『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

ポーランド国立バレエ『ロミオとジュリエット』感想

ポーランド国立バレエ、クシュシュトフ・パストール(Krzysztof Pastor)振付。海老原由佳のジュリエット、パトリック・ウォルクザック(の表記でいいでしょうか、Patryk Walczak)のロミオ。

 

ポーランド国立バレエのサイトによれば、1930年代、50年代、90年代のイタリアで繰り返される恋愛という設定とのことで、ロミオ達モンタギュー家はこの3つの時代に通用しそうな白のカジュアルなスーツ、キャピレット家は黒スーツと黒の軍服になっています。キャピュレット家はファシズム体制も示すものになっているのでしょうか。ジュリエットは(黒でなく)白のシンプルなキャミソール・ワンピースのような衣装です。

 

operavision.eu

 

 

そういう設定はあるものの、ストーリー的には割合わかりやすく通常のバレエ版ロミジュリの流れで、スタイリッシュで伸びやかな振付と踊りも現代的で観やすく、感情移入できる作品でした。

 

以下は演出的ネタバレも書いてしまうので、観る前に読みたくない方への更なる推しポイントは、寝室のパ・ド・ドゥでのジュリエットの包容力と、その表現が素晴らしかった海老原さん、悲劇のロミオ感があったウォルクザック、2人の主役です。

 

Trailerの下から、ネタバレを含む感想を書きます。


www.youtube.com

 

 

第1幕は1930 年代。モンタギュー家が白、キャピュレット家が黒の衣装で、両家の争いのシーンの後、争いを止めようとロレンス神父が間に入ったところで、空襲の映像と共に皆が倒れます。空襲の被害映像の中に聖母像が一瞬映り、皆が倒れているなか、一人スポットが当たって登場したジュリエットが聖母のようにも見えます。両家の争いというだけでなく、争いを普遍化して示しているのでしょう。両家の争いを止めようとする人物もスーツなので大公かと思ったんですが、ロレンス神父になっていて、これも争いと平和を象徴的に描くための仕掛けかもしれません。

 

詳しくもないのにいい加減なことを書いてしまうんですが、町の群舞はミュージカル的というか、ウェスト・サイド・ストーリー振付家でバレエの振付もしているジェローム・ロビンズが喚起される感じもありました。“〜的”と言うのは失礼になりそうなんですが、少しウェスト・サイドを連想する雰囲気で、しかも音楽と時代設定や振付が合うなと思ったんです。プロコフィエフの作曲は1935年、バーンスタインの作曲は1957年だから、参考にしている音楽はもちろん違うものの、プロコフィエフの音楽って考えてみれば現代的なはずですよね。

 

キャピレット家の場面では、乳母は出てこなくて、ジュリエットと母・キャピュレット夫人の仲がよさそうでほっこりするのも束の間、この作品でもティボルトとキャピュレット夫人が相思相愛風。長調のメロディーの箇所(通常は舞踏会入場シーンなどで使われる曲)で、キャピュレット夫人とティボルトが中心で踊り、“あれ?キャピュレット卿は?”と思っていたら、「騎士達の踊り」(「モンタギュー家とキャピュレット家」の名もある一番有名なやつです)の曲で、周囲を威圧するようにキャピレット卿が登場です。キャピュレット卿とティボルトの関係も不穏な雰囲気で、それが「騎士達の踊り」の曲と嵌ります。ジュリエットは権威的な父に怯えているような様子。

 

ロミオとジュリエットのバルコニー・シーンはティーンエイジャーの初デートみたいで可愛いいー。ジュリエットが初恋にワクワクしている現代と地続きの女の子の感じです。マクミラン版やヌレエフ版だと、官能的なくらいロマンティックでそれも素敵ですが、等身大的なのもいいですね。また、後の寝室のパ・ド・ドゥまで観ると、バルコニー・シーンを初々しく作った効果が更に表れる気がしました。

 

第2幕のロミオとジュリエットの秘密結婚の前後になると、衣装のカラーが華やかになって1950年代の映像が流れます。

 

マーキューシオとティボルトが諍いになるシーンでは、キャピュレット卿がティボルトに刃物を渡したりして、ここはなんだか“あわよくばティボルトも”と狙っていたような怪しい感じに見えました。マーキューシオとティボルトが殺害された後は、やはり1幕と同様、紛争か災害の映像(具体的に何の映像かはわからなかったのですが)が流れて暗転、ジュリエットが1人佇む形になります。

 

この後の、寝室のパ・ド・ドゥがとても印象的でした。ウォルクザック・ロミオと、特に海老原・ジュリエットが素晴らしかったです! ロミオは、追放になってジュリエットと別れること以上に、殺人の重さに打ちひしがれているように見えました。後から読んだ公式サイトのあらすじにもそう記載されていて、それがわかる演技と振付です。20世紀設定で争いの無益さに焦点を当てるならこれは重要だと思いましたし、丁寧な作りだと思いました。バルコニー・シーンとは対照的に、ここでジュリエットが一気に大人の女性になっていて、憔悴したロミオを慰めるかのようです。しかも全く不自然な感じがしません。これも性体験というよりは、ティボルトの死やロミオの追放という困難を経験したことが彼女を大人にさせたんだろうと思えるんですよね。包容力を感じます。離れていてもこのジュリエットがいればロミオは生きていけるというか、彼女がロミオの生き甲斐になるだろうと思わせる存在感。海老原由佳さんは素敵なダンサーだなと思いました。

 

この寝室のシーンから1990年代設定だったらしいのですが、ここはあまり映像もなく衣装の変化も見えなくて、私は気づかないまま終幕に……。

 

ロミオが去った後、ジュリエットが母親とティボルトの死の悲しみを共有しているところに(ジュリエットについてはロミオの追放も、ですが)、また横暴な感じで父・キャピュレット卿が登場し、所有物を与えるようにパリスとの結婚を強制します。パリス本人は悪い人ではなさそうだったり、他の版だと途中までジュリエットと父親の仲がいいものもあるので、よけいに強権的な父親像が目立ちます。母親はジュリエットを慮りつつも、途中から何も言えなくなって結婚するように仕向け、ジュリエットは母親を、母親はジュリエットを説得しようとします。

 

このシーンでは母のキャピュレット夫人にも葛藤が感じられてよかったです。乳母と異なり秘密結婚のことは知らなかったでしょうが、このプロダクションでは、なんとキャピュレット夫人が、悲しんで結婚を拒否するジュリエットのところにロレンス神父を連れて来ます。

 

ここからは最後まで急速に進んでいきます。音楽などのカットもあったかもしれません。神父と会うとその場でジュリエットは毒を飲んで仮死状態になります。ロミオは何も知らないまま再びヴェローナに来てということでしょうか、そこで、亡くなったジュリエットを目の当たりにします。

 

墓場のシーンでも、2人の踊りがとても情感的に思えました。こちらではロミオも短剣で自殺するので、2人の一体感が際立った感じがしました。

 

サイトの解説では、振付のパストールが「私にとってこの作品で一番重要なのは愛ではない。この作品のセンチメンタルで感傷的な解釈を避けた。どこに対立/葛藤があるのかに焦点を当てた」と語り、原作では両家が2人の死によって和解する形になっているがそうしなかったと説明していて、最後の場面がそういう残酷な意味だったのかと後から気づきました。それを読むと、見方自体に甘さがあったかなとも思いますが、必ずしもシニカルで辛口の作品ではないだろうと思います。私としては主役の2人にとても共感的に観られましたし、特に寝室や墓場のシーンに愛情が感じられて感動が深まった気がします。