『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

ナショナル・シアター(at Home)『ハムレット』感想

ナショナル・シアター、リンゼイ・ターナー(Lyndsey Turner)演出、主演はベネディクト・カンバーバッチ、オフィーリアがSHERLOCKのユーラス役のシャーン・ブルック(Sian Brook)です。というか、ここでの共演を通じてブルックはユーラス役になったんですよね。

 

ナショナル・シアターat Homeでの配信です。

National Theatre at Home

 

Trailerが以下。19世紀後半ぐらいから現代が混じったような装置や衣装で、ずっと館の広間で話が展開されます。後半はそこが土砂に埋まった感じになります。

 


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今回観て、“あれ? この版の尼寺の場って、もしかしてこういうこと? これ『薔薇王』4巻っぽくない?”と思いました。4巻の感想の方では尼寺の場の雰囲気については、こちらよりもアンドリュー・スコット主演の『ハムレット』の方が近い気がすると書いちゃったんですが、こちらももしかしたらと思えてきたのでその辺を含めて書こうかと思います。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

ただ、他の箇所も含めて、私の受け取り方と演出・演技意図は違っているようだったり、私だけでなくレビューでの受け取り方も様々で迷ってしまうので、今回はいつも以上に読みにくい記事になっているかもしれません。

 

尼寺の場については(それ以外のところもかも)、かなり細かく演出ネタバレ的に書いてしまっているんですが、それが本当の意味でネタバレと言えるのか私の妄想開陳なのか、自分でもよくわからない感じです。全体の話は飛ばして(全体結構長めですし)、妄想でも構わないので尼寺の場の話だけ読むという方は下の画像をクリックして下さい。

 

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“There's rosemary, that's for remembrance; pray you, love, remember.” 
Hamlet 

 

言い訳と各紙レビュー

先に弁明的な意味で紹介しちゃいますが、この公演のレビューでは、カンバーバッチについては割と好意的に評価されているものの、全体として演出意図がわからないとか、余計なところで視覚効果を狙いすぎといった評も散見され、館の広間の凝った装置についても賛否両論です。カンバーバッチも好評とはいえ、どういうハムレット像なのかはレビューで解釈が異なっているような気もします。

 

レビューのまとめはこちらで、個別レビューはその下です。

www.bbc.com

 

Hamlet (Barbican) - 'Benedict Cumberbatch rings the changes' | WhatsOnStage

Hamlet review – Benedict Cumberbatch imprisoned in a dismal production | Theatre | The Guardian

 

読み間違えていなければ私の感想は以下のリンクの評に近いですかねー。宿命づけられたデンマーク王子というより、「どこか内に籠もった、繊細で空想に耽りがちな人物」。こちらは舞台装置には高評価です。(そして高評価の箇所をピックアップするナショナル・シアターの宣伝、うまい……。)

 

Hamlet | Theatre in London

 

ですが、カンバーバッチがハムレットやこの作品について語ったインタビューを聞くと、私が受けた印象と制作側(または演者カンバーバッチ)の狙いはかなり違うようです。私と近い受け取り方の評があるので多少安心しますが、レビューの高低の評価が異なるのは当然としても解釈自体も異なっているのも、受け取り方が様々になる作品ということかもしれません。

 

家族や私的な関係に焦点を当てた『ハムレット』かと思ったものの……

私が受けた印象としてはという話になりますが、カンバ―バッチのハムレットは、生硬で不器用でやや子供っぽく、気持ちを切り替えて次にという訳にはいかない人に思えました。(その子供っぽさは、私には、シャーロック的というより『8月の家族たち』のチャールズに近い気がして、真面目系のハムレットの印象でした。チャールズは一途で思いやりがあるけれど、少し幼さを感じる容量が悪いキャラなんです。ハムレットには品位や知性を感じる点でチャールズとも違うんですけど。)王位や世界を正すことよりは、父親の死の悲しみが中心にあり、逆にそのために愛する父の亡霊に命じられた復讐が新たな目標になってしまった人の感じです。

