『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

英国ロイヤル・バレエ『赤い薔薇ソースの伝説』感想

不思議の国のアリス』『冬物語』に次ぐ、クリストファー・ウィールドン振付、ジョビー・タルボット音楽、ボブ・クロウリー美術のチームによる2022年の新作バレエ作品、英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズンの上映です。

 

今までもバレエについてはなんだかんだ緩めでしたが、今後更にシェイクスピア縛りを緩めていこうかと考え中です。邦題で「赤い薔薇」の名を冠したこの作品は、母からの呪いを、母自身が縛られた呪い共々解く話と言えるかもしれません、と言ってみます。

 

ドラマティックで幻想的な世界

英語タイトルは“Like Water for Chocolate”、以下の森菜穂美さんの解説記事にあるように、ホットチョコレートのための水という言葉が、メキシコでは「情熱」「激怒」「情愛による官能」の比喩でもあるそうです。邦題の「赤い薔薇ソース」は、主人公ティタが、恋の相手ペドロからもらった​​赤い薔薇を入れた料理を作ったら、ペドロの官能を喚起させたエピソードからです。(加えてこの料理が姉ゲルトゥルーディスの官能も呼び覚まし、革命の戦士と駆け落ちさせます。)

 

バレエ『赤い薔薇ソースの伝説』の魅力、見どころを、を解説します | 「英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン」公式サイト

 

森さんの解説と非常に似た感想になってしまうものの、ドラマティックで詩的で、メキシコの意匠が散りばめられた音楽・美術も美しく、振付・音楽・美術が作り出すマジカルな世界に幻惑されました。以下の部分動画を見た時は、いい意味で『冬物語』(の第2幕)のテイストを感じましたが、魔術・幻想的シーンは『アリス』っぽさもあるかもしれません。加えて今作はとても官能的で情熱的です。場面紹介動画の方は祝祭的で華やか、trailerが叙情的で官能的だと思いますが、その両方がありました。

 


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幕間解説でも、今作はウエストエンドやブロードウェイでも振付してきたウィールドンの幅広い要素が入っていると言われていて、古典バレエや抽象的コンテンポラリーにはそんなに関心がない人も見やすい作品の気がします。ストーリーまたは筋運びとしては、後から書くように、私自身が一寸乗れないところもあったりしたものの、作品としては魅力的で面白かったです。原作未読なのにあまりに適当なこと書いちゃいますが、原作的にも話の筋や登場人物の心理より幻想的な雰囲気や感覚を楽しむ作品ではないかと想像し、それでいいような気もします。

 

予習しなくても多分大丈夫

という怠惰な私の鑑賞体験です。以下の記事では、事前の読書を勧めていて、映画版を観た方が楽しいという話もあります。

 

balletchannel.jp

 

幕間解説司会のダーシー・バッセルも振付のウィールドン自身もあらすじを読むことを推奨し、やや詳しめのあらすじがチラシについていますが、基本的には振付だけでストーリーはわかる形になっていたと思います。

 

作品を深く味わうには読書がよいのかもしれません。でも公式サイトの以下の記載くらいでも(あるいは何も読まなくても映画で少し解説が出ますし)、バレエの内容を追うのは十分なぐらいじゃないでしょうか。予習しんどいな、と思って観ないのはもったいないです。

 

末娘は結婚せずに母親が死ぬまでその面倒を見るというしきたりに囚われたティタと幼馴染ペドロの許されぬ愛。二人の愛を邪魔する毒母ママ・エレナ、エレナの命令でティタの代わりにペドロと結婚する姉ロザウラ、革命戦士となるもう一人の姉ゲルトゥルーディスと彼女を連れ去る革命戦士ホアン、ティタを愛する医師ジョンらが織りなす大河ドラマのような人間模様。報われない愛をティタは料理に注ぎ込み、その料理が様々な奇跡と混乱を起こす。

 

