『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

14巻65話愛と荊棘について

(薔薇王の葬列アニメ20話対応)

(※ネタバレになっていますので、ご了解の上お進みください。)

 

61話の感想記事と逆の言い方になりますが、“バッキンガム、なぜこんな……”と心情的に辛くなる一方で、謀反がこういう形で描かれるのか!という興奮がありますし、『リチャード3世』(以下、RⅢ)・他作品(?)・史料の掛け合わせの面白さや、美しい構成にほれぼれしてしまいます。13巻はRⅢの4幕2場を逆にしたかのようでしたが、14巻は子ども達をめぐる波乱や対立を軸にして元の4幕2場の流れに戻ってくる感じですね。

 

そして60話では、菅野先生、やっぱり仕掛けていたんだなと思いました。なんというか、60話は甘美で優しい音楽に不吉な通奏低音とか不協和音が入っている感じだったのが、ここにきて、不吉で悲劇的なモチーフが主旋律になったみたいな印象です。展開自体は予想させず不安を予期させるモチーフが60話にきっちり入っていた気がします。60話感想で、バッキンガムが愛に振れて2人だけの世界を希求する方に行っていないか、とか、森の屋敷は、王冠と愛の選択からのウォリックの謀反を思い出させるとか、父の名からの解放は父が命をかけた王冠を忘れることにもなる気がするとか書いたのですが、この辺が仄めかされていたと思います。そうでいながら、こういうストーリーになるのかという驚きがあります。

  

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バッキンガムの謀反について

薬に言及はしながらリチャードは尚も妊娠などジェーンの妄想だと言い、ヨークでの戴冠式に共に行こうとバッキンガムを誘います。「お前に傍にいてほしい、ふたりで手にした王冠だ」。ここもRⅢ4幕2場の冒頭に似ています。RⅢではリチャードは周囲の者を下がらせて、バッキンガムに「手を貸してくれ」と玉座に上がり「お前の忠告と助力によって王リチャードはこの高みに昇れた」と言います(松岡和子訳・ちくま文庫版)。

 

ですが妊娠の可能性を聞いた『薔薇』バッキンガムは、リチャード自身と子どもに対する想いを断ち切れなくなり、ワインに眠り薬を入れてリチャードを監禁するに至りました。王は重病ということにして政務はバッキンガムが行い、〈森の奥かどこか〉で〈2人で暮らせる屋敷を用意する〉というのです。

 

RⅢでは、バッキンガムの謀反は、王子達の暗殺をめぐるリチャードとの対立と領地の約束が反故にされたことから起きています。他方、史料では、そこがあまり判然としていないようです。王子達の件がそもそもはっきりしませんし、60話記事でも引いたように、むしろバッキンガムに恩賞は十分あったはずという見解もあります。引き続き『悪王リチャード3世の素顔』を引かせてもらえれば、「一つの有力な意見は、彼が(中略)王位を狙っていたというものである」、それでもリチャードからの重用や前後の経緯を考えると「バッキンガム公の反乱はその動機が不明確であるばかりでなく、その後の成り行きも不思議なことだらけ」とされます。

 

この辺りに掛けた素晴らしいひねり方に思えます。全く異なる形で子どもをめぐる対立になり(=RⅢ)、恩賞は十分あったはずでも(=史料・60話)、その後、バッキンガムがリチャード自身を得られないことに耐えられず(誓約は否定されたものの、『薔薇』バッキンガムは誓約時点で領地でなくリチャード自身を求めていました)(=RⅢ)、外からはわからない事情で、王になり代ろうとした(=史料)ことになります。

 

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贈られた指輪について

言ってみれば愛の暴走なので、リチャードを監禁しながらも、バッキンガムは「あんたに魂を捧げる、誓いの証だ」と指輪を贈りました。

 

指輪エピソードは、60話つながりで『ヴェニスの商人』、あるいはRⅢ(アンへの求婚場面)と掛けられているでしょうか(この両方の可能性も?)。台詞的にはRⅢが近いかな、という気がしました。

 

リチャード 指輪も心もあなたのもとに。どちらもあなたのものなのだから。私はあなたに献身的に仕える哀れな僕(しもべ)だ、ひとつだけ願いを聞き届けていただけるなら私の幸せは永遠に保証される。(松岡訳)(「僕=servant」は恋人の意味があるという松岡先生の注が付いています)。

 

この指輪はリチャード3世の肖像画から、とトークイベントで菅野先生が回答されていました。(皆さんがいい質問をして下さってありがたいですー、嬉しい。)

 

