『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

ドンマーウェアハウス『シェイクスピア・トリロジー』紹介・感想:『サンドラの小さな家』公開記念

『サンドラの小さな家』公開記念というか、主演・脚本のクレア・ダンがブレイク中なので、以前「Marquee.TVシェイクスピア ・コレクション(1)」の記事に入れていたドンマーウェアハウスの『シェイクスピア・トリロジー』(Shakespeare Trilogy・『ジュリアス・シーザー』、『ヘンリー4世』、『テンペスト』の3部作)を、動画リンクを増やすなど少し改訂して分割しました。『シェイクスピア・トリロジー』や『ヘンリー4世』のことだけ読みたい方はこちらをクリックして下さい。

 

『サンドラの小さな家』と『シェイクスピア・トリロジー

『サンドラの小さな家』(Herself)は、DVで離婚したシングルマザーが、住宅難のために住む場所を見つけられず、セルフビルドで家を建てようと奮闘する話です。徐々に彼女を助ける人達が現れ、彼女を助けることがその人達自身の支えや喜びにもなっていきます。

 

longride.jp

 

映画の公式サイトや下のハリエット・ウォルターのインタビュー記事で紹介されているように、クレア・ダンは『シェイクスピア・トリロジー』の中の2作に出演していて、その演出をしていたフィリダ・ロイドが今回の監督、主演だったウォルターが重要な脇役を務めています。公演の際にクレア・ダンはこの脚本を書きつつあって、ロイドは “友人”としてアドバイスを求められ読んでいたとも語っていました。主演を有名な人にする提案もあったところ、ロイドは、ダン自身を主演にすることを条件に監督を引き受けたそうで、そんなエピソード自体『サンドラの小さな家』的というか、「メハル」(つながり・助け合い)的ですよね。

 

movie.jorudan.co.jp

 

公式サイトの鼎談では、ロイドが、女性刑務所設定で女性受刑者と協働してシェイクスピア劇をやっていたこと、そして女性受刑者の多くが家庭内の暴力の被害者で、その影響や防衛で事件を起こして受刑している場合があると述べていました。また、今回も家庭内の暴力の問題を描くことは重要だったとも語っています。それ以上の詳細は語られていないのですが、この3部作のジュリアス・シーザー』は、DV文脈でこの作品を解釈したものにもなっているんです。

 

それもあって、『シェイクスピア・トリロジー』が『サンドラの小さな家』につながったことも私には感慨がありました。この記事は便乗商法みたいなものですが、でも、両作品に内容的にもつながりがあって、そのつながりが美しく感じられたので改めて推させて下さい。私は昨年、映像で3本まとめて観て、3部作の最後の『テンペスト』にダンが出ていないのが一寸寂しかったので、これでピースが埋まった感じもあったんですよね。そして、ハル王子役だったダンが、ヘンリー5世になって帰ってきた〜!みたいで胸熱です(話的には全然違うというか戦争ものの『ヘンリー5世』とはむしろ逆なくらいですが、堂々の主演に加えて脚本の才能!)。

 

映画の公式サイトでは、日本のシングルマザーやDV対応の状況などと絡めた鼎談もされていて、プロモーションの仕方にも好感が持てました。

 

『サンドラの小さな家』については、クレア・ダンが、友人が直面した問題から脚本を構想し、かなりリサーチをして書いたと語っていたように、それが納得できる内容でした。住宅問題、共同親権や裁判所の問題など、制度にバイアスがあったり、うまく機能していなかったりするところの描写がリアルで見事です。

 

ダブリンの住宅問題についてはこんな記事もあって、映画も政策や現状に対して問題提起的である一方、そんな状況の中で家を建てていく場面は、とても充実感や開放感があります。

 

globe.asahi.com

 

ダブルワークや通勤問題などの積み重なるストレスがあったり、逆に子供と関わる時間が大変さもありながら救いになったり、そんな細かい部分も“あるある”な感じがします。他にも、DV被害支援組織は提供できる情報や資源を出してくれても、そもそも政策的に欠陥があるので当事者には十分でなかったり、必要な書類の申請をきちんと教えてくれても、仕事の合間に立ち寄るサンドラにはそれ自体が煩わしいものになってしまったり。よくしてくれるママ友にも、途中までは事情を言えなかったり……。

 

サンドラに協力してくれる人達についても、物語が進むにつれて、協力してくれた背景がなんとなく仄めかされている形になっている気がします。ここはネタバレ的なので画像を挟みますが、それが噛み合って支えた人達が力を得る話になっているのも素敵でした。スキップする方は下の画像をクリックして下さい。

f:id:naruyama:20210503153235j:plain

photAC

For though the camomile, the more it is trodden on, the faster it grows, so youth, the more it is wasted, the sooner it wears.  (Henry Ⅳ)

 

 

