『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

13巻60話「誓約」の転回について

(薔薇王の葬列アニメ18話対応)

(ネタバレになっていますので、ご了解の上お進みください。)
 

それは仮装舞踏会の夜であり、ジェシカは(中略)変装して(中略)家から抜け出し、恋人ロレンゾーと闇にまぎれてヴェニスの町から離れさってしまうのである。(『ヴェニスの商人資本論』)

 

という感じで始まる60話です。

 

 

内容を書かないままいきなりの感想ですが、〈よかったね、ふたりとも、ちゃんと分けてひとつになった〉(byミルヒー)のような感慨を抱く一方、最高潮のはずなのに不安感も煽られます。(ネタバレ的で申し訳ないのでミルヒーの方の出典・巻は書かずにおきますが、多分多くの方に察していただけるかと。)『リチャード3世』原案の『薔薇王』はこの先に波乱がある、というか、むしろここでジェットコースターの天辺まで登った感があるためかとも思います。ですがそれだけではなく、60話の只中で〈夜の森は、いつだってぬくもりの隙間を狙っている〉という言葉が挟まれたり、特に3巻で使われた森の屋敷に行く展開だったりと、56話での光と闇の転換のように、菅野先生は敢えて仕掛けている……!気がします。

 

60話では、『恋の骨折り損』と『ヴェニスの商人』が使われているように思いました。これも想像にすぎませんが、一方では作品本来のロマンティックな部分での転用と他方での不吉な符丁。本当に翻弄させられます。

 

更に、57話からここまで、『リチャード3世』4幕2場を逆にした展開になっているのではないかとも思いました。こんな構成、一体どうしたら思いつくんでしょう。推測でしたが4巻の時に『ハムレット』的な展開をしながら、それを『ヘンリー6世』のリチャードの独白と重ねている気がしてまして、それが更にバージョンアップされた感じがします。

 

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落馬と告白について

バッキンガムに「馬を止めろ」と言われてもリチャードはそのまま馬を走らせ、2人で泉(?)に落ちます。「死ぬ気か!」と怒るバッキンガムに、リチャードは「お前の作り上げた“王”が、お前にそんな表情(かお)をさせるのか」と問い、〈恐れているのは、その手で作り上げた“全て”を失うことか、それともーー〉と思ったところで、バッキンガムが告白します。「何故気づかせた……」「もう二度と言えはしない『愛した人間はいない』などと……」。

 

この辺り、『恋の骨折り損』(以下、LLL)オマージュじゃないかと思ったんです。LLLでは、王の側近ビローンが、フランス王女の侍女ロザラインと出会った時に以下の会話を交わします。

 

ビローン あなたのウィットはまるで暴れ馬だ、そんなに突っ走るといまに疲れますよ。

ロザライン 疲れないうちに乗り手をぬかるみに落としますよ。

 

ただ、確認したらここ英語の方では馬という単語は出てこなかったんですよね(ショボンとなりました)。押韻だらけの台詞を松岡先生が工夫した翻訳で。でも、乗り手をぬかるみ(沼)に落とす“it leave the rider in the mire”という方はちゃんとあるので、なんとかいけるかなと……。バッキンガムの58話での落馬はぬかるみ、また、mireを“苦境”と取れば、「そんな表情(かお)をさせるのか」の感じもします。

 

ビローンは、王たち4人の中で一番弁が立つ皮肉屋といったキャラクターですが、その通り恋の沼に落ち、こう独白します。

 

ああ、とうとう俺も恋に落ちた!これまでは、恋を鞭打ち、恋わずらいの溜め息を罰する役人だった俺が。恋を批判し、夜警となって取り締まり、どんな人間よりも堂々とキューピッドを叱りつける教師だった俺が!

