2026年5〜6月上演。8月に衛星放送で放映され、今後も再放送されるだろうと思います。9月26日に『ハムレットQ1』再放送です。
台詞がカットされたためか松岡和子先生が今回も舞台に合わせて翻訳を調整したのか、翻訳でなく台詞をアレンンジした?と思うくらい台詞がわかりやすくて驚きました。
衣装は現代風で、配役も(リチャード以外は複数役)かなりジェンダーミックスである一方、最後以外は作品としてもリチャード像としても比較的スタンダードに作っている印象でした。性格も風貌も醜く悪に振り切ったリチャード像で(吉田羊さんだから風貌は醜くならないですが白塗り気味の悪役風メイク、ジョーカーっぽさもある)、吉田さんがリチャードを演じると聞いて勝手に『薔薇王』的な耽美ニュアンスを期待した私は“え……そうなんだ、せっかく吉田羊さんなのに”と思ってしまったことを告白します。また、彼が家族関係や恋愛関係から疎外されていることも今作ではあまり強調されていない印象でした。考えてみると、森演出・吉田主演作品は、『ジュリアス・シーザー』も『ハムレットQ1』も主人公像としてはストレートな解釈に近かったのですが、ブルータスはストレートな解釈としても吉田さんとブルータスの相性としても主人公共感的になるのに対し、リチャードの場合は逆で、アンに対する想いや序盤での孤独も強調されないままのスタンダードな造形は彼に共感的になりにくくはなりました。ただ、鑑賞後に以下動画を見ましたが、リチャード共感的に観られないことも吉田さんには織り込み済みだったのですね。森新太郎演出の意図としては敢えてなのかもしれないとも思いました。
公式サイトで森さんは「我欲むき出しに繰り広げられる弱肉強食の光景は現代そのもの、まさに今進行中の歴史と重なります。」と言っています。これはリチャード一人がということより、彼の周囲での権力闘争を含めてのことを指しているのでしょうが、時節柄なのか、バッキンガムがリチャードの王位を請願する場面での彼らの悪ノリぶりはしゃぎぶりや(戯曲的にも笑える作りとは思うものの)、インフルエンサー的バッキンガムにつられてリチャードを称える長老達の一方で、リチャード達の台頭といかにも怪しい裏側・策謀を公証人や市民達が昏く不安視する対比が目を引きます。その構図を意識させる演出だった気がします。そのリチャードを女性が演じているのですよね……。また、マーガレット=失墜した敗者による警告とか、マーガレットを含む女性たちの悲しみと抵抗とか、スタンリーの苦境の中での造反にも焦点が当たっていたと思います。台詞は各箇所でかなりカットされていましたが、カットによって、マーガレットの予言通りになった展開もわかりやすくなっていました。皆、“マーガレットが言っていたのに……”と後悔するという。篠井英介さんのマーガレットは、奪われた悲しみが強くそのために周囲からはおかしく見えている人に思え、篠井マーガレットの言葉は憎しみはありつつも「呪い」よりは予言・警告と言いたくなります。やはり女性がリチャードを演じたベル・シェイクスピアの版でも、3人の女性たちが登場する2つの場面(エリザベス、母・公爵夫人、アン)(エリザベス、母・公爵夫人、マーガレット)が丁寧に扱われていて、それに近い印象も受けました。今作でも、エリザベス・公爵夫人・マーガレットの3人の場面では、家族を奪われた公爵夫人やエリザベスとマーガレットが(やはり憎しみはありつつ)悲しみを共有しシスターフッドを感じさせる面もありました。
前作『ハムレットQ1』以上のジェンダーミックス配役、一人兼役になっていて、女性のマーガレット役が篠井さん(尤も篠井さんは女形なのでこれで順当かも)で、アン役の愛希れいかさんはラトクリフを、エリザベス役の中越典子さんはリッチモンドを、母・公爵夫人の増子倭文江さんはエドワード4世を兼ねています。これは完全に私の好みでしょうが、森演出版の男女兼役の場合、男性役の時がすごくいいんですよね(『ジュリアス・シーザー』のオクテーヴィアスも『ハムレットQ1』のフォーティンブラスもよかった……。増子さんは公爵夫人の時がよかったですが)。今作ではケイツビーよりラトクリフが印象的だったくらいで、清田智彦さんのケイツビーが上司へのイエスマン的な造形だったのに対し、愛希さんのラトクリフは裏方的で感情を見せず、汚れ仕事をしていそうな不穏さとそれでもリチャードには忠実なんだろうと思える雰囲気がありました(それなのに最後……というあたりも)。中越さんのリッチモンドはかっこよくて、吉田リチャードを脅かす旗頭の説得力。エリザベスの時はリチャードより年上に見えるのに、リッチモンドの時は年下の新興勢力の華があります。
一方、アンやエリザベス(の娘)にリチャードが求婚する場面は、アンもエリザベスも直前まで怒って抵抗していたこともあり、彼女たちの承諾について私としては他版より納得度が下がってしまったんですが、アンへの求婚については(吉田リチャードなのでもっと女心を翻弄してもとか、アンも途中からぐらぐらしてもなどと)私が勝手な期待をして観てしまったせいかもしれません。エリザベスに娘への結婚許可を求めるシーンでは、承諾した後もエリザベスが憎しみを込めてリチャードを殺すかように口づけしたのはよかったですし、戯曲としても後からエリザベスはリチャードの思い通りにしたわけではなかったとわかる流れではあるのですが、ここも難しいですよね……。
画像の下で最終場面の演出に触れます。

台詞としてはリチャードの「馬だ! 馬をよこせ! 代わりに俺の王国をくれてやる、馬!」が最後。(この台詞について松岡先生は本の解説で「こんなに深い絶望がこもり、これほど人間のなすことの虚しさを表現した台詞」としていますが、今回の台詞は私には我欲優先のリチャードという印象になりました。)リッチモンドがリチャードを銃殺し、リッチモンドの台詞はなく一旦幕。幕が上がると後ろ向きに王冠を被ったリッチモンド……と思いきや、振り向くとそれがリチャード/吉田羊さんという終幕でした。リッチモンドの内実もリチャード同様の暴君、あるいは独裁的歴史が繰り返されるというニュアンスに思えました。森・吉田『ジュリアス・シーザー』も昏く危うい終幕で(そして私には『ハムレットQ1』もそういう風に思えました)、『ジュリアス・シーザー』はそこがとてもよかったのですが、今回はそこまで皮肉や逆転の感じはせず、最終シーン以外はリッチモンドもスタンリーも清廉に見える描き方と思えたので、ややちぐはぐな印象が残ってしまいました。意外な最後は面白くはあったんですが。