『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

デボラ・ワーナー演出、フィオナ・ショウ主演『リチャード2世』感想

デボラ・ワーナー(Deborah Warner)演出、フィオナ・ショウ(Fiona Shaw)主演『リチャード2世』。舞台そのものでなく、1995年の上演版をスタジオで映像化したもののようです。『ホロウ・クラウン』の『リチャード2世』がとても好きなのですが(最近上演の新国立のものは残念ながら観てないんですよね)、また全然違ってよかったです

 

無料配信は終了してしまいましたが、こちらから有料配信では観られるようです。

Watch Richard II Online | Vimeo On Demand on Vimeo

 

演者への好みはあるかもしれませんが、『薔薇王』的な世界観の気がしました。『薔薇王』でも『リチャード2世』オマージュがあるんじゃないかなという気がしてワーナー演出版はその点でも興味深いところがありました。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

感想を書いた後で、ワーナーとショウによる解説動画がyoutubeにあったので3つめの画像の前にリンクしました。開設動画を見たら、感想で書いた推測と違っていることがわかったのですが、その推測についてはそのまま残しています。推したいところがややネタバレ気味でもあって段階的に画像を挟んでいます。youtubeの解説動画もある程度ネタバレ的と言えばネタバレ的なのですが、逆に言えば、画像を挟んで書いた感想でのネタバレも問題にならない程度ということかもしれません。解説動画でも、舞台イメージは見ていただけそうです。

 

『リチャード2世』は、四大悲劇などと比べると正邪が複雑ではっきりしない感じがありますよね。逆に四大悲劇は、多様な視点が折り込まれているとはいえ、また主人公が悪役でも、基本的にはわかりやすくエンタメ的に作ってある気がします。『リチャード3世』などは四大悲劇に近い印象です。

 

(あらすじ)

ストーリーは、リチャード2世王に、臣下のボリングブルックとモーブレーのそれぞれが、互いが王に対する反逆を企んでいると王に訴えるところから始まります。訴えに決着がつかず2人は決闘することになりますが、王はそれを中断させ2人共に国外追放を命じます。リチャード2世は、自身の王位が神から与えられた絶対的なものと信じていますが、政治的・軍事的手腕はなく失敗を重ね、ランカスター公(追放中のボリングブルックの父)が没すると、出兵資金の調達のためにその財産を接収。王族・貴族達は、そんなリチャード2世に聖性と権威は認めつつも、彼の失政や身分の低い寵臣の重用に不満が募っており、ランカスター公の財産接収に怒って事を構えることに。そこに財産と権利が奪われたことを承服できないボリングブルックがイングランドに戻ってきて、彼らと共に反乱を起こし、王の寵臣の何人かを処刑します。ボリングブルックの要求は自身の財産と権利を取り戻す事だったのですが、劣勢になった王は王位を彼に譲ると言い、その後は転落するように、ボリングブルックや周囲の者によって幽閉されます。そして新王ボリングブルック(ヘンリー4世)とリチャード2世の考えを間違って忖度した臣下によって、リチャードは暗殺されます。

 

私的には、映像がデレク・ジャーマン監督の『エドワード2世』っぽい気がしました(元々話も少し似ていると言われていますよね)。フィオナ・ショウが女性で初めてリチャード2世を演じたとのことで、男役のままリチャード2世を演じており、それ以外は原作通り女性役は女性、男性役は男性です。

 

以下、推しポイントについてはネタバレ的なので、少しずつ画像を挟みます。この画像の下から内容について書いています。

 

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で、メインのネタバレですが、ワーナー版の『リチャード2世』は、リチャード2×ボリングブルック(=後のヘンリー4世)なんです!多少邪に見ているかもしれないところは割り引いて下さい。

 

最初に、ボリングブルックとモーブレーが、双方が王に反逆をしているとして相手を訴え決闘になるところから、“贔屓はしない”と言いながら、王はボリングブルックに目をかけていることがわかり彼にだけキスしています。王が決闘を止めるのも、ボリングブルックが決闘するのを見ていられなかったからのように思えますし、ボリングブルックが追放を嘆くのも王に会えなくなるからのように見えてしまいます。この辺りでは、ボリングブルックが憧れ崇拝するように王を見ています。これで後からの謀反をどうやって描くんだろうと思えるくらい。(『薔薇王』民の皆さまには、見知った感覚だろうと思います。)

 

こういう話にできるのかと驚きながら、でも考えてみれば『リチャード2世』解釈としてはありかもとも思いました。白水社の『リチャード2世』の解説(渡辺喜之)によると、『リチャード2世』って、内容的にも上演のタイミング的にも、エリザベス女王エセックスに擬えられている説があるとのことなのです。この劇の以前から、寵臣を侍らせていたエリザベス女王がリチャード2世のようだと揶揄する声はあり、また、エセックス伯は女王の意に反して遠征中のアイルランドから帰還してその後反乱を起こしますが、その反乱の直前に『リチャード2世』が上演され、その上演に反乱を扇動する効果が期待されたとも考えられているようです。ですが、その以前には、エセックス伯は女王から寵愛を受け後継者に目されてもいました。リチャード2世をフィオナ・ショウが演じたことからも、このエリザベス女王エセックス伯を更に重ね合わせ、寵愛部分を入れてきたのではないかという気もします。

 

後半部分のネタバレは更に画像を挟みます。大袈裟ですが……。

 

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Nicholas Hilliard, Public domain, via Wikimedia Commons


 