 

そして『リチャード3世』(以下、RⅢ)もやはり連想します。ごくわずかですがネタバレ的なので、飛ばしたい方はこちらをクリックして下さい

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必ずしも落馬場面でないとしても“A horse, a horse, my kingdom for a horse!” をやはり連想しました。2人で落馬、リチャードはここでは馬も王国も気にしていないという幸福な逆転。11巻48話でも素晴らしい逆転展開がありましたので、ここもその想像が働きます。

 

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「誓約」の転回について

そして薔薇が咲き乱れた泉で10巻43話のリフレインと転回です。43話では、バッキンガムが「あんたの本当の願い」「あんたも知らないあんたを」「俺に捧げるなら」と、リチャードが抑圧してきた野望を口に出させた訳ですが、ここでは「何故気づかせた」と自分の願いに気づいてそれに答えさせられるのはバッキンガムの方です。

 

今話ではリチャードがバッキンガムに同じ台詞で問いました。「俺たちの望みは同じだ、――言え」「本当に欲しいものを」。バッキンガムの答えは「あんたが欲しい」。そして〈“誓約”でもなく、“痛み”でもなく、“あなた”が欲しいんだーー〉が2人の答えでしょう。

 

43話の「望むものを手に入れるか、何ひとつその手に掴めず人生を終えるか」は王冠を掴みに行くマクベス・オマージュの感じでしたが、今話の〈恐れているのは、その手で作り上げた“全て”を失うことか〉から〈“あなた”が欲しいんだ〉への流れは、愛する人を得ようとする『ヴェニスの商人』(以下、MV)オマージュの感じがします。バッキンガムは、12巻では、「王の身体(からだ)はこの国のもの」として政治的身体としてのリチャードを選びました。ですが、今話で彼は、政治的身体としての王(=その手で作り上げた全て)ではなく、リチャード自身(あるいは名前にすら捕らわれない“あなた”)を求めます。王にとってはバッキンガムとの関係は依然として危うい(=全てを失う)もののはずですが、ここで2人はもう一度賭けに出たようにも思えます。

 

MVでの金・銀・鉛から正しい小箱を選ぶ試練では、正しい鉛の小箱についていた警句は「われを選ぶものは所有するすべてを投げうつべし」です。そして箱自体の価値からではなく、ポーシャの絵姿が入っている箱を見極めて選ぶ必要がありました。「すべてを投げう」っても、ポーシャ“自身”を得るか、という問いとも言えるかもしれません。そして、バッサーニオが選んだ鉛の箱に「うわべのみによりて選ぶものとは異なり、真実を選びあてし汝にこそさいわいあり」とあったのは既に書いた通りです。

 

58話で、リッチモンドに「望めば、なりたいものになれる」と不敵に告げたリチャードは、なりたいものになった自負があったでしょうが、直後に不安げな顔で誰かを探してしまっていました。実は十分「なりたいもの」になっていなかった訳で、それはバッキンガムも同様です。愛の行為を「誓約」だと言った43話でも、リスクを考えて政治的身体を選びもう「誓約」は必要ないと言った51話でも、バッキンガムも、その言葉を文字通り(うわべを信じて)受け取ったリチャードも「真実を選びあて」ていなかったと言えそうです。貿易投資/王位奪取という点では賭けに出ていても、自分の望みに気づいていなかった、または否定していたアントーニオのように。

 

ヴェニスの商人資本論』では、本当の賭け(投機)に出ているのは、ポーシャを得るために「すべてを投げうつ」箱を選んだバッサーニオの方だとしています。(←ごめんなさい、一寸強弁しています。今回も、歪めて解釈して歪めて引用しています。)こちらのバッサーニオは、MV原典より数倍かっこよく見えます。

 

中国とペルシャから絹(中略)新大陸から銀を輸入し、それらをヨーロッパにおいて高価に売りさばいていたアントーニオやその仲間の16世紀のヴェニスの貿易商人たちは(中略)危険はともなうが成功すればそれによって莫大な利潤を得ていた。

〔しかし〕『ヴェニスの商人』というアントーニオを指し示す題名をもつ劇の中にあって、遠隔地交易商人であることが何も本質的な意味をもた〔ない〕(中略)アントーニオに代わって、バッサーニオこそこの劇における冒険心にみちた真のヴェニスの商人」の役割を演じることになる存在なのである。

 

父親の遺言について

もう1つ印象的なのは、岩井先生が、そのバッサーニオの役割をポーシャの真価に気づき父親の束縛から解放することだと捉えていることです。“父親の遺言の実現”とも言えるところを解放としているんです(もっとも、これは貨幣解釈をするためではあるんですが)。『薔薇王』と重ねると岩井先生のこの辺りの解釈・記述が素敵で、ここも60話で引きたかった箇所です。

