『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

新国立劇場、鵜山仁演出『終わりよければすべてよし』感想

2023年上演、2024年放送。

 

2月18日まで配信中。

NHKオンデマンド | プレミアムステージ 「終わりよければすべてよし」

 

放送では本編前に、新国立のシェイクスピア史劇で浦井健治さんが全作、中嶋朋子さんがほとんどの作品に参加していたという話が出てきました。今作は中嶋さん・浦井さんがメインキャストだったので2人の話でしたが、岡本健一さんも全作出演ですよね。残念ながら私はこれらを観ていないので、検索してみたら今作の他キャストも重なっている方が結構いました。1つ前の『尺には尺を』感想記事と一部重複しますが、興味深かったので、今作キャストのこれまでの配役をあげてみました。そこを飛ばす方はこちらをクリックしてください。

 

今作キャストのシェイクスピア史劇+αでの配役

ヘンリー6世(2009)

ヘンリー6世(浦井)、マーガレット(中嶋)、リチャード(岡本)、ジャンヌ+ランカスターのエドワード(ソニン)、エリザベス(那須佐代子)

リチャード3世(2012)

リチャード(岡本)、マーガレット(中嶋)、リッチモンド(浦井)、バッキンガム(木下浩之)、エリザベス(那須佐代子)

ヘンリー4世(2016)

ハル王子=ヘンリー5世(浦井)、ホットスパー=ヘンリー・パーシー(岡本)、クィックリー(那須)、ランカスター公ジョン(亀田佳明)

ヘンリー5世(2018)

ヘンリー5世(浦井)、ピストル(岡本)、キャサリン(中嶋)、ネル+キャサリン侍女(那須)、ベッドフォード公(亀田)、シャルル6世(立川三貴)、皇太子ルイ(木下浩之

リチャード2世(2020)

リチャード(岡本)、王妃(中嶋)、ボリングブルック(浦井)、オーマール公(亀田)、ヨーク公爵夫人(那須

トロイラスとクレシダ(2015)

トロイラス(浦井)、クレシダ(ソニン)、ダイアミディーズ(岡本)

 

浦井さん、岡本さんについては、『ヘンリー4世』まではいかにもと思える配役で、『ヘンリー5世』から捻ってきている感じがします。『リチャード2世』は、イメージと逆にした感もありますよね。中嶋さんは『リチャード3世』でのマーガレットが意外な気がするものの、これは『ヘンリー6世』からの連続でということなんでしょうね。『尺尺』の方は“それらしい”配役で、今作の岡本さんの王役は捻っている気がします。

 

ついつい彩の国版や『尺には尺を』との比較

『終わりよければすべてよし』も観たのは2回目、最初に観たのが彩の国・吉田鋼太郎演出版でした。そちらとの違いや、同時上演の『尺には尺を』とのキャストの重なりも楽しみにしていました。『終わりよければすべてよし』については、登場人物像が彩の国版と相当違って見えることが印象的でした。演者やダンサーによって役の印象が違うのは当然ですし、このブログでも見比べで色々書いてきましたが、いつも以上にそこに目が行きました。また、これはプロの役者さんだと当たり前なのかもしれませんし、それも演出的な狙いでしょうけれど、『尺尺』と違う雰囲気の役柄を楽しく観ました。

 

baraoushakes.hatenablog.com

(彩の国版は松岡和子訳で役名表記が少し違っていたりしますが、以下は今作(小田島雄志訳)の表記で統一しています。)

 

今作の中嶋朋子さんのヘレナと浦井健治さんのバートラムは、彩の国版の石原さとみさんと藤原竜也さんの同役のアプローチなり造形とは逆と思えるほどでした。ざっくり言えば、私が戯曲を読んだ印象に近かったのが中嶋さん、浦井さん、意外性があったのが彩の国版です。実はもっと驚いたのは、ペーローレスとラフューでした(今作:亀田佳明さん・立川三貴さん、彩の国版:横田栄司さん・正名僕蔵さん)。今作を観て、もしかしたら正名さんのラフューは敢えてシニカル寄りにしているかもとは思いましたが(あとラフューについてはあまりちゃんと覚えていないところもあります)、ペーローレスは亀田さんも横田さんもおそらく敢えて捻ったのではなく、次に書くルシヨン伯爵夫人のように、演者の個性と相俟った違いだろうと想像します。でも人物像が全く違って見えるくらいの幅があったと言えばいいでしょうか。うまく表現できなくてもどかしいです。新国・鵜山版だと“え、前半からペーローレスとラフューって馬があって仲がいいじゃん”と思えてそこも驚きました。ヘレナ、バートラム、ペーローレスのことは画像を挟んでもう少し書きます。

 