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全くの私見ながら、ここ以降はチラシのあらすじも読まない方が話の展開まで楽しめるような気もしました(←読まなかった人)。第1幕で大体わかるなと思ったら、読まずにいけると思います。このブログのメインの『薔薇王』・シェイクスピアと同様に、既読組には既読組の楽しみがあり、未読・初見の楽しみもありますよね。

 

ダンサー達の魅力

ダンサー達の素晴らしさにも魅了されました。数年かけての創作だったそうですが、特に主役の2人、フランチェスカ・ヘイワードとマルセリーノ・サンベについては、2人への当て書き(当て振付?)じゃないかと思うほどです。

 

フランチェスカ・ヘイワードは、少女っぽい雰囲気に意志が強そうな眼差(眼差は演技かも)が秘めた情熱を感じさせティタの役柄に合う上に、少女から成熟した女性までの変化も見事でした。ティタとペドロの官能的で情感的なパ・ド・ドゥはもちろん、少年少女時代の初々しいパ・ド・ドゥや、医師ジョンとの穏やかな愛を表現するパ・ド・ドゥでのニュアンスの違いも感じましたし、抑圧や怒りの表現も振付と相俟って迫力を感じます。

 

マルセリーノ・サンベは『チェリスト』で観て以来大好きで、ジャンプや回転でも流れるような動きが美しいしセクシーな雰囲気のあるダンサーだなと思っていて、今作のファースト・キャストなのがとても納得できます。そして今回、ヘイワードもそうなんですが、ペドロが最初に登場する時は(サンベ自身が踊るのですが)まだ子供だとわかり、一旦引っ込んで次に登場する時には恋する青少年になっている佇まいと踊りに、“何これ、すごい”となりました。

 

特にこの2人は、振付もあるのでしょうが、視線だけで互いへの感情が見えるようでそれにも感嘆します。シネマでクローズアップにしているからだけでなく、多分劇場で見てもそれは伝わるのだろうという気がします。視線を見せる表現をしていると言うべきかもしれません。

 

実を言えば、登場人物としてのペドロには特に第2幕以降、魅力を感じなかったんですよね。もっと引き裂かれた恋人っぽい感じかと想像していたら、ペドロは結構あっさりロザウラ(=ティタの姉)と結婚している上に、ティタが婚約した後にさえアプローチして、嫉妬に苦しむロザウラのことをあまり考えてなさそうだし、更に言えばティタの気持ちや幸福を考えたかも怪しい気がします。その点はストーリー的にも乗れなかったところでした。でも、『ラ・バヤデール』で登場人物としてのソロルが好きでなくても、パ・ド・ドゥにはうっとりするし彼の踊りがかっこいいと思いますよね、そんな感じで踊りは本当に素敵。ただ、ソロルにしても、もっと破綻していて酷いだろう『マイヤリング』のルドルフにしても、彼らに了解は及びその点で共感できる一方、ペドロに対してはそれが難しくはありました。多分、そういう了解の線で見るべきではないんだろうなとは思うんですが。

 

ママ・エレナについては、第1幕と第2幕の懐古シーンのギャップにやられました。振り幅の大きい役ですね。母の呪いを象徴するような役ですが、ラウラ・モレーラはその怖さと若い時の可憐さの両方に全く無理がなく説得力を感じます。

 

一番意外なキャスティングだったのがマシュー・ボールの医師ジョンで、これも驚きました。きらきらオーラを感じることの多いボールが(多分素でそれが出てしまうダンサーだろうと想像します)、そのきらきらオーラを消して誠実で真面目な医師を踊っていて、ティタと医師ジョンの安らぎを感じるパ・ド・ドゥもよかったです。でもそれで、余計に“ああ、ティタとジョンのこの生活が壊れないといいな”と思う面もありました。

 

ゲルトゥルーディス(ミーガン・グレース・ヒンキス)と革命家ホアン・アレハンドレス(セザール・コラレス)は、賑やかで華やかなダンスパートでキレのある踊りが印象的です。場面紹介動画の前半の方で出てくる2人です。『冬物語』で言えば、暗い悲劇的なシチリアの後のボヘミアの村祭りシーンの感じ。下でリンクしたチャコットweb magazineで言われているように、革命と古い掟からの解放とが結びつけられた表現なのでしょう。

