『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

リセウ大劇場、パーセル作曲『ディドとエネアス(ダイドーとイニーアス)』感想

パーセル作曲、ブランカ・リー演出・振付、ウィリアム・クリスティ指揮。

 

ああ、どうしていつも配信終了ぎりぎりの感想アップになってしまうんでしょうか。(終了ぎりぎりで視聴するせいなのですが……。)配信リンクとスケジュールの記事ではご紹介リンクしていた作品でした。

 

これはすごくよかったというか好きでした。ほぼダンス作品と言っても過言ではありません。ブランカ・リー振付のコンテンポラリーダンスを含む演出がとてもスタイリッシュ。

 

以下のtrailerでその雰囲気が多少はわかっていただけるかと思います。

 


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また『薔薇騎士』との関係なども書いたりするので目次を作りました。

 

『ヘンリー6世』の台詞に出てくるディドとエネアス

ディドとエネアス(ダイドーとイニーアス)って、『ヘンリー6世』の台詞で言及されているんですよね。つまり、その時に古典として喩えになっていたものです。『薔薇騎士』3巻に該当する、グロスター公が亡くなったことを嘆き悲しむヘンリーに原案マーガレットが色々言う台詞です。

 

あなたの慰めはすべてグロスターの墓に閉じ込めてしまったの? では王妃マーガレットはあなたの歓びではなかったのね。(中略)私は幾度サフォークの舌を誘ったことかーー不実なあなたのあの代理人に差し向かいで話をさせ、うっとりと聞きほれた(中略)魅了された私は言わばダイドー、不実なあなたはイーニーアスね? ああ、もうだめ! 死になさい、マーガレット (『ヘンリー6世』第2部、松岡和子訳、ちくま文庫

 

薔薇騎士の感想記事で、「芝居がかっていてウザい」とか「この辺のマーガレットの台詞は“長!”と思ってしまうわざとらしさがある」とか、書いた台詞です。他にもリチャードと対決するクリフォードも、エネアスの喩えを語っています。

 

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パーセルのオペラということもあって、面白いかもしれないとは思っていました。

 

あらすじ等はwikiにあります。

ディドとエネアス - Wikipedia

 

スタイリッシュな演出とダンス

ですが、今作は、ストーリーを追う以上に美しい演出やダンスに魅せられました。勅使河原三郎が振付に入った『オルフェオとエウリディーチェ』や、ストリート・ダンスをフィーチャーしたパリ・オペラ座の『みやびなインドの国々』のくらいダンスが楽しめる作品でした。

 

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音楽との絡みと、ムーブメントの気持ちよさが身体に伝わるようなダンスに、ローザスの『ブランデンブルク協奏曲』(これはオペラではないですが)も思い出したりしました。(この感覚をどう言えばいいのかわからないものの、バレエや超人的な動きのコンテを観るのとまた別の感覚なのです。こちらの身体も心地よく牽引されるような感覚です。ブランカ・リーは、マーサ・グラハム・スクールで学び、アルビン・エイリー、ポール・サナサルド、マース・カニングハムに師事したとのことで、ローザスアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルとは系譜的に違うのかなと思いますが。動画リンクしようと思って改めて観たら、リーの方が肉感的・民俗的で、ローザスはもっとミニマルっぽいかも。)

 


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あ、今作は一寸肉感的というかエロティックな振りもあります。

 

更にディドがケイト・リンジーでした! なんとぼんやりだったんでしょうか私は。キャストに書いてあったのに観るまで気がつきませんでした。誇り高い王女という感じでよかったです。侍女役のアナ・ヴィエイラ・レイテもとても素敵な歌手ですね。ディド、エネアス、侍女のメイン3人は、衣装も彫像のようで高い台に立ったままほぼ動かずに歌います。ダンサーたちはその歌で踊ります。3人以外の歌手は、ダンサーと混じる感じがあり、結構振りが入った動きもしています。近年では、ダンサーと歌手の区別が(外見的にも)つかないことが多くなってきましたね。

 


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ディドが有名なアリアで思いの丈を歌うところなどでは、立ったままであるもののリンジーの動きとダンサーの動きがシンクロしたようになるのも美しいです。

 


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この作品を含め配信の情報発信や感想を書いておられるタムラヨシカズさんが、親切にも上記のwikiをリンクしてくれたり、この演出版は、エネアス役のレナート・ドルチーニが本来は別役の魔法使い役も兼ねている(なのでややわかりにくい)ことを教えて下さいました。おかげで混乱もせず、ドルチーニが魔法使い役では確かに悪役というか、暗いオーラで歌っているように見え、それも楽しんで観られました。エネアスが二重人格っぽくも見えてしまったりしましたが……(ひょっとして、そういう演出意図なのでしょうか)。

 

ディドは強くて怒っていた

上の歌ではディドの静かな悲しみが表現されていますが、その前の、エネアスとの別れの場面では、彼女はかなり怒りを見せて強い印象でした(これは元々なのか、今作やリンジーの表現なのか迷うところはあるものの)。例えば『蝶々夫人』とか『椿姫』とは違って“怖い”感じです。マーガレットの台詞からは、てっきりかわいそう系の悲劇のヒロインかと思っていたら、むしろマーガレットに近い、特に『薔薇騎士』マーガレットみたいだな、とも思いました。

 

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ところで、オペラだと『ピーター・グライムズ』がもうじき終了(1月28日まで)で、少年社中の『テンペスト』脚色の配信もあるし、1月14日夜(15日)には新国立劇場の『尺には尺を』の放送もあって、色々観たい気持ちは復活してきたのですが、速度は依然として追いつかない感じです。観たら観たで、棚卸し的に何か書いておきたい気持ちになったりしますし。

 

↓この本のメインの主張は時間がないことではなく、貧困や欠乏がいかに視野を狭め能力を発揮できない状況を作るかということの方なのですが、でも何かと思いあたったり耳が痛い話もあります。忙しくて大変だった病院で逆にオペ室を1つ余分に空けることで、むしろきちんとスケジュールを回せるようになった話とか。そういう風にスケジューリングするといいのだろうと思いながらできていないのは、何が私を圧迫しているのでしょうか。