『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

ITA、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出、"Kings of war”感想

“Kings of war”(以下、KOW)は、『ヘンリー5世』『ヘンリー6世』『リチャード3世』を大幅にカットしながら1つに再構成した作品です。

 

インターナショナル・シアター・アムステルダム(ITA)、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ(Ivo van Hove)演出、2021年のライブストリーミング配信。

 

当初、夜中から早朝の配信で、寝落ちして最後を見逃がしてしまったのですが、途中リンクトラブルがあったと後からオンデマンド再配信をしてくれました。トラブルのせいで観られなかった訳ではないですが、ありがとう〜、ITA 現在ほとんど配信がない『リチャード3世』演目だし、再配信で最後まで観られましたし、せっかくなので感想を書いておければと思いました。他のパートについてもだらだら書いてすごく長くなってしまったんで、お好きな箇所だけ読んでいただければ幸いです。

(※本編の説明からはかなりネタバレになっています。)

 

『リチャード3世』パートは、家族関係が抽出・強調されているように見え、原作の有名な独白にも出てくる愛から疎外された(と思っている)リチャードが代償として王冠を欲し、でも結局自分しか見ず自分しか信用できず、他者との関係を持てないまま自閉して自滅してしまうような印象でした。野望のために人を殺すのは無論のこと、ITAのリチャード(Hans Kesting)は中高年のおじさんなのに(←すみません)、傷ついた子供みたいなところを感じました。

 

というのが、私の印象なのですが、演出のヴァン・ホーヴェが語った前説とか、下のITAのサイトで引かれた有名紙の評や、他の絶賛レビューに書いてあることとかなり違っています。『薔薇王』フィルターなのか、今回は特に受け取り方が怪しいかな、という気がします。前説を聞いた後だと“どう受け取ればいいんだろう”と思ったり、結構困惑したりしています。その辺の言い訳とヴァン・ホーヴェによる前説の話をはじめに書きます。ウザい話かもしれないので、そういうのがあまり好きではない方は『ヘンリー5世』パートの見出しまで飛んで下さい。しかも、“よかった”、“なるほど”、“すごい”しか書いてないようなこのブログにしては、ここは疑問形が多くなっていまいました。

 


Kings of war - Internationaal Theater Amsterdam (subtitled)

 

キャスト表などはこちらに。

ita.nl

 

前置き

配信の挨拶を兼ねた作品の簡単な紹介の中で、ヴァン・ホーヴェは、アメリカ議会占拠事件に触れながら、「どういうリーダーを選ぶかがこれまで以上に喫緊のことになって」おり、それが“Kings of war”が描いていることだ、としていました。KOWには4人の王、ヘンリー5世、ヘンリー6世、エドワード4世、リチャード3世が登場し、彼らとその周囲の人々がディレンマも伴う決定をし、人々の犠牲を伴う戦争をするかどうかを決めていたとされます。(KOWではヨーク公エドワード4世が1人に重ねられた役になっています。ヘンリー7世の戴冠まで描かれますが、ヘンリー7世はカウントされていませんでしたね。)

 

彼らは異なるタイプのリーダーで、ヘンリー5世は決定の前に熟考し、ヘンリー6世は信仰に基づいた決定をしつつも周囲から脇に追いやられ、エドワード4世はリチャードのフェイク・ニュースに惑わされ、平和を破壊したリチャード3世にとって王位は単に権力でしかない、という簡略な説明もありました。

 

