『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

7巻28話 王子エドワードの願いについて

ランカスターの王子エドワードの退場回です。基本的に『ヘンリー6世』第3部(以下、HⅥ(3))準拠ながら、エドワードのリチャードへの恋の終わりと絡めて悲しく美しく翻案されています。

 

感想で書くのはエドワードの話が中心になりますが、この回は亡くなったエドワード以上に、アンからもエドワードからも裏切られたと思ったリチャードが不憫で、個人的にはそちらに感情を持っていかれました。影武者として早駆けするアンを馬ごと倒して、リチャードとアンが敵として対面するとアンは刃を向け、リチャードはエドワードの正体も知ります。ヨーク軍が勝利し、エドワード達も捕らえられますが、この場面で膝をつき敗北したようにすら見えるのはリチャードです。7巻は本当に辛い展開ですよね。

 

王子エドワードの願いについて

王子エドワードを逃すために、アンが影武者になるのは無論のこと、マーガレットが敢えて捕まるところも『薔薇』オリジナルです。エドワードはそれを承服せず、アンを助けるべく戦場で「王太子エドワードだ」と宣言してヨーク軍に囲まれて捕まりました。HⅥでは、マーガレットもエドワードも正式に参戦して2人ともが捕縛されています。『薔薇』では、更に、マーガレットがヨーク公の殺害を殊更に述べて敵意を自分に向け、エドワードはまだ子供で慈悲深いと庇い、ヨーク公のために祈るようにエドワードに言います。HⅥではエドワードが殺された後の、まだ子供だったという非難の台詞が入れ替えて使われ効果的です。

 

王子エドワードはこれにも従わず、エドワード4世王やジョージを臣下扱いし侮辱します。これはほぼHⅥと同じ台詞ですが、HⅥでは「私はいま、父上にかわって話しているのだと思うがいい」「私はおまえたちの目上」とされているところを、はっきりと「私は!貴様らの王だ!!」と言わせています。

 

28話の表紙は、王冠、王笏、キングローブを身に着け玉座に座るエドワードです。『薔薇』の王子エドワードもずっと王冠を求めていた1人でした。彼の自負を示しながらも、おそらくエドワードもまたマーガレットを庇って自分が「子供ではない」王だと言い、その前にはアンのために名乗りを上げています。愛を求め、自分への注目を集めるために王になりたがった彼が、彼女達のために自らの命を差し出して王だと言い、その直後の死にゆく場面で〈王冠などどうでもよかったんだ…〉と考えるのです。逆説的ですが、最期に彼がそう思った時にこれまでで一番、またこの場面の登場人物達の中で誰よりも、王らしく振る舞っていた気がします。また、〈王冠などどうでもよかったんだ…〉〈本当にほしかったのは…〉は、王冠と愛のモチーフでもあるように思い、HⅥ(3)3幕2場の、愛の代わりに王冠を求めるリチャードの独白の反転になっているようにも思います。

 

HⅥでは、エドワード王、リチャード、ジョージの3人が次々に王子エドワードを刺しますが(リチャードは2番目)、ここがどれほどドラマティックな展開にされていることか!

 

『薔薇』ではリチャードが不在のままジョージとエドワード王がエドワードに致命傷を負わせ、〈本当にほしかったのは…〉の台詞で、母マーガレット、父ヘンリー、アンが、そして最後にリチャードがエドワードに想起されます。エドワードが〈どうしてもひとつだけ、叶えたい願いがあったんだ、リチャード、あの時お前に言えなかったことをーー〉と思ったところで、血に塗れたリチャードが登場です。

 

瀕死のエドワードの想いの中では、2人は薔薇の茂みで手を取り合ってエドワードは「俺は、お前のことが好きだ!!」と告げ、27話で遂げられるはずだった願いを叶えるができます。ですが、現実にはエドワードはもう口がきけなくなっており〈お前の、その手で終わりたい〉というのが叶えられた願いでした。リチャードの方は、もう感情すらなくなったように「苦痛を止めてやる」とだけ言って止めを刺すのです。このリチャードの台詞はHⅥ(3)の通りで、敢えて台詞をそのまま使って!!こうなるんですね! 読んでいる時点では、もうそんなことを考えるどころではなかったんですが!