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National Portrait Gallery, Public domain, via Wikimedia Commons

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これですね!これがバッキンガムから贈られたものという素敵設定! ……、……素敵設定……と思ったんです、が。(←またか)こういう解説があったんですよ。更に不吉な深読みになっていたらごめんなさい。

 

……肖像画は(中略)指輪が目立つように描かれ、これが重要なメッセージを伝えているように思われる。(中略)この3つの指輪が何を意味しているのかは解釈の域を出るものではないが、ただ常識的には親指は直系の親、薬指は配偶者の王妃、小指は子どもということになる。目立つ構図で小指に指輪を装着しようとしているのは、王家の後継者に問題があることを暗示している。 『図説・指輪の文化史』 (当然、『薔薇』での後継者の問題とは異なりますが。)

 

親指の指輪は戴冠式で描かれていました(上の指摘からすれば、これもとても意味のある描き方だったんですね)。父の名を継ぐ王冠と半身バッキンガムと子どもの問題の対立・葛藤が明確にされる今話で薬指の指輪がバッキンガムから贈られることも象徴的な気がしますし、小指の指輪がこれまで描かれていない気がしますよね。不安要素が描かれていないことが吉とも凶とも取れそうです。小指の指輪は私が見落としているだけかもしれないのですが……。

 

台詞・肖像画からは、『薔薇』のリチャード・バッキンガム、RⅢのアン・リチャードが重なる形に思えますが、RⅢ4幕2場でリチャードはこう言っています。

 

ここへ来い、ケイツビー。わが妻アンが、重病だと巷に噂を流せ。俺はアンを幽閉するように命令を出しておく。(河合祥一郎訳・角川文庫版)

(ケイツビーの働きは13巻も14巻もRⅢとは逆で、今回も幽閉から救う形ですね。)

 

こんなことを書いてからだと言い訳に聞こえそうですが、それでも指輪は素敵設定だと思うんです。65話では、王冠か愛かの選択も、また王冠の両面性も愛の両面性も、これまでの様々な話を想起させながら描かれているように感じます。RⅢの指輪に関する台詞も抜き出すととてもロマンティックで、そのロマンティックな意味でバッキンガムの台詞にしているように思えます。でも、RⅢの元の文脈では違うニュアンスですし、この状況での指輪もバッキンガムの言葉も本人の想いとは別に皮肉な面もあり、そういう両面性または多義性を意識した描写ではないかと想像します。

 

王冠と愛について

過去にはキングメイカー・ウォリックが、王冠より愛を取ったエドワード王を監禁し政務を握ろうとしましたが、バッキンガムは自分が愛を取るために王を監禁し政務を執ると言っています。(もっとも、『ヘンリー6世』とは少し違って『薔薇』のウォリックにはかなり嫉妬と愛も感じられ、バッキンガムと似ているところもあるかもしれません。)また、その原因となったエドワード王とエリザベスの密会時、森の屋敷でリチャードと過ごしたヘンリーはリチャードと2人での暮らしを望んでいました。“ヘンリー”と名前を呼ばれたバッキンガムが、同じようなことを望んでいるとも言えそうです。61話からはバッキンガムの傍に過去のヘンリーがつきまとってもいます。菅野先生がこれもトークイベントで、バッキンガムとティレルがこれほど絡む予定はなかったと言っておられて意外でしたが、でもこういう流れになったのはすごく面白いと思います。

 

3巻10話と12話でヘンリーとバッキンガムが対照的に描かれているように思い、12話の記事で2人についてこう書きました。「ヘンリーは、リチャードの愛への希求と孤独を敏感に察知」しても「王冠や権力への欲望には気づかない人」で、「片やバッキンガムは、リチャードの王冠への欲望には聡いものの、その寂しさや愛情への渇望にはあまり目を向けようとして」来なかったように思えました。それが、リチャードが求める愛情に、そして自分自身の愛情に気づいた時に、バッキンガムはリチャードの王冠への思いに目をつぶってしまったように思えます。

 

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6巻の時点では、ヘンリーとの森で暮らしを望んだリチャードに、バッキンガムの方が「見込み違いだった」と失望していました。また、バッキンガムは「奴らは俺の血と権力を」「ずっと鎖で繋いできた」「俺は、奴らに一生飼い殺しにされるつもりはない…!」とも言ってもいたのに、それなのに。(12巻でも類似の描写はあるので、明確に変化を描いているのだと思います。)バッキンガムからは確かに身も心も愛されても、6巻で夢想された森での暮らしより、今話での屋敷で刺繍をするリチャードの方が暗い画で不毛感が醸されている気がします。

