『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

6巻23話木陰の眠りと父の野望(のぞみ)について

(薔薇王の葬列アニメ10話対応)

 

ヘンリーの脱出について

エドワード軍が王宮を急襲し、父の仇を探すリチャードと振り返ったかに見えるヘンリーで22話幕引きでした。続いて、23話の冒頭では「ヘンリー!」というリチャードの怒声に「リチャード?」の台詞で2人の遭遇か、と思わせつつ、現れた声の主はバッキンガムでした。コマ構成も煽る展開になっていて、初めて6巻を読んだ時には本当にはらはらさせらました。

 

『ヘンリー6世』(第3部)(以下、HⅥ(3))だと、22話で引いた「私は国民の要求に耳をふさいだことはなかったし(中略)私は彼らの富をまきあげようとしたことはなかったし」の台詞の後、エドワード王やリチャード達が乱入してきてヘンリーが捕まるんですよ。“わー、ここでいよいよか”と思った箇所で、でも、こちらは白いののお陰で辛くもヘンリー脱出ですよ。しかもヘンリーの方は、捕まったらリチャードに会えなくなると思っての逃亡です。このずらし方!

 

そして今となっては、リチャードの「ヘンリー」に反応して出てきたの?と、微笑ましくも思える場面ですが、当時はファーストネームを知らないまま、“ああ、バッキンガムだったのか(安堵)”とか思っていました。第2部の展開を踏まえた上での場面にもなっているのでしょうね。

 

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リチャードの光の移行について

仇を討つべく尚も王ヘンリーを探すリチャードを、バッキンガムがエドワード王の命令かと制しました。リチャードは「まるで忠実な臣下のような口ぶり」と皮肉を言いましたが、5巻でエドワード王を殺すことをリチャードに唆したバッキンガムは、エドワードに息子が生まれジョージも戻ってきたと状況を踏まえ、「今ヘンリーを殺すのは得策じゃない」と狡猾とも言える判断をしています。

 

エリザベスが生まれたばかりの息子(後のエドワード5世)と共にエドワードに対面し、ジョージと3人で和む様子を遠巻きに見ながら、リチャードとバッキンガムは話を続けています。このシーン、HⅥ(3)の最終場面の5幕7場っぽい感じもします。HⅥでは、ランカスターとの戦争が終わった後にエドワードとエリザベス達が再会し、エドワードの息子にジョージとリチャードが忠誠を示すというエピローグ的な場面になっています。

 

HⅥ(3)のリチャードは、勿論その裏で次の王位を狙ってこう傍白します。「あんたの麦の穂が土に垂れたらおれが吹き枯らしてやる。おれはいまのところ世間で重く見られてはいない、だがこの肩は重いものを背負うよう宿命づけられている(中略)その方法を考えろ」。

 

HⅥ(3)でも実質的な最終クライマックスと言える5幕6場の方が『薔薇』第1部の最終話にされており、ヨーク家の一旦の安泰とリチャードの野心が示される5幕7場がここに挟まれている気もします。HⅥ(3)5幕6場が最後に来ることで、1話との関係や第2部への転換がよりドラマティックで悲劇的なものになりますよね。一方、5幕7場的な場面が入ることで王位をめぐる状況がよくわかり、『薔薇』のリチャード(とバッキンガム)のスタンスが原案と関連づけられて配置される形になるように思います。

 

これも後から振り返って気づいたことですが、23話のこの場面でも、「エドワードが今死んでも、王位はすぐにあんたのものにならない」と状況を読みながら王位を見据えているのはバッキンガムです。そして壁ドンしながら、TLのパロディのように「いい加減素直になれよ、俺の言葉に今まで、一瞬たりとも心が動かなかったとは言わせないぜ」とも言っています。バッキンガムの方もこの段階では愛にも性にも自覚的でないものの、TLパロのような形で第2部の王冠と性愛の重なりが少し醸されているのかもしれません。ただ、その重なりは予感させつつも、ここでのバッキンガムの主軸は王冠ルートという感じです。