ルシヨン伯爵夫人(バートラムの母)はそこまで大きく違う感じではなかったものの、今作の那須佐代子さんは、身分に拘りなくさばさばして先進的で、ヘレナ自身のことも息子との結婚も応援してくれる頼れるお義母さんの印象。彩の国版の宮本裕子さんは大らかな貴婦人で、夫の死に沈んでいたのを、ヘレナと息子の恋のキューピッドになれそうと浮き浮きする大人可愛さを感じます。大人可愛いって主に外見で使うのでしょうが、上品で年長者的なのに可愛い雰囲気もあったんです。どちらも素敵でした。デュメーン兄弟は、今作ではメイクなどの工夫で面白く似せているのに対し(下総源太朗さん、宮津侑生さん)、彩の国版では河内大和さんと溝端淳平さんという全く似ていない2人が兄弟で面白さを出していました。下総源太朗さん、宮津侑生さんは『尺尺』の役と全然印象が違います。あと、今作のデュメーン弟の髪型は『薔薇騎士』サマセットっぽいような? 下記リンク記事に舞台写真で見ていただけます。

 

www.nntt.jac.go.jp

 

今回は、岡本健一さんのフランス王が出てきた時におお!と思いました。もう少し若い王にしているのかと思ったら、吉田鋼太郎さんの王よりおじいさん! アンジェロと2役の妙で敢えて老齢に作ったのかもしれませんが、すごく似合っていて、好々爺感と共に独善的なところもある王がとても説得的でした。吉田さんの王の方が紳士然としていました。実を言うと『尺尺』の方では、メインの岡本さんより、クローディオの浦井さんが出てきた時に主役級の華を感じたんですが、今作では逆に、最後のまとめから口上まで岡本さんに(むしろ『尺尺』より)座長感がありました。『尺尺』で公爵だった木下浩之さんは、そちらでは落ち着いた新劇的・正統派的演技、今作のフィレンツェ公爵では扮装もあってか派手でコミカル。『尺尺』イザベラのソニンさんは、今作ではダイアナ。2作とも肉体関係を求められながら別人と入れ替わる役ですが、潔癖な感じのイザベラと対照的にダイアナは愛らしく華やかでモテそう。控えめで真面目そうなヘレナとも対照的になっていました。彩の国版の方は、ヘレナが感情に素直で一生懸命、山谷花純さんのダイアナは少し高嶺の花的な感じがして、両方に組み合わせの妙があると思いました。

 

ペーローレスはじめコミカルな役の方達の台詞のやりとりもうまくて、その場面を白けずに面白く観られました。

 

『尺尺』もこちらも、下記会見レポートで鵜飼さんが語る通り「人間が犯すさまざまな過ちを、愛が救済できるか、という大きなテーマを描いている」作りであったと思えました。ただ、『終わりよければすべてよし』をそういう話として観て面白いかというと、正直、そこは疑問でした。最終場面も若干緩かったかなという気もします。各場面は面白いし、同時上演での違いは楽しかったですが、単体の作品として観ると据わりが悪い感じが私はしてしまいました。

 

natalie.mu

 

画像の下から、もう少し詳細なところや彩の国版との比較を書きます。彩の国版についてもかなりネタバレ的になってしまうのですが……。

 

Photo by Josep Martins on Unsplash

 

ヘレナとバートラム

ヘレナとバートラムが彩の国版と逆にも思えるアプローチと上で書きました。彩の国版上演の際に、そちらの訳者の松岡和子先生が、ヘレナはシェイクスピア作品の中で唯一職業をもつ女性で、主体的で現代的と説明していました。戯曲を読んだ時にはあまりそんな印象がなくて意外でしたが、彩の国版の石原さとみさんのヘレナはまさにそんな感じだったのです。一方、今作の中嶋さんのヘレナは専門職女性というより、戯曲を読んだ時の、父秘伝の処方箋を持つ娘の印象が強めになりました。彩の国版ではラボがあったりヘレナが王の病状を観察するようだったり、一方今作ヘレナが手紙のような処方箋を大切そうに持って請願したり、車椅子の扱いが医療者的に見えなかったりで、そんな細かいところで受ける印象が結構変わるのかもしれません。また、ヘレナの台詞には大胆に行動し自分の実力で運を拓く面と、控えめで自己卑下・自己犠牲的な面の両方があると改めて思いましたが、前者寄りなのが石原さん、後者寄りなのが中嶋さんの気がしました。中嶋さんのヘレナは控えめで慈愛的な台詞が印象に残ります。ひょっとしたら今回の小田島訳と松岡訳の違いもあるかもしれませんが。

 