 

それが近現代的な時代設定と、館の広間でずっと演じられる形式に合っている気もしました。クローディアスは確かに原作通り他国との折衝や紛争に触れてはいるものの、この時代設定だと実際の政治とは距離のある王室の家族内の揉めごとや醜聞の話に見えます。現代設定の『ハムレット』だと王を社長にしているものもありますが、王室設定のままで時代だけ変えたことも権力闘争や政治的色彩が弱まる形になり、このハムレットには合うと思ったんです(そういうことではなかったようですが)。母の再婚を嘆くハムレットも、二夫にまみえず的な旧来の道徳や王位の正統性を問題にしているのではなく、感情的な反発に思えました。豪華さが目を引く館の装置の中でずっと話が展開されることをマイナスに捉えたレビューもありましたが、前半では公的・政治的な話というより“家の中の話”というイメージが喚起されるし、後半では立派な家の外見すら瓦解したように見えるのもいいんじゃないかと思っていました。

 

なので、私には、ターナーの演出やカンバーバッチのハムレットは、家族に焦点が当たった私的な関係性の話として作っているように見えたのですが、下の動画で、カンバーバッチは、前王の父の時代の傷(trauma)が後の世代に影響を与える話だと言っていて、むしろ政治や外交が影響を与えた話として捉えているんですよね。それぞれの仕掛けやハムレットのキャラについても、私は、違う受け取り方をしていたみたいです。

 


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横道ですが、このインタビュー内で出てくる中学生たちのハムレット解釈と演出がすごいです。

 

狂気を装うシーンでは、こちらのハムレットはおもちゃの兵隊のコスチュームでおもちゃのお城に閉じこもります。ポスターが子供のハムレットになっていたこともあって、これは子供っぽさとか父の庇護下にいた子供時代への郷愁の表象と思っていました。オフィーリアやホレーシオというハムレットが好む人が、やはり不器用で内向的な感じです。逆にローゼンクランツ達は社交が上手くそつがない点で“大人”で、そういう対照にも思えました。辛辣さや皮肉な面はあまり感じず、子供的な生真面目さが残るハムレット(という印象だったので)の狂気の表現にもよいと思いました。インディペンデント紙のレビューは、私のこの印象に近い気がするんですよね。(今回は、レビューが楽しかったり発見的だったからというより、正当化的に使っちゃっていますが。)

 

Benedict Cumberbatch in Hamlet, review: Pointedly subversive Prince lacks spontaneity | The Independent | The Independent

 

ですが、カンバーバッチによると、むしろ戦争を行ってきた過剰な軍事への揶揄にもなっているらしいのです。うーん、うーん、ハムレット達に影響したされる戦争の傷も軍事状況も示されないなかで、そう受け取るのは難しいんじゃないでしょうか。このハムレット、そんなことに関心ありました? 例えばRSCのゴドウィン演出のエシエドゥ・ハムレットなら、彼は平和な先進国の生活を享受し、そうでない祖国への責任と学問・芸術好きの指向で葛藤しているように見えたので軍事国家を厭ったとしてもわかるんですが……。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

ハムレットとホレーシオ

今作は、夜警のシーンからではなく、部屋で一人、父親を偲んでいるハムレットのところにホレーシオがやって来て始まります。夜警の台詞を使ってハムレットが「誰だ」と言うとホレーシオで、この後は原作で2人が対面する場面の展開になります。でも、夜警兵士バーナード達はいません。

 

ハムレットはカジュアルな服装、ホレーシオもネルシャツにバックパックで、その後の祝宴の場での皆の正装とは違います。この始まりだとホレーシオが一層特別な感じかなと期待するじゃないですか。でもこの後の展開ではむしろ関係性も彼の存在も薄く見えました。ホレーシオはずっとこんな服装で、外見や建前を気にしない内向的というかオタク的な感じに見え、こちらのハムレットの性格傾向を示すにはいいかもしれませんが、空気が読めず頼りない感じまであるのは(私の好みからだけでなく)演出効果としてどうかと思ってしまいました。「誰だ」を使った出オチなら勿体ないと思うんです。