 

計算の上で王位を狙おうとする『薔薇』のバッキンガムに対して、リチャードの方は〈木陰で眠る心地よさを知る前ならば…〉とヘンリーに心を奪われて、王冠より愛、ロミジュリ路線に行っています。ランカスターとの戦いが終われば王宮を去る気で、リチャードの光も、〈父の野望(のぞみ)〉としての王冠からヘンリーに移行しています。バッキンガムはそんなリチャードの表情に恋愛的感情を刺激されて(?)戸惑う一方、王位への野望から遠のいたリチャードに「見込み違いだったようだ」と失望します。

 

この後、廊下の陰にいたベス(姪のエリザベス)と白いのに2人が気づき、エリザベスも加えた4人の会話も細かい部分ながら、この後の史的展開や『リチャード3世』をそれとなく示唆しているように思います。リチャードの旗印でもある白いのを「ベスの」だというベスに、「危険よ」と嗜めるエリザベス。また、豚(=家畜)だと思ったエリザベスに対し、「餌付けされ牙を抜かれようと、猪は猪だ」と言って、エリザベスの一族の取り込みに抵抗するバッキンガムも描かれています。(多分関係ないでしょうが、『リチャード3世』では、リッチモンドがリチャードに敵対する台詞の中で「猪」と言った直後に「豚」と言い換えていたりもします。)

  

アンと王子エドワードについて

アンとランカスターのエドワードについては更に2人の距離が縮まり、今話ではアンがエドワードにリチャードのどこが好きかを聞くという面白い展開になりました。5巻19話ではリチャードを巡って喧嘩をした2人が、エドワードのリチャード愛語りをアンが受け止め、エドワードはアンのリチャードへの想いを慮って仲を深めている感じです。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

「すべては神様の決めた運命(さだめ)」と現状を甘受するアンに対し、エドワードは「決められた運命などくそくらえだ!欲しいものは己の力で手に入れろ」と言って、アンを前向きにさせています。17話ではエドワードは、リチャードに罪を犯してでも何かを手に入れたいと願ったことはないか、と問うていましたが、ここでもいい意味で貪欲でポジティブ。“欲しいものは己の力で手に入れる”は、11巻12巻でも鍵になる台詞にされていましたが、これ元ネタとかがあるんでしょうか。

 

エドワード、私たち…、愛し合うことはできなくても…きっとお友達になれるわ」と言うアンに、エドワードもまんざらではない様子でした。……12巻では、リチャードとアンも(必ずしも肉体関係という意味ではなく、友愛・信頼関係としてという意味で)こういう方向に進めるのかなと思ったんですが。エドワードとアンがよい関係を築いていく過程を振り返ると、リチャードとアンがどうなるのか気になってしまいます。

 

エドワード軍とウォリック軍の対戦について

そしてやはりエドワード王の軍とウォリック率いるランカスター側がまみえる箇所は23話のクライマックスの感じです。ジョージが寝返ったことは既に22話で描かれているのに劇的なシーンになっています。22話のマーガレットとヘンリーの話と同様、改めて見ると意外に頁数が少なくて驚くのですが、盛り上げ方の見事さということかもしれません。

 

エドワードとウォリックの台詞は、エドワードがウォリックに捕らえられた場面(5巻17話に当たる箇所)からも取られてはいるものの、この対決を描いたHⅥ(3)5幕1場そのままの感じです。ですが、HⅥではジョージが寝返る前に貴族達が次々名乗りを上げてウォリック傘下に入ったり、合戦前に互いを非難するところでリチャードがウォリックに言い返したりするところが削られて(←原典リチャードは饒舌なので結構口を挟みます)、エドワードとウォリックの2人の憎悪と対決が強調される形になっています。エドワードとウォリックの顔が並んで「裏切り者が……!!」と叫んでいるコマとか、いいですよねー。

 

HⅥではヘンリーが挙兵を命じたり、貴族達がそれぞれの側についたりという勢力争いを見せますが、『薔薇』では、対ランカスターの戦争ではありつつ、エドワードとウォリックの対立、そして父の敵討ちでヘンリーを殺そうとするリチャード、という愛憎を基軸にしている感じがします。

