『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

イエローヘルメッツ、『ヴェニスの商人』感想

「子供のためのシェイクスピア」で好評を博してきた山崎清介さんが、「大人も子どもも楽しめる、難しすぎず簡単すぎないシェイクスピア」企画の「イエローヘルメッツ」第1回の公演とのことです。配信の恩恵に浴して、山崎演出を初めて観ました。現在配信中です。

 

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『ヘンリー6世』(第3部)と『リチャード3世』を構成したリーディングアクト『GtoRⅢ』の配信感想も書いています。

baraoushakes.hatenablog.com

 

ヴェニスの商人』は冒頭3分をTrailer的に観せてくれています。


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黒コートの演者の効果

黒コート、人形、クラップ、机と椅子の舞台装置は、「子供のためのシェイクスピア」からの特徴だそうです。スマートな上に場面転換がスピーディーになり、少人数が複数役を兼ねるのにも無理がありません。黒コートの人達が脇役を様々に演じるだけでなく、主要登場人物の長台詞の一部を語ることもあり、これによって、その人の心理・事情を説明する台詞は地のようにされ、キモの台詞が図として浮かび上がり真正に響くように思いました。

 

ゴドウィン演出の『ロミオとジュリエット』が相当台詞をカットして、台詞の真実味を高めたのに似ていると思いました。長台詞こそがシェイクスピア的とも言えますが、現代的な感覚からすると、その長さが“胡散臭さ”や“優柔不断”といった(その演出・解釈には不要の)過剰な意味をもってしまうこともあり、それがうまく処理されている気がします。

 

ナショナル・シアター、オコナー&バックリー『ロミオとジュリエット』感想

 

ヴェニスの商人』のあらすじを知りたい方はこちらのリンク先で。

『ヴェニスの商人』座談会! - ほぼ日刊イトイ新聞

 

このブログで感想を書いた2つの版と比較しても、イエローヘルメッツ版は、正攻法と言えそうなのに(むしろ正攻法だから?)元の戯曲の多面的な色彩を味わい深く感じさせます。『ヴェニスの商人』のキリスト教徒達の台詞は偏見に満ちており、シェイクスピアシャイロックの思いも十分語らせているので、捻った演出にしなくても差別や悲劇性は自ずと見えてくるものだなと思いました。でも、もしかしたら、“自ずとそう見える”ような注意深い演出がされていたのかもしれませんし、シャイロック役の伊沢磨紀さんの巧みさがあるのかもしれません。シャイロックの役柄は男性のまま、女性の井沢さんが演じています。

 

MARQUEE.TVのシェイクスピア・コレクション(1)

『薔薇王の葬列』13巻感想59話←最後部に2004年映画版の簡単感想を入れています

 

上の冒頭3分場面の素晴らしさを語っていいですか?(←しかもここだけで長い)


船の沈没を思わせる演出が入った後、アントーニオの冒頭の台詞「どういうわけだか、おれは憂鬱なんだ」が来て、更に彼の貿易船の不安を示唆する台詞が黒コートの人々から次々に語られます。貿易船が不安なのだろうと言われても、彼はそれが理由ではないと否定します。実際には後で船の難破と破産が生じるのですが、この時点でアントーニオはその心配はしておらず、彼にも憂鬱の理由がわからないからです。元の戯曲では、友人のサリーリオとサレーニオが、アントーニオの憂鬱の理由を想像・同情したり探ったりしつつ、彼とやりとりする場面です。2人の名前が似ていて一寸コミカルなコンビなので、戯曲ではコメディ的やりとりの様子が印象に残ります。それが黒コートの人々からの台詞になることで、難破を象徴する言葉が強く印象づけられ未来の暗示のように思えるのです。それを否定した後の「陽気じゃないから憂鬱」という黒コート達とのやりとりは、今度はアントーニオの「どうしてこんなものにとりつかれ、背負いこんだか見当もつかないの繰り返しのようで、自己問答的に見えてきます。

 

彼自身にもわからない予感的憂鬱。「それは、これから自分が演じなければならないこの『悲しい役回り』を、どこかで予感していた憂鬱」という岩井克人ヴェニスの商人資本論』を想起しちゃうような始まりです(岩井が書いている悲しい役回りと内容的にはかなり違うんですけれども)。岩井はアントーニオとシャイロックが孤立して取り残されるとも書いており(これもその中身は今作と違うんですが)、周囲が黒コートの人々だったり、バッサーニオ達が来ると彼らが去ってしまうところがやはり暗示的に見えます。これもサリーリオとサレーニオの2人が去るのとは印象が違うんですよね。

