『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

7巻29話 塔を訪れるリチャードについて

(薔薇王の葬列アニメ12話対応)

(※ネタバレになっていますので、ご了解の上お進みください。)
 

29話と30話では、いよいよ『ヘンリー6世』(第3部)(以下、HⅥ)ほぼ最終部の5幕6場が描かれ、『薔薇王』真骨頂ともいえる素晴らしい翻案と凄まじい展開になっています。原案と全く違うとも言えますし、最終的には原案通りとも言えると思います。

 

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塔を訪れるリチャードについて

エドワード リチャードはどこへ行った?

ジョージ ロンドンへ、おおいそぎで行きました、おそらくロンドン塔で血みどろの晩餐会を開くためでしょう。(HⅥ)

 

と、リチャードが1人でヘンリーの元に行くのも、ヘンリーを殺すつもりながら「話をするだけだ」(『薔薇』)と見張り役に告げるのもHⅥ通りです(「話があるのだ」(HⅥ))。

 

7巻的にもHⅥ的にもここはネタバレOKと思って書きますが、HⅥではリチャードはこのままヘンリーを訪れ2人が台詞を交わす中でヘンリーを殺します。ですが『薔薇』ではリチャードの気持ちの揺れを象徴するように、下で書く通り、1回目は塔に向かいながらヘンリーに会わないままで、2回目は「殺す」と言いながらそうできずに去り、最後に別の意味で覚悟を決めてヘンリーの元に行くのは30話になってからです。

 

また、HⅥリチャードは、自身の王冠への道程として、自分の意志と判断でヘンリーを殺害します。リチャードは、ヘンリーの殺害でヨーク家の王位を確実なものにし、加えて次にジョージを殺して王位を狙う計画を既に持っていることを独白します。

 

わがヨーク家の破滅を願うやつらからは、いつもこのような真紅の涙が流されるがいい!(中略)おれはどの兄弟にも似ていない、年寄りどもが神聖視する「愛」などということばは、似たもの同士の人間のあいだに住みつくがいい、おれのなかにはおいてやらぬ、おれは一人ぼっちの身だ。(中略)王ヘンリーとその息子の皇太子はもうあの世へ行った、次はおまえだ、クラレンス(HⅥ)

 

『薔薇』リチャードは、王冠のことは29、30話時点では、というより6巻中盤からもう考えていないと言っても過言ではないでしょう(『薔薇』全体の流れの中では依然重要ですが)。しかも、確かに29話初めではリチャードは父の仇としてヘンリーを殺すつもりだったものの、そうできないまま、母セシリーによる疑いや、王妃エリザベスの判断とエドワード王の意志でヘンリー暗殺を命じられます。「ヨークの平和を脅かす最後の火種」と言っているのはエドワード王です。

 

ここは史料との掛け合わせもあるかもしれません。ヘンリーの死については、病死、リチャード他臣下の前でエドワード王が命じた(決行者の記載はなし)、リチャードが決行、と様々の記載があるそうです。またリチャードの暗殺とする場合も、それが今話通りエドワード王治世の不安を取り除くためとするのが当時に近い史料で、後からHⅥのような自分の野心も含んだものとする歴史記述に変化していったといいます(『悪王リチャード3世の素顔』)。暗殺命令にエドワード王達複数の人物が絡むこと、リチャード自身の気持ちが29-30話の中でも変わることなどは、誰が決めたか、リチャードがなぜ行ったかの推測が史料によって違うように、複雑にされている気もします。

 

多分史料とも関連させ、またHⅥを掘り下げながら、リチャードの孤独と許されない愛が精妙に描かれていきます。上のHⅥの台詞、「おれはどの兄弟にも似ていない」「おれは一人ぼっちの身だ」は、兄弟の愛などに構わず王位簒奪に向かう宣言として言われています。ただ、この台詞の前には「天がおれの肉体をこうねじ曲げて作った以上、今度は地獄がおれの心をそれに合うようにすればいい」とあり、これは愛を求めながら孤独であるリチャードを示す台詞にもなっているでしょう。

 

29、30話は、リチャードのこの愛の渇望と孤独の方に焦点が当てられ、それがヘンリーに対する許されない愛とともに描かれているとも言えそうな気がします。

 

 

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umiphoto       写真AC

 

リチャードの愛の渇望と孤独について

1度目に塔に向かおうとするリチャードは母セシリーから優しく迎えられますが、それは暗いなかで兄のどちらかと間違えたためで、リチャードだと気づくとセシリーは冷たくすっと離れてしまいます。母セシリーからの愛をこの時点でも期待し、それが得られなかったリチャードの表情が何とも言えません。セシリーのこうした態度で、リチャードはまた〈おまえは足から先に生まれてきた、歯は全て生え揃っていた、すぐにでも人を噛み殺しに行く為だ! お前は兄弟と似ていない誰とも似ていない〉という声に苛まれます。

 

