内田裕基・松崎史也脚本、松崎史也演出。
舞台『薔薇王の葬列』、前評判通り本当に楽しめました!
Blu-rayは海外対応にもなるんでしょうか。海外のファンもきっと喜ぶ仕上がりではないかと思います。
シェイクスピア+2.5次元テイスト
脚本もとてもよくて、きれいに再構成されてうまくエピソードが繋げられているので、スピード感があるのに“カットされてしまった”感じがしません。舞台独自になるので新鮮にも観られます。アニメ脚本の内田裕基さんと演出の松崎史也さんの共同脚本だそうですが、アニメもこのくらい思い切ってやってもらったらよかったかもと思いました。(相対的にシェイクスピア原案寄りの第1部だからそうできたのかもしれませんが。)前半は1,2巻をじっくり描き、後半3〜7巻なのに無理がありません。原案『ヘンリー6世』(以下、HⅥ)部が割合しっかり残っている感じはありつつ、でも『薔薇王』のオリジナリティは全然薄れておらず、省略や舞台映え部分でうまくHⅥを生かしていると言うべきかもしれません。菅野先生的なツボがうまく押さえられ、シェイクスピア・オマージュ感も生かされている気がします。若干ネタバレ的ですが、例えば“この赤薔薇はランカスターの、この白薔薇はヨークの、互いに敵である印としよう”の台詞を、ヨーク公がヘンリーに対して王位を争う宣言をする箇所など(もう一箇所あります)に持ってきたり、ヨーク公が『リチャード3世』(以下、RⅢ)の冒頭のリチャードの台詞を語ったりします。
そして舞台での見せ方を心得て、信頼した作りになっていると思いました。それぞれの登場人物の対照のさせ方とか、空間と照明での切り替えとか。それによって省略や場面転換がスムーズでドラマティックになっています。シンプルな舞台に、演者の動きと台詞だけでちゃんと成立させるところもシェイクスピアっぽいし、舞台版だなと思います(夢のシーンの処理なども見事)。勝手な思い入れの気がするものの、特にリチャードとヘンリーのシーンは『ロミオとジュリエット』や『ハムレット』みが感じられ、それは台詞で語らせているからではないかと思いました。それによってストーリーを追うだけでない『薔薇王』の“雰囲気”が出る気がします。また原案HⅥほど長台詞ではないですが、ヨーク公とマーガレットの場面や、エドワード王とウォリックの場面など、舞台で映える場面をきちんと見せ場として見せてもくれます。
しかも皆さんが書いているように、殺陣のすごさが迫力を生んでいます。漫画『薔薇王』第1部の後半や第2部最終部は戦争場面がしっかり描かれているのも魅力で、舞台版はその代わりに殺陣の迫力で魅せている印象です。劇団☆新感線なども殺陣がすごいですが、そのケレン味を抑えた感じ。主題曲や衣装・メイクだけでなく、殺陣やスポットライトの当て方なども2.5次元的部分があるのかも(←2.5次元も少し観たことはあるものの、見当違いだったらごめんなさい)。漫画『薔薇王』と様々な舞台の面白さやいいところがうまく取り入れられている気がしました。こういうテイストは、他のシェイクスピア劇上演でももっと入ってもよいかもとも思いました。
『薔薇王』民を裏切らない作りでありつつ、何も知らずに観ても楽しめる工夫もされています。ジャンヌ・ダルクとヨーク公のHⅥでの関係も歴史背景も、ヘンリーとヨーク公の関係も舞台を見るだけでわかるようにされており、マーガレットがフランスにいるところは(HⅥ的にはフランスを頼って当然ですが)敢えてその複雑な背景は示さず少し変更しています。
リチャードのダブル・キャスト
男女のダブル・キャストで話題になり、そこも注目だったはずですが、観ている時はそこにはあまり意識は向かず、むしろ2人の同役としての共通の雰囲気を感じ、それでも個性として出るキャラクターの違いに目が行きます。若月佑美さん、有馬爽人さんともとても魅力的なリチャードです。
主観たっぷりですが、若月さんのリチャードは、特に前半、父に光を見て戦功に憧れ、母の愛を求める健気さがよく出ている印象です。ヘンリーといる時もやや素直な感じに思え、そこもロミジュリっぽくていい。セシリーとリチャード自身以外、皆が可愛いと思い実際に可愛がっているのがわかります。菅野先生も「本当に可愛くてたまらなかった」、クワナ海先生も「ほんとにかわいい」とツイートされていて、その通りだなと思いました。同時に小柄で戦闘能力が高い感じや強い怒りの表現が、内に熱いものを持つリチャードと思えてよかったです。