 

戸谷昌弘さんのアントーニオが、バッサーニオ達が来ても気持ちが晴れず沈んだままのようなのも説得力がありました。ブログ記事で述べた2作品は(わからないと口では言いつつも)“理由があって憂鬱”というアントーニオでしたが、戸谷アントーニオは自分でも不可解な憂鬱を抱え込んでいる感じがします。

 

以降についてはこんなに詳しくは書きませんし、登場人物がこんなふうに見えたという話が中心なのでネタバレ的な問題はあまりないと思いますが、一応画像を挟みます。

 

Image by pony_up from Pixabay

 

憂鬱なアントーニオ

まだ少しアントーニオの話を続けます。戸谷さんのアントーニオは、「どういうわけだか」「憂鬱」という冒頭の台詞が彼の行動を説明するような人物に思えました。あるいはアントーニオ自身が言う「人はだれでも一役演じなければならぬ、そしておれの役はふさぎの虫ってわけだ」が体現されるような人。私の勝手な思い込みかもしれませんが、台詞通りのことが初めて納得できた気がします。ポーシャの求婚に向かうバッサーニオの見送りで涙にくれているのも、裁判で諦め気味なのも、この憂鬱感が根底にあったのではないかと思えます。見送り場面で、この版独自にバッサーニオに対する「友情」でなく「愛だろう」と台詞が足されているにもかかわらず、それほど恋愛は感じません。その前にも、肉を切らせる条件でシャイロックに借金するのも、シャイロックに借金を依頼しながら“これからもお前を犬と呼ぶ”なんて言っちゃうのも、投資に自信がありヴェニスの名士で尊大になっているとか、彼を敵視しているせいには見えず、判断力が弱っていたり気が滅入っていたせいかもとさえ思えてきます。

 

真心あるバッサーニオ

チョウヨンホさんのバッサーニオは、明るく誠実な「二心のない」(←箱選びの台詞)青年に思えます。それが多分スタンダードな解釈と思いますが、バッサーニオの闇属性を強調した演出もあります。バッサーニオは、既に以前からアントーニオに借金して贅沢な暮らしをしているのに、彼の愛情につけ込んでポーシャへの求婚費用も依頼するなどダメンズ要素も窺えるので、闇系バッサーニオ演出にも私は納得でした。ですが、こちらではバッサーニオの浪費癖の台詞も削られているし、借金も返せると思っていそうだし、ポーシャに真面目な想いもありそうです。こんなチョウ・バッサーニオだと、シャイロックから奉公先を変えたいと言うラーンスロットを雇う場面も、頼られたらコスト計算などせず応じてしまうのだろうと思えます(浪費家+ちゃっかりバッサーニオだと“ああまた無駄遣いして”と思うのに)。

 

彼は甘いと言えば甘いんですが、金銭に頓着がないgiverの感じがします。バッサーニオは、裁判で勝ったのにシャイロックにほいほいお金を渡そうして裁判官(実はポーシャ)に止められるし、裁判官にも礼金を払いたいと率先して言っています。そのことに今回気づいたし、やはりとても納得できました。アントーニオの方は、豪商である一方、絶えず資産運用を気にせざるをえない立場なので、金銭に頓着しないバッサーニオと一緒にいて癒されたのかもしれませんね。

 

チョウ・バッサーニオが求婚の箱選びに成功するのは、隠れたメッセージを読み解く知略とか、大胆な投資家精神とかではなく、持てるものを投げ出すことを厭わない彼の人柄のためだなーと思いました(選ぶべき箱の外側に書いてあるのは「われを選ぶ者は所有するすべてを投げうつべし」です)。しかもこれも今回気づいたのですが、箱選びの前に、バッサーニオは「いのちを捧げて愛します」と言っていたんですね。箱を選びながらバッサーニオが色々考える台詞も、もしかしたらポーシャからのメッセージかもしれないという歌もちゃんとありますが、答えは既にバッサーニオの中にあったように思います。今作はそういう繋がりを感じました。

 