グリーンブラットの『暴君』も話題になって河合祥一郎先生が翻訳されたり、シェイクスピアズ・グローブの『マクベス』やストラトフォード・フェスティバルの『コリオレイナス』でもやはり今日の政治状況と絡めた問題提起がされたり、現代との接点としては非常に重要なのだろうと思います。とは思うのですが、その後作品を見た時に“そんな内容かな……?”と躓いてしまったんです。確かに『ヘンリー5世』(以下、HV)はそんな話ですが、戦争を描いているのはHⅤパートだけのようにも思えました。しかもリーダーの決定が人々を左右する話は、高評価的に言及されたヘンリー5世についてむしろマイナスの形で描かれている気がします。リチャード3世は確かに暴力的に王冠を欲していたとはいえ、このプロダクションで戦争やリーダーシップを扱う形だったのかあまりピンと来ませんでした。『ヘンリー6世』(以下、HⅥ)も原作では戦争が大きな部分を占めますが、むしろこちらのHⅥパートは(それを通して戦争を描くという意図かもしれないものの)宮廷内部の権力闘争のようで、『リチャード3世』パートは家庭内の陰惨な揉め事のようにも見えます。

 

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

演出家や出演者の解説や、レビューの記事では理解が深まることが多いのですが、今回は却って困惑したというのはそんな訳です。寝落ちしたくせに、なんか偉そうな書き方ですね。この不協和を気にしなければ面白かったのは本当です!

 

『ヘンリー5世』パート

前説での評価とは逆に描かれている気がしつつ、コンセプトとしてはわかりやすく、戦闘場面などは全く出てこないのに、領地をめぐる戦争の胡散臭さと暴力性を感じる作りの気がしました。

 

最初に、フランスの王位継承権がヘンリー5世にあることの正統性を司教達が述べるところがありますが、KOWでは書籍を調べながらそれが答申されます。イングランド=ヘンリー5世のフランス領土支配の理由を捻り出しているようで、もうここから胡散臭げです。こういう風に見せられると、綺麗事が並べられているように思えた原作も、胡乱にも取れるように作られていたかもしれないと思えますね。

 

メインの舞台が軍の総司令本部のようなセットで、そこでほぼ全てが演じられるので、戦争を命じる王側と前線の兵士達との距離も原作以上に感じます。原作でも戦闘場面は全て台詞で語られるとはいえ、これで前線場面をどうやって描くのかなと思いましたが、うまく作られていました。原作ではヘンリー5世自身が前線に出ており、そこで彼が兵に呼びかける台詞が、KOWでは放映や放送を通じてのものになっており、前半ではファナティックというか怒鳴るような調子で語られるのも王の独善による開戦というニュアンスを濃くします。メインのアジンコートの演説は、なんとヘンリーすら登場せず声だけが流れる形になっています。

 

アジンコートの演説の前には、ヘンリーが王の身分を隠して兵の不満を聞き王側の事情をそれとなく語る場面があります。原作では、兵とヘンリーのすれ違いと同時に本音の対話も感じられ、少しユーモラスな場面にもなっていると思います。その後ヘンリーが孤独と苦悩を独白し、本来は背負いきれない責任と圧倒的に不利な状況を引き受けてのアジンコートの演説になって、通常は盛り上がるところでしょう。KOWでは、兵達を見て回るこの場面で、舞台奥の廊下を使い、疲れて眠り込んだり怪我をして座っている兵達が映されます。そこが唯一の前線シーンですが、それが却って戦争のヒロイズムに流れない犠牲を感じさせます。兵が語る不満はシリアスなものにされており、認識が食い違ったままヘンリーが理屈を捏ねているように聞こえ、そこからアジンコートの演説になるので、兵が言ったことは結局ヘンリーには届かなかった印象になります。しかも声だけの放送。ここでカタルシスを味合わせまいとする意志すら感じてしまいました。原作では、不満を述べた兵に、最後にヘンリーが身分を明かして気持ちよい解決にもされていますが、そこもカットされています。この作りならそうだろうなと思いました。

 

『ホロウ・クラウン』やロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの作品との関係も書きたくなってしまい、長くなるので見出しを別にします……。

 

『ヘンリー5世』パートでの、バードルフ達と説明役(コロス)のカット

あの……、wiki情報からだけで恐縮なんですが、wikiでも『ヘンリー5世』については、彼の軍功の賞賛という説と暴力性に対する批判という正反対の解釈があるとまとめられています。ヘンリーや説明役(コロス)は綺麗事を語っていても、庶民のバードルフやピストル達がそれを貶めるようで不明確になっていて、両面から読めるようなのです。