 

65話の扉絵も、バッキンガムとの愛が、あるいはバッキンガム自身が、リチャードにとって荊棘になってしまったかのようで辛い……。バッキンガムも愛に絡めとられて荊棘を切り裂けなくなっていますし(63話)。60話で“ちゃんと分わけた”形で2人の想いが重なったように思いましたが、そこで交差し違う方向に向かってしまったような切なさです。

 

ヘンリーは自分を羊飼いだと言い、王位を捨ててリチャードとの暮らしを望み、ですが最後に王として振る舞おうとした時に戦場で敵対するリチャードに遭遇しました。その後、命さえ捨てて愛を全うしようとしたリチャードをヘンリーは裏切る形になりました。それに対して、「あんたに王冠をくれてやる」と王位簒奪に共に突き進んだ半身のバッキンガムは、ここで、愛を全うするためにリチャードに王位を捨てることを迫っていることになります。ヘンリーは愛を裏切り、バッキンガムは愛で裏切ったと言えるかもしれません。

 

こういう構図がすごく綺麗ですよね。

 

愛と荊棘について:プロセルピナと『冬物語

今回も全然違うかもと思いつつ、愛した者を閉じ込めるプロットで想像したのが『変身物語』の「プロセルピナの略奪」と『冬物語』です。本編のストーリーそのものでも愛の両面性または愛のネガティブな面が描かれていると思いますが、もしオマージュがあるとすれば、『冬物語』もそういう話のように思います。

 

「プロセルピナの略奪」では、冥王がクピードの愛の矢に撃たれてプロセルピナを見初め、拐って冥府に捕え、プロセルピナはそこで石榴を食べてしまったために彼の妻になります。プロセルピナを探して取り戻そうとする母ケレスのポジションが(セシリーではなく)ケイツビーと言えるかも。少し前ですが、『プリンセス』の表紙で石榴を持ったリチャードが描かれたことがありましたよね。石榴で連想したのがプロセルピナだったので、もし今話で使われたとすると個人的には納得感があります。今回、リチャードがワインで眠らされたり、バッキンガムが手ずからリチャードに食事を食べさせたりもしていたのもこの連想につながりました。

 

 

プロセルピナの話が台詞に出てきたり、話の構造としても使われていると言われているのが『冬物語』です。ですが、プロセルピナの話が使われているところ以上に、『冬物語』では、主人公のシチリア王が愛と嫉妬に駆られて懐妊している妻ハーマイオニを幽閉したり殺そうとしたり、ボヘミアの王子フロリゼル王位継承権を捨てて愛を取ろうとしたりします。(今回見たらフロリゼルに「ぼくは愛をとります」“I am heir to my affection.”って台詞があったことに気づきました(小田島雄志訳・白水社版)。)

 

冬物語』については特に後半のネタバレを避けたいのでぼかして書こうとは思いますが、『冬物語』を最初から楽しみたい方は、また画像を挟みますので、この下のロセッティのプロセルピナの画像をクリックして下さい。あと、無駄に長いのでここは飛ばしたい方も。

 

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Dante Gabriel Rossetti, Public domain, via Wikimedia Commons

 

冬物語』では、シチリア王リオンティーズが、妻ハーマイオニとボヘミア王が不倫関係にあると思い込んで、ボヘミア王を殺そうと企んだり、ハーマイオニを幽閉し処刑しようとしたりします。彼はハーマイオニのお腹の中の子どもも、その前に生まれた王子マミリアスも自分の子ではないかもしれないと疑い、幽閉中にハーマイオニが産んだ子どもを殺そうとし、それは思いとどまったもののその子を捨てさせます。

 

リオンティーズにボヘミア王殺害を命じられたシチリアの貴族カミローは、それを実行せずボヘミア王を逃して彼に仕えます。そしてその何年も後、ボヘミアでは、王の息子フロリゼルが身分違いの羊飼いの娘に恋をし、「ぼくは愛をとります」と言ってボヘミア王を怒らせますが……、という流れです。この後がなんとなく予想可能かもしれません。

 

あらすじを書いてもやっぱり違うと言われそうですが、擬えるなら、リオンティーズ(と愛を取る点でフロリゼル)がバッキンガム、ハーマイオニがリチャード、父の子でないと疑われる王子マミリアスがエドワード。リオンティーズが嫉妬するボヘミア王にはヘンリーも該当しますが(63話)、むしろ65話では王冠あるいは“リチャード3世”(「王の名」としてのヨーク公を入れてもいいかもしれません)。そもそもリオンティーズは、子どもの頃からボヘミア王が大好きなんですよ。長期滞在したボヘミア王が帰国すると言うので、リオンティーズは、ボヘミア王を自分の元に留めてもらうようハーマイオニに求めました。それなのに、ハーマイオニがボヘミア王を引き止めることに成功したら、2人の間を猛烈に嫉妬し不倫を疑います。リオンティーズにこんな台詞があります。

