『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

イエローヘルメッツ、『GtoRⅢ グロスター公爵~リチャード3世』感想

イエローヘルメッツ、山崎清介脚本・演出、リーディングアクト『GtoRⅢ グロスター公爵~リチャード3世』。


『リチャード3世』に『ヘンリー6世』(第3部)も十分入っているのに2時間ぐらいに収まっていて、まさに「難しすぎず簡単すぎないシェイクスピア」だ、と『ヴェニスの商人』以上に感じました。

 

(イエローヘルメッツの『ヴェニスの商人』は現在も配信中です。)

『ヴェニスの商人』アーカイブ - 公演関連企画 | GMBH

 

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少人数上演の面白さ

わずか5人の演者による『ヘンリー6世』(第3部)+『リチャード3世』! リーディングとはいっても、単に読んでいるだけでなくほとんど普通の舞台のような動きでした(動きはある程度抽象化されていますが、普通の舞台でもそういう演出はあると思います)。“ああ、こんな風にできてしまうんだ”と思い、少人数であることが却って舞台としての面白さを生んでいたと思います。

 

一人複数役の少人数上演は最近よく観ますが、その面白さを本当に実感できました。もしかしたら人数を絞り込むほど面白くなるかも、と一寸思ったくらいです。この『GtoRⅢ』に次いで楽しかったのが私内ではストラトフォード・フェスティバルの『夏の夜の夢』でしょうか*1。STの『夏の夜の夢』の主な面白さは何役も兼ねるところでしたが、『GtoRⅢ』は場面の作りの面白さもありました。例えば、テュークスベリーの戦いの場面では、演者達が後ろを向いて跪く時はマーガレットを中央に仰ぐランカスター軍に、前を向いて立つ時にはエドワード4世を中心にしたヨーク軍にとぱっと切り替わって交互に話が進み、そこからすぐ中央にいたマーガレットがエドワード達に捕らえられた場面に移行します。こうしたフォーメーションや構図での切り替えとスピード感が、特に戦闘場面で迫力を生むように思えました。また、リチャードとリッチモンドに亡霊達が相互に語りかける場面にもとてもはまる気がします。

 

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ヴェニスの商人』でも見られた、1つの役の台詞を複数の演者が語る形にもなっています。今回は主にリチャードの独白がそうされていました。特に最終部で亡霊達の悪夢を見た後の独白は、リチャードの混乱や行きつ戻りつの矛盾するような思いが語られるので、ここを別々な声や異なるトーンで語る効果を感じます。「おれの良心にはどうやら無数の舌があるらしい、その1つ1つの舌がそれぞれ勝手な話をする」ともあるので、ぴったりなんですよね。『ヴェニスの商人』の時には、台詞の強調されるべき部分をその人物が言うメリハリのよさを感じましたが、私の理解はやや浅かったかもしれません。今回は、リチャードの独白にある、思いの複層性・多面性が示唆されたり、計略を語るところは脳内会議的で彼の軽妙さと狡猾さが窺えたり、そんな妙味を感じました。

 

配役表がもはやネタバレ的?

公式アカウントでは、それぞれの方のメインの役と配役表が別々にツイートされていて、2つ合わせればわかるとはいえ、配役表はキャストの名前が隠されています。配役も楽しみに配信を観たい方にはネタバレ的かもと思うので(?)、画像を挟みます。

 

Photo by Jr Korpa on Unsplash

 

以下の通りですが、“え? この兼役をどうやって?”と思いませんか? 普通に考えれば無理があります。

 

山崎清介さん:リチャード、オックスフォード (山崎さんはリチャードなので少なめですね)
藤井咲有里さん:エドワード4世、フランス王ルイ、アン、スタンリー、公爵夫人(=リチャードの母セシリー)
チョウヨンホさん:ウォリック、バッキンガム、リヴァーズ、ブラッケンベリー、ヨーク公リチャード(=王子達の弟の方)
鷹野梨恵子さん:ジョージ、マーガレット、モンゴメリーリッチモンドヘイスティングズ、グレイ、ティレル
鈴木咲人心さん:エリザベス、ヘンリー6世、皇太子(ランカスターのエドワード)、ケイツビー、エドワード5世

 

この先はそれぞれのキャラクターの印象や展開について。ネタバレ度につれて画像を挟みます。

 

Photo by Roma Kaiuk🇺🇦 on Unsplash

 

各キャラクター雑感

山崎さんは、軽妙で飄々としたリチャードの印象です。中盤までは敢えて目立たず上手く立ち回り、淡々と邪魔者を排除し王位への駒を進めていく人物の気がしました。アンには特に感情はなく財産目当てで、不要になれば始末するし、バッキンガムも使いでが悪くなれば躊躇なく切り捨てるように思えます。母親から呪いの言葉を投げつけられてもあまり響いているようには見えません。自身の企みや判断には迷いがなく感情はどこかおかしい、『薔薇王』的にはリッチモンドに近い感じ。逆説的に聞こえるかもしれませんが、なので、比較的スタンダードなリチャードと言えるかもしれません。

 

対照的にこちらの鷹野さんのリッチモンドはかっこよくて、これもスタンダードなリッチモンド像ではありつつ、むしろ『薔薇』リチャード的(←戦闘場面でのヘンリー5世的な)かもしれないですね。

 

