ミュージカル『ある男』感想
平野啓一郎・原作、瀬戸山美咲・脚本演出、ジェイソン・ハウランド・音楽、浦井健治主演、2025年上演。9月28日〜10月4日まで配信決定!
これは私の今年のベストになるかもと思うくらいよかったです。豪華キャストなのはもちろん、音楽も魅力的、抽象的で美しい装置にアンサンブルの方達の動きで示される場面や心情、内容もとてもよくて、トータルのミュージカル作品として素晴らしいものになっていました。他地域での再演や放映もしてほしいし、海外にも持っていってほしい作品とも思いました。
↑動画やインタビューなどが豊富にあります
飯塚友子さんが毎週金曜に開催されているスペースで紹介し、ネタバレしない形で序盤の概要やキャストの話をくださって興味をもってチケットを取ったはずなのに、健忘か?と思うほど浦井健治さん主演、平野啓一郎さん原作以外の情報を忘れたまま事前確認もせず観に行きました。(しかもなぜか演出栗山民也さんと誤解していました。瀬戸山さんが脚本も手がけておられるのに本当にすみません。)キャストくらいは再確認して行けばよかったとは思いましたが、話の展開だけでなく次々出てくる豪華なキャストに「え!」という驚きがあったので結果オーライと言えるかも(えー)。
ミステリー構成にもなっている展開に上演中は夢中で観ましたが、終わって考えると“この話をミュージカルにすることをよく思いつきましたね”というか“よくぞミュージカル化してくれた”というか。上リンクの公式サイトの解説に「『なぜこの作品をミュージカルに?』というお声をよく頂くが、最初からミュージカルになる確信を持っていた。」「浦井健治さん演じる城戸章良と小池徹平さん演じる”ある男”(X)(中略)この二人の役は現実世界では交わらないが、時空を超えて同じ空間に存在できるというのはミュージカルだからこそできる表現だと思います。」とある通り。“ある男”に対する城戸の共感、またはこの2人に通底・共通する思いがミュージカルの形式によって胸に迫ります。
ソニンさん、濱田めぐみさん、知念里奈さんが演じた女性3人も、またそれぞれの夫や恋人との関係性も、相互に対照性と共通性があって、ソニンさんと知念さんの演じる女性はやはり現実では知らず出会わない2人でもデュエットになっていたり。もしかしたらミュージカルのためにある程度様式化したり、強調したりといったところがあるかもしれませんが、そういう対照性や共通性が提示される構成も個人的にはとても好みでした。
序盤と筋の若干のネタバレになるんですが、最初に浦井さん演じる弁護士・城戸が登場して人生がうまく行っている風な歌を歌うんですよ。背景なんかをダンサーの方達が動かし、明るいテンポの曲で、こちらの気持ちも明るくなって“ミュージカルいいなー”と思っていると、次のシーンで城戸の上司が新聞を読みながらヘイトスピーチが問題になっているけれど、お前は大丈夫か?と聞くわけです。城戸は「帰化しているんで(大丈夫)」と答え、在日3世で現在は帰化している彼の背景がわかります。また、そのやりとりに、上司の心配しているようで無神経なところや、城戸がその問題と自分を切り離そうとする姿勢が見えます(自分を守るためかもしれず、気にしていないという強弁かもしれず、本人が言う通り個人として見て欲しいためや、成功者の自信かもしれません)。今度は心臓のあたりがキュッとなって、冒頭の歌のニュアンスが変わって見えます。歌があるために、こちらの気持ちに一層ダイレクトに効く感じなんですよね。(しかも今作はソニンさんが日本人役で出演しているという複雑さもありますね。これは観終わるまで思い至らなかったんですが。)
原作も読みたいし、映画と比べたい気持ちにもなりました。映画の公式サイトを見ると、各キャストの比重や造形・印象が違いそうな気がしますし(←当たり前のこと言っているかも)。
もう少し内容に踏み込む話を書く前に、ネタバレをある程度避けたキャスト・人物の感想を。
