『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

ナショナル・シアター (at Home)他『オセロー』2本感想

ナショナル・シアターの『オセロー』を観て感想を書いていたら、ちょうどストラトフォード・フェスティバルもViewing partyでの無料配信をしていたので、続けて観ました。近い時期に同じ作品を観るとそれぞれの特徴が明瞭になりますね。

 

いつものようにネタバレ的です。今回はどの辺で回避のための画像を挟もうか結構迷って、段階的にこの辺かなと当たりをつけて画像を入れています。画像が入るごとにネタバレ度が上がると想定してお進み下さい。

 

(※『オセロー』の「」内の台詞については、小田島雄志訳・白水社版からの引用、意訳箇所は“”にして区別しています。)

  

ナショナル・シアター (at Home)『オセロー』

2013年、ニコラス・ハイトナー(Nicholas Hytner)演出。NTatHomeにある作品です。Trailerをストラトフォード・フェスティバルの見出しの前に入れています。

 

www.ntathome.com

 

ハイトナーは『夏の夜の夢』でも、ここでも、暴力的な男性支配を描いていたんだなと思いました。イラク戦争への駐屯を示唆する現代的演出になっています。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(以下、RSC)のカーン演出『オセロー』と同様、こちらも軍隊の男性的暴力を主軸にし、オセローの人種には敢えて注目させない演出と言えます。それは人種問題から目を逸らすためというより、RSCではディベートもしていたように、むしろそれまでの解釈・演出との対比で安易な人種解釈を避ける意図を持っている気がします。ナショナル・シアターのハイトナー版については解説動画がいくつかあり、その中でオセロー役のエイドリアン・レスター(Adrian Lester)が、ハイトナーと相談し、人種差別はイアーゴが利用した手段だとしたことを述べていました。ここは動画のURLだけ載せておきます。

 

https://www.youtube.com/watch?v=qHsaO2IpTYg

https://www.youtube.com/watch?v=jyoCIwJn9Ic

https://www.youtube.com/watch?v=7KkdBNETIOM

 

ハイトナーは、この作品にとって軍という背景が非常に重要だと語り、演出にあたって駐留軍を指揮した元軍人をアドバイザーに迎え、軍の中で、そしてその駐留状況で何が起こるのかという物語にしています。駐留軍が設置するコンテナがメインの舞台装置となっており、そこでの閉塞感を醸し出す効果を生んでいました。

 

イアーゴがオセローを恨むのも、軍経験も長くずっとオセローの部下だった自分を差し置いてキャシオーを昇進させたから。(一方、将軍となったオセローにとって、副官にするべきは、叩き上げの自分とは異なるエリートのキャシオーという判断。)オセローがイアーゴを信じるのも、軍内での信頼関係は非常に重要なものだからとのことです。キャシオーが酔って喧嘩騒ぎになるシーンも、兵士達の飲み会の中で飲めないキャシオーに飲ませたり、乱暴に騒いだりする作りになっていました。結果的にやりすぎてしまったキャシオーが処分されますが、これも兵士達のガス抜きと統制をどう行うかの、駐留軍あるあるエピソードらしいです。

 

RSCカーン版の方では、軍の暴力性と非情性をオセロー自身が体現している感じがしたのに対し、NTハイトナー版では、軍の男性的暴力は、関係性や状況に反映されている感じがしました。NT版では、男社会の中で生きてきて公的には有能でも、オセロー個人は内面的に繊細さと脆弱性を抱える人になっており、オセローが騙されること以上に、その後でもデズデモーナへの愛しさに揺れるオセローをイアーゴが殺人まで煽っていく様子が印象に残りました。この辺がホモソーシャルなノリに思えます(と言いつつ、なんだかマクベスを煽るマクベス夫人のようにも思えてしまったんですが、それについては、もう少し後で)。

 

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Yoko Nekonomania, CC BY 2.0, Rose Othello, via Wikimedia Commons

 

こちらも登場時のオセローは本当に素敵なんですよ。仕立てのよいパリッとしたシャツにスーツを羽織って議会に出向き、軍事会議の参加と共にデズデモーナとの結婚の釈明です。姿が素敵なだけではなく、レスターのオセローは、ここで美しい台詞を詩的に語ります。オセローに美しい台詞が用意されていることに気づかされ、それを十二分に生かして魅力的。デズデモーナが彼の話をもっと聞きたいと思ったことも、話を聞いて彼を愛したことも納得です。ヴェニス公爵が「その話を聞けばわしの娘の心もなびいただろう」と言う通りで、軍事会議のはずが他の議員達も思わず聞き入ってしまう演出にもされていました。

 

対するイアーゴは、さえない感じの普段着で、ヴェニスというより英国のパブのようなところで酒を飲みながら、デズデモーナに振られたロダリーゴと愚痴を語り、ロダリーゴを報復に利用します。イアーゴは独白も日常語的にというか、リアリスティックに語っている気がしました。登場で示されるこの対比!

