『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

ルパート・グールド演出、パトリック・スチュワート主演『マクベス』感想

前回の『リチャード2世』の記事で情報を載せておけばよかったと後から思いましたが、Show must go onでは『リチャード2世』の後、パトリック ・スチュワート主演の『マクベス』の配信でした。終了から随分経ってしまいましたが、以下のURLリンク先でレンタル配信はしています(英語のみです)。輸入盤ブルーレイやDVDもあるようですが、リージョン・コードの心配がありますよね。

 

https://www.illuminationsmedia.co.uk/product/macbeth-patrick-stewart/

 

たまたまですが、こちらは『ホロウ・クラウン』の方の『リチャード2世』の監督、ルパート・グールドの作品でした。グールドの『リチャード2世』は白と金を基調にした感じ、『マクベス』は暗いグリーンとブルーが基調で、途中から赤が印象的に使われ、ディストピア感のある映像です。『マクベス』もスタイリッシュで、台詞のないところの映像が暗示的に使われていました。マクベスと夫人が手を取り合っているシーンが度々出て来るのですが、そのニュアンスがそれぞれ違っていたりとか。

 


Macbeth (Patrick Stewart) - Official Trailer

 

イアン・マッケランの『リチャード3世』と近い世界観で、ナチスソ連全体主義のイメージが重ねられているようでした。

 

広告

 

マクベス』の方が暗くて、王になった時のマクベスパトリック・スチュワートの絵がレーニン像みたいなのは面白みがありますが、暗殺が政治的粛清として強調されて相当怖いです。もしかしたらカティンの森事件なども暗示されているところがあるかもしれません。そして、ホラー的でもあります。

 

下の批評に「ソ連専制政治とゴシック・ホラーの両方を喚起させる」とあるのですが、まさにそんな感じ、と頷きながら読みました。以下、ややネタバレ気味です。

 

www.theguardian.com

www.theguardian.com

 

これまで観た中で、一番政治的というか、マクベスの暴君ぶりが描かれていた作品の気がします。『マクベス』は政治劇というより心理劇的で、罪に慄き、堕ちていく主人公の内面を描いている作品の印象がありました。ですが、ここではマクベスの心弱さや迷いが見えるのは王を殺した直後までという感じで、確かにバンクォーの亡霊には驚き叫ぶものの、マクベスの苦悩や葛藤を思うよりも、彼の行いや振る舞いに恐怖を覚える作品でした。パトリック・スチュワートはもちろん魅力的ですが、マクベスその人に思いを馳せるよりは、権力に魅せられ翻弄される人々の話を観た印象で、それを意識した演じ方であったのではないか、と勝手に思いました。(例えば、シェイクスピアズ・グローブのクレシダ・ブラウン演出版も、専制が強調され政治劇的でもありましたが、同時にその哀しみに共感できるとても人間的なマクベスになっていたと思います。)

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

始めの方は頼りがいのある老練な将軍を思わせるマクベスで、遭遇した魔女に銃を向けるバンクォーより堂々と落ち着いています。パトリック・スチュワートですもんね、と思うのです。また、マクベス夫人への愛情も感じます。こちらのマクベス夫人(ケイト・フリートウッド(Kate Fleetwood))は魔女的で妖艶でもあり一寸怖くもあるのですが、“一旦誓ったことなら自分のお乳をあげた子供でも殺す”と言うマクベス夫人の台詞の、“子供を育てたことがある”のところで、マクベスがはっとして夫人を抱きしめるんです。“ああ、この夫婦は子供をなくして、それがいまだに傷になっているんだな”と演技だけで感じられます(すごい)。そんなマクベスだったのに……。

 

王になった途端、マクベスは恐怖政治を行なっていきます。原作以上に暗殺や処刑場面がこれでもかと出てきます。上のガーディアンの記事で、「『殺人』という言葉を使う前に立ち止まる内省的な軍人」から「不安を抱えたモンスターに」と書かれている通りの印象です。