ウォルター演じるオトゥール先生の土地の提供や協力も、話の展開につれて、それが彼女の亡くなった娘に対する心の傷を回復するものになっていることが見えてきます。裏庭はその娘の思い出が閉じ込められていたもの。だからこそ先生のもう1人の娘の方は、赤の他人にその大切な場所を提供することに反対するのですが、オトゥール先生は、サンドラ母子に自分と娘を重ねて、それを生きたものに変えたかったんじゃないかと思えます。建設業者のエイドは、ダウン症の息子をサポートしつつ家で事業をしており、おそらくそれで本格的な建設業の仕事はセーブしていたのではないかと想像できます。これも、だからこそ仕事外で他人を助けることを断った訳でしょうが、訪ねてきたサンドラへのサポートをその息子が促します。それによって、エイドは大きな責任を任され、息子も現場に関わって交流も広がる形になっていきます。

 

広告

 

ドンマーウェアハウス『シェイクスピア・トリロジー』のプロローグと構成

上でも書いたように、この『シェイクスピア・トリロジー』は、3本とも同じ女性刑務所内劇設定で演じられます。DVDも出ているのですが、DVDも英語字幕のみなので、Marquee.TVなどで観るのがリーズナブルでお手軽ではないかと思います。こちらでも英語字幕は出せます。Marquee.TVは無料のトライアル期間があるので、その間に観てしまうこともできるかもしれません。

 

Marquee TV - Streaming Arts, Culture and Performance

 

私は英語がそれほど得意ではないので、英語字幕を出しても特にシェイクスピアだとかなり厳しく、これを観た頃は、よく知っている内容でないと“台詞が追えない〜”と思っていたのですが、翻訳本を時々参照しながら観ることにも慣れてきました。そういう見方もできますよー。

 

年代的な上演順序は『ジュリアス・シーザー』、『ヘンリー4世』、『テンペスト』ですが、私が観た順番からも、クレア・ダンがフィーチャーされていることからも『ヘンリー4世』のプロローグの方から書きます。

 

『ヘンリー4世』では、最初にハル王子(後のヘンリー5世)役のクレア・ダンが、まずこんな感じのことを語ります。“私、薬物依存で14歳の時から刑務所に出たり入ったり。女性収監者の半分位は依存に苦しんでいる。リハビリして、もうすぐ出所だけどちゃんとしたい。この芝居は、過去の問題と未来に不安を抱える人の変化の話。誰もがやり直す機会は欲しいですよね。”

 

この時がクレア・ダン初見だったので、“え?本物の受刑者が演じる芝居なの? それともハルの現代的解釈+受刑者との結びつけをしたってこと?”と惑いました。ハル王子は王位継承者にもかかわらず、その重荷もあって(彼の場合はむしろ人々の期待を下げる計算もあるのですが)遊び歩いては父を悩ませ、それでも最後には責務を担って王になります。

 

ジュリアス・シーザー』のプロローグで語るのは、パートナーのDVに反撃して受刑したという女性。ここでも女性受刑者の半分以上が家族からの暴力の被害者であったという事実に触れ、自身の加害行為について“ブルータスは「よい言葉は悪い剣に勝る」と言っています。私も言葉にすることが苦手だったけれど、演劇を通じて自分を表現できるようになりました”みたいなことを語っていて、これも迷いました。(しかも彼女が演じるのは、演説で民衆の心を掴んでしまうアントニーだったりもする……。)

 

エンドクレジットまで見てわかったのですが、theater company Clean Breakという劇団と協働で、受刑者と俳優とのやりとりもされて制作されたということでした。Clean Breakは、受刑者自身が設立した女性の劇団で、演劇を通じて女性受刑者のサポートをしたり、司法制度や社会への問題提起を行う演劇を上演したり、ワークショップを行ったりしているそうです。何人かはこの劇団の演者なのかもしれません。

 

アントニー役のジェイド・アヌーカ(Jade Anouka)は実はロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの出身で、youtubeの紹介動画などによれば、この演目については、それぞれが受刑者役の上にシェイクスピアの役を演じるという二重の形になっている、ということらしく、受刑者のモデルもいるとのこと。女性受刑者の状況とそれぞれの作品を絡めているということでした。

 

『ヘンリー4世』

こう書くと何だかお堅い印象になりますが、以下のTrailerで多分想像いただける通り、むしろ例えば『ホロウ・クラウン』のような正統派のものより全然とっつきやすかったです。こちらの『ヘンリー4世』では、ハリエット・ウォルターが父王・ヘンリー4世です。

 


www.youtube.com

 

刑務所設定のためもありますが、実質主役が若いハル王子ということもあり、3部作の中でも一番ストリート系(?)な感じがある作品でした。強盗を働くシーンなども最近の映画にありそう。

 

『ホロウ・クラウン』シリーズの『ヘンリー4世』のトム・ヒドルストンが、悪ぶっていても王子の気品に溢れ、陰で憂鬱感を感じさせるハルだったとすれば、ダンのハルは本当はまだ甘えたくて、酒場の皆といるとほっとしている若者の印象があります。刑務所=更生の設定からすれば、寂しくてつるんでしまう悪い仲間とは離れないといけないのですよね。

