『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

彩の国シェイクスピア・シリーズ(配信)『ジョン王』感想

吉田鋼太郎演出、小栗旬主演。彩の国シェイクスピア・シリーズの本当の最終作品ですね。

 

現在有料配信中、1月28日21:00まで。

彩の国シェイクスピア・シリーズ『ジョン王』東京公演配信決定!【1/28まで視聴可能】|株式会社ホリプロのプレスリリース

 

舞台本番中で話題になっている時に配信で観られるのは嬉しい〜と喜んだら、直後に東京千秋楽が当日に中止決定……。本来は千秋楽分が配信の予定でしたが、多分別日程分を配信してくれています。それ以前も何回か中止回が出て、関係者の方も、観劇予定だった方も残念な思いをしたことでしょう。この配信が、多少ともその代わりになったり、損失をカバーするものになるといいですね。

 

小栗旬さんのフィリップ・ザ・バスタード と 『鎌倉殿』

一度中止になった『ジョン王』上演発表でフィリップ・ザ・バスタードが小栗旬さんとわかった時から、前半の飄々として口八丁手八丁な感じのフィリップは小栗さんに合うんじゃないと思っていました。実際に観たら中盤以降はかなりシリアスで、戯曲でも前半と後半の印象の違うフィリップに、『鎌倉殿の13人』で義時を演じたことが活きているような気がしました。前半のフィリップは小四郎が誠実で苦労するのとは全く違うタイプですが、後半のフィリップには義時の覚悟と重み、そして前半からの変化がフィットする印象です。

 

それぞれが時々の思惑で敵になったり味方になったり、戦禍に巻き込まれたり、誠意ある行為も裏目に出たり……、フィリップだけでなく『ジョン王』自体も『鎌倉殿』っぽい感じもします。三谷幸喜さんがシェイクスピアを参考にしているところは確かにありますが、ここは多分偶然ではないでしょうか。ちゃっかりしていてトリックスター的だったはずのフィリップは、彼の出世欲や世渡りをはるかに超える王達の私利私欲によって、開戦・停戦や権力闘争に巻き込まれ、その下らなさを十分わかっているのに愛国的・自己犠牲的に国を支えるようにさえなっていきます。

 

下のインタビュー記事で、小栗さん自身も「僕が演じる私生児も、1幕と2幕で人が入れ替わってしまったような印象を受けていたんですが、いざ稽古が始まってみると、これ実は、私生児の成長物語なんだなってこともわかってきた」と語っています。彼の変化の過程は多分戯曲には十分描かれてはおらず(そこは『鎌倉殿』と違いますね)、戦争や、王位をめぐる攻防といった状況の中でフィリップの変化を見せなければいけないと思うのですが、そこに無理がなく真実味を感じます。そんな彼の変化の美しさとそう変わってしまう恐ろしさ。また、そこに力点を置いた演出のようにも思い、小栗さんのフィリップは演出にも沿っていると思えました。演出についてはネタバレになるので、これは後から画像を挟んでもう少し書きます。

 

小栗さんは「映像と演劇での違いがあるので、大河の経験が今回に活かされることはほぼほぼないと思います(笑)」と言う一方で、フィリップは「わりと忠実に、イギリスのために生きようとする。つまり僕は、鎌倉のために生きた人と、イギリスのために生きた人を演じることになった」とも語っています。やっぱり、ちゃんと大河が活きていますよと言いたくなります。

 

ure.pia.co.jp

 

以下のtoyokeizaiのリンク記事では、演出ネタバレながら、やはり『鎌倉殿』と小栗さんの魅力と今作との関連が書かれています。私は、小栗フィリップの変化のありようが今作の演出と合っていたと思いましたが、こちらは小栗さんの「現代性」を生かす演出になっていたという見方で、そうなのかもしれません。

 

toyokeizai.net

 

吉原光夫さんのジョン王、臣下達

戯曲で読んだ時は、もっとフィリップが目立っている印象があったのに、タイトル・ロールのジョン王も目を引きむしろ主役的にも見えました。舞台での吉原光夫さんを観たのは多分初めてですが、さすが評判と実績のある方ですね、吉原さんのジョン王は本当によかったです。戯曲を読んだ時にはほとんど印象に残らなかったジョン王のキャラクターが、生き生きとした人物として明確に像を結び前面に出てきたような感じがしました。(ちゃんと読んでなかったせいもあるかもしれませんが)。台詞も説得力があり、ガラの悪さや姑息さと威厳が同居しているような雰囲気があります。吉原さんのジョン王については、ミュージカル的に歌があるのもこれは面白いんじゃないかと思わせます。……でもその後については……そうでもなかった……のでしたが。

 

また、おそらく蜷川組と思われる臣下(貴族)達も上手くて、吉原ジョン王に臣下達が苦言を呈するやりとりに重みを感じました。『ヘンリー8世』で印象的だった鈴木彰紀さんの他、坪内守さん、堀源起さんかと思います。臣下達もちゃんと考えていたはずなのに、勢力図の中で結果的に犠牲を拡大する行動をしてしまうんですよね……。ジョン王から暗殺をそれとなく命じられるヒューバート(髙橋努さん)は臣下でもかなり下位の感じの朴訥なキャラになっていて、少し違う立場なのがわかりやすくされていました。