有馬さんのリチャードは、比較すると影のある端正なリチャードというか、愛される資格がないと思い込んでいる抑圧をより感じます。父をとても敬愛しているのに自分なんかと引いてしまうようなところが、私の漫画原作イメージに近い印象でした。勿論2人ともが内面をよく表現しているのですが、漫画ではリチャードの自己嫌悪的心情描写も多く、そこにはまるのが有馬さん、実は外からこう見えていると改めて気づかせてくれるのが若月さんの感じ。
その内容については演出ネタバレを含むこの下の箇所で書きますが、HⅥリチャードとジュリエットの印象を行き来するような若月リチャードも、抑制的に様々を諦めながら最後に抱いた希望が裏切られて爆発するような有馬リチャードも本当によくて、終幕部での2人のニュアンスの違いは両バージョンを比べてこそ、のところがあります。舞台なので日によっての違いかもしれませんが、配信された千秋楽の終幕部は2人のニュアンスの違いを感じました。
本編は悲劇ですが、配信映像は千秋楽なので出演者挨拶があり、セシリー役の藤岡沙也香さんが若月さんリチャードを見ながら涙を拭ったり有馬さんリチャードに微笑んでいたり、ヨーク公役の谷口賢志さんがフォローしながら最後にうまくまとめていたりと、ファンブックの楽屋裏感+特典パーパーの幸福感も満載です。本編だけでなくここでも泣けます。
この先は少しネタバレ的に展開やキャラなどを書くので間に画像を挟みます。一番下に薔薇ステに関する記事をリンクします(新刊発売・配信宣伝記事は削除しそこから持ってきました)。ネタバレを避けて、記事を見る方は画像をクリックしてください。
最初にジャンヌ・ダルクとヨーク公が登場
舞台の始まりは百年戦争からで、最初に出てくる主要登場人物はジャンヌ・ダルクとヨーク公なんです。(漫画はリチャードの誕生と予言から。)漫画2話を先にしたとも言えますが、生前のジャンヌがちゃんと出てくるのもHⅥっぽいし、ヨーク公がこの時点で既に自分を王だと言っているのも、野心があるHⅥヨーク公に少し戻った感があります。そして佃井皆美さんのジャンヌは戦いの場面では毅然とし、亡霊として出てきても優しげです。白いのの代わりにジャンヌがリチャードを連れ出しており、『薔薇』第2部の展開を踏まえた脚本と佃井さんの演技に愛を感じます。舞台版は第1部だけでもジャンヌの意味を匂わせていて、この改変もいいですね。そしてジャンヌ自身は漫画より悪意も魔女感も薄まり守護者的になる一方、ヨーク公の勝利、ジャンヌの火刑と彼女の呪いの後に、リチャードの誕生と予言、薔薇戦争勃発が来る流れになるので、『マクベス』の魔女のニュアンスが強まる気もします。
ジャンヌとヨーク公関連で言えば、後半にリチャードがヘンリーと戦場で遭遇する前の場面で、ヨーク公とジャンヌの幻影が現れてリチャードを誘導するところは、舞台版ジャンヌは王のヘンリーには会わずにすむ方向を明確に指し示していました。漫画の方はジャンヌの誘導先をおそらく読者の想像に委ねており、ジャンヌは真剣な面もあるものの皮肉半分で得体の知れない感じがあります。舞台版ジャンヌは本当にリチャードを思い遣っていることがわかり、そんなジャンヌを「失せろ化物」と切り捨てヨーク公の幻についていってしまうリチャードに胸が痛みます。ヨーク公に従って進むリチャードに、ヨーク公が影のように一緒に同じ動きをする演出もよかったです。
戦争場面がHⅥ的で舞台的
谷口賢志さんのヨーク公は、『ホロウ・クラウン』のヨーク公(演:エイドリアン・ダンバー)の逞しさ成分が加わった感があり、漫画版が煌々しい・神々しい印象だとすると、高潔さはそのまま、より大らかで頼り甲斐がある印象です。多分谷口さん自身も若手を引っ張り舞台を支えているだろうことがトークなどから窺え、そんな存在感を感じるヨーク公です。コミックシーモア特典ペーパーのヨーク公が谷口さんっぽくなっている気がする……?
