『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

ITA、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出、『ローマ悲劇』(Roman Tragedies)感想

『ローマ悲劇』(Roman Tragedies)は、『コリオレイナス』『ジュリアス・シーザー』『アントニークレオパトラ』の3本を繋いだ作品です。

 

インターナショナル・シアター・アムステルダム(ITA)、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ(Ivo van Hove)演出、2021年のライブ配信でした。

 

現代のメディア状況が意識され、ニュース映像なども映る現代化された演出でした。個人的には、色々面白い形で生演奏されていたパーカッションも印象的でした。元々は観客参加型で、しかもSNSなどでの発信も自由というような演目らしく、その形態で政治討論や演説がされるところが真骨頂かと思いますが、無観客でも演出内容とメディア配信が十二分に意識され活用された作りだったと思います。

 

今回もかなりネタバレ的になっています。ご了解の上でお進み下さい。

 

キャスト表などはこちらに。

ita.nl

 

元々の上演形態がわかる記事と写真がこちら。

spice.eplus.jp

 

コリオレイナス』パート

原作の冒頭にある、飢饉に怒る市民達の場面も、(『コリオレイナス』なのに)コリオライを勝ち取る戦闘シーンもカットされ、政治・討論・駆け引きが中心となるように編成されて、『ジュリアス・シーザー』に繋げられていたと思います。

 

今まで見た中で一番年上なマーシャス(コリオレイナス)でしたが、あまり政治には長けていない単純思考の人という雰囲気でした。コリオレイナスと妻ヴァージリアの仲は良く、政界にはほとんど関心のない2人を他所に、野心をもつ母ヴァラムニア、護民官(シシニアスとブルータス)勢力を抑えたいメニーニアス、腹に一物ありそうなコミニアスが、コリオレイナスを担ぎ出したといったところ。コミニアスがコリオレイナスより若い女性になっており、そうなるとコリオレイナスを理解する上司・同僚というよりは、軍事的に功績のある彼を政治に駆り出そうとするやり手の感じが出ます。RSC版『コリオレイナス』解説でスポーツ選手などが政界に引き出される例が言われていたと思いますが、同様の趣きで、しかも軍事や国家について市民とは反対の信念をもつコリオレイナスというよりは、政治のことを自分の延長線上で単純に考えている人という印象です。失言をし続けてしまう彼にも、なんだか既視感がありますね。

 

ローマの場面は、日曜討論か、朝生のようなスタジオでの政治討論が主になっています。護民官達はコリオレイナスに疑問を投げかけたり批判したり、失言もしっかり書き留めます。オランダ語+英語字幕だと、台詞を踏まえての護民官達のキャラまでは理解が追いつかなかったのですが、なんとなくの印象としては、横暴に無理を通そうとするコリオレイナスに危惧を抱く弁護士出身の弁が立つ若手議員のように見えました。コリオレイナスは早々に怒って席を立って出て行ってしまい、スタジオは混乱。メニーニアスに説得されて討論に戻ってきても暴言が放送されて台無しで、メニーニアスは頭を抱えます。この辺で政治家に向いていないことがありありですが、逆上してとうとうカメラの前で暴行に及びます。

 

その謝罪をメニーニアス達や家族と話し合う場面が、敗色明らかな選挙戦を立て直そうとする会議のよう。再度討論の場が設けられますが、コリオレイナスはまた同じことをやらかしてしまいます。

 

こういう人を政治の場に担ぎ出しちゃだめですよね、皆に不幸。序盤がカットされている分、その点での不毛さがクリアになっていたように思います。

 

やや記憶が曖昧になっていますが、彼がローマを出ていくシーンも割合あっさりめで腹を立てたまま勢いで出立していた気がします。敵国ヴォルサイで彼を迎える将軍オーフィディアスが“Kings of war”のヨーク公エドワード4世王だったBart Slegers。今回も強面で腹黒な雰囲気です。コリオレイナスに名前を尋ねるシーンは、本当はわかっていて名前を尋ねたように思えました。この辺のシーンもあっさりめなので、コリオレイナスがヴォルサイに出向いてローマへの復讐を持ちかけたり、母親達に懇願されればすぐそれを覆したりすると、やはり彼は政治家に向いていないというか政治家にしてはいけない人だったという感じが強まります。

 

心情的にも色々ありそうだったNTローク版やSFルパージュ版のオーフィディアスとは異なり、こちらはまさに敵同士が利害で手を組んだように見えます。オーフィディアスがコリオレイナスを迎えることを元老院で報告するシーンは、ニュース番組でのインタビューにされているので、コリオレイナスへの賞賛は彼の本当の気持ちというより建前の理由に思えます。こちらのオーフィディアスは冷徹に計算し、ローマ侵攻中止も折り込み済みで、過去に自分を敗北させたコリオレイナスを利用しようとした印象です。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

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最後の場面の前に休憩が入り(!)、その後、コリオレイナスの死までX分とカウントダウンされます。激昂したコリオレイナスがオーフィディアスに掴みかかって、周囲がコリオレイナスを取り押さえたところが多分暗殺を示す演出ということでしょう(この後も類似の形だったので)。公的な場面で何人もがコリオレイナスを襲うのはこの後のシーザーの暗殺と重なってくる気がします。そして休憩なしで『ジュリアス・シーザー』パートに移行です!

