『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

MARQUEE.TVのシェイクスピア・コレクション(5)

だらだらした感想ですみませんが、『シンベリン』はRSCでもレアな上演のようですし、演出も意外なところがあったので覚書的に。ロミ・ジュリ2作品についても少し。

 

ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー『シンベリン』

演出はMelly Still。シンベリンはブリテン王の名前ですが、印象としては、実質主役はその娘のイノージェン、あるいは群像劇的です。(このRSC版ではイノージェンでしたが、イモージェンとされることもあり、小田島雄志訳はイモージェン、松岡和子訳がイノージェンですね。)wikiにあらすじが載っており、話としては一寸ごちゃごちゃして荒唐無稽というかご都合主義的な印象もあります。そのためかどうかはわかりませんが、RSCでも2016年のこの作品しか上演されていないとのこと。

 

ja.wikipedia.org

 

後期のロマンス劇に分類されるものですが、以下サイトでも言われているようにそれまでの作品要素がぎゅうぎゅうに入った感じの作品です。(以下には「怪作」と書いてあります。)

 

Cymbeline -シンベリン- | 演劇・ミュージカル等のクチコミ&チケット予約★CoRich舞台芸術!

 

リア王』の父娘関係との類似はこれを見るまで気づかなかったんですが、様々な作品との類似が思い浮かびます。イノージェンとポステュマスは親に許されないまま結婚してポステュマスが追放され(『ロミオとジュリエット』、イノージェンが仮死になって目を覚ますあたりも似てますよね)、その彼らをヤーキモーが騙してイノージェンの寝室に忍び込みます(『ルークリースの陵辱』)。騙されて嫉妬し怒ったポステュマスは(『オセロー』『空騒ぎ』)、彼女からもらった指輪も譲ってしまいます(『ヴェニスの商人』)。イノージェンは男装して恋人のところに向かい(『ヴェローナの二紳士』)、その途中で、隠遁生活をしている肉親に会ったり(『お気に召すまま』)、その後異邦の将軍の小姓になったりします(『十二夜』)。ポステュマスが身分を隠して自分を騙したヤーキモーと剣を交える話は、『リア王』のエドガーも思わせます。シンベリンを、再婚した后が毒殺しようとするエピソードも一寸『ハムレット』的な感じもしたり。いくつかの作品同士が似ていることはありますが、ここまでてんこ盛りなものはないような気がします。しかも同じてんこ盛りでも、『薔薇王』の方が巧みで無理がないと思えるくらいです。

 

全然根拠のない想像なんですが、引退に近い時期の作品でもあり、シェイクスピアや劇団によるファンサービスの感じがしません?

 

また、『シンベリン』は、その後の『冬物語』や『テンペスト』の習作的な感じもします。勘違いの嫉妬による殺害命令を家臣が実行せず助ける話は『冬物語』の方がロマンティックですし、和解の主題としては『テンペスト』の方が感動的で、この2作品の方が主題が絞られてすっきりしている気がします。

 

という感じで私もかなり偏見があって、前に読んだし、なんとなく筋は覚えているしと思って、手元に本がない状態で軽い気持ちで観ました。このプロダクションでは、シンベリンが女王に、再婚者の王妃役が夫に代えられていたのですが、恥を忍んで打ち明けますと、途中までそれに気づかないまま、シンベリンのことを再婚した王妃、王妃役をシンベリンだと思って観ていました  orz 一番の問題は英語力のなさですが、ダメですよね。で、途中で本を入手してもう一度観直しました……。

 