舞台的なインパクトがありつつ『薔薇』マーガレット降臨のような田中良子さんも最高。ヨーク公とマーガレットの対決シーンは漫画でもHⅥ踏襲ながら、舞台映えするし、いい意味でHⅥそのもので迫力が増します。血染めのハンカチのシーンは、ヨーク公視点ではリチャードが殺されたように思え、そのまま、眠っていたリチャードがヨーク公に何かあったのではないかと不安になる場面につながり、ここもうまい作りだと思いました。この後もHⅥ的な戦争部分は、マーガレットの田中さん、エドワード王の君沢ユウキさん、ジョージの高本学さん、ウォリックの瀬戸祐介さんが、舞台に映える形で見せてくれたと思います。
ヲタ感想ですみませんが、ジョージがヨーク公の幻(実はケイツビー)を見るシーンは、漫画だと城壁背景も相俟って『ハムレット』亡霊シーンの印象が強いですが、室内シーンだと(漫画版も「私の王冠はどこだ」はありつつ)『ヘンリー4世』みが増しますね。終戦後に勝利を宣言するエドワード王の君沢さんが、漫画版やHⅥより悲痛さを抱えている印象だったのも深みが出てよかったです。
大人感のあるヘンリーなのに、なのに……
和田琢磨さんのヘンリーは、(設定的には病んでいるものの)病んでいるというより、敬虔な価値観が時代とも妻マーガレットとも合わないことが前面に出ている印象です。アニメの緑川光さんも大人感がありますが、和田さんも私が抱いたイメージより大人で余裕を感じさせるヘンリーでした。これもその後の展開を踏まえてかもしれませんし、『薔薇』のリチャードとヘンリーの年齢差を考えると、若月さん・有馬さんとの関係性としてこのくらい大人っぽくていいのかもしれません。ヘンリーについては、森の場面で彼の事情を語る形にさせたのも『ハムレット』感を残す感じになり、和田さんの語りもとてもよかったです。リチャードをただ逃げ場にしていたのでなく、年長者としても気遣い、新しく生きようとするヘンリーに見えましたが、その分、最終場面での裏切り感は増幅……。この容赦のなさがまた菅野先生テイストです。森の場面で理由を語らせているものの、最終場面はヘンリー側の葛藤はあまり見せない構成で、ヘンリーの口調も直前と変わっていて更にそう思わせます。ここはリチャードにそう見えたという演技・演出なのでしょう。
とはいえ母セシリーがそう仕向けたこともわかる形になっており、セシリーの箇所も少し話が変えられています。これも短くしても薄まらないいい改変だと思いました。更にヘンリー殺害の後のエピローグも、第2部を予感させつつ、やはりHⅥ的にも見えます(殺害後と最終幕でHⅥリチャードは王位簒奪の野望を独白しますし、そこからRⅢができましたし)。ここはRⅢとしての第2部もお願いしたいところながら、集客が悪かったらしいのが気になります。私同様地方民が多くて、配信の売れ行きは好調だとよいのですが!
リチャード・キャストについて再び
若月さんリチャードと、有馬さんリチャードが、異形性と怨恨をもつ原案(HⅥ、RⅢ)リチャードをそれぞれとても感じさせた箇所があり、有馬さんのリチャードはそれが最終場面でした(この辺からいつものように妄想モード強めになっていますが、本当にネタバレ的でもあるのでご注意下さい)。舞台では、ヘンリーが拒絶した後、リチャードは「神の意志に背いた? 俺が? 俺の意思でこの体で生まれてきたというのか、こんな惨めな体で。お前たちが呪うべきは俺じゃない。俺が俺を最も呪っているのだから」と言ってヘンリーを殺します。HⅥでは、リチャードはヘンリーを殺害し「天がおれの肉体をこうねじまげて作った以上、今度は地獄がおれの心をそれに合うようにすればいい(中略)『愛』などという言葉は(中略)おれの中においてやらぬ、おれは一人ぼっちの身だ」(小田島雄志訳『ヘンリー6世』(第3部)、白水社)と語ります。『薔薇王』もストーリー的にはそうなるともいえますが、漫画『薔薇』リチャードはこの場面では絶望で自失状態。若月リチャードは、錯乱したヘンリーの腕の中で泣きながらこの独白を語り、比較的漫画版に近い印象です。有馬リチャードは、この台詞の前にヘンリーを突き放し、やはり泣きつつも怒りを込めて叫び、ヘンリーに刃をむけてゆらゆらとゆっくり迫っていきます。そこに原案HⅥ的リチャードも感じるのです。上でも書いたように、日によって違う可能性もありますが、配信版での2人のこの違いが感慨深く、両方観てよかったと思えます。
若月リチャードが原案HⅥリチャードを感じさせたのは第1幕最終部でした。殺され晒されたヨーク公の首級を取り戻した場面で、若月リチャードは首級を抱えて背を丸め重い足取りで、前を睨みながら狂気と怒りを見せる独白をします。その直前、ジョン・グレイの殺害後にヘンリーと遭遇し、リチャードと一緒に行きたいと言うヘンリーに、若月リチャードは気持ちが揺れている気がするんですよね。ヘンリーもそう思わせる優しさと労りを見せます。そんな若月リチャードが、ヨーク公の首を見て変貌するところが素晴らしい。
有馬リチャードは、ここでは「涙などいらぬ」と言いながら泣いていて、癒えない悲しみの代償に血を求める感じがします。抑制的に様々を諦めながら、最後に抱いた希望が裏切られて爆発するような有馬リチャード、HⅥリチャードとジュリエットの間を行き来するような若月リチャードという印象になりました。両方ともが『薔薇』リチャード的だと思います。
舞台で初めて観た方は、きっと続きが気になりますよね。第2部もすごいですし、第1部の漫画の方もとても味わい深いのでぜひ〜。
記事リンク
以下2つは舞台写真が結構入っています。