 

ジュリアス・シーザー』パート

シーザーに対する懸念を語るキャシアスとブルータスの会話の後に休憩が入り、劇中ではブルータスがまだ心を決めていないのに、休憩のアナウンスで「次のシーンでシーザー暗殺です専制に反対するブルータスによる政治的暗殺だとされています」と語られ、しかも「次の休憩は35分後なので飲み物を飲みたい方は今のうちにどうぞ」というのと同列の扱い。ほとんどの人はストーリーを知って観ているとは思うんですが、通常ならブルータスの煩悶や、暗殺者達の連帯に見入るシーンに、この突き放し方!と思いました。

 

休憩後は、ブルータスと彼を心配する妻ポーシャとの会話場面と、シーザーと彼を心配する妻キャルパーニアとの会話場面が同時進行し、その後のポーシャの独白では、キャルパーニアが彼女をハグする形になっています。果たしてブルータス達の懸念は妥当で、暗殺の判断は正しかったのかと提示している気がしました。しかも、シーザーがキャシアスを貶すシーンもないので、更にその辺が疑わしく思えます。また、キャルパーニアがポーシャをハグして慰めるシーンが作られる一方、ポーシャの独白は、敢えて撮影クルーを写す撮影(二重の撮影)になっていて、そこも建前的というか、外向けのパフォーマンスにも見えたりします。

 

シーザー暗殺後に、リチャード3世、じゃなかった、アントニー役のハンス・ケスティング(Hans Kesting)登場。シーザーの死を嘆いてそのための演説をさせてくれと言い、原作ではブルータスが去った後に彼が巧みに市民達の気持ちを覆してしまうニュアンスだと思いますが、ITA版は2人の演説の巧拙のようでもありました。(と、当初書いていたのですが、むしろ情感に訴えるアントニー演説のうまさというのが常識的見解だったようで、ITAは既定路線といってもよいのかもしれません。ブルータスの演説が胡散臭かったことを除けば。)

 

ローマ市民を前にしての、シーザー暗殺についてのブルータスの釈明は原稿を読みながらの記者会見風で胡散臭さが漂います。これまでは、このブルータスの発言は悲痛で真摯なものという印象でしたが、ここもブルータス側・アントニー側どちらが正当かわからない、というより両方が怪しく見えます。そしてアントニーの演説は、朗々とした語りというより、むしろ最初は沈黙して言い淀み、泣きながら徐々に語りを盛り上げ感情に訴えるポピュリスト的なうまさです。

 

その後、アントニーがブルータス達に戦を挑むと、今度はブルータスとキャシアス側の戦略会議(+言い争い)と、アントニーとオクテーヴィアス(オクテーヴィアス・シーザー)側の戦略会議が同時進行になります。(横道ですが、キャシアス、オクテーヴィアスが女性設定です。)ブルータスが高潔さにつけこまれたとか、アントニーにしてやられたというより、このブルータスとキャシアスの言い争いを見るとその無戦略ぶりと節操のなさで負けるなと思います。もちろん同じ台詞なのですが、原作イメージやこれまで観たブルータスは、苦戦しても人徳のあるキャラだったのに、と思ってしまいます。こちらのブルータスやコリオレイナスは、本人たち自身が高潔というよりは、利用価値があったり、弔辞の際にだけ高潔と言ってもらえる感じですね。

 

戦闘はニュースシーンで示され、不利な状況に追い込まれたキャシアス、ブルータスは斃れます。

 

シーザー殺害時の感情的だった語りが嘘のように、有能な政治家然としたアントニーが、亡くなったブルータスを称えます。この演技で、ブルータスを称える台詞が、「私がきたのはシーザーを葬るためだ、称えるためではなく」とアントニーが言ったのと対になった台詞なのかな、と初めて意識が向きました。アントニーの語りをつないで締めるオクテーヴィアスの演説で第2部が幕です。

 

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写真AC

 