 

上のインタビュー動画で、カンバーバッチは、ハムレットがホレーシオに生きてくれと命じるのは、ハムレットについて、また起きたことについて正しく伝えて欲しいから、その重要な役割を頼むのだと言っていて、その解説にはなるほどと思いました。(本などに書かれていたかもしれませんがあまり記憶になくて、やっと理解できた気がしました。)ではあるのですが、このホレーシオだとそれができるのか覚束ない気がしちゃいますし、それ以前に、ハムレットと一緒に死のうとするのがかなり唐突に思えるんですよね。

 

“To be, or not to be……”

今回、“To be, or not to be……”の独白が、私には、まさに小田島雄志訳の「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」に聞こえるなと思いました。観ている時に受けた印象と制作意図がこれだけ違うとここも怪しい気がしますが、下記レビューが類似の感想かもと思ったのでこれも保険的に(??)リンクしておきます。

 

Hamlet review – Benedict Cumberbatch is the sanest of Danes | Theatre | The Guardian

 

通常版だと次に書く尼寺の場の直前にこの台詞がありますが、通常より少し前、父の復讐のために狂気を装ってみせた直後あたりにこの独白が語られて、こんなことをしていていいのかという問いに聞こえます。自分の存在についての深遠な問いというより、復讐のための行動に対する迷いや焦りみたいな。なんなら「こんなやり方でいいのか」に聞こえるくらい。通常版のようなもっと後に来る方がよかったという評もありましたが、台詞が軽くなる感じも含めて面白いとは思いました。

 

レビューによると、当初はどうも冒頭この独白で始まった(あるいはかなり始めの方に来ていた)のが改められたようです。

 

尼寺の場

尼寺の場は、ポローニアスと王クローディアスがハムレットの狂気(の装い)を監視すべく、オフィーリアを差し向けて様子を見るところから始まります。そこでオフィーリアが、ハムレットが心変わりしたようなので贈り物を返すと言い出して2人が言い争いのようになり、またハムレットはオフィーリアがポローニアスの言いつけでそうしていることに気づき(気づいたかどうかは解釈・演出によっても異なりますが)、「尼寺へ行くがいい」と別れを告げる展開になっています。

 

ですが、今作のシャーン・ブルックのオフィーリアはハムレットを裏切ってはおらず、ハムレットが誤解したという解釈の気がしました。その点で『薔薇王』4巻っぽいかなと。また、原作(の素直な解釈)では、その前にハムレットはまずオフィーリアに対して狂気を装ってみせるのですが、今作ではハムレットはオフィーリアに佯狂の計画を打ち明け、オフィーリアはそれに協力しています。ハムレットがおかしな様子でオフィーリアの前に現れた、というオフィーリアの台詞は、彼女が父ポローニアスを騙す嘘として語られます。

 

こういう流れかと思います。ハムレットと一緒にいるところを父ポローニアスに見つかったので、オフィーリアがとっさにハムレットに協力する形で嘘を吐いたら(←ここはこの版独自の解釈)、ポローニアスは恋のためにハムレットがおかしくなったと騒ぎ、ハムレットをオフィーリアと会わせて王クローディアスと一緒に見張ると言い出します(←これは原作通り)。オフィーリアは困りながらも父の計略にも乗らざるを得なくなり、贈り物を返すとハムレットに告げますが……!?(←ここ『薔薇王』の「あらすじ」を真似て書いてみました)。

 

ここからNational Theatreのクリップがあります!

 


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改めて観ると、途中でオフィーリアがメモを書いていたり、ドアに向かうハムレットを必死で止めているのは、ハムレットにポローニアス達の計略と自分の本当の気持ちを伝えたいからのような気がします。その場でハムレットがドアを開けて王達に向かったら、一触即発の危険な状態にもなりそうな勢いですし。

 

また、台詞がカットされているのも違うニュアンスを生み出す一因になっています。

 

原作だと

HAMLET Ha, ha! are you honest?
OPHELIA My lord?
HAMLET Are you fair?
OPHELIA What means your lordship?
HAMLET That if you be honest and fair, your honesty should admit no discourse to your beauty.