 

ヘンリー五世 (シェイクスピア) - Wikipedia

 

KOWでは、バードルフ達や、王と彼らの間にいる将校達のようなコミック・リリーフも、説明役もカットされていますが、ヘンリー5世や戦争の胡散臭さをうまく描いている気がしました。

 

theartsdesk.com

 

www.theguardian.com

 

上の記事はKOWを絶賛し、特に1つめのアーツデスク記事は「バービカンから追放されたのはRSCのヘンリー4世と5世の凡庸でうつろな王達(hollow kings)」とまで書いています。主流の正統派だから引き合いに出されたのでしょうが、2つめのガーディアンも歴史劇とは違うという言い方でRSCに言及しています。少し前にMARQUEE.TVのRSCの『ヘンリー5世』を観て、ヘンリー5世とコミック・リリーフの人物達とが入れ替わるように頻繁に登場したり、説明役が度々出てきたりする原作のままの上演は、きついというかあまり面白くないな……と実は思いました。(時期的に、MARQUEE.TVに入っている2015年版は該当しそうです。他の版も含めての話かもしれませんが。)説明役についても、語る台詞は綺麗事というかプロパガンダ的であるものの、それが却って白々しちゃうし注意力も途切れるし、進行説明がなくても支障はなさそうと思ってしまい、ヘンリーの物語に入り込めない感じがしたんですよね。

 

『ホロウ・クラウン』は、(記憶と違っている可能性はあるものの)説明役をナレーション化で減らし、『ヘンリー4世』では仲間だったバードルフ達との距離や、彼に対する非情な決定を描くことで、ヘンリー5世の王としての孤独を浮き彫りにして、うまく処理したんだなと思いました。英雄的に描かれた面もありますが、“Hollow Crown”という主旨での、王冠の苦悩や虚しさを背負うヘンリーに共感できる作りだった気がします。

 

KOWは、バードルフ達や説明役を削っても、戦争の王としてヘンリー5世に共感しにくい作り。

 

アーツデスクの記事に“あ、やっぱり面白くなかった?”と一寸頷きつつ、逆説的なんですが、KOWを見たり、wikiにある不明確という説を見ると、RSCの2015年版は、原作の不明確さや両面性や違和感を体感できる作りだったのかも、と後から思いました。

 

『ヘンリー6世』パート

総司令本部のようなセットが変わり、本が置かれた大きなテーブルが中央に。宮廷の議場とも(席を立とうとしたヘンリー6世に王妃マーガレットが“王が議会を離れるんですか”と問うています)、もう少し私的な王の接見の間とも取れるようなセットです。

 

冒頭ではフランスとの和平交渉が語られ、ヘンリー6世が条件の悪さを意に介さず講和を進めるのは原作通りですが、フランスとの対戦部はほぼカット、この場面でもどちらかと言えば叔父グロスター公と側近サフォーク伯の対立とそれを穏便に治めようとするヘンリーに焦点が当たっていたように思います。直後には、そのサフォークと既に愛人関係にあるマーガレットが結託し、彼女がヘンリーと結婚すべく乗り込んできて、彼らはグロスター公に罪を着せて陥れ禁固中に暗殺します。暗殺にはヨーク公(=ここではエドワード4世と重ねられた一役)も加担していましたが、サフォークらは、アイルランドで勃発した武力蜂起の対応をヨークに命じて中央から追いやり、一方ヨークはそこで武力を蓄え王位を狙おうとします。

 

グロスター公が殺害された可能性をウォリック伯から聞いたヘンリーは、憤慨してサフォークを追放するのですが、それもウォリックの計略の一環。サフォークの力を削いだ後、ウォリックはヨークと共謀しヘンリーに退位を迫ります。強面連中を周囲に従えて(議場占拠!)脅しをかけるヨークがマフィアのボスか、ヤクザの親分みたいに見えました。こちらのヨーク公は風貌的にもそんな感じが……。大幅なカットによって、こういう派閥対立はとてもわかりやすくなっていました。

