『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

宇野信夫作、歌舞伎座『花の御所始末』感想

『リチャード3世』(以下、RⅢ)から着想を得たという室町幕府第6代将軍足利義教を主人公にした作品です。40年ぶりの歌舞伎座での再演と聞いて、観たい観たいと言っていながら、4月半ばから配信になっていたのに気づくのが遅れました。 

 

natalie.mu

www.kabuki-bito.jp

 

見逃さなくてよかったー、個人的にはかなりツボな作品でした。松本幸四郎さんでの再演と配信ありがとうございます!という気持ちです。舞台装置も花の御所の名の通り季節の花が美しく印象的で、実がないと歌にある山吹が最初の場面にあったのも意味深だったかもしれませんし、最後近くの場面で、周囲に彼岸花が咲く廊下を義教が『鵜飼』の閻魔大王の能装束で歩いていくのも滅亡的な美を感じます。

 

『リチャード3世』との絡み

幸四郎さんは、こういう悪い役が本当に似合って素敵だなと思いました。家族の前では殊勝に振る舞いながらも、家臣には序盤から横暴非道な足利義教。序盤から横暴なのはあまりリチャード3世っぽくなくて、もしかしたら足利義教の史料準拠かもしれませんが、無軌道ぶりは敢えて言うならリチャード2世っぽい気もします。でもこの横暴さに華を感じるんですよね、歌舞伎だからなのか幸四郎さんの華ということなのか。華を感じる点はやはりRⅢ的なのかもしれません。

 

理不尽に怒り散らす義教の標的にされるのが、畠山左馬之助(市川染五郎さん)と安積行秀(片岡愛之助さん)主従。短いシーンで“ああ、彼らは心のきれいな人達だな”と思えます。台詞がかなり説明的だからでもありつつ、それ以上に愛之助・行秀の忠臣ぶりと、染五郎・左馬之助の真っ直ぐな雰囲気が醸されます。役柄的にはRⅢリッチモンドが安積行秀なのでしょうが、左馬之助は正統派王子風で雰囲気的にリッチモンドの感じがするのが左馬之助です。家臣なのに王子って変でしょうが、染五郎さんにそんなオーラがあってRⅢの塔の王子達も重ねられているのが左馬之助かなと思いました。

 

横暴に振舞う義教にも甘く、でもうまく操縦する傅(もり)役風なのが、中村芝翫さんの畠山満家=バッキンガム。年配の余裕を感じさせる芝翫さんの作りもかっこよかったですし、こういう設定もいい!と思いました。満家についてはそれだけでない設定もあるのですが(ネタバレなのでこれは後から書きますね)、前半はむしろ満家が義教より何枚かうわてで、企んでいるようにも見えます。

 

不行状を理由に謹慎させられ、後で殺される兄・義嗣(坂東亀蔵さん)はクラレンス公ジョージに当たると思いますが、兄より義教の方が母親から愛され父にも目をかけられている設定だし(ここはRⅢを逆にしたとも考えられますが)、義教は外見もいいので、この2人の関係はどちらかというと『リア王』のエドガーとエドマンドの感じがしました。

 

義教の父・足利義満河原崎権十郎さん)がRⅢでの兄エドワード4世王の役柄、義教の妹・入江(中村雀右衛門さん)の位置づけや意味は今ひとつわからなかったものの、義教の妻(?)になる北野の方(片岡千壽さん)とで、アンの善性と悪性を分けた感じになるんでしょうか。尤も、この辺はあまりRⅢと対応させて考えない方がいいのかもしれません。

 

薔薇王ファンへのアピールポイント

『薔薇王の葬列』をご存知ない方は飛ばして下さい。個人的には、芝翫さんの畠山満家は『王妃と薔薇の騎士』の方のバッキンガムを悪役にした感じがあって、それも楽しめました。義教は『薔薇』リチャードと違って野心満々ですが、やはり満家=バッキンガムが主導していく感もあるんですよね。後はネタバレ的になるものの、義教も本当の父親が違う人だったという話にもなっています。

 

能『鵜飼』

能『鵜飼』というのは、殺生を禁じられた地で魚を獲っていたために殺され(それで殺されるというのもどうよとは思いますが)、閻魔大王の裁きで功徳が認められて救われたという話なのだそうです。こちらのサイトには「その業から離れて生きることの出来ない悲しさや、執心の強さ、地獄に落ちた苦しみが何れも良く描かれて」いるとあります。

 

www.hakusho-kai.net

 

この話も絡めているんでしょう。許す方の閻魔の装束を義教が身につけているのが皮肉に見えます。とはいえ、“これから幸四郎さんの舞も見られるのか”とわくわくしたら、矢が飛んできて中止という展開でした、ざ、残念。せめて舞っている最中に中断だったら……(欲張り)。

 

画像の下から更にネタバレを入れた感想です。

 

写真AC

 

その他のシェイクスピア作品

リチャード3世は兄や政敵を殺す際は暗殺者を使ったり処刑したりで自ら手を下しませんが、義教は父・義満も兄・義嗣も自ら手にかけます。特に父・義満の殺害場面は刀を使い、義教の白い衣装に真っ赤な血がついて鮮烈で、ここはむしろ『マクベス』のような印象です。マクベスが殺すダンカン王は“父のような人”で、実は義満も本当の父ではなかったことを義教は後から知る話になっています。RⅢと『マクベス』が違っているように見えてもプロットとしては似ているということかもしれませんが……。

