(薔薇王の葬列アニメ13話対応)
『リチャード3世』(以下、RⅢ)のリチャードの独白、「淫らなリュートの音に合わせ」の箇所が、オリジナル展開で詳細に描写される回になっています。1巻1話に出てきた「あの環の中には楽園がある」(もとの台詞は『ヘンリー6世』(第3部)、以下HⅥ(3))という台詞と関連づけられ、シェイクスピア作品というよりミルトン『失楽園』や、絵画の楽園追放を彷彿とさせる描写になっているような気がします。
RⅢの参照はないので、今回は(も?)かなり妄想入っています。
『失楽園』モチーフについて
王宮の夜の祝宴で、既にエドワード王の寵愛を得ている(ショア夫人)ジェーンが媚薬入りの酒を振る舞い、トリップした男女が入り乱れます。その様子にリチャードは「ここは俺の楽園じゃない」と思うわけです。32話に続いて、「魂を殺す」ほどの犠牲を払って得た王権の堕落が描かれます。エドワードの治世に自分が求めたものと違いを見せつけられ、リチャードが王位に向かう気持ちを徐々に募らせる布石の1つとも言えそうです。
『失楽園』では、神に叛逆して地獄に落とされた堕天使/悪魔サタンが、イブを唆してりんごを食べさせて欲望を目覚めさせ、アダムとイブの楽園追放となります。『薔薇』では、ジェーンがりんごを咥えてエドワードに食べさせたり媚薬入りの酒を出したりと、イブと誘惑者サタン(→魔女)の役割を兼ねている感じです。
媚薬を盛られたリチャードは、亡父のヨーク公が「お前も来い」と光の楽園に誘う幻覚を見るのですが、このヨーク公には天使の羽があります。(他の箇所でもヨーク公はしばしば天使や悪魔の羽を纏ってリチャードの幻影として登場しますが。)リチャードがヨーク公に子どものキスをすると(絵で幼子になっています。そして子ども=無垢の状態ですね。)、実は相手がエドワードで、彼は「快楽を味わえ」とリチャードを誘い、キスは性愛的なものにすり替わっています。ヨーク公からエドワードへの変化も、元々は天使で悪魔=誘惑者となったサタンを想像させます。サタンは天界では天使ルシファーだったともされていて(但し『失楽園』ではずっとサタン)、ルシファーには“光をもたらす者”という意味があるとされています。
エドワードとの口づけの後にはエドワードとジェーンに挟まれて、肉体関係に持ち込むためにジェーンがリチャードの服を脱がせにかかります。そこでフラッシュバックのように、強姦未遂で身体を暴かれた場面やヘンリーに愛を求めて拒絶された場面がリチャードによみがえります。その記憶の中では、リチャードが「悪魔の体」と言われています。サタンに限らず天使も両性具有なのですが、『失楽園』でサタンは最後に大蛇に姿を変えられ、異端の身体への負のイメージと重なります。
服を脱がされそうなところをバッキンガムが救出してくれましたが、バッキンガムはバッキンガムで少しはだけたリチャードの胸元を見てしまったり媚薬にやられたりで、続く34話でリチャードの淫夢を見ています。この夢の中ではリチャードが悪魔・誘惑者・イブ的な存在になっています。この箇所の絵は全くわからないのですが、骨や臓器がうねった感じの背景で(言葉足らずですみません)、サタンの息子かつ孫の「死」のイメージもあるような……。
33話では、この祝宴場面の前から、「神が罰として人に与えたのが肉体」、「身体」が「魂の牢獄」というような、楽園追放を想起させる台詞も出てきます。更にかなりこじつけ的に書いちゃいますが、アンと息子エドワードが聖母子像のように描かれ、しかもリチャードとアンには夫婦の関係がありません。そのリチャードとアンで神に祈りを捧げる場面も描かれていたりします。旧約と新約の違いはありますが、肉体や性に否定的な場面が先にあり、その後で悪魔的な夜の狂乱場面が来ています。
祝宴での狂乱的場面もしっかり描かれていまして、絵画的なオマージュもあるのかなと思いました。多分、表紙や他の場面でも絵画のオマージュは色々ありそうなのに、どういうわけか33話は気になってしまいました。書誌情報を挟んで絵画の話を書きます。
絵画オマージュ??
快楽と楽園追放とで思い浮かんだのは、ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』です。4巻13話ではこの絵のオマージュが使われていて、構図がこの絵を参照しているように思いました。
もちろん、左部分が楽園、右部分が地獄。そんなに露骨な絵ではありませんが、中央部が色欲や性的狂乱を描いていると言われています。多くの果実が描かれていて、果実を採る・食べる描写自体が性行為の隠喩らしいのです。『薔薇』では、ジェーンとエドワード王が1つのりんごを左右から咥え、そこから口づけしていますが、この絵でも、りんごをもぎとったり、1つの果実に複数の人が口をつけたりしています。
このボスの絵は『苺の絵画』とも呼ばれていたことがあるそうで、苺は、つかの間の快楽やはかなさを象徴しているそうです。(そうだったのか。)
また、左の地獄ではリュートが描かれていますが、弦楽器も恋愛や性の象徴だということです。(そうだったのか、2度目。)
『快楽の園』はあまりエロティックな印象は受けず、どちらかというと、博覧強記というか脅迫的な描き込みに悪夢的な妙な快感を覚えたり、キモかわいい変な生き物の方が気になったりしてしまいます。変な生き物のフィギュアも販売されていたりして、やはりそちらに目が行く人は多いんでしょう。
横道に逸れてしまいました。絵の感じとしては、『薔薇』の方がもっと肉感的で、フランドル派の方でなくてイタリア・ルネッサンスのラファエロとかミケランジェロとかに近いかもしれません。雰囲気として似ている感じがしたのは、全然時代が違いますが、アングルの『トルコ風呂』。『薔薇』の絵はこれよりもっと際どい感じです。
逆に、より攻撃的で悪魔的なのがリカルド・ファレロの『サバトに赴く魔女たち』で、かなりエロティックです。
34話がサバトの話ですね、リチャードも参加します。(←語弊ありのあんまりなまとめ方。)