『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

アルメイダ劇場『マクベス』感想

アルメイダ劇場の配信、ジェイムズ・マカードルのマクベスシアーシャ・ローナンマクベス夫人、ヤエル・ファーバー(Yaël Farber)演出。

 

グレーっぽいミニマルな舞台にチェロの生演奏がスタイリッシュである一方、不穏な音楽とその空間が閉塞感を感じさせたり、水道の蛇口、梯子、裸電球といった最小限の装置が殺伐とした紛争地帯を思わせ、とても印象的な舞台でした。音楽はトム・レーン(Tom Lane)の作曲、チェロを演奏するイーファ・バーク(Aoifa Burke)が一部の役も演じています。

 

今回も、またこれまでと全然違う『マクベス』を観たという感慨がありました。

 

……とはいえ、今回英語字幕付きでなかったのに『マクベス』なら大体雰囲気でわかるかなと高を括ったら、スコットランド・アクセントだったためかなかなか台詞が追えずorz、前半は台詞の入れ替えなどを把握できていないところがあると思います。後半、翻訳本を手元に置きました……。

 

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Photo by alireza irajinia on Unsplash

 

シアーシャ・ローナンマクベス夫人とジェイムズ・マカードルのマクベス

こちらのブログを覗いて下さる方は、多分、シアーシャ・ローナンマクベス夫人が気になっていると思うので、そのことを先に書くと、主導的というよりはマクベスと一体感のあるマクベス夫人の印象でした。

 

登場場面では、マクベスから手紙を受け取った後の、有名な独白「死をたくらむ思いにつきまとう悪魔たち、この私を女でなくしておくれ(中略)残忍な気持ちでみたしておくれ……」が、王の暗殺についてマクベス話した後に置かれています。手紙を読んでいる時にもうマクベスは戻って来て、ジェイムズ・マカードルのマクベスは暗殺が頭にありつつも悩んでいる様子。夫人は“大丈夫、私に任せて”と言った後で、一人になってこの独白をするんです。マクベス夫人が先に一人で決めているのではなく、そういう話になってから彼女が自分を奮い立たせる流れです。

 

この会話や、ダンカン王を殺した後の場面、バンクォーの亡霊に怯えた後なども、かなり寝室での場面になっていて関係性も親密です(ミニマルな舞台なので、寝室と言っても中央の台に布が敷かれると寝室になる形ですが)。バンクォーの暗殺場面でも話が展開する舞台の背後で、罪を共有したり恐怖から逃れるように2人が抱き合っています。ですが亡霊に怯えて祝宴が失敗した後、怒った夫人にベッドで邪険にされてマクベスが孤独感を感じたり、徐々に亀裂が入っていく感じが切ないです。

 

で、もう配信も終了しているしレビューなどでも注目点として書かれているので、演出ネタバレを続けて書きますが、マクベスがマクダフの家族を殺すことを告げる相手もマクベス夫人(原作ではレノックス)、その計画をマクダフ夫人に知らせて逃がそうとするのもマクベス夫人になっています(原作では端役の使者)。使者役をマクベス夫人に改変したのは、シェイクスピアズ・グローブのブラウン版も同様でしたが、このファーバー版では計画を告げられた夫人が“それをやってはいけない”という表情になり、夫人の動機と、彼女がここに来て夫と別の選択をしたことが更に明確にされているように思いました。更に、マクベス夫人はその殺害現場に遭遇することになり、そこでも血が着いて彼女はそれを必死に洗い落とします。夢遊病になったマクベス夫人の台詞に「ファイフの領主には妻があった、いまはどこ? ああ、もうこの手は二度ときれいにならないのかしら?」とあるので、それがとても生きる形になります。

 

www.timeout.com

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

マクベス夫人が亡くなる場面は、マクダフ夫人や魔女達が連れていくような演出ですが、おどろおどろしい感じではなく、個人的には、シスターフッドを感じたり死後の世界に迎えてくれるように見えました。姿形は全く違うものの『ジゼル』のウィリー(死後の乙女の精霊)を連想します。今回はマクダフ夫人もかなりフィーチャーされていて、暗いメロディーの歌を歌ってそれが素晴らしかったです。(そしてまたもやすごく横道ですが、ロスがマクダフ夫人に「私は愚かな男です、これ以上長居をすれば(中略)ご不快を招きましょう」と言う台詞が、彼女に魅力を感じてうっかり不倫しそうだから去る意味だと初めてわかりました。そう取らなければイミフな台詞なのに、今まで何も考えずにいましたね……。)

 

マクベスは、医師に夫人の治療を依頼する場面でもベッドにいる夫人を見ていて、tomorrow speechでマクベスは夫人を腕に抱いていたと思います(もしかしたら記憶違いで、tomorrow speech部ではないかもしれませんが夫人の死後の台詞で彼女を腕に抱いています)。原作では、王になってからは2人の対話が減ってマクベスは暗殺計画も1人で進めて2人が孤独になっていき、それもとてもいいですが、こちらは2人の一体感を強調しつつこの原作の雰囲気もうまく出している気がします。

 

www.cityam.com

 

