『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

ナショナル・シアター(at Home)『お気に召すまま』感想

baraouandtheaterayliポリー・フィンドレイ演出、2016年。

 

こちらも少し前にNational Theatre at Homeに入りました。

National Theatre at Home

 

ウェル・メイドという言葉がぴったりな、おしゃれで甘酸っぱくて多幸感のある作品でした。ネタバレを避けてお勧めポイントをあげるなら以下でしょうか。

 

音楽と声による音響。音楽はそんなに多くは入っていないものの、アカペラでのオフ・ブロードウェイ・ミュージカルのような音楽が素晴らしいです! 鳥のさえずりや獣の鳴き声など、音響も人の声だったと思います。

・アーデンの森の意外性のある装置の美しさと舞台転換。

羊のシーン(どんな羊かはお楽しみ)。

 

ロザリー・クレイグのロザリンドと、ジョー・バニスターのオーランドーのペアは、ロザリンドの方が大人っぽく、オーランドーが初心で純真という印象です。ロザリンドが男装してギャニミードになると、見かけは逆転して年上オーランドーと美しい青少年のように見えますが、クレイグのロザリンドは従姉妹のシーリアに恋バナしてぐるぐるしている時も幸せそうで楽しそうで、やはり一寸余裕がある感じがします。確かに、森じゅうに愛の言葉を書きつけてしまうオーランドーと、企みの主導権を握るロザリンドと考えれば、これもありですよね。バニスターのオーランドーは、ロザリンドを見つめる切ない表情が説得的で、“よかったね”と言いたくなります。ハッピーエンドのロミジュリを見るような気持ちです。

 

ロザリンドを含む女性達の森ガール風(これも死語?)衣装も意外性があり、寒い季節の設定なのも個人的には新鮮に思えました。劇中歌の“Under the green wood tree”の歌詞の“No enemy but winter and rough weather.”(冬の寒さと荒れた天気の他に敵はいない)を意識させる衣装と設定なんでしょうか。

 

ロザリンドとオーランドー、フィービーとシルヴィアス、タッチストーンとオードリー、と、カップルになる2人(と三角関係的人物)が、舞台奥から出てきてはテンポよく入れ替わるので、『お気に召すまま』が恋人達のメドレーのような構成になっていることに改めて気づかされました。

 

www.theguardian.com

 

オフィスから始まる第1幕

現代の夜のオフィスで、オーランドーが作業着で掃除させられている始まりです。兄オリヴァーはCEOでしょう。オーランドーはそんな待遇に怒って兄と取っ組み合い=レスリングになります。兄に技を掛けているオーランドーはレスリングに長けているように見えますが、対決相手の選手が出てくるとそちらがもう滅茶苦茶強そう。これは普通に考えれば勝てないわと思います。

 

ロザリンド達がいる公爵家もIT系のオフィスのようで大勢の社員が働いています。ロザリンドとシーリアも、ここでアドバイザー/スーパーバイザー的仕事をしている風で、レスリングの余興を告げにくる廷臣ル・ボーはチャラい営業職の雰囲気。娯楽が充実したIT系企業のように、レスリングは社内でのアトラクションといった趣きで、社員達も大盛り上がりです。ですが、勝利したオーランドーが公爵の敵対者の息子とわかると、社内は気まずい雰囲気に一転……。この版の設定だと、ライバル企業の息子が空気読まずに懸賞付きの会社イベントに来て、しかも勝っちゃったというところでしょうか。

 

この現代化についてはどこまで意味があったかはわかりません。ただ、古典的シェイクスピア上演より新規性を好む私のような視聴者を、アーデンの森の場面まで引っ張るにはかなり有効じゃないかと思いました。第2幕以降のアーデンの森の場面も、驚かせるようでいながら、実はあまり衒いなく演劇的な力で魅せている気がするんです。穿った見方かもしれませんが、第1幕の設定はそこまで観客の注意力を引きつけるためではないだろうかと後から思いました。

 

第2幕以降も演出ネタバレを書いてもあまり支障はないと思いますが、一応画像を挟みますね。

 

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mespilus_germanica_Mispel_bloem.jpg

 

アーデンの森へ

オフィスのデスクに観葉植物の鉢植えがそこそこ置いてあるので、森のシーンもこれでいくのかと思っていたら、ちゃんと場面転換がありました。最初に書いたようにここは見所です。

 

シーリアを演じるのはパッツィー・フェランで、第1幕では、ロザリンドがオフィスに馴染む大人な印象なのにシーリアが少女っぽくてバランスが悪く感じましたが(衣装的にもそう思ったので敢えてかもしれません)、男子のギャニミードと妹アリーナになるとちょうどよく見えます。こちらのシーリアは、恋するロザリンドに一寸置いていかれてしまった感じがして、原作ご都合主義的なのにオリヴァーとの関係を祝福したくなります。フェランは、フィンドレイ演出の『ヴェニスの商人』でポーシャを、『宝島』で主役ジム・ホーキンズを演じていて、演出家が信頼を置く演者なのかもしれません。

 

ロザリンドの父の元公爵は、隠遁する哲学者か宗教家のような人格者になっていました。これまで、自由気ままに森での生活を謳歌している感じの元公爵を多く観ていたため、こちらの人物像が原作に近いのかもしれないのに登場時はかなり意外でした。ジェイクイズが元公爵と同年代で、鬱ぎ屋というより道化的にコミカルに見える人で、最初はジェイクイズの方が元公爵かと思ったくらい……。

 

劇中歌を歌う元公爵の従者に歌のうまい演者フラ・フィーが配役されていて(映画『レ・ミゼラブル』に出た方なんですね)、アンサンブルの歌も素晴らしく、ここと最後の音楽場面が私内の一番の推しポイントと言っても過言ではありません。クレイグもミュージカルの主役もしている人なので、もう一寸歌うシーンがあると嬉しい気がしましたが、最後に少し歌ってくれます。

 

バニスターのオーランドーは、ロザリンド一筋な感じで、ギャニミードに惹かれたようには思えず、あくまで彼を通じて擬似的にロザリンドとやりとりできるのが嬉しそうに見えます。オーランドーがいつロザリンドと気づいたかが割合明快にされていたように思え、そこからはロザリンドに向けて自分の想いを語る形になっていました。“魔法を使ってロザリンドを連れて来て結婚させてあげる”と言うギャニミードに、感極まったように“それ本気?”と言うオーランドー。(小田島先生の翻訳では、この箇所でギャニミード=ロザリンドは“ですます”の敬体を使いますが、最近観るギャニミードはタメ口が合う気がします。)この2人にピュアな恋愛感があると、お約束シーンなのに胸熱になるものですね。その雰囲気の中でだったからなのか、語りの妙だったのか、この後のシルヴィアスの「恋とは溜息と涙でできているもの」から始まる一連の台詞もしみじみいいなあと思いました。