 

義教の実の父が畠山満家であったことは徐々に明らかにされ、義満殺害後に義教は妹・入江からその秘密を告げられます。母違いのエドマンドとエドガーのように見えた兄弟は、父違いで一方が母に愛されていたことになります。満家はやり手な傅役かと思ったら、義教の母・廉子(市川高麗蔵さん)に手を絡める場面での芝翫さんの黒さと色っぽさに『ハムレット』のクローディアスみたいだと思いました。ですが、よく考えてみると悪役なのと母と関係したこと以外には、クローディアス要素も『ハムレット』要素もなかったんですよね。ツイートに『ハムレット』も入ってるんじゃないかと書いたのは書き過ぎだったと思います。ハムレットがクローディアスの息子という説が一言だけ以下の論文の注23に書かれていたりはしますが、レアすぎる解釈ですし(この設定は面白そう)。

 

http://www.sipec.aoyama.ac.jp/uploads/03/f92ec8e8ffd35402536bc9bd46744875bed63d14.pdf

 

義教と満家

満家は、義教が義満を殺したことも、自分の息子・左馬之助が義教の計略で罪の意識にかられ自死したことも、義教が本当の父が満家だと知ったことも全て陰から聞いていて、その上でなお傅役的に義教に鷹揚に助言します。義満は病死とし、謀反の罪ということで今夜兄・義嗣を処刑なさい、と。満家は兄を殺す場に同行し、将軍の座に着くことになった義教に「おめでとう」と言って手を握ります。むしろマクベス夫人的かもしれませんし(主導的なだけでなく、息子も亡くなっている)、口に出さない父と息子で相剋的でもあります。義教と満家が濃密で複雑な関係です。

 

義教の妻(?)になる北野の方は、元々満家の愛妾だった設定です。満家が義満に斡旋し、義満を殺した直後に義教が彼女も奪います。北野の方は義満殺害に怯えてもすぐ義教に靡く女性で、“アンをそう描いたか”とそこでの面白さはなかったものの、義教と満家が密談中に部屋に入り、はっとした彼女を義教が腕に抱いて挑発的な目で満家を見るシーンはよかったです。多分、北野の方のことは(義教も、作者も)本当はどうでもよくて、男性性の誇示なんでしょう。義満の権力を奪い、実の父・満家と張り合うもう1つの象徴としてはよかったと思います。

 

上で書いたように、この辺までは満家の方がうわてな感じもするのですが、2幕になるとその力関係が一気に逆転します。登場した瞬間にわかる満家の老いと衰退、同時に、権力や義教への未練と執着。ここも芝翫さんが見事と思いました。義教を将軍にした功績だけでなく秘密を握っていることを盾に、自分を蔑ろにできないはずとしつこく義教に言い寄ります。義教は満家も殺害しますが、それは彼の脅しや権力欲が将軍の座を危うくするからというより、(父であると示し始めたことも含めて)彼の卑しさをこれ以上目にしたくなかったからのようにも思えます。ここはリチャードとバッキンガムが離反する場面がうまく改変され、元のRⅢより残酷でいいシーンになっているかもしれないと思いました。

 

もっと足掻く義教が見たかった気も……

この後も『鵜飼』への着替えとか、義教を中傷する戯れ歌一揆の取締りとかRⅢとは少し違う話も出てくるものの、義教が荒んでいったり、殺害した人々が夢か亡霊のように出てきたり、と展開的にはRⅢと思えます。

 

実は終幕だけはあまり納得できない展開でした。それを最後に書くと全体の印象が悪くなりそうですが、全体的にはかなり好みで刺さる作品でした、と前置きの上で。

 

最終場面で、義教が安積行秀と対峙したところで、なぜか妹・入江が登場し義教を諭すか非難するかのように、自分は父や兄の犠牲にされてきたが最期は自分の意志と心に従うと言って自刃します(この言葉は『薔薇王』のアンのようでもあります)。それを見た義教は、行秀に介錯させてやると言って切腹する結末です。ですが、入江の言葉か死かが義教に与えたものがわからないんですよね。入江が出てこなくても、というか出てこない方がこの場面はよかった気がします。行秀がリッチモンドというより『マクベス』のマクダフのような雰囲気なので(新たに王になる人というより国を救い仇を討ちたい忠臣に見えるし、対面での台詞のやりとりもある)、入江=マクベス夫人かな、とも思ったんですが、善良で義教と距離のあった入江が死ぬのと一蓮托生の夫人が死ぬのは意味が違います。義教が入江に特別な感情を持っていたような描写もありません。

 

リチャード3世については、演出によっては自殺的、そこまで明示的でなくても自滅的エンドも観てきたので、荒んだ義教の結末としては自刃もありかもしれませんが、行秀が出てきて対峙した意味が減ってしまうし、この義教は足掻く方がなんとなく似合っている気がします(しかも行秀は介錯できないままで、そこもよくわからない感じでした)。マクベスも演出によっては、“Lay on, Macduff, And damned be him that first cries ‘Hold! Enough!’”(「かかってこい、マクダフ、先に「まいった」と弱音を吐いたやつが地獄へまいることになろう。」(小田島雄志訳・白水社版」)の台詞を、まさに‘Hold! Enough!’で途中でもう諦めた感じにするのもあるんですが、それでもいいんです、途中で降りてもいいのでこの義教には足掻いて欲しかったと思ってしまいました。