『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

ジュード・クリスチャン作、天海祐希&アダム・クーパー『レイディマクベス』感想

ジュード・クリスチャン作、ウィル・タケット演出、天海祐希アダム・クーパー出演、2023年上演、2024年配信。

 

1月8日まで有料配信。また期限ギリギリですみません……。

tspnet.co.jp

 


www.youtube.com

 

概観

マクベス』の読み替えや現代的な視座の点でも、『薔薇王の葬列』っぽく思えた点でも面白く、なかなかに堪能できました。(なにしろ『薔薇王』ブログなので、『薔薇王』をご存知ない方はすみません。)現代的でありつつ、寓意性やオマージュに溢れたところも話として興味深く感じます。『マクベス』の王殺し(バーナムの森も?)と『金枝篇』が掛けられ、もしかしたら『金枝篇』→『地獄の黙示録』も重ねられているかも、と思いました。『金枝篇』的王位継承は、また、レイディマクベスの未来を奪うように生まれた娘、そのためにレイディに疎まれ「存在しない」とまで言われた娘によって繰り返されます。娘は『マクベス』でのマクダフのような生まれ方をしていて、その点も予言と掛かっています(言葉の綾としては女が産んだ人間以外は存在しないはずでした)。

 

一方、舞台作品としては、元がシェイクスピアとはいえ、アダム・クーパーマクベス以外は、台詞で全てを語らせすぎな感じもしました。『マクベス』読み替えとしてはある程度説明的にせざるを得ないと思うのですが、その分、頭で楽しむところが多くなった印象です。現在のシェイクスピア上演は、台詞自体は長くても、台詞通りでなく台詞の裏を読ませる演技・演出も多いので、一層台詞で説明しすぎという感じがしてしまいます。最初に人物の設定や関係性をレイディマクベス、バンクォー(要潤)、マクダフ(鈴木保奈美)の会話で語らせていて、その間マクベスはほぼ黙ったまま脇の方にいます。マクベスが元々無口でありつつ、後から、口をきくのも辛い、言葉が出ないほど精神的に参っていることがわかります。ですが、マクベス役が日本語話者でないクーパーなのでそういう設定にしたようにも見えるのがつらいところ。天海祐希アダム・クーパーのコラボ企画ありきの作品に見えてしまう面はありました(特にクーパーが英語台詞を語る場面で娘(吉川愛)が対話の形で通訳をするのは、理解の点でありがたかったものの、対話としてはおかしいので余計にそう思えます)。マクベスが戦いに疲弊しきったことや妻を愛していることがわかるクーパーの身体表現はさすがなのに/なので、肉体で語っている彼と、台詞は豊かでもそちらが薄い日本側の他演者と演技モードが違うというか、うまく接合しない感じもしてしまいました。これも敢えてかもしれませんし、天海さんがどちらの面も備えて中心にいたのでよいのかもしれませんが。

 

『薔薇王』的なところや原案『マクベス』との関係

ここからややネタバレ的です。

 

話は原案『マクベス』からかなり変わっているものの、『マクベス』換骨奪胎風で、マクベスマクベス夫人を要素分解して再度2人の人物に合成・入れ替えしたような感じがあります。ここにマクダフも含めてよいかもしれません。そんなところが『薔薇王』的です。(『薔薇王』のリチャード、バッキンガム、リッチモンドも、原案『リチャード3世』での人物分解・再構成的です。)王の寝室に行って彼を殺そうとしながらなかなか果たせないのが今作ではレイディになっていて、これは原案マクベス夫妻の組み合わせの気がしました。『マクベス』では、マクベスが王殺しを躊躇し、夫人はそんなマクベスを嗜めるように殺害に向かわせる一方、彼女は、王が父親に似ていなければ自分が殺したのにと言っています。今作でも、ダンカン王は2人の父的な存在です。今作で正気を失うのがマクベスなのも原案夫妻の合成的ですし、マクベスが亡くなった後に「明日」のことを語るのはレイディだったりします。

 

鈴木さん演じる今作のマクダフは原案のマクダフ夫人がベースでありつつ、レイディ自身の王位を唆していて、マクベス夫人の役割もしているだろうと思います。原案マクダフの役割は、亡命/逃走してしまった夫(←台詞に出てくるだけ)と、マクベス夫妻の娘に分かれている気がします。

 

加えて複層的オマージュがあるのも『薔薇王』っぽいところ。詳細はもう少し後で書きますが、『金枝篇』の他に『ヘンリー4世』『ヘンリー5世』要素も入っているかも……とか思いました。

 