浦井健治さんの城戸章良は、スマートな成功者で誠実でもある弁護士の外面に、今の幸せがどこか自分に沿わないような憂鬱・鬱屈があったり一寸逃げている風で、弱さや危うさが垣間見えるところがとてもよかったです。浦井さん、いい作品の大役をバンバン演りますね〜。
小池徹平さん演じるある男・Xはミステリアスで様々な想像が投影される役です。どういう人物かわからない感じにも、実在の彼の姿にもとても説得力があり納得のキャスティングでした。浦井さんの声も高くて明るいのですが、小池さんは更に高い透明感のある声で、この2人だと浦井さんの方が少し暗めに聞こえて、それも今作のキャラクターにはまってよかったです。
濱田めぐみさんの後藤美涼は気さくでポジティブで、美涼にとっても必ずしもよい展開とは言えない物語の後半での前向きで力を感じる歌にこちらも元気をもらう感じでした(昨年観た『Come from away』を思い出したりしました)。もしかしたら美涼については、ミュージカル化に際して役を大きくしたかなと思いました。
ソニンさんの里枝は、芯の勁さは感じるものの幸薄そうで静かな雰囲気で、でもそれに安らげるというかこの人となら痛みを共有できる、そんな風情があるんですよね。(こちらは逆に浦井さんと組んだシェイクスピア劇の時と全然違う〜と思いました。)
知念里奈さんの香織は、夫/恋人の本音がわからず悩む点は上2人と共通でありつつ、ややハイソ(志向?)で、城戸との感情の齟齬もあっていわゆるよき妻・母の寂しさや空虚さを体現している感があります。
上原理生さんの谷口恭一はアグレッシブなイケイケタイプ、上川一哉さんの大祐(恭一の弟)は一歩引いてネガティブ思考に引っ張られやすい人に見え、反りが合わなそうで、この2人のキャスティングまたは役作りも説得的で素敵でした。
そして鹿賀丈史さんの小見浦憲男と小菅! 小見浦登場のギラギラ感と胡散臭さが素晴らしいです。ミュージカルでベテランが入ると層が厚くなり重みが増す感じでいいなと思いました。2役なので、小菅の登場時に「うわ、ここに小見浦が!?」とか思ったんですが、すぐに別役とわかります。この2役って、小見浦にも小菅のような眼差しがあったという示唆なんでしょうか。
この下からネタバレ的な内容にも触れます。

上のように書きつつ、また引き込まれて観たのも本当ですが、私は終盤になるまで、在日の人の帰化・氏名登録と、違法行為でもある日本人の戸籍交換をパラレルに見せる物語は悪手のように思っていました。前半は、ある男・Xが怪しげに描かれたり、小見浦が収監され犯罪性を示唆する展開でもあり、更に城戸が想像上のXから「偽りの人生をお前も生きているだろう」と歌われたりしますし。ですが、終盤は、その日本人の戸籍交換(違法ではあっても)に対する城戸と観客(少なくとも私)の臆見を覆し、社会からの差別・偏見によって戸籍上のその人としては生き難い状況があったとするものでした。前半では城戸は自身の帰化にもある種の罪悪感を抱き、Xを責めると同時にXから責められているように感じるのに対し、終盤の城戸は、戸籍交換・帰化はその壁をのり越えようとする行為だったという気づきを得て、そこにXとの共通性と自分に対する肯定を見出すことになります。
帰化と戸籍交換をパラレルに捉えたこの展開を全面的に肯定してよいか、依然として迷いはあるのですが、前半で私自身にあった臆見・偏見が美しく覆された感慨はありました。
今作でもう1つ印象に残ったのは、X=小林誠が谷口大祐になり代わって話した「嘘」を、その話に仮託して妻・里枝に伝えたかった心情、苦しさとしたことです。里枝の方も、谷口大祐の話の方がその時の自分には受け入れやすかった、元々の彼の苦悩の方であったら受け止められなかったかもしれないと言います。事実であったかどうかで可否が問われず、彼の苦しさ自体は真実のものとして受け止められ、その2人の間に成立した彼がまさに里枝の夫としての彼ということのように思えました。