 

Affection! thy intention stabs the centre:

Thou dost make possible things not so held,

愛!お前は体の中心を刺し貫く。ありえないはずのことを可能にする。

(ここは英語から訳しました)

 

オセローが陥れられて嫉妬するのとは異なり、リオンティーズもバッキンガムも愛と嫉妬に自分で自分を追い込んで苦しんでいる感があります。突然その考えに捕われたリオンティーズに比べればバッキンガムには理由があり了解可能とはいえ、リチャードを幽閉したまま政務を執るなどということが続くとは思えませんし、「皆が信じると思うのか」とリチャードに言われても止められないほど判断はおかしくなっていそうです。ジャンヌが言った「愛なんて狂乱の夢」が不吉に思い起こされます。上の台詞自体は、愛があればなんでもできるので絶対不倫しているはず、とハーマイオニ達に向けられたものですが、愛に捕われたリオンティーズに返ってくる言葉になっているように思うのです。63話の「“愛”など……、知ればもう二度と戻れはしない」とか、65話の〈すべては王冠の為――〉「違う……、違う!」〈何もかも、間違いだーー〉と言っているバッキンガムを重ねたくなります。

 

冬物語』でお腹の子を殺そうとするのはリオンティーズの方なので65話とは逆であるものの、産む側の意志にかかわらず生殺与奪権を握ろうとしている点では似ているとも言えます。子どもについては、プロセルピナ路線で考えると子どもはいない、『冬物語』路線で考えると無事に生き延びることになりますが、その子は「失われた子」という名前になっていたり(←色々書いておいて何も言っていないに等しいという)。

 

もし『冬物語』オマージュがあるとすればティレルは今後カミロー的になりそうな気もします。9巻でもバッキンガムの命には従わず、リチャードを「僕の王」とした経緯もありましたし……。

 

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cheetah   写真AC

 

眠りを奪う王冠について:『ヘンリー4世』

監禁に及んだバッキンガムから「あんたが王でなくなれば、ずっと一緒にいられる」「あんたも望んでいたはずだ!」と言われ、今話でもリチャードは揺れました。「この髪が黒いベールのように肩を覆えば、誰もあんたを“リチャード王”だとは思わない」。13巻ではリッチモンドを出し抜き、至福の時間になった仮装エピソードがここでもマイナスに作用する印象です。美しい姫の正体には誰も気づきませんでしたし、仮装舞踏会の夜には、王と公爵ではなく、「違う者」として愛し合うことをリチャードも望んでおり、そこで「なりたい者」になったとも言えそうでした。

 

13巻では、リチャードは、56話で“父の名を継ぐ息子リチャード”として王冠=光を掴み、60話ではそこからも解放された自分自身として愛を掴みました。その間に『ヴェニスの商人』オマージュが挟まれ、父の遺言も、金の王冠も、リチャードを縛るものでもあることが示唆されたように思います。他方、森の屋敷に行く流れによって、王の名からの解放が、ヨーク公も含む王冠への犠牲や遺志を忘れるものになる懸念も仄めかされた気がします。これは冒頭や60話の記事で書いた通りです。60話の記事では、リチャードとポーシャの重ね合わせは、ヨーク公の束縛からリチャードが距離を取れるようになった暗示かもしれないと書いたのですが、そうではなく、愛する人を選ぶことと父の遺志が対立する構図ということだったのかもしれません。加えて、『ヴェニスの商人』の箱の警句は、「われを選ぶものは所有するすべてを投げうつべし」だったんですよね……。バッキンガムの方は本当にすべてを投げうって、リチャードにもそれを求めています。

 

王冠と愛に迷うリチャードの前にジャンヌが現れ、「優しい温もりに包まれ黄金の眠りにつくーー」「呪いの声に怯えながら、ひとりで凍えることもない」と唆しながら、「名も無き“女”」の象徴のような裁縫の布を手に取ると、それが血に塗れ、2巻で処刑前のヨーク公に示された血だらけの布に変わります。ここのシークエンスもすごくいいですよね。すべてを捨てる愛と、父が命を掛けた血塗られた王冠が対置される形です。

 