 

オールメールでの女性表現

今回はオールメール上演でもありました。少し前に放送で見た彩の国シリーズ蜷川演出『ヴェローナの二紳士』は、オールメールであっても男性が演じることをあまり意識させない形のように思いましたが、今回は男性が演じることで女性キャラクターの強さとエキセントリックさを強調していたと思います。皇太后エリナー(中村京蔵さん)は戯曲での(私の)印象に比較的近かったものの、それ以外の3人はかなり強烈でした。スペイン王女ブランシェも、王子アーサーの母のコンスタンス夫人も私は麗しい貴婦人の印象で読んでいたし、前王に言い寄られて私生児としてフィリップを産んだ彼の母親は被害者的でもあると思っていたので、この辺は結構驚きました。皇太后についてはむしろ戯曲ではもう少し下世話なイメージをもっていたのが、こちらの皇太后は勇猛ながら高貴な雰囲気で素敵でした。

 

彩の国さいたま芸術劇場、蜷川幸雄演出『ヴェローナの二紳士』感想

 

スペイン王女ブランシェは、多分原作的には可憐なキャラクターを演出の吉田さんと植本純米さんが敢えて面白く作っていたと思います。と言いながら、植本さんだとわからずに観てしまっていた私でしたが……。イングランド側の兵士に迫力のある女性がいると思っていたらそれがスペイン王女で、結婚相手の皇太子と対面すると急に可愛く振る舞う姫になっていました。フランス皇太子(白石隼也さん)との恋愛模様は茶番でないコメディですね。

 

コンスタンス夫人については、息子アーサーの王位継承と自分の正当な地位を主張する誇り高い女性が、周囲の思惑に利用され母親として悲劇を迎える印象をもっていました。でも、アーサーの王位をめぐって皇太后と舌戦を繰り広げ、政治にも戦争にも関与しているとも取れる訳で、玉置玲央さんのコンスタンスの圧の強い人物解釈にも納得です。その一方、あまりに強烈だと面白い人に見えてしまったり、アーサーを奪われたショックの表現や悲劇的展開の効果が薄まったりする気はしました。ただ、配信はやはり舞台そのものとは違って舞台での表現が大袈裟に見えるところはあると思うので、生で見たら違う印象になるかもしれません。

 

この後は完全に演出ネタバレになっています。そしてややストーリーネタバレにもなっていると思います。今作を観ようと思う方はもちろん、原作を読む予定の方もここまでにしていただいて、よかったらご再訪下さい。『ジョン王』はストーリー展開がとても面白い作品だと思いますので、未読の方はあらすじ等も調べずに観ることをお勧めします。人物等について知らなくてもそこはわかりやすく工夫された演出なので、大丈夫だと思います。

 

Photo by Diana Serbichenko on Unsplash
“Of nature’s gifts thou mayst with lilies boast And with the half-blown rose.”

 

戦争や現代性の示唆

上で、トリックスター的だったはずのフィリップが戦争や権力闘争に巻き込まれ、いつの間にか愛国的・自己犠牲的になっていくことに力点を置いた演出のように思う、と書きました。この“いつの間にか”を描く演出が、渋谷の街からやってきて史跡を見ている青年(または小栗さん本人)がいつの間にかフィリップになっている冒頭で強調されている気がしました。

 

この作品で最後に語られるのは、フィリップの次の台詞です。「たとえ全世界が武装して攻めてこようと撃破するまでだ。この国がこの国に対して忠実である限り我々を悲しませるものは何もない」。吉田演出では、このフィリップの変化や愛国心を、相対化し批判的に捉えている気がします。最後の台詞を語り武装したまま佇むフィリップで終幕かに思わせつつ、カーテンコールの後にまだ芝居が続きます。カーテンコール中もフィリップは1人佇んだままで、ジョン王世界との距離を感じさせます。カーテンコールが終わると、現代的な武装をした兵士が登場してフィリップに銃を向け、フィリップはそれを見て一瞬考えてから自分の武器を置き元の青年に戻り渋谷の街に帰っていきます。戦争が行われた時代・行われている地域と今の日本の私達とを対比する/結びつけるようにも、最後のフィリップの「全世界が武装して攻めてこようと撃破するまで」という台詞を覆すようにも思えます。

 

冒頭場面では、それに加えて、子どもの人形が落ちてくるし、水溜りに倒れるアーサーが出てくるしで、中盤に出てくるアーサーの犠牲=戦争で犠牲になる子供も強調されます。現代や戦争と結びつけた演出については吉田さん自身が語っている記事があります。「どうしても今は戦争とは切り離せない気はしています。子供が死ぬシーンがあるのですが、それが象徴的で、ロシアとウクライナのニュースで子供が被害に遭っている姿を見ると、自分の子供のことを考えて胸が痛みます。」