バートラムについては、彩の国版の感想で、「読んだ時は、王が怒るとすぐ前言を撤回し形式的に結婚する辺りで“こいつダメだ”と思った」と書いていますが、浦井さんのバートラムは、むしろ冒頭から(見目は麗しくても)“こいつダメそう”という軽さや無関心を窺わせます。露骨にそうということではなく、自分を送り出す挨拶をしている時も途中で座ったり、それなりのことを言っている時もなんだか実(じつ)がない感じです。そう感じさせる浦井さんの語りと演技がさすがです。ヘレナの婿選びの時は隠れたり、身分の低さが嫌そうだったり、いよいよこの辺でダメだと実感できる造形。このバートラムなら、結婚から逃げるために軽いノリで義勇軍に参加しそうです。ただ、慎重に見えるヘレナがそんなバートラムをなぜ好きになったか不思議にはなるんですが……。藤原さんのバートラムはそういう軽さを感じず、中盤までヒロイックで“実は何か訳あり?”と思うほどでした。ヘレナが彼を偶像的に好きになることは理解しやすい展開です。藤原バートラムのその印象は、彼がダイアナを口説くシーンで“うわ、ゲスい”と一気に崩れます。ここはややエロティックな場面の作りにもなっていました。浦井バートラムは全般的に真実味がないものの、ベッドトリックでダイアナと入れ替わったヘレナの手を取り肩に手を触れるところ(だけ)は優しく王子様のよう。ロマンティックな雰囲気すらあります。

 

それもあって(??)、ベッドトリックによってバートラムと関係を持った後のヘレナの「それにしても不思議なのは男ごころ。憎んでいる者をあれほど可愛がることができるとは。」「そのように情欲というものは嫌いな者をそこにいない人と取り違えて戯れる。」「でもこの話は後にしましょう。」の台詞も、中嶋さんと石原さんではかなり違う印象でした。中嶋さんはベッドでの思いもよらないバートラムの優しさに感慨を受けつつ戸惑っているように感じました。“いえ、でもそれは情欲で間違えたのよ”と思い直して落ち込みそうになり、考えるのをやめた、みたいな。石原さんの方は皮肉混じりに悔しさを滲ませ、ある種悟ったようにも思えました。悪い意味で男性の本質を見てしまいバートラムのことを脱錯覚し、憎まれていた自分を自虐しつつ傷ついていて、でもそれを振り切って次に進む感じを受けました。

 

最後に指輪と妊娠条件をクリアしたのを明かすところも、中嶋さんには、やりこめたというよりバートラムが言ったからその通りにしてみせたというような愛を感じます(それを示す中嶋さんには慈愛を感じたものの、私としてはそれは怖いですけれども)。ただ、そこでバートラムがすぐヘレナの愛に応じる流れは今回あまりよくわかりませんでした。加えて、浦井バートラムはその直後にもダイアナにふらふらしているし、ヘレナが慈愛的だと、戯曲の印象以上に腑に落ちないというか、何が「よかった」かわからない感じは残りました。

 

ペーローレスのこと

彩の国版の感想で、バートラムとペーローレスが相似形のような気がしたと書きました。彩の国版だと、ペーローレスが見掛け倒しであることは観客に最初からわかるけれど、バートラムには途中までわからない形、バートラムが残念な男だったことは途中までヘレナにわからない形のように思えました。加えて、化けの皮が剥がれた2人を、ペーローレスはラフューが、バートラムはヘレナが拾う話になるのではないかと。

 

感想を書くうちに新国版のバートラムとペーローレスも別の意味で相似形の気がしてきました。こちらは2人共、最初からダメさが露わになっている感じがします。亀田さんのペーローレスは外見も滑稽で、台詞の「お猿さん」を体現しているかのようです。亀田ペーローレスはフォルスタッフに、横田ペーローレスは『十二夜』のマルヴォーリオに近い印象です。多分、台詞的にもペーローレスはフォルスタッフに近いところがあるようにも思い、亀田ペーローレスは大言壮語しても嘘だとわかるのでそれ自体が可笑しいのです。横田ペーローレスは地金は見えつつ偉そうな振りをして鼻持ちならないのを仕返しされる感じがしました。バートラムがペーローレスを一角の人物と思っているのも、新国版だとバートラムに見る目がないと思え、彩の国版ではペーローレスがそう装っている方に注意が向く気がしました。

 

ヘレナとの関係では、亀田ペーローレスだと嫌な感じがしないのも意外でした。セクハラに対する私の感度が甘く/鈍くなっている心配はありつつ、今作では処女を守るか捨てるかをめぐる際どいやりとりもセクハラのようには見えず、冗談メインながら、“身分がとか世間体がとか言ってないで、好きな人がいるならいい関係になっちゃえよ”と、後押ししてくれているようにさえ思えてしまいます。バカっぽい作りがいいのでしょうかね。(横田さんが多分セクハラっぽく作っているのは彩の国版ではとても意味が出るので、そこはどうか誤解なきよう。)

 

一方、最初からダメなことが明らかなペーローレスだと、彼を騙して脅す場面はやりすぎやいじめのように見える面もあります。コミカルに面白く作られてはいますし、その場面最後のペーローレスの独白もペーソスとユーモアがない混ぜで味わい深くはあったんですが……。でも、ペーローレスについては、もう戦場で無理しなくてもいいし、放浪後にラフューに拾ってもらうので、本当の意味で「終わりよければすべてよし」と言ってよいのかもしれません。