『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

ブリストル・オールド・ヴィク、ビリー・ハウル主演『ハムレット』感想

ジョン・ハイダー(John Haidar)演出。

 

これは面白かったです! 演出によってストーリーすら変わりかねない、確かなことがわからない、その緊張感を味わせ楽しませてくれる作品だと思いました。どう受け取ってよいかわからない部分も残るのですが、その謎めいた感じも含めてよかったです。

 

ビリー・ハウル(Billy Howle)のハムレットを始めとして、それぞれのキャラクター像も、キャラ同士の関係性も、演出に合い、とても説得力を感じました。

 

www.whatsonstage.com

www.theguardian.com

 

1つめのWhats On Stageの評は辛めですが、私にはとても面白かったです。ギルフォード・シェイクスピア・カンパニーの『ハムレット』は高評価が多かったのに私には響かなかったのとは逆ですね。ひょっとしたら、眠たい夜中でなく朝観たので面白さを感受できたという私側の違いはあるかもしれませんが。

 

therecs.co.uk

こちらは高評価。ただ、私の受け取り方はこれとは少し違っています。まずは少しキャラ的ネタバレくらいのところを書きます。一応画像を挟みますが、多分これらの記事程度のバレ度だろうと思います。

 

Image by kie-ker from Pixabay

 

各キャラクターについて

ハウルハムレットは、感受性が強く内向的に見え、精神的な危うさを抱えている感じがします。明確に狂気を装うというより、最初から危ういところがあったかもしれないと思えます。ハウルハムレットは、母と叔父の結婚発表の席にすら出ておらず、別の部屋でそれを聞いている引きこもり的なところもありそうです。ハウルの実年齢は30歳を超えているようですが、現代の大学生ぐらいの雰囲気です。年齢は原作通りでかつ思春期後期的拗らせ感たっぷり。泣いているハムレットが好きだと改めて実感しまして、困ったちゃんなのに憎めない、愛おしい人物の気がするのは、純粋に私の好みかもしれません。自分の力量を超える危うい状況に飲み込まれ、正しい方向がわからないまま迷う人の感じがします。

 

クローディアス(Finbar Lynch)は、冷静で温和、統治者としてハムレットより適任な人に思えます。ガートルードも、母親として甘そうではありつつ真っ当な人に思えるので、ハムレットが家庭や宮廷の調和を乱す問題児のように見えます。

 

ポローニアス(Jason Barnett)のウザさ加減がまたよくてですね、原作的にもコミカルな役だと思うしその点も楽しいのですが、ストーリー的にも彼がひっかき回してしまうのだと改めて感じます。上のThe Racsの記事もポローニアスがよかったと書いてあります。

 

ホレーシオ(Isabel Adomakoh Young)が女性で、性格面でも魅力的に見えた点は、ギルフォード・シェイクスピア・カンパニー版と似ています。ですが、このハイダー版では、ハムレットとオフィーリアの関係が、そのために薄くなったり疑問に見えることはありませんでした。年齢的には同世代でもこちらのホレーシオは庶民的暖かみや落ち着いた感じがあり、ハムレットより精神的に大人な雰囲気で、恋愛関係よりは信頼関係になりそうです。オフィーリア(Mirren Mack)はこちらでも内気で大人しそうではあるものの、その内向性や感受性でハウルハムレットと相性がよさそうに思うんです。父のポローニアスが余計なことをしなければ、ゆっくり関係を深めていけたかもしれないのにその前に行き違ってしまった印象で、この2人には切なさがあります。(この辺は、冒頭に書いたような受け取り側の私のたまたまの感覚の違いかもしれません。ただ、マックのオフィーリアが、望まないのに父の思惑に巻き込まれた表現はされていて、そういう積み重ねが印象の違いになった気はします。)

 

ローゼンクランツとギルデンスターンも割合まともに見えました。ハムレットの方が非常識で、そこにつき合わされた挙句、悲劇に巻き込まれる人達という感じがします。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

この下から更に演出ネタバレの話が入るので、再度画像を挟みます。

 

Image by Beverly Buckley from Pixabay

 