シンベリン以外にも、イノージェンの行方不明の兄=長兄王子、従者ピザーニオ、王妃付きの医師の役が女性です。特に王子とピザーニオについては一寸マニッシュな造形だったので、女性が男性役を演じているのか女性役にしてあるのかすぐにはわからず、台詞を聞いて女性設定だと認識できました。後は、性暴力やその危うさがやや強調されている感じの演出だったかもしれません。ヤーキモーが寝室に忍び込むところも、窃視自体暴力と言えますがもう一寸踏み込んでいて、彼の台詞にもルクリースが出てきますし、原作はレイプの暗喩かもと考えてしまったりしました。ピザーニオ(この作品ではピザーニア)が王妃の息子クロートンから脅されるところはクロートンによる性暴力的な描写になっています。クロートンもイノージェンを強姦して自分のものにしようと考えていて、それを示唆するような場面に作ってあります。

 

他方で、長兄王子が(実は妹である)男装のイノージェンを可愛がったり、ピザーニオがイノージェンに尽くしたりする箇所は、原作だとそこはかとない恋愛感もありそうに思える箇所ですが、むしろ安心感が醸し出される場面になっていました。女王シンベリンの後を継ぐのが長女というのも整合的ですよね。ただ、ピザーニオがどういう立ち位置で女性なのかを、私は十分掴めていない気がします。ピザーニオは、イノージェンに尽しても今ひとつ報われない感があって、『十二夜』のアントーニオとか『薔薇』ケイツビーとかを思わせるんですが、女性版ピザーニオにそういうニュアンスがあるのかないのかも一寸わからなかったんですよね。

 

こういう改変と、後半のポステュマスのキレぶりと、そしてこれまでのRSC作品のドッキリ演出のために、再度原作を読んだ後でも最後まではらはらしながら楽しめました。『薔薇王』も原案通りにはいかないかもと楽しめますが、シェイクスピア作品も演出効果で結末が変わる可能性があることを知るとそういう意味でも楽しめますね。この作品では、音楽の場面などでもかなり見せ場を作っていました。

 

やはりこれまで観たシェイクスピア・コレクション作品と被る演者がいて、ポステュマスが『ハムレット』でホレーシオを演じたHiran Abeysekera。ポステュマスって(ダメ男だけど)戦闘能力が高い美丈夫の印象だったので、途中までなんとなく違和感があり、カモられる木訥な人という造形かもと思いつつ、“ピザーニオを演じたら合いそうなのに”と思いながら観ていました。が、後半キレてヤーキモーを殺しかけるところからが圧巻でした!誠実そうに見えて怖くて危ないポステュマスで、元からの武人というよりは、怒ると何をするかわからない人という感じにしたのかもしれません。

 

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どういう訳かシェイクスピア・コレクションの画像がこれなんですけど、原作ではポステュマスが身分を隠して農民の格好をするところで、こういう扮装。殺された(ということになっている)イノージェンの血塗れのスカートを履き、覆面を被って復讐を企てます。よく見えないかもしれませんが、白い覆面も上半身も血塗れで、サイコサスペンスみたいな感じです。

 

対するヤーキモーは、『リア王』のエドガー、Oliver Johnstone。すごくチャラい登場が期待以上です。イノージェンに本気になりかけた?と思わせたり、今回もキャラとしての変化をすごく丁寧に見せる人だと思いました。

 

長男王子=王女役のNatalie Simpsonは、(オフィーリアやコーディーリア以上に)すごく役に合っている気がして、森で狩りをしているのも、シンベリンの後を継ぐのも納得させられる風情でした。おっとりしたイノージェンより、こちらを次期女王にするのが吉という雰囲気があります。

 

クロートンがレヤティーズとフランス王だったMarcus Griffithsで、いや、私の好みダダ漏れなだけかもしれませんが、頭が悪い三枚目で、イノージェンが嫌っているクロートンが素敵に見えてはダメなんでは……。どちらかといえば外見的には(私の)原作のポステュマスのイメージです。外見だけでなくて、歌うシーンでもかっこいい感じに作っていた気がしますし。英語の台詞がちゃんとつかめれば三枚目キャラに見えるのか、あるいはクロートンの暴力性を強調するために敢えて見目はよく作っているとかなんでしょうか。(おバカキャラだったりすると、一寸憎めないってあるじゃないですか。全然違う喩えですみませんが、『薔薇の騎士』とかでもオックス男爵が多少イケメンな方がよりイヤな奴に見えたりする、あの感じを狙ったのかと思ったりもしました。)

