ジャケットは、オリヴィア(←公式では美人設定)に扮したマーク・ライランス


Come Away Death (Live)

 

シェイクスピア・グローブ座のこのプロダクションは、オール・メールでシェイクスピア時代の雰囲気も醸しながら相当笑えるものだったようです。オリヴィアのマーク・ライランスが『リチャード3世』ではリチャードですが、『薔薇』とは対極にあるようなリチャードのようです。

 

音楽はamazon musicにあり、また、シェイクスピア・グローブがこの『十二夜』を有料配信もしています!

Globe Player

 

 

 

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最も音楽的な作品だから、ということで、河合先生は歌部分は歌詞として歌えるように訳しています。しかも楽譜つき!上で引用した部分は注にある直訳の方で、本文の方では歌詞にして訳されています。