 

イアーゴ役のローリー・キニア(Rory Kinnear)はこの作品でローレンス・オリヴィエ賞の最優秀主演男優賞を受賞したとのことなので、やはりイアーゴは主役という扱いか、オセローとイアーゴの両方が主役ということでしょうか。(因みに、こちらのカーテンコールは2人が一緒に登場で、NT Liveのポスターも2人が重なるような構図でした。)彼は軍の制服もきちんとした着方をしていなかったらしく、何回注意しても直らなかったので、アドバイザーも“そうか、そういうキャラクター表現なのか”と気づいたとのことでした。

 

ストラスフォード・フェスティバル版(以下SF版)でも、オセローがやはり仕立てのよいスーツ、イアーゴが普段着でしたが、オセローが年上、イアーゴが年下の部下に見えるとあまり対照性は感じません。レスターとキニアの年齢が近く見えることや多分その着こなしも効果的だったんだろうと思いました。

 

またイアーゴでもう一つ印象的だったのは、彼がオセローよりも前に、妻エミリアとオセローとの不倫疑惑で嫉妬を抱きそこでも憎んでいたということです。(RSC版ではこちらは強調せず、デズデモーナに惹かれてしまったイアーゴにしていたと思います。)これまでぼーっと観ていたせいかもしれませんが、その台詞があるのは知っていてもあまり注意が向きませんでした。ですが、キニア・イアーゴはその台詞で暗く怒っていたり、イアーゴとエミリアの関係もどこかぎすぎすしていて後半のオセローとデズデモーナの相似形に見えたり、この点が強調されている気がしました。妻の不倫の噂がどういう感情を抱かせるかをイアーゴはよくわかっている訳ですね。イアーゴがエミリアを貶す冗談にもその皮肉が入っているように思え、エミリアがデズデモーナに“嫉妬に狂う夫が悪い”と言う台詞もより刺さるものになり、物語的な繋がりが理解できました。

 

RSC版、SF版と比べると、キニア・イアーゴは怒りの所在が明確で、コミカルでもある悪役(villain)というより、特に独白は暗めで悪意や憎しみがにじみ出ている感じがします。

 

レスターのオセローは、デズデモーナの不倫疑惑を吹き込まれると、途方に暮れたように「なぜおれは結婚などしたのだ?」と独白した後、一気に崩れていきます。怒りは勿論見せますが、それ以上に、実は傷つきやすく弱い内面が露呈され、精神的にも身体的にもおかしくなってしまう印象です。イアーゴが騙したからだけでも、軍では信頼関係が重要だったからだけでもなく、オセローの核にある弱さも大きな誘因に見えます。オセロー自身が気づいていない繊細さや脆弱性をイアーゴはわかって利用したという解釈をレスターも述べていて、こういう繊細な部分を見せるのがレスターは上手いというか彼の持ち味だなーと思います。自分で疑いを深め常軌を逸していって、この先に『冬物語』のリオンティーズがいると思えるようなオセローです。この辺りから、正常な判断も怪しくなっているは、デズデモーナが愛しく信じたい気持ちで揺れるはで、もうオセローはぐだぐだです。

 

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写真AC

 

イアーゴは、そんなオセローを叱り飛ばすようにデズデモーナ殺害に仕向ける感じです。しかも毒を用意してほしいと言うオセローに、絞殺しろと進言します。(RSC版では演出に驚いてここまで注意が向かなかったんですが、NT版ではオセローに直接手を下すように言うこの台詞も印象に残りました。余談ですが、絞首ってパートナー間暴力で多いそうで、余計にうわーと思いました。そもそもオセローがキャシオーの首を絞めると言っているせいかもしれませんが、シェイクスピアの含蓄って掘り下げ甲斐がありますね。)最初にも書いたように、それが男同士の暴力の煽り合いに見える一方、レスター・オセローが弱さや揺れを見せていたので、なんだかマクベスマクベス夫人のようにも思えました。

 

RSCカーン版を観た後だと、オセローに同情的になる自分に困惑してしまい、私自身の免責で勝手にそう思うだけかもしれませんが、ハイトナー版は、正当化できない罪に堕ちていく弱いオセローとして、『マクベス』のようなモードで観る余地を作っているような気もしました。原作は、不倫が事実なら「名誉殺人」として正当化される文脈で書かれていると思いますし、その台詞も削られてはいませんが、現代設定でそれは無理。 “男になれ”と悪に唆されてその気になってしまうオセロー/マクベスを見る感じでした。他の作品でも出てきそうですが、イアーゴもマクベス夫人も“男になれ”って言いますよね。嫉妬や欺かれることより、その失墜と弱さに同情してしまった気がします。

 