HⅥにはセシリーは登場しませんが、5幕6場のリチャードの台詞は、「おれもよくおふくろから聞かされたものだ、おれは足から先にこの世に生まれてきたと。」となっているんですよね。また、このあたりでのセシリーのリチャードへの距離の置き方は、『リチャード3世』(以下、RⅢ)での、リチャードから祝福を求められた彼女が形式的に祝福しつつ、「天寿を全うしますよう」という母が子に与える祝福を省き、冷たい態度を取るエピソードも連想させます。

 

母セシリーを絡ませるこの展開も上手いですよね。リチャードの愛の渇望と孤独を示しつつ、この後セシリーがリチャードとヘンリーの関係を訝しんでヘンリーの元を訪れ、それが30話の呪いの言葉に繋がる流れです。

 

まばゆい祝宴の最中、また母親から祝福を受ける兄達に対して取り残されるように暗闇に佇むリチャードも描かれ、祝宴でのエドワードの台詞は多分HⅥ最終部からでしょうが、RⅢの冒頭のような雰囲気も醸されます。(原作HⅥとRⅢも繋がっているんだなと改めて思いました。)この少し後の、エドワード王の「お前も少しは着飾れ、これからは雄々しさより優美さが力の証となる」「こうして見るとあの時の女装姿を思い出す」という台詞も、「この体つきでは色恋もできず、惚れ惚れ鏡を覗き込むわけにもゆかぬ。」「美男美女と口上手だけがもてはやされるこの時代に、恋の花咲くはずもないこの俺は、もはや、悪党になるしかない。」(RⅢ)と掛けられたものではないかと想像します。

 

愛の渇望と父の仇のヘンリーへの憎悪と抱え、〈光は、戻らない〉と考えたリチャードは、改めてヘンリーを殺そうとして塔を訪れます。

 

ここでの光と闇の描き方については、『薔薇王』スペイン語翻訳者のアナ・カロさんのブログが素晴らしい考察をされていますので、こちらも是非!

 

t.co

 

リチャードとヘンリーの対面について

ですが、見張りの兵士が言った通りヘンリーは錯乱しており、リチャードも現状も認識できません。HⅥではヘンリーは正気を保っており、第3部ではこの5幕6場がむしろ彼が最もまともなところと言えるくらいで、憎悪や皮肉を交えてですが2人は対話しています。それに対して29話のリチャードは、仇であること、これまでの思いが裏切られたことの憎しみをぶつけようとしてもヘンリーに受け止めてもらえないばかりか、自分を認識すらしてもらえません。ここでも孤独です。

 

リチャードは「俺を見ろ……」「お前を殺す男の顔を…!」と言いながらもヘンリーを殺すことができず、「ひとりにするな……」と涙を浮かべてヘンリーに口づけし(「おれは一人ぼっちの身だ」(HⅥ))、「…お前が、憎い……」と言って彼の元を去ります。

 

リチャードが去った後、ヘンリーはまだ朧げではありつつ、過去の記憶とリチャードを思い出します。

 

ヘンリーとリチャードについて:『ロミオとジュリエット

29、30話は、やはりロミジュリ的な感じもしますよね。『ロミオとジュリエット』については、場面や台詞がということでなく、全体の流れや雰囲気と考えた方がよいのかもしれませんが、ヘンリーに口づけして「…お前が、憎い……」とリチャードが言うところは、ジュリエットが、従兄弟のティボルトを殺したロミオを詰る場面を彷彿としました(ジュリエットはロミオに面と向かってそう言う訳ではないですが)。

 

また、ここは更に強引な連想の気がするものの、リチャードのことを思い出し始めたヘンリーが「もういちど…、くちづけを……」と言っていますよね。追放される日の朝、ジュリエットの寝室から出ていくロミオの台詞(小田島訳版)が「もう一度口づけを」なんですよ。

 

エドワード王は、当然リチャードとヘンリーの関係を知らないまま、ヘンリー殺害を命じました。エドワード王の背景に黒い羽が描かれているので、リチャードは父ヨーク公からそう命じられた感覚になっているかもしれません。短剣を手に部屋で1人で悩んでいるリチャードは、なんだか追い詰められたジュリエットのようでもあります。ジュリエットの母は、娘とロミオの関係を知らずにロミオを殺す計画があることを告げ、父はパリスと結婚するよう命じます。神父が仮死状態になる薬を与える前にジュリエットは死ぬことを考えています。「すべてがだめでも、死ぬ力だけは残っている」「私のさし迫った苦境と私のあいだの審判役はこの懐剣」「この懐剣で手も心も殺してみせましょう」と。

 

ロミジュリは少し前に感想を書いたナショナル・シアターの作品がダークな感じもあってとてもよかったです。私の観た中ではジョシュ・オコナーのロミオが一番ヘンリーっぽい気もします。下記事ではネタバレ記載前にTrailerをリンクしています。日本語字幕付の劇場公開は終わってしまった地域も多いのですが、NTatHomeの配信でも観られます(こちらは英語字幕のみ)。

baraoushakes.hatenablog.com

 

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(※HⅥ 『ロミオとジュリエット』は小田島雄志訳・白水社版から、RⅢは河合祥一郎訳・角川文庫版から引用しています。)