 

ハムレット ハッ、ハッ。おまえは貞淑か?

オフィーリア え?

ハムレット おまえは美しいか?

オフィーリア なぜそのような?

ハムレット なに、おまえが貞淑でもあり、美しくもあるというのなら、その貞淑は美しさをあまり近づけぬがいいと思ってな。(小田島雄志訳)

 

と、この後もかなりやりとりが続いた後に、"I did love you once."とハムレットが言います。贈り物を返すと言うオフィーリアに向けて、皮肉を言うようにも見下すようにも取れる台詞になっています。

 

それがこの作品だとこうなっています。

HAMLET Are you honest?

OPHELIA Yes, my lord.

HAMLET I did love you once.

 

英語解釈は怪しいながら、“Are you honest?”が、(ここは小田島訳のニュアンスと異なり)“本気で言ってるのか?”に聞こえるんですよね。で、オフィーリアもすぐ“そうです”と答え、それにハムレットが“僕は愛していたのに”と返すように思えます。

 

クリップの直前の箇所で、結構な量の贈り物をオフィーリアはドーンとそっけなく返しており、オフィーリアにしてみれば、それで彼女が一芝居打っていることにハムレットも気づくと考えていたかもしれません。ですが、精神的に成熟した大人とは言い難く、自分の計画でいっぱいいっぱいになっているハムレットはそんな機微に気づかず、オフィーリアの突然の心変わりと受け取って怒り出したように私には思えました。というか、この辺もハムレットの青さと恋に慣れていない子供っぽさが感じられる作りの気がしました(そうではなかったかもしれませんが)。皮肉や当てこすりが減らされる形にもなっていて、カンバーバッチのハムレットはオフィーリアにストレートに怒りをぶつけているようにも思います。

 

あるいは、オフィーリアとしては、父が現王の側近なのでハムレットのために別れる覚悟をしながらも、傷ついて怒り出したハムレットに本心を知って欲しいと思ったということかもしれません。

 

「おれは傲慢だ、執念深い、野心も強い、その気になればどんな罪でもおかすだろう。(中略)おれたちは悪党だ、一人残らず。」というハムレットの台詞も、なんだか、オフィーリアに振られたので自分を蔑み、“でも他の奴らもろくでなしだから、もういっそ尼寺へ行っちゃえよ”と言い出したようにすら聞こえたり……。

 

ハムレットは怒ったまま立ち去り、この後のオフィーリアが「あれほど気高いお心が、このように無残に!」と嘆く台詞をブルックは泣きながら語るのですが、一方でドアの向こうの父や王に向けて言っているようでもあります。台詞は父親達向けの芝居が半分、涙は“父と王との関係を考えれば自分はこのままハムレットと別れた方がいいんだ”という心情のように見えました。

 

ハムレットにオフィーリアが協力していると書いているレビューはあったんですが、尼寺の場について書いたものは見当たらないんですよね。『薔薇王』フィルターがかかった思い込みでしょうか、あるいは普通にそう見えるので敢えて書いていないってことでしょうか、それすらよくわかりません。面白い解釈・演出だと思うんですが、他でも結構あったりするんでしょうか。

 

もしこういう解釈であるとすれば、意外性がありながらも納得感があり、女性達の背信や弱さというより行き違いや、特にハムレットの側のディスコミュニケーションに見えます。ハムレットとガートルードの寝室でのやりとりもそんな風にも見えました。オフィーリアが死ぬ間際のシーンも多くのレビューが言っているように美しく作られていてよかったです。こういうところからも家族内や私的な関係の話として作っている気がして、最後にフォーティンブラスを登場させず「後は、沈黙」ぐらいで終わってもいいんじゃないかな、と思ったほどでした。