そして何より天海さん演じる主人公のレイディマクベスが、『薔薇』リチャードと『薔薇騎士』マーガレットを足して2で割ったみたいな感じがしました。少しセシリーみもありますかね……。いや、これもあくまで個人の感想ですし、そもそもこの2人、または3人を足して割れるのかと思うでしょう? でも、天海さんの風貌や戦場で才気を発揮する軍人で自身が王位に就きたいところはリチャード、強気で、壊れた夫マクベスを支えて国の統治を望むところはマーガレット的に思えます。レイディは、単に王位に野心があるというより、能力のある自分と名声ある夫が国を統治すれば今よりよい状態になるはずとも考えており、そこもマーガレットを思わせます。今作マクベスは、PTSDで最初の方から病んでおり、命じられた通りに戦闘はする一方、人と対応するのもつらそうで、レイディの方がむしろ王に相応しく、マクベスは彼女の支えなしには統治は無理な状態になっています。こちらは『薔薇』ヘンリー/ティレルっぽい感じもします。レイディは、過去に軍人としての能力が評価されながら娘の出産で体調を崩してキャリアが断たれ、娘の存在を無視するかのように冷たく接しており、その辺はセシリーのようでもあり、これも含めてリチャード的でもあり。で、マクベスの方は生まれた娘を大切に思っているのがヨーク公的……。戦場に赴くマクベスを見送ろうとする娘をレイディが制して睨むところなどは、特に『薔薇王』っぽいなーと思いました。先にセシリーのことを書いてしまいましたが、原案『マクベス』の読みとしてもこれはありだと思いました。自分の子どもより地位の達成の方が重要というのは、ある意味、原案マクベス夫人の台詞通りです(「私はほほえみかける赤ん坊のやわらかい歯茎から私の乳首をもぎ離し、その脳味噌をたたき出してみせましょう(中略)いったんやると誓ったならば」)。

 

以下、更にネタバレ的になりますので、関連記事のリンクと画像を挟みます。

lp.p.pia.jp

jbpress.ismedia.jp

 

Photo by maryam Rad on Unsplash

 

ジェンダーの問題

今作は、原案『マクベス』と王位継承の話もやや異なっており、ダンカン王(栗原英雄)に子どもはなく、マクベスは王位継承者に指名されます。実は、その前には、レイディが過去に軍人としてダンカン王から高く評価され次の王の候補にもなりかけたものの、上述のようにキャリアが断たれ、むしろマクベスが王位継承者になるという夫婦間のライバル関係すら示唆されます。原案との比較で言えば、王位継承を期待したマクベスと継承指名を受けた王子マルカムの関係や、それぞれ王位に関する予言をされたマクベスとバンクォーとの関係が投影された感じもあります。パワーカップルで妻の方が更に有能なのに、出産で差がつき、夫婦間で不平等が生じるあたりが今日的だと思いました。とはいえ、実質的にはレイディとマクベス2人の統治になるのをむしろレイディは喜んでおり、ダンカンが、精神的にぼろぼろなマクベスを後継者から外そうとしたことに歯向かうのがストーリーの主軸ではあるのですが。マクダフはそれを見抜いて、レイディの方に王になればよいと言うのです。

 

マクダフが役名はマクダフながら原案のマクダフ夫人で、“そうか、敢えて夫人を付けずに彼女もマクダフでよかったんだ”と気づかされるのも心憎い仕掛けです。彼女は専業主婦の設定で、それがレイディと対比的にされているかもしれませんし、原案通り夫が亡命したために危うい立場に置かれることが主婦の不安定な立場と掛けられているかもしれません。同時に、戦争の論理とは違う未来、日常の生活の価値を主張するのが彼女にもなっています。戦場や仕事とは一線を画す彼女が、レイディに王位を唆すのが原案マクベス夫人的でもあります。

 

その他にも、レイディが兵士の時代に上官からセクハラを受けていたり(自衛隊のセクハラ事件を想起させるものではないでしょうか)、レイディの母親や周囲の女性がDVやレイプ被害に遭っていたり、と女性への暴力の問題も盛り込まれています。更に、そうした女性が家に「戻らない」と意志を示そうとすると制度的に救済されず、「戻れない」と自身を無力化して支援の実利を得る選択に追い込まれる理不尽まで指摘されています。

 

止まない戦争

戦争が続き、先が見えない状況が明示化されているのもとても今日的です。執筆時期を考えるとウクライナが想定されていたかもしれませんし、現在はパレスチナも想起されます。諦めれば「全ての国民が飲み込まれてしまう、名前、言語、自分の生き方を奪われる」とされる一方、兵士達は次々と亡くなくなり、戦闘でかろうじて国境が維持されるだけで明るい展望が見えません。「殲滅するか、されるか」、究極の選択を迫られる王の責任の重さと虚しさも描かれます。

 

レイディ自身もこの選択で揺れます。「名前、言語、自分の生き方を奪われる」、でも「そんな人は沢山いるよくあることよ」。残虐行為、レイプ、処刑、虐殺が起こると警告されても、「抵抗しなければそうならない」「死ぬまで要求に従えば顔を殴られることはない」ともレイディは一旦考えるのです。(ここも戦争に加えて、女性の状況や女性への暴力の話が掛かっているでしょう。) 武力に武力で対抗しても解決にならない、と。でもそれ以外の解が見つからない。それに対して、彼女の娘から、王としてそれを解決したかったはずではないのか、とその無力を問われます。