 

(中略箇所が多いので、中略箇所をここでは「……」で表記しています。)

ポーシャは父親から莫大な遺産を受け継ぎながら、父親の遺志の束縛のもとに……いる。かの女は、いわば「小箱」に閉じこめられた「黄金の羊毛」なのである。……ジェシカと同様……死蔵されている黄金……にほかならない。……そして……ポーシャをその死蔵されている場所から解放する役割こそ真の「ヴェニスの商人バッサーニオに課された役割なのだ。

  

実は、ポーシャの方は「生きている娘の意志が死んでしまったお父様の遺書で縛られている」とむしろ自分の状態を客観視していますが、リチャードにとってヨーク公は〈初恋は父親〉どころではない絶対的な存在でした。1巻4話の感想記事で、ヨーク公の遺志の尊重が、時に父の栄光につながる王位への欲望を煽り、時にヨーク家の安泰のために逆に自身の欲望を否定し抑圧するものになっているように思うと書きました。バッキンガムは43話で、ヨーク家安泰のために欲望を抑圧するリチャードを「死蔵されている場所から解放」したと言えますが、13巻56話では栄光につながるものとしての遺言が実現される形でした。勿論この遺志と栄光の実現自体は感動的なものながら、59-60話では(一時的にせよ) “父の名を継ぐ息子リチャード”から解放された“あなた”自身にしたと言えるかもしれません。

 

59話のリチャードとケイツビーの会話は、おそらくこのポーシャの台詞と“侍女”ネリッサとのやりとりを踏まえたものになっており、リチャードのヨーク公に対する敬愛と思慕を描きながら、それが束縛だったかもしれないことと、そこからリチャードが距離を取れるようになっていることを暗示しているようにも思えます。

 

「もっとくちづけを」

そして、バッサーニオが選んだ箱の「真実を選びあてし汝にこそさいわいあり」の文書の最後はこうなっています。

 

“Claim her with a loving kiss”.

 

まさに「あんたが欲しい」「お前は俺の半身(もの)だ」「もっとくちづけを……」ですね。(kissが単数とかはもうどうでもいいです。)twitterやブログの感想で2人がこれまでくちづけしていないことが結構指摘されていて(皆さん鋭いですよね、私が鈍いのか)、そこから私は遅まきに気づいた次第でしたが、敢えて引き延ばしたこの劇的効果。しかも(多分)MVと掛けられたこの展開、凄すぎです。

 

また、これはなんとなくですが、MVの指輪のエピソードも彷彿とさせます。愛情を込めた指輪を贈ったポーシャは、バッサーニオからそれを一旦取り上げた後、自分が裁判官であったことや彼を欺いたこと(=もう1つの真実)を明かし、もう一度彼に指輪を贈り直しています。『薔薇』の方は、王冠への誓約以上のお互いの愛を明かして、もう一度関係を結び直した感があります。更にMVではトリッキーではあるのですが、指輪をバッサーニオからポーシャが受け取ったことで、贈与から相互的な交換のイメージになります。この点も、相当一方的だった43話に対し、60話は交換・交感という印象です。

 

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Robert Anning Bell
/ Public domain

 

森の屋敷での過去について

その一方で、森の屋敷に行く展開などによって、上の流れが逆に不安感を煽る形にもされているのではないかと思います。水に落ちて屋敷に行く流れが不穏に思えるのは、それがヘンリーとの過去を塗り替えることになるのか、過去と同じ道を辿ることになるのか、両方の可能性を想像させるからですよね。

 

家事能力皆無の元カレヘンリーと違って、“え?カレがうちにいても手がかからない、むしろ色々してくれる”(←ごめんなさい、嘘です) とリチャードが意外に思うなど異なる面も描かれます。一方、バッキンガムが名前を読んで欲しいと言ったことは、〈“あなた”が欲しい〉との関係では美しい展開なのにもかかわらず、それが“ヘンリー”……。

 