加えて言えば、「所有するすべてを投げうつ」愛し方を、バッサーニオはアントーニオから受け取っているのですよね。演出からそう考えた訳ではないですが、こちらの誠実なバッサーニオから連鎖を感じたところはあります。この版ではあまりアントーニオの恋愛は感じないものの、アントーニオもバッサーニオのために「すべてを投げう」っていると思いました。

 

裁定者としてのポーシャ

渡邊清楓さんのポーシャも、聡明で高貴なお嬢様という比較的ストレートな役作りのようでいながら、とても味わいがあります。モロッコ大公とアラゴン大公の箱選びが失敗に終わった後は上から目線で貶し、特にモロッコ大公に対しては「ああいう肌の男はみんないまのように選んでほしい」と現代的にはNGな台詞をあっけらかんと言っています。基本的には真っ直ぐでよい性格に思えますが、この辺の嫌な感じはそのまま残して削っていません。

 

失敗した箱選びシーンがそういう感じだったので、人肉裁判も、偏見をもつ上から目線の裁定者の感じかと予想したら違っていて、そこがとても印象的でした。

 

私の思い込みは入るかもしれませんが、裁判場面では、むしろポーシャは良心的に調停を試みているように見えました。最初からやり込める意図だったのではなく、シャイロックの言い分は正しいと言い、でも、慈悲を示してくれないかとwin-winの提案と説得をしたように思えます。(解釈によっては、ポーシャはわざとシャイロックを追い込んだとするものもありますが、渡邊ポーシャはそんな風には見えません。)伊沢さんのシャイロックが「名判官ダニエル様だ」と言うのも、自分に有利な判決をしたからでなく、彼の言い分を公正に認めてくれたという感慨のように見えます。だから、この版だと“うまく折り合いをつけられたかもしれないハッピーエンド”が夢想され、人肉裁判の結末は“してやったり”ではなく、不幸な行き違いに見えてきます。

 

何倍もの金額を提示されても拒否するシャイロックに、不条理なまでの憎しみの深さも感じる一方、ポーシャの方は、彼を尊重した提案にも譲らないシャイロックにどんどん冷たくなってしまったのだろうとも思えます。シャイロックの財産没収の代わりに改宗させるというアントーニオの提案も、彼は温情のつもりでしょうが、信条を守ってきたシャイロックにはむしろ一層過酷かもしれません。

 

裁判場面でのポーシャは、前半からすると私にはやや意外でしたが、逆に振り返って考えるとモロッコ大公やアラゴン大公への毒舌は、ままならない自分の状況への鬱屈のように思えます。彼女もまた完全ではなく、知性もあり理想を願いつつも感情に揺れる人に見えます。人肉裁判では、シャイロックの態度だけでなく、バッサーニオの“アントーニオが誰より大事”発言も影響しちゃった可能性もあるのかも。

 

最後の指輪の件も一寸いじわるしたくなったからでしょうし。でも、ポーシャはあれだけ強気に強請りながら、バッサーニオが渡さない勝算があったんでしょうね。バッサーニオがアントーニオに説得されるところも見ておらず、本人からでなくグラシアーノーから軽いノリで渡されて、ポーシャは複雑な表情になります。ですが、アントーニオの説得で不本意に指輪を譲り、後から深く後悔するこちらのバッサーニオなら問題ありません。気前のいいバッサーニオが、指輪は渡せないと一旦は頑張って断り葛藤するのもいいなあ、と、この作品では彼の好感度が増します(演出によってはむしろ逆の印象になるのに)。複雑な表情のポーシャに、ッサが「私も主人の指輪をとれるかどうかやってみます」と言うのが、その空気を変える彼女の機転に見えます。星初音さんのネリッサには、お嬢様第一の実直さもユーモアもあり、女性同士の絆も感じさせて一層よい感じです。

 

ラストシーンも冒頭シーンを踏まえた印象深いものになっています。

 

全体の配役は以下の通り。「深読み講座」の配信も購入したら、そこで当初想定したキャストのことが語られていて、あ〜そちらも観てみたかった〜となりました。

 

伊沢磨紀・・・・・シャイロック

戸谷昌弘・・・・・アントーニオ

若松 力・・・・・グラシアーノー

谷畑 聡・・・・・ロレンゾー、モロッコ大公、アラゴン大公

チョウヨンホ・・・バッサーニオ

鷹野梨恵子・・・・ジェシ

星 初音・・・・・ネリッサ、テューバ

渡邊清楓・・・・・ポーシャ

山崎清介・・・・・公爵