『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

英国ロイヤル・バレエ(配信)『冬物語』感想

英国ロイヤル・バレエの『冬物語』(The Winter’s Tale)が2月27日まで有料配信になっているので観ました。振付はクリストファー・ウィールドン。

 

Royal Opera House Stream

 

以前MARQUEE.TVで観たものとはキャストが違って、現在配信中のものはオリジナル・キャストのエドワード・ワトソンが主役のリオンティーズ王です。(ハーマイオニのローレン・カスバートソン、パーディタのサラ・ラムは同じ。)BD /DVDも出ている版なのでいつでも観られるとも言えますが……。

 

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メインキャスト表はそれぞれ以下にあります。

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少し前に配信された『ダンテ・プロジェクト』がエドワード・ワトソンが主役の引退公演で、それで遅まきにワトソンの凄さを実感して観たかったこともありました。ロイヤルの他プリンシパルも一緒に踊っていても、ワトソンのムーブメントが研ぎ澄まされている感があるのが以下の動画あたりで見ていただけるんじゃないかと思います。

 


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MARQUEE.TVで観た平野亮一さんのリオンティーズとどう違うのかという興味もあり、MARQUEE版ももう1回観てしまいました。個人的な結論としてはどちらも素敵。違いを感じなかった訳ではないしそれを中心に書きますが、この直前に『白鳥の湖』での新国立劇場の米沢唯さんのオデットと昨年放映されたロイヤル・バレエの高田茜さんのオデットの表現の違いに驚いたばかりだったので(←こちらの方は演出・振付自体も違うとはいえ)、作品を楽しんだ方が大きかったのが正直なところです。(時々注記しているように、日本人名だけ「さん」づけのダブスタすみません、でも日本名は「さん」づけしたくなり、外国名にさん付けは違和感があり、なので。)

 

白鳥の湖』については無理矢理シェイクスピア関連で感想記事も書いて2人の比較を入れました。記事の一番最後にリンクします。

 

ウィールドンは、『ロミオとジュリエット』『夏の夜の夢』が何度もバレエ化されているところから『冬物語』のバレエ化を構想したと述べていて、確かにこれはバレエ向きの作品だなと改めて感じました。リオンティーズによって引き起こされた(周囲の)悲劇というより、リオンティーズ自身の悲劇として作っているように思います。男性主人公が愛を壊して後悔する話って、『ジゼル』『白鳥の湖』『ラ・バヤデール』路線のある意味王道とも言え(こちらのバレエ作品は男性主人公の裏切りが原因、『冬物語』は嫉妬と疑いが原因という違いはあるものの)、バレエだからこそ感動できてしまうところもあるかもしれません。あるいは、少し前に『薔薇王』の感想で書いたように、原作そのままのストレート・プレイでも、こういう演出で見せられたらリオンティーズに同情的・共感的に観られるのかもしれません。最初にリオンティーズと友人のボヘミア王ポリクシニーズの子供時代や、リオンティーズとハーマイオニとの愛がお伽話風にロマンティックに描写され、原作だと台詞で断片的に示される友情と愛情が、台詞がない分プロローグ的にかなり丁寧に扱われています。

 

大きな違いを感じたわけではないものの、平野さんがそこまでは本当に幸福そうなリオンティーズだとすると、ワトソンのリオンティーズはその時点でわずかながら不安と執着を感じさせるような気がしました。気のせいかもしれませんし、バレエで表情だけに注目するのはどうかとも思いつつ、最初の方の表情がそんな風にも見えます。このバレエ版は、多分リオンティーズが狂気に陥ったという解釈だと思うのですが、平野さんはこのプロローグでの優しいリオンティーズが核にあって狂気が断続的、ワトソンはプロローグから狂気までが連続的、原作とも連続的な印象です。ワトソンの研ぎ澄まされた身体と正確な動きが、繊細さやある種神経質なイメージと重なり、心理描写がなされる近代劇的ながら原作寄りの感じ、平野さんは突然の狂気という運命に翻弄されるようでウィールドンの振付・演出のオリジナリティが強調される気がします。

 

リオンティーズの独白を語る横でワトソンが踊る映像がありまして、疑いの芽生えでざわざわする手の細かい動きと心理描写が流石です。ワトソンの方は現実か妄想かわからないまま嫉妬に苦しむリオンティーズ、平野さんは完全に狂ってしまったリオンティーという感じを受けました。

 