加えて、最初にこの屋敷にリチャードが行くことになったのは、エドワード王がエリザベスとの波乱を生む愛を貫徹するためで、その時は、王冠か愛かが試される流れになりました。再びその屋敷に行く展開は、今後の予測という点で不安にさせるだけでなく、2人が置かれた状況の中で愛を選んだ重みと可否を考えさせるものにもなっている気がします。シェイクスピアとの重ね方の凄さは勿論ですが、観点を転換させて揺さぶる仕掛けも本当に素晴らしいです。

 

もし当たっているならですが、この時もLLLオマージュが使われていた可能性があり、エドワード王とエリザベスの関係は、ウォリックの謀反に繋がったLove's Labour's Lostでした。今回の賭けがどうなるのか……、Love's Labour's Lostというタイトルをこれほど不吉に感じたことはありません。(58話の記事を書いた時には甘い展開の方しか念頭になかったんですが、後から気づいて暗い方で落としちゃってすみません。)

 

リチャードとバッキンガムの関係は、エドワード王とエリザベスとは全く違う一方で、リチャードはその時〈父上が命を落としてまで手に入れた王冠よりも、まるであの女の方が価値があるような〉と思っていました。そう思いながら、リチャードはその時もヘンリーへの想いに揺れていたりはしました。ただ、MVとの関係では父親の束縛からの解放や相対化のようでポジティブに思えることも、3巻との関係では王冠のための犠牲を忘れることのようにも見えてきます。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

また、これまで“愛よりも王冠”ルートで謀略をめぐらせてきたバッキンガムが、愛に振れすぎているように見えることも心配材料になります(少なくとも私には)。上では2人がもう一度賭けに出たように思えると書いたものの、覚悟の上で賭けに出たというより「愛は盲目」の方に行っているんじゃないか。死ぬ気かと怒っていたのに、その後このまま凍えて死ぬなら構わない発言があったりすると余計にはらはらしませんか。2人だけの世界を希求したヘンリーに寄っているような(ミルヒーの発言に引きつけて言えば、“幼稚園の先生でもいい”方に行ってしまっているような)不安を掻き立てられるのです。 

 

とはいえ、不安材料が示されても予想外の形に話が進むのも『薔薇王』。両方が描かれているように思えるという話だけで長くなってしまいましたが、この後RⅢ4幕2場との関連を書いています。RⅢ通りには進まないでしょうが、今後の展開に関わるRⅢのネタバレ的な話にもなりますので、それは知らないまま『薔薇王』を楽しみたい方は(多分その方が楽しめます!)どうぞここまでとして下さい。

 

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acworks   写真AC

 

再び「誓約」の転回について

上述の事情もあって後回しにしましたが、リチャードの方から「言え、本当に欲しいものを」と問い、お互いを求め合った60話は、何よりRⅢ4-2の誓約=約束の話をドラマティックに転回させたものとも言える気がします。RⅢ4-2は、リチャードとバッキンガムが決裂する場面になっています。RⅢではバッキンガムが「お約束になった賜り物を頂戴したく存じます。陛下が名誉と真実にかけて、私にくださるとおっしゃった」と、領地について誓約の履行を求めますが、それをリチャードは無視し続けてこの場面の最後で訴えを退け、バッキンガムはリチャードの下を去ります。

 

因みに、RⅢやチューダー朝後の史書では領地の約束を反故にしたとされているものの、これは原史料とは違っているようで「実際は、リチャードはバッキンガム公に対してありとあらゆる恩賞を与えている」そうです(『悪王リチャード三世の素顔』)。歴史記述なのに60話で引くとドキドキします。こちらの採用とRⅢ反転と考えてもいいのかもしれません。ただ、57-60話は他の箇所でもRⅢ4-2の反転・転用が見られ、全体的にRⅢの反転になっているように思います。

 

バッキンガムが一旦引く

そもそもRⅢ4-2でバッキンガムが約束の履行を求めたのは、エドワード5世と王弟を殺すようリチャードが彼に言い、バッキンガムに大きな迷いが生じたからと考えられます。バッキンガムは考える猶予を下さいと言って一旦下がり、その後約束の領地の要求をしています。バッキンガムの方も決断のためには確実な証が欲しかったということでしょう。ここではリチャードとバッキンガムは、お互いを信じきれず相互に試し合うようなことをしています。リチャードはこの殺害を持ちかける前に「おまえが本物の金か試す時が来た」と言っており、多分関係はないでしょうが、鉛の箱に賭けたMVと対照的だなとも思えます。