 

ホットスパー=ヘンリー・パーシーを演じるのが上述のアヌーカですが、特に登場シーンはアブなげで強そうで、Trailerでもかっこよさがわかるのではないでしょうか。ハルとホットスパーの対決場面も、なんだかヤンキーのタイマンっぽい。ダンのハルはフォルスタッフ達と一緒の時は甘ちゃんな感じもあって、ホットスパーと対決したら負けそうに思え、2人のキャラがうまく立っていると思いました。

 

『サンドラの小さな家』とは全然関係なくなりますが、これを観て思い出したのがこちら。

 

 

まさにこの設定で『リチャード3世』できるじゃない、と思いました。いやむしろ観たい。

 

ジュリアス・シーザー

放蕩息子のハルがヘンリー5世として戴冠する方は比較的わかりやすい類似ですが、『ジュリアス・シーザー』は、シーザーの専制を恐れたブルータス達が、謀反を起こして彼を暗殺する話です。これにDVや家族の暴力というプロローグを持ってくることで、女性にとっての、支配や抑圧への恐怖と反撃という形で読ませてしまうのか!と、驚きました。『シェイクスピア3部作』は女性が演じているだけで、キャラクターを女性にしている訳ではありません。動画でもわかるようにむしろ男性的とも言える(でも無理にやっている感もない)演技です。でも、このプロローグがあると、ブルータスが“自分はシーザーを愛していたんだ”と言う台詞が、私にはすごく複雑にかつリアルに聞こえました。愛していた、でも、シーザーのために他が奴隷になることを望むのか、と。“給付金は世帯主でなく個人に”ともつながりそうな話です。いや、ローマでは、女性や奴隷は市民にカウントされていなかった訳ですが、でもそこをオール・フィメールで演るって更にいいですよね。

 

一方、そうではありながら、シーザーに暴力で反撃したことによって、暴力とシーザーにずっと憑かれてしまうというか、そこから抜け出せなくなってしまうように見える演出でした。この演出によって、暗殺後もブルータスやキャシアスの台詞に「シーザー」が出てくることに気づかされます。結末まで、どんどん怖く美しくなっていく展開。内容は書きませんが、最後の演出も効いていました。

 

タイトルとは異なり実質主役はブルータスで、ブルータスがウォルター、ダンはブルータスの妻のポーシャとオクテーヴィアスの2役でした。

 


www.youtube.com

 

テンペスト

テンペスト』の原作は、弟の陰謀で王位を奪われ流刑のように島に暮らすプロスペローが、その弟達と和解する話です。プロスペローは島に来る間に妻を亡くしてしまうのですが、ここでのプロローグは、プロスペローを演じる受刑者ハナ(ウォルター)の語りでした。彼女はテロリズムに関与し、それで受刑することになり自分の子供と引き離されています。テロリズムで人々を傷つけながらも、目的を正当化して罪を認めることができなかったとも言います。『ジュリアス・シーザー』ともつながる話・人物設定になっているのかもしれませんね。

 


www.youtube.com

 

劇中劇としての『テンペスト』はやはり原作のままですが、他2作以上に主役のプロスペローが受刑者ハナと重なっているのがわかる演技・演出で、自らの怒りや寂しさと闘っている荒ぶるプロスペローという感じでした。報復から許し(修復)に向かい、自由になることを求め、人と関係を結び直すストーリーが、刑務所設定ですごく胸に迫ります。結婚式の場面の美しさ。島に住む怪物・キャリバン(ソフィー・スタントン)の位置づけもよかったです。3本目の最後が『テンペスト』というのも感慨深かったです。

 

オール・フィメールということもあって、3作とも女性からの見方がかなり意識されている気がしました。『ヘンリー4世』で滅茶苦茶かっこよく登場したホットスパーが、妻の言葉を聞かず戦地に赴くシーンで、“ああ、この夫婦ワンオペ育児。しかもホットスパー、身の回りのことできないな(更に恐妻家)。“と思わせる演出にしたり。『ジュリアス・シーザー』では、女性だから自分は弱いというような台詞がブルータスの妻ポーシャにあるのですが、ポーシャが懐妊している設定にしてあり、その状態で内乱に突入した時の女性の弱さを言っているように聞こえます。こういうのを観ると、そうか、これまで一寸我慢してシェイクスピアを観たり読んだりしていた、片目をつぶって自分を誤魔化していたと気づきます。いや、何百年も前の作品だからある意味当然なんですけど。でも、皮肉を効かせたり、こんなにストレスをなくしたりして観せてくれるんだ、とも思えました。

 

ジュリアス・シーザー』や『ヘンリー4世』はハードモードな面もありますが、どれも歌や音楽がいい感じで入っていたり、わちゃわちゃする場面もあったりします。演者を愛しく思えてしまう作品でもありました。3作にほぼ同じ演者が登場していて、今回、クレア・ダンと監督やウォルターのタッグが見られて嬉しかったのはこういう背景もあります。