 

ただ、HⅥパートでは戦争自体はあまり描写されません。HⅤパートでは、戦闘場面がなく台詞もかなり削られていても戦争が描かれていますが、HⅥは、原作の方がむしろ戦争描写は圧倒的に多く、犠牲のエピソードもあり、それがカットされています。(ついでながら『薔薇王の葬列』でもかなり戦争・戦闘は描かれていましたよね。)

 

HⅥパートは宮廷内権力闘争のような描き方に思え、現代の衣装やテーブルセットと相俟って 、『半沢直樹』的な陰謀渦巻く派閥闘争での社長解任劇のように見えました。これが逆に、KOWのHⅥパートでの戦争の描き方ということなんでしょうか。フランスとの戦争もアイルランド武力鎮圧も、むしろ彼らが権力闘争や私利私欲のために利用するものそのコマのように見えるというか。

 

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実力・実権がないヘンリーが、周囲の思惑に翻弄されるのは原作通りの感じですが、戦争もグロスター公の迫害・殺害と同列の印象です。むしろ戦争についての決断以上に、ヘンリーのディレンマと決断が描かれているのが、叔父グロスターの裁判を承認する場面と王位を譲る場面とも言えます。ヘンリーはグロスターの潔白を信じているものの、他の側近の協力なくしては国の運営ができないため、情を断って裁判と禁固を承認します(暗殺は全くの想定外)。

 

王位譲渡を決断する場面も、マフィアみたいとは書きましたが、KOWではヨークが直接的に軍事力や暴力に訴える描写はなく、ヘンリーもそこに負けたというより、王位の正統性を必死に論証しようとしてもその証明が不十分で負けた感があります(ここでも書籍をたぐっていました)。左遷の憂き目も見た腹黒なヨーク常務が悪徳弁護士ウォリックと手を組んで会社を乗っ取ったような印象です。HⅥってこうも読めるな、とすごく面白いし、この場面自体は原作でもそんな感じですが、この後の長い薔薇戦争はカットされて戦争や市井の人々への影響はあまり感じられません。“ある時には一方が、ある時には他方が優位に立つ、神が決めた方が勝つのだ”というヘンリーの台詞も、原作で戦場の最中で語られると、ヘンリーに同情しつつも相当無責任に聞こえますが、王位を奪われ皆が去った後に言われると諦めの台詞として素直に聞けます。KOWのヘンリー6世に関しては、戦争も王位譲渡も彼の責任というより、脆弱な権力基盤につけ込んで好き放題やった周囲に問題があったように私には受け取れました。『薔薇王』バイアスがあるかもしれませんが、原作の方が、戦禍を引き起こした、あるいはそれを止められなかったヘンリーの責任が示唆されている気もして、Kings of warとされると、受け取り方にやや困惑してしまうところです。ただ、ヴァン・ホーヴェが、「王とその相談役達」と周囲の者達に敢えて言及し、ヘンリー6世については相談役達が彼の影を薄くしたと言っていたので、そういう作りと取っていいのかも……。

 

マーガレットと王子エドワードは王位譲渡を怒りヘンリーを罵って出て行ったものの、出て行った先にヨーク一家が襲って来て王子エドワードを殺害。ここは腹黒専務というよりマフィアみたいでしたが、戦争での敗北というより暗殺の感じでした。

 

第1部がここで終了し、第2部はリチャードが幽閉されたヘンリーを殺害に行くところからスタートです。

 

『リチャード3世』パート

(演出についても、またある程度『リチャード3世』のあらすじもネタバレになっています。ご了承の上お進み下さい。)

 