 

以前の記事で書いたように、ここはこじつけだろうと思いつつ、エドワードの死と恋の終わりとが同時に描かれていることで、『十二夜』の“Come Away Death”を彷彿とします。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

自分も殺されることを願ったマーガレットを生かしたままにする辺りの展開や台詞はほぼHⅥ通りですが、「絶望しながら生きていけ」は『リチャード3世』の有名な台詞の反転ですね。

 

 

愛と友情と裏切り、落馬と落命について:『二人の貴公子』

28話の落馬をめぐるプロットは、リチャードとアンが心を通わせた乗馬の話について、更に絶望に突き落とすような純粋にオリジナル展開かもしれないとも思います。菅野先生も裏切りというのは重要なテーマだと語られており、6巻最後から7巻は、リチャードに希望を持たせた伏線が全て裏切りに見える形で回収され、ここではリチャードの台詞でも〈裏切り〉と出てきます。

 

konomanga.jp

 

一方、『ヘンリー6世』『リチャード3世』以外の展開部は、史料や他作品オマージュが入っている気もします。馬に絡めて『リチャード3世』最終部や、「裏切り」からは史料の言葉も思い浮かんだりします。そして、無理筋な感じはしますが、7巻のこの前後も含めて、『二人の貴公子』(以下、『貴公子』)はどうかな、と思いました。

 

『貴公子』では友人同士の2人が敵方の姫に想いを寄せるなど、プロット的な近さを感じたり、「裏切り」という言葉が重要なものとして出てくる気がしたりするのです。

 

27話の感想を書いた時には『貴公子』を読んでいなくて、リチャードとエドワードが闘う箇所が『コリオレイナス』っぽいと書いたのですが、この箇所もむしろ『貴公子』の方に近いように思いました。他にも読んでいないシェイクスピア作品はあるものの、『貴公子』は、小田島雄志先生、松岡和子先生の既刊の全集には入っていない作品で、近年フレッチャーとの共作のシェイクスピア作品として認定されたものだそうで、内容もよく知らなかったんですよね。以下、画像の下から『貴公子』のあらすじを書きます。8巻以降のネタバレも少しありますので、ご了承の上でお進み下さい。

 

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『貴公子』の舞台は『夏の夜の夢』終了後とも思えるアテネ。夫である王をテーベのクレオンに殺された王妃達が、夫達がきちんと埋葬されていないことを嘆き(この辺が少しアンに近い気も)、テーベに戦を挑んでほしいとシーシュースに頼みます。王妃達に同情した婚約者ヒポリタの懇願もあり、シーシュースは出陣してクレオンを討ち、テーベの戦士だった親友・いとこ同士のアーサイトとパラモンの2人を捕えます。捕らえた2人は、敵方のはずの、ヒポリタの妹エミーリアに想いを寄せ、牢から出た後に身分を隠してアテネに留まり、エミーリアを巡って私闘を企てシーシュースを激怒させます。シーシュースは彼らを死刑にしようとしたものの、エミーリアが命乞いをしたので、2人を決闘させて勝った方をエミーリアと結婚させ負けた方は死刑にすると言います。エミーリアは、過去に亡くなった女友達に想いを寄せているようでもあり、結婚には不本意ですが、一方の命だけでも救われるならとそれを承諾します。決闘にはアーサイトが勝利するのですが、直後に彼は落馬して亡くなりパラモンとエミーリアがシーシュースの命令で結婚することになります。

 

 

落馬、3人の1人が亡くなって残った2人が結婚。2人の「友達」が愛を競う……。パラモン、アーサイト、エミーリアの関係を、時々でキャラクターを入れ替えて、リチャード、エドワード、アンの関係に重ねたくなります。

 