 

ゲルトゥルーディスが薔薇ソースで官能に目覚めて駆け落ちするシーンについては、上のバレエチャンネルの記事では辛口、チャコットweb magazineでは絶賛、と評価が別れていて、私は後者賛同でかなり好きです。『薔薇の精』パロディ的なダンスが、セクシュアルな気分の高揚や芳香・空気感を描写し、解放的なエロティシズムの表現になっていると思いました。コメディを狙った可能性もありますが、馬での駆け落ちとセックスを掛けたような振付と大道具にはカーニバル感もあり、このカップルの文脈に合うような気がします。その後のティタとペドロの秘めた官能表現とは違ってそれぞれであるところがむしろいいと思うんです。

 

公式サイトのキャスト表には出てきませんが、ジョセフ・シセンズも素敵でした。登場シーンは少ないもののいい役だと思います。

 

www.chacott-jp.com

 

この下はネタバレになるので画像を挟みます。←公式チラシみたいですね、チラシに「ネタバレにご注意ください」と書いてあったのが、なんだか面白かったです。

 

Unsplash René Porter

 

ストーリーとしては……

ゲルトゥルーディス、よかったねという。……違いますね、ごめんなさい。

 

うーん、どうでしょう、上で書いたようにストーリー自体や人の心理より幻想的な雰囲気や感覚を楽しむ作品かもしれないと思いますし、母からの呪いを、母自身を縛っていた呪いも含めて断ち切る話と捉えるなら割合好感が持てるのですが。

 

母親の言うことに従ったロザウラはその結果苦しんで抑圧を繰り返し、ゲルトゥルーディスは自分の欲望に忠実に家や母から逃れて自分の人生を生き、ティタは怒り抵抗しつつ精神的に参ってしまい、母親と離れて精神の均衡を取り戻し、後に母親自身が犠牲者だったことを理解しています。ティタが守ろうとしたロザウラの娘は、母の支配は及ばず愛する人と結婚でき、呪いが断たれたことになります。

 

ティタとペドロが互いへの愛を確認した後に現れる母の亡霊は、恋愛と規範や義務との葛藤のようにも思えます。最終的にそこからも2人は解放されたと捉えることもできそうです。(ここもそう見ない方がいいのかも、とは思いつつ。)

 

ただ、第1幕最後あたりから、ティタとペドロの関係が、官能以上の、運命や切迫感を感じさせるものには(私には)見えにくくなり、また、中盤で既に2人が結ばれているので、名状しがたい燃えるような恋愛の成就と2人の人生の終焉が結末に来るのが、どうもしっくり来なかったのです。

 

ティタとジョンのパ・ド・ドゥがよい雰囲気すぎたんでしょうか、ティタが満たされ別の形の愛を見出したように見え、“ジョンはいい人だけれどティタの相手としては違う”とは思えませんでした。他方のペドロについては、ティタがジョンと結婚しようとしているのを知っても(あるいは知ったから)自身にも妻がいるのにティタに再び告白し、ティタがペドロを避けても迫っていて、今更感もあるし勝手にも見えます。その第2幕のペドロとティタのシーンも決して嫌な感じでなく官能的ではあるのですが、たとえ道に反してもティタがペドロを求める、それ以上の核が見たかったというか……。とはいえ、今作にそれを求めるのは違う気もします。

 

観ている時はもっと漠然ともやもやしながら、色々考えずに詩的な雰囲気を味わうべきかと思ったり、展開に圧倒されながらストーリーにはのめり込めない、矛盾するような感覚でした。ここはあらすじを読むかどうかで理解が変わるところではないと思うんですよね。とてもドラマティックで美しい終幕ですが、私には消化不良になってしまった感じがありました。

 

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