第2部はほぼ『リチャード3世』(以下、RⅢ)。HⅥの最後から始まるとはいえ、ヘンリーはすぐ殺され、最後部のリチャードの台詞からそのままRⅢにつながる流れです。「ヘンリーがいましゃべったことは、たしかに真実だ、おれもよくおふくろから聞かされたものだ、おれは足から先にこの世に生まれてきたと。」「天がおれの肉体をこうねじ曲げて作った以上、今度は地獄がおれの心をそれに合うようにすればいい。おれには兄弟はない、おれはどの兄弟にも似ていない」(HⅥ)。家族からの疎外をリチャードが語る間、中央の舞台ではエドワード王の一家が平和な団欒を享受しています。ここもエドワード王が息子への王位継承を語るHⅥの最終部が使われています。ここではエドワード王がマフィアのボスのように全く見えないのが不思議。もう全然怖さがありません。

 

セットもソファーとローテーブルに変わり、HⅥパートでも残っていた軍備を示した地図もなくなって、外交用と思われる電話はあるものの、家庭の居間か客間のようです。HVパートでの戦争・外交本部から、派閥政治の議場へ、更にここで家族空間になった印象です。人物もヘイスティングスやケイツビーがカットされ、ほぼ家族・一族のみになっています。バッキンガムは従兄弟なのでぎりぎりそこに入りそうで、でもやや外野的立ち位置にもされています。

 

家族達が去った後、リチャードは、自分は醜く平和な世を謳歌できないから王位を狙うというRⅢの冒頭の台詞を鏡を見ながら語ります。こちらのリチャードは顔に痣があり、冒頭で鏡を見ているところは「己の影を眺めて、その醜さを鼻歌で歌う」という台詞通り、鏡がコンプレックスを写し出すもののようです。

 

ここも『薔薇王』フィルターがかかっている気はしますが、この流れにすることで、リチャードの王冠への渇望の根にある、原作に準じた彼の外見と、特に家族関係からの疎外(というリチャードの認識)が強調されているように思いました。愛を得られなかった子供の承認欲求のようなものを感じます。もちろんそれは原作に描かれたものと言えますが、家族との関係を抽出・強調している気がします。

 

エドワード王が妻のエリザベス側とリチャード側とを仲裁し、一旦和解する場面も、王による調停というより皆でパイを食べたりして家族的です。よい意味の家族的ではなくて、家族関係を修復しようと無理に一緒に食事したりするじゃないですか。そんな感じで、あまりおいしそうに見えないパイを黙々と食べるシーンにされていました。ですが、原作通りそこで次兄クラレンス公ジョージが既に処刑されたことがわかり、エドワード王はショックで倒れます。

 

リチャードと母親との関係も気まずげで、前半では母親が冷たく挨拶してすっといなくなります。後半で王になったリチャードに母親が呪いの言葉をぶつける箇所では、リチャードがかなり傷ついている風で子供のような振舞いに見えました。この場面の直前にリチャードが殺した人々が映され、だからこそ母親はリチャードを呪う訳ですが、この母子関係に問題がありそうと因果関係が逆に思えるくらいです。前半でマーガレットが「生まれながらにして烙印を捺された者、悪魔の申し子と定められ、母親が痛めた胎を踏みにじり、父親の憎しみを受けて生まれた」と罵った時にも、リチャードはかっとしてマーガレットを殺しそうになっています。(この居間のような装置だと、マーガレットの登場は、招かれざる客がいきなり私宅にずかずか入って来たような不穏さがありました。これも、原作の、追放されたはずの元王妃が幽鬼のように王宮にいる不気味さとは少し印象が違ってきますね。)

 

こちらのリチャードは、独白で急に態度を変えたり人を弄ぶ感じはあまりなく、王冠を被るまでは割合控えめで暗めかなと思いました。エリザベスやその兄リヴァースに食ってかかるところはあるものの、その台詞も、もしかしたら減らされているかもしれません。アンに求婚した後も彼女をバカにする感じではなく、ここでも鏡を見て、“自分を見誤っていたらしい”と少し嬉しそうで驚いた風。ここでは鏡が自分を見直すものになります。ただ、後の流れを見ると、“アン”が受け止めてくれたから嬉しい訳ではなく、自分を見直せたからに過ぎなかったんだろうと思えます。アンはこの後ほとんど登場せず、殺された彼女が映った後にはすぐ姪のエリザベスと結婚する話になって、アン自身のことはどうでもよかったんだなという印象が強まります。