アントニークレオパトラ』パート

有能な政治家然としたと思ったら、休憩後の『アントニークレオパトラ』パートの冒頭ではパンツ一枚でソファーでだらけているアントニー。そして、アントニーとオクテーヴィアスとはもう戦争にならんばかりの状況です。なるほど、『ジュリアス・シーザー』から繋がると、シーザーの仇を撃ち、戦でブルータス達を排した彼らの反目と堕落として『アントニークレオパトラ』が見えてくるんですね。登場人物は重なっていても別キャラな感じがして、こんな風に考えたことはありませんでした。

 

このパートについてはところどころで寝落ちしていたり、そもそも眠くて頭が働いていなかったりしたので、以下の感想は、ここまで以上に怪しいと思います。加えて、『アントニークレオパトラ』って、これまで何作か観ても実は私には面白さがわからなくて、感覚的に合わないかもと思う作品なので……。

 

クレオパトラの言動も理不尽でわがままじゃないですか。まさに“女王様”。きっと、絶世の美女で、愛があるから許されるんですよ。というか、勝手な想像ですが、そういう言動をさせることで、彼女の女王様ぶり、何でも許される美女ぶり、加えて愚かな愛を表現しているんじゃないかという気はします。ゴージャスな大人の男女が色恋や嫉妬に溺れ、国も巻き込んで身を滅ぼすところが醍醐味かとも想像します。でも、観ていて大抵は“ついていけないなー”“理解できないなー”と思ってしまうんです。

 

ITAホーヴェ版は、多分本来はこの作品の魅力であるゴージャスでロマンティックな部分を削いで、堕落や腐敗としてクレオパトラも含むアントニー周辺の人間関係を描き、クレオパトラを傾国の美女というより、“ついていけない”“理解できない”を核にする人として描いたように思いました。なぜかそういう人に振り回されてしまうことってありますよね。ただ、そんな人達が為政者……。

 

冒頭のアントニークレオパトラの蜜月的な甘いシーンはカット。妻の訃報が入り、オクテーヴィアスとも和解する必要からローマに戻ろうとするアントニーとそれを疑うクレオパトラから台詞が始まりますが、恋の駆け引きというより離婚寸前の中年カップルの罵り合いのようです。美丈夫と美女でもありません。素の演者のことでなく、クレオパトラも敢えてぱっとしない衣装やメイクにしていると思います。

 

アントニーは、オクテーヴィアス(ここでは女性設定)との関係修復のために彼女の妹と結婚しますが、彼はクレオパトラのためにその妻を蔑ろにし、オクテーヴィアスとの関係を再び悪化させて対戦になります。ITA版ではブルータスのシーザー暗殺の動機も怪しいものに見えたとはいえ、『ジュリアス・シーザー』が前段にあると、このパートでの政治対立があまりに家庭内的・個人的な理由で情けなく思えてきます。しかも、その元凶とも言えるクレオパトラに国を傾ける魅力を感じないので余計に空しい気がします。アントニーの結婚を聞いた時のクレオパトラの言動も原作イメージより強烈におかしい感じにされています。原作でも彼女の周りは享楽的で退廃的な雰囲気がある気がしますが、こちらは異様にすら思いました。遠因とはいえ、そんな彼女のために戦争になり、アントニーは彼女のために戦略も誤り死に至ります。

 

コリオレイナス』パートではオーフィディアスに特別な感情は設定されていなかったのに、『アントニークレオパトラ』パートの方では性愛的関係が散りばめられていました。クレオパトラと侍女のチャーミアン、アントニーと腹心のイノバーバスの間にもそれっぽい雰囲気があり、チャーミアンと(アントニー結婚の報を知らせに来た)使者の関係と、オクテーヴィアス姉妹の関係は確実ですね(皆、同性同士の設定です)。妹がアントニーを庇うのを、オクテーヴィアスは怒っているか嫉妬しているかのようでした。

 

また、原作やこれまで観た版で感じたことはなかったのですが、オクテーヴィアスの方がクレオパトラに悪感情をもっているように見え、そういう意味で彼女はクレオパトラを生かしておきたかったように思いました。救命しようとするのが残酷に見えるシーンにされていました。

 

眠くてちゃんと把握できていない気もしますが、オクテーヴィアスがアントニーに惹かれていたとかいう設定には思えません。愛していて本当は独占したい妹とアントニーを結婚させたオクテーヴィアスが何を考えていたのか、そもそもそういう設定にすることで演出で何を狙ったのかはわかりませんでした。個人的な感情のもつれで戦争に至る『アントニークレオパトラ』の人間関係を、主人公2人だけではなく、複数の登場人物達に張り巡らせたということなのでしょうか。

 

この後ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのドーラン演出版『ジュリアス・シーザー』を見て、ITA版との雰囲気の違いを少しだけ書いたので、もしよろしければ。

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(※『ジュリアス・シーザー』の「」内の台詞は、小田島雄志訳・白水社版からの引用です。)