殺害の時も躊躇して最初は絞首でなく、その後もためらって長引くのでエミリアが戻ってきた時にもデズデモーナが生きていたという形で、それが逆に残酷さを増すシーンになっていました。エミリア強くドアをノックしてオセローが焦るところもマクベス的な印象になりました。

 

NT版もこの後に書くSF版も、エミリアが軍人設定で、同僚関係であるにもかかわらず夫から無碍に扱われる状況に更に複雑な気持ちになります。エミリアとデズデモーナが夫のことで語り合うシーンでは、エミリアが彼女自身の状況を語っているのだとわかる形で怒っていて、最後の場面でもエミリア“わきまえない女”度が上がっていたのはよかったです(でも、それで殺されちゃうんですけどね……)。

 

このエミリアとデズデモーナが語り合う場面は、NT版では2人が屋外で缶ビールを飲みながら本音を語って親しさを増す、開放感のあるよいシーンになっていました。エミリアが「私たちの犯す罪は、亭主どもの罪に教えられてのこと」と言った後のデズデモーナの台詞  “Not to pick bad from bad, but by bad mend!”(悪から悪を学ばず、悪によって身を正せますよう)は、エミリアに向けて言われます。小田島翻訳版ではエミリアの退場後にこの台詞があって(ネットの英文の方ではエミリア退場の記載がないので版によって違うんでしょうか)、この台詞は“自分はエミリアのようになりたくない”という意味だとずっと思っていました。この台詞をエミリアに語ることに驚き、そうか、“男達の悪いところを真似てはいけない”とエミリアに言うのか、とすごく感動しました。2人の女性の気持ちがすれ違わない演出/演技に“ありがとうー”という気持ちです。SF版でもほとんど同じ形だったので、こういう捉え方も結構されているのかもしれませんね。

 


Official Othello (2013) Trailer with Adrian Lester and Rory Kinnear | National Theatre Collection

 

 

ストラトフォード・フェスティバル『オセロー』

 

2019年、ナイジェル・ショーン・ウィリアムズ (Nigel Shawn Williams)演出。

 

www.stratfordfestival.ca

 

新解釈的な箇所についてはRSC版・NT版に似ていると思い、他方、オセローとイアーゴについてはオーソドックスな感じに思ったので、観ている最中の興奮は実はそこまでなかったのですが、後からプログラムで演出のウィリアムズのコメントを読んで目を啓かされ、改めて面白さに気づけたように思います。プログラムは下のリンクから読むことができます。

 

https://cdscloud.stratfordfestival.ca/uploadedFiles/Whats_On/Plays_and_Events/Plays/2019/An-Ideal-Husband/About_The_Play/Othello%202019%20House%20Program.pdf

 

ウィリアムズは、この25〜30年でテロリズムを含む人種的・宗教的な憎悪や不寛容が再び広がり、しかも政治指導者達がその拡散を許していると述べています。『オセロー』は、他なる者に対する恐れや憎しみや嘘が、暴力的で悲劇的な結末をもたらす物語であり、オセローとデズデモーナの愛と信頼が、イアーゴのもつ人種的・宗教的偏見、ミソジニーや自分の地位を失う恐れによって攻撃される話と捉えられています。DVにも言及されていて、女性との信頼関係を探るより、また家父長制社会で馬鹿にされるより、むしろ殺すことを選んでしまう男性のあり方をどう受け止めるのか、ともされていました。

 

オセロー(とイアーゴ)の人種問題について新しい解釈をしたRSC版・NT版と異なり、こちらは原作自体に今日的な価値を見ており、そこまで書かれている訳ではありませんが、正攻法でそれを示すということかと思いました。

 

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写真AC

 

ゴードン・S・ミラー(Gordon S. Miller)のイアーゴは、明るめの悪役(Villain)感があり、彼のイアーゴを見てその台詞を考えると、RSCのムサマティはコミカルな側(+原作にない複雑な背景)に、NTのキニアはシリアスな側(+はっきりした動機)に寄せていたかもしれないと思いました。イアーゴの、デズデモーナを愛しているという台詞と、妻エミリアとオセローの不倫疑惑を恨む台詞を今回は注意して聞きましたが、これも力点がない感じ。最初はそこがあまり明確でないのかと思いましたが、むしろ何が悪意の本音かわからない、底根の見えないのが彼のイアーゴなのだと思いました。プログラムの解説から考えると、人種的偏見も含む様々なことを恨んだり悪事の言いがかりにしたりしているということかもしれません。

 

キャシオーを酔わせて暴力に追い込む箇所も、RSC版やNT版は周囲の状況も関わっていましたが、SF版ではイアーゴがかなり巧みに騙しており、でもこれが一番原作に近い形です。エミリアからハンカチを取り上げる場面では、NTのキニア・イアーゴは、エミリアの不倫疑惑のわだかまりで邪険にしている感じで、ミラーのイアーゴはその時だけ甘い雰囲気を作って彼女を利用し、すぐに掌を返します。デズデモーナから頼られた時も役得とばかりキスしたり、ミラー・イアーゴが一番クズですね(褒めてます)。そこもエミリアの台詞の示唆と重なって原作に近い気がするんです。