 

兄達が亡くなって王位が見えてくると、リチャードは王冠を被って鏡をうっとり眺めたり百面相してみたり、もうここでは鏡はナルシシズムの確認のようになっています(上のアーツデスクの記事にその場面の写真があります)。絨毯をキングローブの代わりにして走り回ったりするのも子供っぽく、人前では控えめ、裏では謀略を練る彼の中にこういう感情があったのかと思えます。

 

戴冠場面の前で小休止になり、小休止の間にリチャードがノリノリで衣装を着替えるのでそのはじけぶりに目を奪われていたら、その間にセットが変わっていて、何もない空間に玉座に見立てた黒いソファーだけが、正面から背を向けて置かれています。うわ、と思いました。自分を認めさせようとした玉座だったはずなのに、もう誰もいない……みたいな。

 

戴冠後リチャードは不安になりバッキンガムに王子達の始末を持ちかけますが、彼の反応はとても鈍く、リチャードは怒り出し、バッキンガムも去っていきます。そもそもこちらのバッキンガムは、八方美人的で長いものに巻かれるタイプ。リチャードの王位継承に一役買ったのも、そちらに機を見たか、たまたまその話に乗ってしまったからに思えます。でもあまり先読みはできず、市内での演説も失敗し、思いつきのように市民達を前にしての一芝居の提案。王子達を殺す命令に驚き、怒ったリチャードに“そんな仕打ち?!”と焦ってリッチモンドのところに逃げ、舞台横の廊下を逃げる時に、リチャードが殺した次兄クラレンス、アン、王子達の屍累々を目にする流れです。この舞台につながる廊下はTrailerのヘンリー5世登場シーンにあるように冒頭からかなり使われていたのですが、廊下とメイン舞台の間の扉もリチャードは次々と閉めていきます。

 

舞台には一人きりになったリチャード、スクリーンにリチャードを倒そうとするリッチモンド=ヘンリー7世とリチャードが殺した人々が映し出されます。リチャードが兵に檄を飛ばす場面も一人。'A horse, a horse, my kingdom for a horse'で馬に乗ったマイムのリチャードが舞台から去りますが、それも現実か幻想か……。

 

リッチモンド=ヘンリー7世がヘンリー5世と同じ演者(Ramsey Nasr)で、2人ともスクリーンに演説が写ったり、戦いの前に神に祈っていたりで既視感を覚えます。最後にヘンリー7世の戴冠で、ぐるっと円環が閉じた、あるいはまた最初に戻ったような感じもありました。

 

RⅢパートはリチャードの心象風景的にも思え、またリチャードに入れ込んでHVパートとは逆に共感的に見てしまいますすごく面白かったんですが、最初にも書いたように、Kings of warというコンセプト、リーダーシップの話とされると、こういう受け取り方でいいのか迷ってしまうというか、困惑してしまうところはありました。承認欲求を拗らせた自己愛的な権力者の横暴、という作りでもなかったような気がするんです。また、リーダーシップやフェイク・ニュースに掛けるなら、ヘイスティングスを議場で糾弾し処刑した話はかなり重要に思えるんですが、登場人物はほぼ家族だけになってこの辺は全部削られていましたし。

 

受け手が色々に取れるのが演劇や漫画のよいところで、“正解は何?”と言いたい訳ではないですし、他作品なら確信がある訳でもありません。ただ、通常だと、独り合点や思い込みであっても“なるほどー”という納得感と面白さが揃うことが多いのですが、今回はそこが自分の中でちぐはぐで、据わりが悪い感じです。

 

(※翻訳については、HⅥを小田島雄志訳・白水社版、RⅢを河合祥一郎訳・角川文庫版から引用しました。)