父の亡霊の怪しさ

このハイダー版では、先王の亡霊に怪しい雰囲気があります。原作でもハムレットや周囲が訝しんだり、ハムレットが途中で「亡霊は悪魔かもしれぬ」と言ったりしますが、そちらを最大に生かした感じ。確かにホレーシオも姿は見ているとはいえ、亡霊の発言はハムレットの幻想だったかもしれない曖昧さも残ります。亡霊の言葉に従って大丈夫なのか不安にさせられます。

 

クローディアスもまともな王に見えるので、演出で原作の筋を変えて見せるかもしれないと思うのです。中盤で、ハムレットがクローディアスを殺すという見せ場もあるので余計にそう思えます。後からクローディアスの殺害は、ハムレットの夢オチ的夢想だとわかるのですが。

 

ハムレットとガートルード

その見せ場によって、ガートルードの寝室で、ハムレットがポローニアスを誤って殺してしまう流れもわかりやすくなったと思います。ハムレットは一度クローディアス殺害を断念し、その思いを引き摺ったままガートルードの寝室に行き、今度こそ好機と思ったという流れかもしれません。今回の演出でそれがより効果的に示された気がしました。

 

寝室でのハムレットとガートルードの会話は、中央にずっとポローニアスの死体がある中で進みます。ハムレットは母の「不義」を詰りますが、ガートルードはその会話の内容どころじゃないんですよ。ハムレットが父の亡霊に語りかけたりもするし、ガートルードはともかくハムレットを落ち着かせたい様子です。この場面での亡霊は、ガートルードが言う通りハムレットの妄想かもしれないと思わせます。彼女が、自身の心に「どす黒いしみ」があると語るのも、再婚の罪悪感などではなく、ハムレットや彼の行動のことを指しているだろうと思います。

 

最終部近くになるとガートルードにホレーシオがハムレットのイギリスでの状況を知らせていることもあり(←原作とは違います)、クローディアスとレアティーズの会話を聞くなかでガートルードがハムレット殺害計画に気づく展開になっていました。最終場面でガートルードがハムレットの汗を拭うところが感慨深くなっています。

 

ハムレットとオフィーリア

場面を遡って、ハムレットとオフィーリアについて上の記載にもう少し加えると、マックのオフィーリアは父ポローニアスにラブレターも取り上げられ、不本意なまま、父のペースでどんどん話が進んでハムレットと対面することになったようでした。お互いへの想いはありながら、まだ十分関係を築けておらず、言葉と裏腹の気持ちまでは汲み取れないまま破綻してしまったように思います。

 

狂乱シーンでのオフィーリアは、花束を持って出てくる代わりに、薬瓶をばら撒いていました。辛い状況で薬に頼っているうちにおかしくなってしまったということなのでしょう、ストレートに狂気に陥るより間に薬を挟むと私には納得度が上がります。オフィーリアが溺死したことをガートルードが語りますが(溺れるオフィーリアの画像も映っているにもかかわらず)、この版だとそれも優しい嘘かもしれませんね。

 

ハウルハムレットは、オフィーリアに対する想いがあったこともわかるし、一方自分の行動がどれほどオフィーリアを追い込んだかまでは想像できない未熟さもありそうだし、ヨリックの髑髏にも泣いたり笑ったり感情的なので、埋葬場面で「オフィーリアを愛していた」と飛び出していくのも納得できます。

 

終幕

上で、ハウルハムレットは自分の力量を超える危うい状況に飲み込まれ、正しい方向がわからないまま迷う人の感じと書きました。最終部についても、ハムレットが何か覚悟を決めたというより状況に飲み込まれた展開のように思いました(演技・演出を十分咀嚼できていない気もしますが)。

 

また、このプロダクションにはフォーティンブラスが登場しません。現代化され王位や王権が焦点になっていない演出なら、フォーティンブラスは登場しなくていいんじゃないかと以前に書いたこともあって、その通りの版に今回出会ったと思いました。

 

皆が亡くなった後、再び亡霊が登場しハムレットと向き合い彼を連れて行きます。この終幕が亡霊の狙いだとすれば悪霊的にも思えますし、この終幕自体がハムレットの夢想だったかもしれないともちらっと思い、ざらっとした後味を残します。

 

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