 

『薔薇』では、これは勿論、「もう誓約の証を示す必要はない」と言って2人の関係から一旦身を引いたことですね。戴冠前でもあったので、この話が出た時、ここでバッキンガムが引くと思わなかったと12巻51話記事の時にも不安を書きましたが、一旦引く話としてはここが使われていたと思われるものの、全く予想外の展開になりました。

 

「氷のようだな。熱い気性が凍ったか。」

RⅢでは殺害の依頼に言葉を濁して引いたバッキンガムに、リチャードがこう言って牽制します。ここも『薔薇』では逆転というか、ものすごくエロティックに転用されています。「誓約」から身を引きつつもリチャードを諦めきれないバッキンガムとリチャードが抱き合いながら〈その下の熱を知っている、氷の肌が熱く溶け……〉です。この58話の展開は、おそらくその前のRⅢ4-1も使っており、RⅢ4-1ではアンが「あの男のベッドで一時間たりとて黄金の眠りを楽しんだことはな」いと言っています。58話ではリチャードがアンの横では眠れず、“あの男のいるベッドでないと「黄金の眠り」が得られない”とばかりにバッキンガムの部屋に赴いてしまいます。そしてバッキンガム不在のベッドでその名を呼びながら……、……(コホン、コホン)。そこに戻ってきたバッキンガムとこの台詞にいく流れです。

 

リッチモンドの登場

57話の記事で、RⅢと違うと書いてしまいまして、確かに登場の仕方は違いますし、実物リッチモンドが出てくるのもこの場ではないのですが、考えてみたらRⅢでリチャードが初めてリッチモンドの名前に言及するのが4幕2場。リッチモンドに対するリチャードの態度が、RⅢと『薔薇』で対照的であるのは57話の記事に書いた通りです。

 

アンと家族

RⅢ4-2では、リチャードはケイツビーに、アンが重病だと触れ回らせ彼女を幽閉するよう命じます。邪魔な姪マーガレットを貧乏士族と結婚させようとし、甥(この子もエドワード)は「馬鹿だ、心配いらぬ」と言っています。(RⅢでは息子エドワードは登場しません。)『薔薇』では、殺害事件を警戒したリチャードがアンの“警護”をケイツビーに託しています。マーガレットは今やリチャードの息子エドワードと姉弟のようになって家族感があり、甥のエドワードも顔は見せていませんが、ハロウィンみたいな仮装で2人と一緒にいましたね。

 

ベスとリッチモンド

ここだけ4幕3場で、リッチモンドが「エリザベス〔=ベス〕を狙い、その縁組で王冠を手にしようと高望みをしている」というリチャードの台詞があり、逆転でなく予兆のような不穏さです。60話ではまだ何も言われていないものの、リッチモンドが「エドワード王の娘か……!」と怖い笑顔を浮かべました。

 

バッキンガムとティレル

RⅢと『薔薇』では、バッキンガムとティレル今カレと元カレの立場が逆です。RⅢではリチャードは、バッキンガムを見限ってここで初めてティレルに依頼をします。ティレルが「陛下のご懸念のもとを取り除いて差し上げます」という台詞は、59話「貴方を惑わす者は……、僕が殺してあげるから……」そのままの気もしますが、『薔薇』では“いや、リチャードは今依頼してないから!惑わす者って誰のこと?!”と止めたいほどティレルの暴走も心配です。訳者の河合先生は注で、原文の版の1つ「では、ティレルがリチャードと会話しているところをバッキンガムが一瞬目撃するため、緊張が高まる。バッキンガムがティレルをいぶかしげな視線で見送るとすれば、芝居は一層面白くなるだろう。」と書かれています。ここも逆にされて、ティレルが、59話では走り去る2人を見ており、60話では2人の会話を目撃しそうな距離で外に立っています。河合先生の言う通りですね。『薔薇』でも緊張が高まります!

 

(※LLLについては、松岡和子訳・ちくま文庫版、MVについては、小田島雄志訳・白水社版、RⅢについては河合祥一郎訳・角川文庫版から引用しています。)

 

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