落馬についてはアンがアーサイト的で、『貴公子』には「乗り手が馬を励ませば、一歩が1マイルもの速さになった」と馬の速さを言う台詞もあります。先に亡くなる点ではアーサイト=エドワード。そしてパラモン=アン、エミーリア=リチャード 的 にも見えます。

 

エミーリアを巡って決闘までしたのに、パラモンはいざアーサイトが亡くなると喪失感を拭えません。アンとエドワードは、敵方のリチャードを愛し、それで争い喧嘩もしましたが、「友達」のように信頼し合い、アンはその死後もエドワードを忍んでいました。エミーリアは、亡くなった同性の友人との思い出に生きたいと考えていましたが、義兄シーシュースの命令で最終的にパラモンと結婚することになります。リチャードも、兄エドワード王に言われ、ヘンリーを忘れられないままアンと結婚しています。

 

別の面では、パラモン=リチャード、アーサイト=エドワード、エミーリア=アン 的 にも見えます。

 

パラモンは、アーサイトが身分を隠してエミーリアに仕え愛を得ようとしたことを裏切りと考え、遭遇したアーサイトと決闘しようとします。「裏切り者め(中略)この手に剣があったらな。(中略)俺を殺してもいい、もしおまえが勝つならな」。一方、アーサイトはエミーリアに想いを寄せているものの、パラモンも大事に思っており、パラモンの決闘の挑発を避けようとしているところもあります。

 

エミーリアは、幼馴染の女性に想いを寄せ結婚には乗り気でなかったものの、他の人のために(『貴公子』アーサイト達の命乞い/『薔薇』リチャードを政争に巻き込まない)結婚の命令を受け入れ、アーサイトとパラモンを自分は選ぶことはできないと言っています。

 

リチャードと身分を隠したエドワードは5巻で味方同士のように行動し、城から共に逃亡しました。27話で、エドワードがランカスターに与したと考えたリチャードは彼に闘いを挑みますが、エドワードは闘いを避けようとし、優勢になってもリチャードを抱きしめて結果として逃しています。『貴公子』での決闘の場所も茂みだったりしますし、2人の会話が、なんだか27話っぽく見えてですね……。

 

アーサイト〔抱きしめようとして〕愛しいパラモン

パラモン 君の体は、剣の先で触りたいというのが本音だ。(中略)俺に対して歯の浮くようなものの言い方はやめてくれ。俺なんか、その一言一言でおまえを殴ってやりたいと思っているのだ。

 

アーサイト ほら、隠れてくれ。すぐに茂みに戻ってくれ。

パラモン この重大な決闘をまたの機会に延期したりするものか。君のずるい手口も、その魂胆もわかっている。今になって気弱になる奴は、恥にとりつかれろ。

 

この2人、友情だけじゃないよね? ということは、もう当然のように言われているようです。シェイクスピアズ・グローブでも……。

 

 

以下の論文でも……。

 

https://kobe-cufs.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1518&item_no=1&page_id=13&block_id=17

真面目な研究に対してこういうことを言っていいかわかりませんが、『夏の夜の夢』とかでもここでも、原作だと“もしかしたら”の箇所が、“こう読めるよ”とドキッとするような描写になっていて、二次創作というか(研究はある意味で二次創作ですが)支部の作品を見るような楽しさがありますね。

 

ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの動画では、演出のブランシュ・マッキンタイア(Blanche McIntyre)が、エミーリアの同性愛と、シーシュースと友人の同性愛関係を指摘し、この作品に“crazy bisexual triangle”があると言っています。(Dukeがシーシュース、Amazon sistersと言われているのが、ヒポリタとエミーリアです。)

 


Synopsis | The Two Noble Kinsmen | Royal Shakespeare Company

 

28話のエドワードを重ねたくなるのは、『貴公子』の最後の方です。パラモンが譲らず、また怒ったシーシュースの命で決闘することになるものの、アーサイトの方はその決闘も愛を示すためだと言っています。「絶対の愛を貫いて死ぬ覚悟の私が、こうして命を懸けてそれを確かめるのです」。そしてアーサイトが亡くなる場面では、「まるで、次の波が押し寄せるまで浮かんでいる小舟ながらの虫の息。しきりにおまえと話がしたいと言っている。」とパラモンのところにアーサイトが担ぎ込まれてきます。アーサイトは「決して君を裏切ったことはない。赦してくれ、いとこよ。美しいエミーリア、口づけを。」と裏切りを否定し、(ここではエミーリアに対してですが)愛の言葉を残します。エドワードが夢想したような終幕です。