 

クライマックスと言いながら、そして本当にこの展開が好きなのに、エドワードとウォリックの対決については書けることが少ない……。実はこの見出しのタイトルを記事タイトルにもしようと思っていたんですが、書ける内容があまりないので(←純粋な感想を書くのが下手なんですね)、下でご紹介する歌関連の方での記事タイトルにした次第です。

 

戦闘が開始され、リチャードとヘンリーはそれぞれ、決着がついたら互いの元に行けると考えて、自分の責を果たそうと戦場に出て行くという辛い流れで終了です。

  

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Hugh Thomson / Public domain
As You Like It: Orlando pins love poems on the trees of the forest of Arden. 

Under the greenwood tree

本編の記事が短くなってしまったのと、〈木陰で眠る心地よさ〉というリチャードがヘンリーを思う台詞が一寸『お気に召すまま』の作中歌を思わせたので、また歌を載せちゃいます。1巻2話でも『お気に召すまま』オマージュ説を出してみましたが、〈父の野望(のぞみ)が俺の光だった…〉と、リチャードの光が王冠への野望よりヘンリーになっている今話にも合いそうな気もします。緑の木の下なら敵には会わないという歌詞も、ここで引用すると切なく感じられます。

  

baraoushakes.hatenablog.com

 

Under the greenwood tree

Who loves to lie with me,

And turn his merry note

Unto the sweet bird's throat,

Come hither, come hither, come hither.

Here shall he see

No enemy

But winter and rough weather.

 

Who doth ambition shun,

And loves to live i' th' sun,

Seeking the food he eats,

And pleas'd with what he gets,

Come hither, come hither, come hither.

Here shall he see

No enemy

But winter and rough weather.

 

緑の木陰で僕と眠りたいなら、楽しい調べと小鳥の甘い声を合わせたいなら、

ここに来て、ここに来て、ここに来て

冬の寒さと荒れた天気の他は、ここで敵に会うことはないから。

 

野望を捨てて日の光の下で暮らしたいなら、

食べるものを自分で探し、得たものを喜ぶ暮らしがしたいなら、

ここに来て、ここに来て、ここに来て

冬の寒さと荒れた天気の他は、ここで敵に会うことはないから。

 

台詞に掛けて意訳してみました。21話で〈木の実をとったり羊の世話をしたりして、静かに穏やかに暮らしたい…、リチャード、君と…〉というヘンリーの夢想の中で羊を飼って暮らす2人が描かれていましたが、そんなイメージもあります。なんとなくヘンリーからリチャードに、と思わせる歌じゃありません?

 

例によってこじつけですが、『お気に召すまま』で森に逃げるオーランドーは、父の遺産を兄オリヴァーに専有されています。オリヴァーはオーランドーを殺そうとするなど兄弟仲が険悪なのですが、オーランドーに森で命を救われたオリヴァーが改心してこの2人も円満になる結末です。遺産相続の見込みがない弟が家を出る(リチャードの場合は願望ですが)、兄弟が和解する(エドワード王・ジョージ)というモチーフも23話的かもしれません。画像を『お気に召すまま』、しかもロザリンドでなくオーランドーにしてみたのは、そんなところからでした。

 

“Under the greenwood tree”については23話の文脈だと短調の方がしっくりくるので、まずはWaltonのものを。20世紀に作曲されたものですが、シェイクスピア時代のもの?と思ってしまうような曲です。


As You Like It: Under the Greenwood Tree: Under the Greenwood Tree

 

作曲者でクレジットされているのが古楽研究者の方なので、これは当時の曲か復元版という感じなんでしょうか。元の『お気に召すまま』の話には、こちらののんびりした曲調の方が合いそうです。


Shakespeare's Songbook, Vol. 1: Under the Greenwood Tree

 

(※HⅥ は小田島雄志訳・白水社版から引用しています。)
  
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