 

原案ではあまり目立たないレノックスが、今作では何度も死にその度に生き返る兵士の役になっていて、それが個人が死んでも続く兵というシステムを示すものとされています。これも台詞で明示的に語られます(なので、語りすぎの感はありますが)。レイディがその時々にレノックスの亡くなり方を聞いたり、レノックスが妻のことを語ったり、個性もあるはずなのに、死んでも別の人が変わる兵士とされてしまうという訳です。こういう役がレノックスに当てられたのは、きっと原案での印象が薄いからなんでしょうね。(今までの作品でもあまり印象に残っていなくて……。これまでのレノックスの演者さんごめんなさい、これからは注目して観たいと思います。今回の宮下今日子さんはもちろん印象的でした。)

 

現代的視点と寓意的オマージュの交差

こうした現代的でリアルな視点や解釈に加え、寓意的に『ヘンリー5世』『ヘンリー4世』や『金枝篇』が掛けられているのではないかと思いました。

 

戦争を命ずる王の責任と苦悩というテーマは、『マクベス』にはあまり見られず、むしろ『ヘンリー5世』的だと思います。また、そのヘンリー5世の王位継承場面がある『ヘンリー4世』でのヘンリー4世と今作のダンカンの亡くなり方は似ている気がします。今作ではダンカンはマクベスの王の資格を確認するための闘いの途中で倒れ、レイディはダンカンの寝室で彼を殺すと言いながら殺せず、むしろ死を看取るようになっています。ダンカンはやはり戦争を命ずる王の苦悩を思わせる挿話を語ってそこから解放されるように亡くなります。レイディは王殺しの罪責感で不眠になるのではなく、王位が不眠をもたらすのを承知でそれを欲していて、これも『ヘンリー4世』的です。上でも書いたように、2人は擬似親子的でもあります。

 

金枝篇』については娘がそれらしき話を語っており(とはいえ“金枝を折る”話の方は出てこなかった気がしますが)、また今作は原案『マクベス』とは異なり、王を殺した者が次の王になるという伝統があった設定にされています。王を殺して次代の王になった者が王位を守るために眠らずに警戒するという話も出てきて、それが『金枝篇』からかどうかはわからないのですが、王殺しと不眠とおそらくはバーナムの森が掛けられた話にされているように思いました。今作ではレイディの出自が曖昧、または隠されたようにされていますが、それも枝を折ることができる逃亡奴隷と掛けられているのかもしれません。

 

金枝篇』→『地獄の黙示録』の方は、やや想像を広げすぎかもしれませんが、不毛な戦争の継続の中で出てくる『金枝篇』だったり、語られる戦闘状況「泥の中で顔だけ出して進む」とか「腕を切り落とす」とかが、なんとなく『地獄の黙示録』を想像させました。レイディにセクハラした上官が敵国に寝返ったという挿話は原案のコーダー領主のことだろうと思いつつ、レイディとマクベスが彼を殺す話がカーツ大佐暗殺に似ている気もします。レイディは、後半では、戦争の不毛さに嫌気がさしている一方、彼女自身の能力を戦場に見出してきた人です。それが『地獄…』の主人公ウィラードと被るようにも思いました。最後近くで、レイディは「血の海を泳ぎ続けてきてしまったから、もはや進むしかない」と言います。これは原案の「血の流れにここまで踏み込めば、渡りきることなのだ」からと思いますが、原案とは含意が違っています。原案ではダンカンやバンクォーを殺害して得た玉座を守るために更に悪事を重ねるしかないという意味ですが、今作では戦争以外のやり方がわからない、戦争の選択肢しか考えられないという意味です。この辺も『地獄の黙示録』的なニュアンスを感じました。

 

金枝篇』の方に話を戻すと、今作でダンカンは殺害はされないもののマクベスと闘って倒れ、それがもとで亡くなります。その後を継いで王になったマクベスは戦時の切迫した状況で出撃命令を下せないほどの精神状態になったところを、止むに止まれずか動転したかのレイディによって射殺されます。レイディは次の王になりますが、彼女もまた答えを見出せずに壊れていき、原案マクダフのように(つまり帝王切開で)生まれた娘によって殺され、娘が王位に就く展開です。娘は、レイディにとっては、既に彼女の未来を奪うように生まれてきたとも言えますし、マクベスにとっては殺伐とした戦場で与えられた命の贈り物と思われている、両義的な存在です。『金枝篇』の「宿り木」を象徴するようにも思えます。原案『マクベス』でいるともいないともされる子どもに未来が託されるのも意味深いのかもしれません。

 

(※原案『マクベス』の「」内台詞は小田島雄志訳・白水社版から引用しました。)