鷹野さんはじめ、それぞれの方の役の切り替えもすごくて、鷹野さんなんて、ランカスターのエドワードの殺害場面で瞬時にジョージとマーガレットとに切り替わるんですよ。鷹野さんのジョージはエドワード4世より思慮深そう(悪く言えば計算高そう)で、ウォリックについた後でエドワード4世の元に戻るのも計算があったかもという印象になりました。あくまで私の見方ですが、ここの演出も面白く、その印象にもつながりました。尤も『リチャード3世』部ではすぐ殺されてしまうのですが。マーガレットは強い台詞の箇所でも『リチャード3世』部でも王妃の品位と落ち着きを感じる人物でした。

 

チョウさんのウォリックは割合真っ直ぐで直情的な人に見え、少し意外な気もしましたが、エドワードの裏切り的行為に怒りその場でランカスター側に寝返る(しかもその後のエドワードの軟禁の仕方も甘い)原作に近いキャラかもしれません。私は『薔薇』の深謀遠慮なウォリック像に影響されていたんだなと思いました。バッキンガムが腹黒で策士な割にやや迂闊な感じなのは原作イメージ通り。リチャードとバッキンガムが決裂する場面では、今回特に、2人の会話の噛み合わなさというか、2人ともが自分の関心でしか話さないすれ違いぶりが際立っているように見えました。元戯曲の会話の構成がとても納得できました。バッキンガムに見切りをつけてはいるものの、リチャードが敢えて話を逸らしているとか話題に出すリッチモンドに怯えているというより、彼はこれまで通り次に打つ手だけを考えており、別な話で口を挟むバッキンガムが「うるさい」。バッキンガムとしては耳を傾けてもらえないので、リチャードの話を遮って何度も呼びかけた結果、そう返されてしまうという。

 

藤井さんは、かなり能天気そうなエドワード4世、気取った感じのフランス王の一方で、比較的シリアスなアン、公爵夫人(セシリー)を兼ねています。この振り幅もすごい。公爵夫人はリチャードの行状に怒りと責任を感じる母に見え、しかも呪いの言葉も響いたように見えないリチャードなので、この『GtoRⅢ』では無力な被害者に思えます。藤井さんのスタンリーは、リチャードや周囲に気を遣う弱気な人っぽいのが新鮮でした。気遣いと誠意が『鎌倉殿の13人』の三善康信みたいと思いました。義理の息子リッチモンドをこっそり支援しつつ、実の息子を人質に取られリチャードに脅されるのが気の毒に思えます。でも、心配性で周囲の旗色を窺っていたからこそ生き延びたんだろうと思えるスタンリーでした。

 

鈴木さんのエリザベスは、本人が望んでいないのに、求められて王妃になり不幸に巻き込まれた堅実な未亡人の感じがしました。エドワード王も軽いし、彼に迫られて困っている感じが一層そう思わせたかもしれません。『ヘンリー6世』から続けて観ると、王妃の地位はどうでもよく、家族の平穏が大事な人なのだろうと思えます。また、個人的にはそれ以上にヘンリー6世がよかったです。台詞や場面のカットのためもありますが、エドワード4世やリチャードと比べても、ヘンリーの方が王に相応しい権威を感じさせる造形に思えました。武力で不当に王位を奪われた悲劇の王の感じで、皇太子(ランカスターのエドワード)も似た方向性の気がしました。皇太子殺害後の場面展開も工夫も面白く観ました。

 

Photo by Xavier Cee on Unsplash

 

構成のすばらしさ(展開ネタバレかも、ですが)

キャラクターとしてのリチャードは軽妙な感じがするし、途中はそこそこコミカルですが、冒頭と最終部は重めの展開に思えました。

 

冒頭に『リチャード3世』の最終部、亡霊達の呪いやリチャードの悪夢の後のリチャードの独白を演者全員が語る始まりです。この独白で「絶望しかないのか。おれを愛するものは一人もいない。」という箇所が、『ヘンリー6世』でリチャードが王位を狙う独白での「愛の神はおれを見捨て、おれを愛の花園から閉め出す」「生きているかぎりこの世を地獄と思おう」と似ていると改めて感じました。『ヘンリー6世』のこの独白もちゃんと語られるのですが、リチャードの物語の始まりを『ヘンリー6世』の王位を狙う独白でも『リチャード3世』冒頭の独白でもなく、それに似た部分のある最終部の独白にしています。しかも結果的に絶望している独白です。円環を描くような面白さと残酷さを感じます。

 

最終部で再度語られる「馬をくれ、馬を!馬のかわりにわが王国をくれてやる!」は、松岡和子先生が次のように書いたニュアンスに近い気がしました。「これほど人間のなすことの虚しさを表現した台詞も稀ではなかろうか。奸計と裏切りを重ね、多くの人間の血を犠牲にして(中略)王冠を掴み取った男が最後に求めるのがたった一頭の『馬』」(『リチャード3世』ちくま文庫、あとがき)。投げやりなようにも、虚しい妄執のようにも思えます。演者全員によって語られる「馬をくれ」は、その妄執や虚しさがリチャード1人のものではないようにも感じさせます。

 

最後にはリッチモンドの暗い未来を予言するような言葉も足されており(これはオリジナルでしょうか?)、輝かしく見えたリッチモンドにも、王国への野望が影を落とす結末のように見えました。

 

*1:今から振り返るとギルフォード・シェイクスピア・カンパニーの『ハムレット』もこの点をもっと堪能すればよかったと思います。演者が上手くて最初は同じ人だと気づかなかったり、別のところに目が行っていたりしたのがもったいなかったかも。有名紙のレビューも一人複数役の少人数上演の面白さにはあまり触れていない気がします。

 

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