 

リチャードと捕らえられたヘンリーについて:牢番の娘の物語

ところで『貴公子』には、パラモンに恋をした牢番の娘の話も出てきます。こちらが、26話と29話のリチャード、ヘンリー、そしてバッキンガムを思わせたりします。牢番の娘は、捕らえられていたパラモンに恋をし、彼を逃して森で待ち合わせをするのですが、パラモンの方はそれを忘れていて、娘を置き去りにしてしまいます。娘は狂気に陥り、医師が、娘に求婚していた男にパラモンの振りをすることが治療になると言い、男はパラモンを装って床を共にし娘と結婚します。

 

娘は、パラモンが敵国の戦士であり、彼を牢に入れておくのが父の仕事であることをわかっていながら、彼を愛してしまいます。経緯としてはリチャードと娘は異なるものの、ヘンリーが敵とわかった後も、リチャードが彼を愛していることは29話で明らかになります。狂気に陥り狼を怖がっているのは『薔薇』ではヘンリーの方で、パラモンは単に忘れたか娘の勘違いがあったかなのですが、彼らは森で合う約束を忘れています。

 

26話では、リチャードは本当の狂気ではないものの自暴自棄になっており、ベッドに忍んできた女性に、夢うつつでヘンリーの面影を見ていました。26話の感想では、このシーンをオフィーリアに重ねましたが、牢番の娘はオフィーリアとの類似も指摘されています。ベッドに来た女性の方はリチャードに拒否され、その後にやって来て〈狂気のままでいい〉とリチャードを救い出したのがバッキンガムでした(〈狂気のままでいい〉は、バッキンガムの台詞というよりリチャードの独白に見えますが、いずれにしてもその思いを抱かせたのは、バッキンガムの言動でしょう)。26話の感想で書いた、王冠ルートとしてのバッキンガムの面がやはりメインとは思いつつ、『貴公子』と関連づけると、バッキンガムのその後と更に符合する気もします。

 

『貴公子』とは前後が逆で、ここから29話につながる話になりますが、パラモンを逃す前、娘はこう言っています。

 

だって、私、あの人に抱かれたい。思い切って逃してあげたら? そうしたら法律はどうなる? 法律だの、親だの、もうたくさんだわ! やってやる! 今晩か明日、私、あの人に愛してもらうんだ

 

そして、娘は命を捨てる覚悟でパラモンに会おうとしたものの、それは叶わず、パラモンが死んでしまったと思い込むのです。

 

狼だ! 恐くない。悲しみが恐怖を殺してしまった。もう、どうでもいいわ、一つのことを別にすれば。それはパラモン。私、狼に食われてもいい、あの人にこのやすりを渡せるなら。(中略)私じゃなくてあの人が襲われてしまう。この長い長い夜のあいだ、奇妙な遠吠えが何度か聞こえた。狼はあの人を餌食にしたんじゃないかしら。(中略)ああ、私のなかの命よ、すぐになくなってしまえ。その一番の支えがはずれてしまったんだもの!――だから、どっちへ行けば? 一番よい道は、墓場への近道。それ以外に横道にずれたら、つらいだけ。(中略)やるべきことはみな終わってしまった、私がしくじったのを除けば。でも要するに、終わり。それだけのこと。

 

(※『二人の貴公子』は、河合祥一郎訳・白水社から引用しています。)

 

マッキンタイア演出版『二人の貴公子』、面白そうですがどうも配信などはないようです。


Trailer | The Two Noble Kinsmen | Royal Shakespeare Company

 

日本のものだと、彩の国シェイクスピア・シリーズに入ってなくて、でも宝塚版があるんですね。これも初めて知りました。

 

 

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