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このオリジナル版は、フェデリコ・ボネッリが演じるポリクシニーズとの対照もいいなと思いました。『白鳥の湖』の王子の時より、ボネッリがなんか数段かっこよく見えるんですが……(え?単に好みの問題??)。ワトソン・リオンティーズが貴族的な雰囲気で憂いがある感じとすれば、ボネッリ・ポリクシニーズはややワイルドで明るく頼りがいがありそうです。賢明で誠実なハーマイオニが親愛の情を抱きそう、リオンティーズがコンプレックスを抱きそうでもある人に思え、リオンティーズの嫉妬妄想にリアリティが出る気がします。MARQUEE版のマシュー・ボールのポリクニシーズは民族風の踊りでも高貴で華やかな印象で、平野・リオンティーズがほがらかで鷹揚に見えるので、やはり2人が違うタイプながら、こちらはハーマイオニとの不倫関係はむしろ想定しにくく、ありえない妄想を抱くリオンティーズという感じになりますね。

 

オリジナル版を観て思ったのは、ウィールドンが2-3幕のポリクシニーズを1幕のリオンティーズと相似的に作っているかもしれないということです。(2幕前半のポリクシニーズはコミカルなんですけどね。)リオンティーズが遺棄し実の親を知らずに羊飼いの娘として育ったパーディタと、ポリクシニーズの息子フロリゼルが恋に落ち秘密結婚するのですが、それに怒ったポリクシニーズがかなり理不尽で横暴に振る舞っているように見えます。原作のポリクシニーズも酷い発言をするものの、原作ではフロリゼルが姑息だし途中までポリクシニーズはそれを諫めて一定の理を通そうとしています。バレエ版はそこを省略して怖い王になっていて、ここもうまいなと思いました。以下のTrailer動画の下から3幕のあらすじネタバレ的になります。本ブログでは今更感があるかもしれませんが。

 

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逃げてリオンティーズの元に身を寄せたフロリゼルをポリクシニーズが追って来る3幕では、ボネッリはフロリゼルとパーディタへの怒りが中心で、ボール・ポリクシニーズより暴力的です。ワトソン・リオンティーズは過去のことで引け目を感じつつ、かつての自分のようになりそうなポリクシニーズを止める感じがします。ボールの方は、怒りもありつつリオンティーズに会いたくなかったように顔を背け、平野リオンティーズの方は懐かしさでいっぱい、ポリクシニーズにフロリゼルと共に詫びるように結婚の許しを乞う感じで、優しさが戻った雰囲気です。その最中にパーディタがリオンティーズの娘であると明らかになることもありますが、MARQUEE版は2人の王の和解と結婚の承認が一層重なる印象です。

 

ハーマイオニの像が動き出す場面も、ロマンティックでありつつ不自然感が全くないのもバレエ版ならではかもしれません。ウィールドン版では、ハーマイオニと息子マミリアスの2人の像として登場して、ハーマイオニだけ動き出す形になっています。動き出すハーマイオニが感動的でありつつ、マミリアスが亡くなった重さも示す演出がとてもよいです。原作では、ハーマイオニがリオンティーズを抱きしめる一方で、リオンティーズには語りかけずに娘パーディタにあなたのことを思って生きてきたと話し、ハーマイオニの心情の複雑さも窺われます。そんな両価的な思いが、振付やカスバートソンの表現で出ている気がしました。リオンティーズの心情表現が素晴らしいと思うのは以前の感想と変わらず、両版とも感動的です。

 

リオンティーズについては“どう違うか?”と意識して見ましたが、むしろ意識して観た訳ではないのに違う感じがしたのはポーリーナの方でした(オリジナル版はゼナイダ・ヤノウスキー、MARQUEE版はラウラ・モレ-ラ)。以前の感想で、ウィールドン版のポーリーナがリオンティーズに付き添ってきたかのようだと書いたのに、オリジナル配信版を観ると原作に近くて、勘違いだったかと思いましたが、MARQUEE版を再度観るとやはり優しい印象でした。1幕でリオンティーズに生まれたばかりのパーディタを会わせるシーンはマイム的なので、ヤノウスキーが責めるよう、モレーラが一縷の望みにかけるような違いがある気はしたのですが、3幕では動きや踊りとしてどう違うのかわからないのに、ヤノウスキーは原作通り叱責的で、モレーラはリオンティーズと共に悲しんでいる風に見えたんですよね、なんででしょう。亡くなった息子マミリアスに思いを馳せるような終幕ですが、一番最後もモレーラの方がリオンティーズに優しい印象です。

 

マミリアスに思いを馳せつつ、ポーリーナがハーマイオニーとパーディタの方にリオンティーズを赴かせる終幕は、原作の台詞には出てこないものの、シェイクスピア自身の背景を重ねているのかもと思いました。この演出・振付も余韻があって素敵でした。

 

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