 

マイケル・ブレイク(Michael Blake)のオセローは威厳ある軍人で、年齢的にも原作イメージに一番近い印象です。(NT版でもオセローの年齢はデズデモーナの倍という設定だそうで、レスターの当時の実年齢40代と20代というところかな思いましたが、レスターは若く見えるので。)デズデモーナの不倫疑惑を初めて聞く3幕3場で、レスター・オセローがすぐに崩れ、本当に頭痛になって苛々するのに対し、ブレイク・オセローは鷹揚で、“Why did I marry?”も“なぜ結婚したか思い出せ”のような疑いを否定するニュアンスで語ります。頭痛もデズデモーナを心配させまいとする口実で大人度を感じますが、イアーゴが人種に言及したり、キャシオーの復職をデズデモーナが懇願し続けたり、キャシオーがハンカチを持っていたりと場面ごとに徐々に疑いと憎しみが深まっていくのです。演出のウィリアムズは、イアーゴの讒言を毒やウィルスに喩えており、時間をかけて高潔であったオセローに毒が回ったような印象になります。“Why did I marry?”の台詞は工夫されている気がしますが、流れとしてはやはりストレートな解釈に近いんじゃないかと思います。

 

イアーゴがクズな分(?)、SF版のロダリーゴやキャシオーはRSC版やNT版よりまともで、キャシオーは真っ当で誠実なキャラになっていました。ただ、そんなキャシオーでも、ビアンカのことは遊びや性の対象として貶してしまうという作りにしていたのでしょう。“O, these men, these men!”(by Desdemona)ですね。

 

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女性達についてはおそらく新しい解釈をしただろうことがプログラムからは推測できましたが、デズデモーナのキャラについてはどう見ていいか迷いました。プログラムでは、無垢な被害者と捉えるのではなく、オセローを夫に選び、共に戦場に行き、オセローとキャシオーを仲介しようとしたことなど、彼女の強さが指摘されています。また、“She wished / That heaven had made her such a man”は、“天が彼女にそんな男(=オセロー)を与えてくれたら、と願った”とも“天が彼女をそんな男にしてくれたらと願った”とも読めるというんですよね。『薔薇王』のアンのようで、その指摘は面白かったのですが、ここは演出のウィリアムズでなく研究者の解説だからか、こういうキャラだったかどうかわからなかったというのが正直なところです。

 

また、現代設定で、周囲はエミリアも含めて軍の制服の中、デズデモーナはドレッシーなワンピースで、胸元広めというか時に胸の谷間も見せる衣装。男ばかりの軍で、若く美しい彼女が無自覚に男の欲望を煽る、あるいはオセローにはそう見える、みたいな解釈でならこの衣装は正解と思うのですが、プログラムのデズデモーナ像とは方向が違う気がして、その辺でもわかりにくくなったかもしれません。(衣装については、最後の場面が下着/インナーっぽかったのもどうかと思ってしまいました。しかも、昼はドレッシーなワンピの彼女が着そうもない、ランジェリーと呼ぶとイメージが違うようなそっけないもの。最後の場面で、“なぜこんな衣装?”とそこに意識が行くのは損ですよね。)

 

上述したようにエミリアはNT版と似ていていましたが、違ったのは、ハンカチをイアーゴに渡したことをエミリアが後ろ暗く思い、それもあってデズデモーナを心配していた点です。

 

デズデモーナとエミリアが語り合うシーンについては、こちらもデズデモーナが暴力被害に気づきながら否定しているように見え、そこはRSC版的な気もしましたが、SF版で印象的でよかったのは、デズデモーナの柳の歌がブルースっぽい?ジャジーな?歌だったことです(このジャンルに詳しくなくて曖昧ですが)。柳の歌は三者三様、皆上手いし素敵だったのですが、SF版は過去に柳の歌を歌った女性の人種や階層への想像が広がる気がしました。プログラムの指摘から勝手に連想すると、デズデモーナがオセローと結婚する前から自分と違うタイプの人間に共感的だったことを思わせます。エミリアに向けて“Not to pick bad from bad, but by bad mend!”と言うところは、上述のようにNT版と似ていますが、ここでは、憤ったエミリアむしろデズデモーナが慰める形にすらなっていて、ここもプログラムから推測すると彼女の寛容性や信頼への価値を示唆したのかもしれません。ここでエミリアが、デズデモーナのその信頼や自分に対する優しさに触れたからこそ、後から彼女を殺した男達を怒って告発するという流れになるのはいいなと思いました。