 

 

ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーシェイクスピアズ・グローブ 『ロミオとジュリエット

 

RSCの2018年のErica Whyman演出のロミジュリは、正確にはシェイクスピア・コレクションではなく、劇場カテゴリーに新しく加わった作品です。

 

こちらはすごく変わった演出という訳ではないのですが、衣装や設定は現代の感じでしかもラフ。ロミオがジーンズ的な衣装なのは他にもありそうですが、ジュリエットがこれからジョギングに行く感じのフィットネスウェアっぽい衣装での登場で驚きました。さすがに舞踏会のシーンでは多少ドレッシーでしたが、舞踏会も(キャピュレット家の宴の設定のままですが)クラブのような雰囲気で、クラブに遊びに行く程度のおしゃれ感。

 

ジュリエットは性格設定としても飾らない印象で、ロミオのところに行った乳母の帰りが遅いと言って、思わず乳母の悪口を言ってしまうシーンがありますが、普段からこういうことを言っちゃう娘なんだろうな、と思える感じです。ジュリエットは自分から結婚しようと言い出したり、その行動力を考えれば、悲劇のヒロインとはいえ、例えばオフィーリアとかとは全然違いますよね。お嬢様感や箱入り感もありつつ、そういう積極的な主人公だったなと気づかされます。ロミオのBally Gillはインド/パキスタン系、モンタギュー家・キャピュレット家双方とも人種も様々で、今のイギリスの感じなのかもしれません。

 

多分敢えてなのだと思いますが、ロミオもジュリエットもその辺にいそうな普通の現代の若者の感があり、ここ何作ものバレエ版ロミジュリを観た後だと、そのギャップが凄いです。普通の若者達がたまたま本当に心惹かれる人に出会ったり、喧嘩で亡くなったり、運命に弄ばれたりという普遍的な物語としているのかもしれません。現代の喋り方のように作っていて、バルコニーシーンなども台詞はそのままで今の話し方のように聞こえるのが印象的でした。英語のニュアンスはわからないのですが、ソネットになっていると言われたり、“thee”が使われていて詩的で古文的な台詞のはずなので、坪内逍遥訳版を現代のしゃべり言葉のように語る感じなのかなーと想像します。

 

喧嘩っ早くて卑猥なジョークを言うマーキューシオが女性設定でしたが、それほど違和感は感じませんでした。『シンベリン』でのピザーニオのように、髪が短くユニセックスな感じの衣装なので、こちらも女性設定であることは台詞でわかりました。ピザーニオと同様、そこに性別を代える意味が込められていたのかどうかは一寸掴み損ねています。多分、ロミオともベンヴォーリオとも友人関係に思え、女性にしたことにそれほどの意味は置いていないのかなと想像しましたが。

 

……ただ、この版は、二度目三度目以降にロミジュリを観る人向きかなという感じはありました。RSCは、割合そういう作品や演出が多いですね。

 

シェイクスピアズ・グローブの方のロミジュリは、RSCと比べると、ロミオにもジュリエットにもきらきら感があります。多分、それは演者の外見ということではなくて、演出や演技によるんだろうと思いました。RSC版よりバレエ版に近いロマンティックな印象です。ロミジュリの魅力はやはりロマンティックな恋愛にあると思いますし、そのための特別感は欲しい気がして、初めて観るならこちらを推すかな、と思いました。両家に人種ミックスはありましたが、そこにはあまり意味はないようで、とても正統派な感じです。気づかずに観ましたが、『夏の夜の夢』のDominic Dromgooleの演出でした。

 

シェイクスピアズ・グローブは、9月28日からまた教育プログラム用の演目を無料配信するそうで、新しいロミジュリも観られそうです。各劇場本当に大変なようなのですが……。

 

2019.playingshakespeare.org