 

spice.eplus.jp

 

以下の記事でも、現在の戦争を意識した演出意図が語られています。

crea.bunshun.jp

 

小栗さんがフィリップの「成長」と述べた彼の変化を、そのままにせず覆し、戦争に絡めて疑問を呈した点はこの作品を現代的で魅力的なものにしていると思います。(それに彼の変化を批判的に捉える視座は、主人公義時を批判的に描いた『鎌倉殿』と更に重なる気もします。で、こちらの重なりの方は感慨深いのですが)一方で、その演出意図があるにしても蜷川幸雄さんオマージュが強すぎるんじゃないかな、と個人的には思ってしまいました。最初と最後に現代の街とリンクさせたり、現代的な武器・武力を登場させたりするのも、蜷川演出で注目を浴びたものですよね。物が落ちてくるのもそうだと思います。上でリンクしたtoyokeizaiの記事でも、その辺の蜷川演出オマージュが指摘されています。

 

『終わりよければ全てよし』では蜷川オマージュと吉田演出がうまく融合しているように思えましたが、現代の戦争と絡めた問題提起をするのに既に有名な演出の引用は果たして効果的かと考えてしまいました。私が捻くれているのかもしれませんが、“現代の戦争を考えさせようとしている”と思うより、“現代の戦争を示唆するために蜷川演出を使っている”ように思えたり、原作の内容と現代の状況や戦争を関連させるというより、現代とのつながりを形式的に見せたようにも思えてしまいます。現在の状況を意識させるはずなのに、オマージュによって回顧的にも見えます。また、現在の戦争と絡めるやり方として、現代日本の青年がフィリップになるような設定がよいのかということもあります。

 

石原さとみ&藤原竜也『終わりよければすべてよし』感想

 

子供の人形や肉塊(?)が落ちてくる演出については、『ジョン王』既読組の私には、“アーサーの犠牲と戦争の子供達の犠牲を強調するんだな”と思ってそこまでの衝撃はなかったですし、逆に未読の人に伝わるのか、あるいはなんとなく予想がついて、あの皮肉な展開の衝撃を減らすことにならないかと余計な心配をしてしまいます。これも配信で観るのと実際に舞台に物が落ちるのを見る驚きは異なるでしょうから、舞台を観たら感想が違ってくるかもしれませんが。

 

挿入された歌も、おそらく反戦や反体制メッセージに結びつくものだろうと思います。ですが、吉原さんが歌った場面ではよいかもと思えたものの、それ以降は逆に芝居の流れが途切れる感も……フランス皇太子とスペイン王女が恋の歌を歌うのは面白かったですが(『赤い花、白い花』でした。これも反戦の解釈ありますよね。)、最初に吉原さんのクオリティが示された後だときついなと思ってしまいます。シリアスな場面でフィリップが歌う場面は唐突感がありました。ミュージカルについて“急に歌い出すのが不自然で苦手”みたいなことが言われる/言われたことがあり、でも実際のミュージカルではその不自然感や唐突感はない/なくなっている気がするのが、今作はそんな違和感が残りました。

 

と、少し不満めいてしまいましたが、『ジョン王』には現代の状況とつなげたくなる作品の面白さがあるように思います。皆それぞれが自分の利益のために必死になったり、理不尽な事態に巻き込まれ意図しない行動をするようになったり、小状況ではうまく立ち回れたようでも大状況の中で空回りすることになったり。それはかなり現代的に思え、そこに光を当てるように見えた上演と、素敵なキャストには拍手を贈りたいです。「この機を逃したらもう観られないかも」じゃなくて、『ジョン王』はもっと上演されてよいのでは。ヴィクトリア朝時代は「スペクタクルと壮観さ」で人気作品だったみたいですし。

ジョン王 (シェイクスピア) - Wikipedia

 

追記:吉田鋼太郎さんジョン王バージョン

WOWOWの配信で、吉田鋼太郎さんジョン王、櫻井章喜​​さんのフランス王バージョンも観ました。正直なところ、作品全体の印象はそこまで変わりませんでしたが、吉田さんのジョン王は、吉原光夫さんより老獪な感じがしましたね。吉原さんの方が欲望に忠実、吉田さんの方がより損得計算している感じというか。ヒューバートへの暗殺依頼も、吉原さんだと目先の不安を取り除こうとあまり考えずにやってしまった印象、吉田さんだとヒューバートにそうしむける過程は狡猾でも大極的なところで間違えたみたいな印象になりました。ミュージカルに出演しただけあって吉田さんの歌も悪くはなかったですが、歌の入れ方自体はやっぱり……上の感想と変わりません。

 

櫻井さんのフランス王は、吉田さんのフランス王よりおっとりして人がいいように思えました。あれ?なんだか吉田さんが悪い人みたいじゃないですか。

 

最後に登場する、現代の武装をした高橋努さんが泣くのが前に観た時と変わっていたでしょうか(記憶違いかもしれませんが)。前の時は現代の無名の兵士だったのを、ヒューバートと重なる形にしたのかなと思いました。