 

王位簒奪の後ろ暗さとか、バンクォーの子孫に王位を奪われる不安に耐えられなくなったためというより、暴君的な資質が実はマクベスの中にあり、魔女の予言や王殺しによってその蓋が開いてしまった、そんな風にも思えました。人徳がある人かと思っていたのに、トップに就任したらとんでもなかったみたいなことがありますよね。仮にダンカン王の指名で正当に王になったとしても、やばかったかもしれないとすら思えるマクベスです。権力を脅かす者に容赦がありません。マクベス夫人でさえ夫がそうなると思っていなかった節があり(やさしい人だと思っている訳ですし)、王になってから夫人の手を取るマクベスは、夫人がその罪や重荷から逃げることを許さないというように、夫人の手を握ります。

 

バンクォーの暗殺者がこの演出ではあまり面識のない部下の設定のようで、暗殺依頼の場面でも、暗殺者がマクベスの嘘に騙されるというより、気が進まないのにマクベスが怖くて断れない感じ。スチュワート・マクベスにはその圧と恐怖があります。晩餐会までにはもう相当に処刑が行われていて、招待客達も、マクベスの意に少しでも逆らわないよう戦々恐々としていて嫌な雰囲気です。その招待客達も、ロス以外はほぼ同じ制服の軍人達で、やはりナチスソ連の高官を思わせます。亡霊で取り乱したのを誤魔化すように音楽をかけて皆で踊るのですが、そこもいかにもトップの機嫌を取る滑稽な茶番に見えます。

 

容赦のない処刑や追従が描かれるので、亡命中のマルカムの警戒にも更に説得力が生まれます。マルカムがマクダフを試すために自分を貶める嘘を吐き、それでもマクダフがマルカムを持ち上げているうちは信用しないのが今回とても腑に落ちました。その一方、(これはなんとなくそう見えただけで、気のせいかもしれませんが)妻子を殺されたマクダフに、マルカムが「悲しみの傷口を癒す薬は一つ、復讐するのだ」と言うところは、そんな感情すら利用する冷淡さを感じ、この人が次の王で大丈夫だろうかと不安がよぎるのです。

 

マクダフの怒りと憎しみも、彼の妻子が早い段階から登場する形にされているので共感しやすくなる一方、現代化演出なので、原作通りマクベスの首を持ち帰るところが過剰に暴力的な制裁として危うく見えます。マクベスがいなくなり、マルカム・マクダフ体制なっても、恐怖政治が果たして終わるのか嫌な感じが残ります。加えて、ホラー風味だったりも……。

 

ここもかなり私の思い込みがある気がするものの、tomorrow speechに感じたのは寒々とした空虚。これまではマクベスの絶望や哀しみを感じましたが、受ける印象がやはり少し違いました。

 

マクベスの最期は、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの、クリストファー・エクルストンマクベス(2018年・フィンドレイ演出版)とも似ていました。あまり書くとネタバレし過ぎになってしまうし、ぼかして書いたらわからないしで困るのですが、これを観たときに意外で、“あ、こんな風にするの?”と思ったんです。その時は台詞を変えているのかと思ったくらいでした。ですが、今回、原文テキストで確認したら、原文通りの“Lay on, Macduff, And damn'd be him that first cries, 'Hold, enough!' ”のままで、小田島雄志版の翻訳と語順が違い、また、元の素直な文脈とは多分違うニュアンスの言い方だったので、私には台詞自体を変更したように聞こえたのだとわかりました。小田島雄志訳しか見ていませんが、それでは成立しない言い方なんです。でも、この2本を観た後に原文を確認して、確かにこの解釈=言い方はありだと思えましたし、特にこのマクベスには相応しい気もします。(って書いても、全然伝わらないですよね。しかもなんだか変にネタバレ的だし。すみませんー。)

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

広告