ボリングブルックの謀反とされる、追放処分中に彼が戻ってきてしまった話については、原作通り、身分財産まで没収になるのは承知できないという形です。ですが、ここでも(思い入れをもって観るせいかもしれませんが)、なんだか、身分と財産がなくなって王の側に戻れなくなることに彼が焦れてしまったようにも見えます。それが、リチャード2世の軍事も含めた治世のあり方に反対する、ノーサンバランド達の動きと結びついてしまった感じです。ボリングブルック達がリチャード2世の寵臣達を処刑する箇所は、『ホロウ・クラウン』では彼らへのホモ・フォビア的反発と政権闘争的ニュアンスを感じましたが、こちらでは王に自分の悪口を吹き込んだことをボリングブルックが恨んだり取り巻きに嫉妬したようにも思えました。

 

後半、反対勢力の中にいるボリングブルックには王の風格が見えます。(ボリングブルック役のリチャード・ブレマー(Richard Bremmer)は、リチャード3世の肖像画に少し似ている気がします……。)

 

ですが、リチャード2世と対峙すると、ボリングブルックが臣下の顔になってしまうのが凄い。謀反の後にリチャード2世とボリングブルックが初めて会って話し、どういう訳か王位を譲る話になってしまう場面(3幕3場)では、ボリングブルックは原作の台詞の通り礼を尽くし、自分の真心を見てもらいたいという感じです。王位を譲ると言っているのにリチャード2世の方がここでも優位に見えます。ボリングブルックの心は王冠にあるだろうというリチャード2世の台詞は、ボリングブルックの方はリチャード2世への想いがあるのに、リチャード2世の方は反乱を起こしたボリングブルックとの関係を絶って王位の方を彼に与えたように私には思えました。とはいえ、「欲しいものは喜んで差し上げよう」辺りの台詞はボリングブルックを後ろから抱いて言うんですよね。

 

その後の、まさに王冠を譲る場面の4幕2場では、皆の前で王位を譲ることが肝のはずなのに、もうリチャード2世とボリングブルックだけの世界みたいな感じで、2人が見つめあって想いを語り、他の人達の台詞がそこに介入する雑音に聞こえます。王冠を2人で持っている場面も、王位・王冠以上に、2人の互いへの想いを感じます。でも、ここですらリチャード2世が優位で、ボリングブルックが下手に出ている感じもあります。『薔薇王』フィルターが掛かっているかもしれませんが、ボリングブルックが本当に手に入れたかったのはリチャード2世で、一番の腹心としてリチャード2世に仕えることが彼の望みだったのに、リチャード2世の代わりに王冠を手に入れることになったような気がするのです。そして、せめてリチャード2世が望んで王位を譲るかと思っていたら、彼は王でなくなった自分は自分でないとか言う訳ですよ。先に涙を流すのはリチャード2世ですが、ずっと涙をたたえながらこらえて最後に涙するのはボリングブルック。ボリングブルックの方が悲しそうに見えます。

 

ワーナーとショウによる解説があったのでリンクします。

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com

 

現在は女性キャストがシェイクスピアの男性役を演じることが当たり前のようになっていますが、1990年代でも結構珍しかったようで、一寸ググったら当時か少し後の批評でもリチャード2世を女性が演じることへの評価は分かれていたようです。(と言いつつ、私も今年の色々な配信を観るまで、英語圏でここまでジェンダー・ミックスでの上演がなされているとは知りませんでした。でも、むしろかつてはサラ・ベルナールハムレットを演じたりもしていましたよね。)

 

ワーナー自身も、このキャスティングについて、観客は好意的でも批評家からの評価が真っ二つに分かれたと言っていました。それでも、この後次々とシェイクスピアのメインの男性役を女性キャストが演じるようになったということです。このプロダクションあたりが先駆けのようですね。必ずしもそれを意図した訳ではなかったそうですが、結果的にそんな影響をもたらしたことをワーナーは喜んでいました。そこでドンマー・ウェアハウスの『シェイクスピア3部作』に言及されていたのも、個人的には嬉しかったです。これも本当に素敵な作品でしたので。

 

キャストと、エリザベス1世エセックス伯のことは全然関係なかったみたいです。ここは全くの妄想でした、すみません……。ワーナーは、リチャード2世が自身を神のような存在と誤認していることと、その彼を、異なる性の女性が演じる効果を語っていました。また、むしろ史実的に、リチャード2世とボリングブルックは年齢も同じくらいで、同じ乳母に育てられ、「兄弟以上に恋人のように」近しい関係だったそうです。その2人の関係が、リチャード2世がボリングブルックの追放を言い渡したことで壊れたということらしいです。ショウは、リチャード2世がそもそも女性性をもつキャラクターとして演じられていたと語っていました。また、半意識的にリチャードとボリングブルックの間のゲイネスを探っていたと思うと述べ、多少素朴だったかもしれないが、女性が演じるリチャード2世と男性が演じるボリングブルックとの親密な関係や、王冠の譲渡について政治権力だけでないもっと深いものを示せたと思う、ともしています(←誤解してたら、すみませんー)。確かに、まさにそんな感じでした。

 

(『ホロウ・クラウン』では、リチャード2世とボリングブルックとの間には恋人的関係を全く想像しませんでしたが、この解説を聞いたら、私が見落としていただけで、注目したらそんな関係が見えるのかもしれないと思ったりしました。)

 

後場面の箇所についてはまた画像を挟みます。

 

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最後の方はかなり省略されていて、4幕2場と、幽閉されたリチャード2世の独白を最後のクライマックスにしたんだろうと思いました。この独白にカットバックの形でリチャード2世の殺害場面が重なって、ほぼ最後の場面になります。ヨーク公夫妻の話とか、エクストンとボリングブロックとの対話とかもありませんが、2人に焦点を当てる形で演出としてはすっきりする気がしました。最後が、棺に横たわるリチャード2世にキスするボリングブルック。ここも(ストーリー的にというより)雰囲気的に『薔薇王』っぽくてよかったです。