この後では、バッキンガムが王冠の呪縛を語ります。〈絶望の夜に眠れぬ日々を過ごしながら、亡くしたものの大きさに押しつぶされる未来を選ぶのか〉〈今あんたを縛る荊棘は俺じゃない、玉座に染み付く数多の血と“王の名”だ……!〉

 

この王冠の描写は『ヘンリー4世』のハル(ヘンリー5世)の台詞を思わせました。ここも怪しいですが。

 

なぜ王冠が枕元においてあるのだ、添い寝してもらうには厄介な相手ではないか。(中略)お前は眠りの門である目を大きく開け放ち、数えきれぬ不眠の夜を招き入れる

 

お前は最高の黄金であり最悪の黄金だ(中略)最も純度が高く、最も尊ばれ、最も名高いお前は、お前の持ち主を食い尽くす。私は(中略)そう非難の言葉を浴びせつつ、王冠を頭に載せました、それを、目の前で父上を殺した敵に見立て、いわば真の跡継ぎとして復讐の戦いを挑むという気持ちでした。(松岡和子訳・ちくま文庫版)

 

ヘンリー5世は、王冠が眠りを奪い持ち主を食い尽くすものと承知した上で父からそれを受け継ぎます。13巻14巻では(王位簒奪までは血に塗れていても)楽園や光としての王冠が強調され、それでも夢見た楽園が掌中にできないことが徐々に示されていたように思いますが、10巻でのバッキンガムとの誓約の前にリチャードが求めていたのはヘンリー5世的な「闘う王」でした。41話では、ヘンリー5世の光の部分がリチャードに、闇の部分がエドワード王に割り振られる形でしたが、今話では王冠を非難する部分または前半の引用部がバッキンガムに、それを承知で父から王冠を継ぐ部分がリチャードに分け持たれているような印象です。元の台詞の「添い寝」にセクシュアルな意味はありませんが、ここではそれも含めたい感じです。

 

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今話でリチャードは闘いと苦痛を伴う王冠に立ち返ったようにも思います。バッキンガムが愛とリチャード自身を得ようと文字通り“拘束した”ことに対して、リチャードは、それが「権力(ちから)を持った誰かのもの」になる「荊棘」だと言い、改めて「運命に抗う」「権力」として王冠を求めます。そして、リチャードの方は43話の誓約に戻りました。「あの夜・・・、お前にはっきりいったはずだ、心から望むものは、王冠だ、と」。ヨークで待っていると告げたリチャードは、バッキンガムにこの王冠を担う半身になって欲しかったのではないかという気もします。

 

RⅢ4幕2場でバッキンガムのおかげで玉座に昇れたと言ったリチャードは、王になったのに「だから、バッキンガム、俺は王になりたいのだ」「俺の言いたいことはわかるな」(河合祥一郎訳)と言います。(文脈は違ってRⅢでは王子達のことです。)ですが、バッキンガムにはリチャードの意図がわからず、そしてすれ違っていくのです。

 

RⅢのリチャードの台詞は王位への不安から出たものです。また、41・42話で、闘う王として王冠への欲望をもったリチャードにも、ヨーク公の幻影が悪魔的にそれを煽っていた感はあります。この点でも王冠は多義的な気がしますし、『薔薇』リチャードが、ヘンリー5世のように決然とするのか更に迷うことになるのか気になります。

 

そして、オマージュの推測でなくむしろ私の勝手な感想になりますが、65話から振り返ると、60話のリチャードとバッキンガムの関係が、ハル(ヘンリー5世)とフォルスタッフみたいに見えちゃうなと思いました。バッキンガムとフォルスタッフではキャラ的には全然違いますし、フォルスタッフは王冠とも無関係でハルはもっと冷めているところがあると思うものの、フォルスタッフとの時間ってハルには身分を離れた一種夢のような時間じゃないですか。でも、王位を継いだ“ヘンリー5世”としてはフォルスタッフを排さなければいけない。『ヘンリー4世』のその場面、個人的にはとても寂しくてヘンリー5世の孤独を感じるところなんです。

 

 

冬物語』はバレエ版がとても感動的だったのでそのリオンティーズを紹介させて下さい。まさに愛と嫉妬で苦しんでいる場面です。エドワード・ワトソンの版は残念ながら配信を観のがしてしまったのですがドラマティックです。MARQUEE.TVに入っている平野亮一さんのリオンティーズも素敵でした。


Edward Watson as Leontes in The Winters Tale (The Royal Ballet)

 

MARQUEE.TV内のプログラムでは、ドンマーの『シェイクスピア3部作』内の『ヘンリー4世』もすごくよかったです。

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