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mage by Jill Fulton from Pixabay

 

紛争地域のマクベス

全体の話が後になりましたが、現代設定になっています。私自身も現代設定『マクベス』の方が多く観たぐらいになってきましたが、今回はダンカン王も質素な軍服を着ていたり、裏切ったコーダー領主(この版では実際に登場)が頭巾を被せられて射殺されたり、子供兵が示唆されたりで現代の紛争を思わせ、ダンカン王率いる「スコットランド」自体がテロ組織か、原作寄りに取れば内戦で荒廃している地域の印象で、緊張感を醸します。

 

(コーダー領主の射殺については下の記事で触れられています。)

theartsdesk.com

 

バンクォーが息子のフリーアンスに、ライフルかショットガンか大きめの銃を持たせるところは、一寸心臓に悪かったです。原作で剣を渡すシーンなのである意味原作通りですが、爵位継承的なニュアンスも感じる剣の授与と、子供兵を思わせる銃ってやっぱり印象が違うじゃないですか。このプロダクションは、他にも子供達が結構多く出てきて、子供がいないマクベス夫妻との対比もあるかもしれませんが、子供が紛争に巻き込まれていることを示したかったのではないかという気もします。

 

マクベスに預言をする魔女達は、クールでかっこよくて達観・超越的な運命そのもののような存在にも、死者を迎える死神的にも、生死を納得させる母親のようにも思えます(後半、すがるように予言を求めるマクベスを、彼女達は腕に抱きながら予言を告げています)。この魔女達の造形もよかったです。ガーディアンではギリシャ悲劇のコロスのようだと書かれていて、確かにそんな感じもしますね。

 

www.theguardian.com

 

マクベスも、バンクォーやマクダフ、またマルカムも戦闘に慣れている兵士のリアリティがある一方、領主や将軍や王位継承者にはあまり見えず、凱旋を祝われるマクベスにも(少なくとも私は)晴れがましさを感じません。勝利した将軍が王冠の栄光に魅入られる感じではなく、戦いに明け暮れた兵士が不意に別の夢を見るように野心に駆られ、リーダーに取って代わって組織分裂や内紛を深める話のようにすら思えます。マクベスは旧コーダーの領主と同じことをしているんですよね。

 

原作的には2人の行いは違うもので、旧コーダーの領主は王権に対する謀叛、マクベスの方は周囲には隠した暗殺です。ですが、国の枠組みや王権(の正統性や栄誉)をあまり感じないこのプロダクションだと、2人の行為にあまり差があるように見えず、ダンカン王の周囲に裏切りや内紛がずっとあり、マクベスもその1人になってしまったような印象です。そうなると(と私が勝手に思っているだけですが)、冒頭のダンカンのためのマクベスの戦い自体“何のための戦争だったんだよ!”と思え、不毛感倍増です。

 

また、夫人に王の暗殺を提案された時もマクベスが考え込んでいるようだったり、宴の時に悩んだりするのも、倫理的葛藤以上に「やりそこなったら?」が大きな理由であるように思えました。マクベスは、野望の一方で旧コーダーの領主の二の舞になることを恐れているようにも思え、そして実際、この版では、王の暗殺後、周囲はすぐにマクベスに疑いの目を向け、早々に離反して反撃の用意をするように見えました。(いつものように妄想を広げていますが)バンクォーについても、マクベスは、彼の子孫が自分を打倒することを恐れているように思えました。

 

アルメイダ劇場の今の芸術監督がルパート・グールドで、グールドの『マクベス』も怖かったんですが、グールド版が独裁の恐ろしさを感じさせるものだったとすれば、ファーバーの演出には独裁や権力の暴走よりも内紛や戦闘の不毛さと恐怖を感じます。グールド版ではパトリック・スチュワートマクベス本人が怪物的で一番恐ろしかった(し、マルカムすら何となく怖かった)のに対して、マカードルのマクベスは怪物的ではなく、むしろ報復の恐怖に怯え続け、だからこそ王になっても(なったからこそ)殺戮をやめられず本人も精神的に破綻していくような感じでした。そしてその恐怖は、罪の意識から来るものというより実際的でリアルなものに思えました。とても親密な感じのマクベスと夫人でしたが、ダンカン王周辺の内紛・内戦を体感しているマクベスと、それに少し距離がある夫人とでは、この状況認識が違っていたような気がするんですよね。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

最終場面は、照明の効果で舞台が地下道か洞窟のように見え、マクベスとマクダフの一対一の対決というよりは、マクダフ達対抗勢力がそこにマクベスを追いつめたような感じがしました。この辺も暗い閉塞感があります。

 

マカードルのマクベスは、好感が持てるキャラなのにもかかわらず、登場時も王位就任時もあまり晴れがましさや満足感があるように思えず、劇中で幸福な瞬間がほとんどなかったような気がします。戴冠祝賀のパーティーで(直後にマクダフの亡霊が出て来ちゃいますが)夫人と踊った時くらいは幸福だったとしたらいいな、と思います……。

 

(※「」の台詞は、小田島雄志訳・白水社版『マクベス』は小田島雄志訳・白水社版から引用しています。)