『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

リヨン・オペラ座バレエ、マルコス・モラウ振付『眠りの森の美女』感想・紹介

しまった、ウィーン国立バレエだけでなくこちらも無料配信で7月2日まででした! 私も慌てて観たらすごくよかったので、とりあえず紹介を兼ねて急いで感想を書きました! 

 

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『眠り』+『侍女の物語』(+『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』)みたいな印象でした。ディストピア感満載です。20分過ぎるまでチャイコフスキーの曲も出てきませんし、その後も不協和音入りの編曲になっていたりしますが、30分ぐらい見ていると引き込まれて、最後の方は感動的でした。

 


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最初の20分くらいは、白いボンネットとドレスの男女(男性もドレス)による、機械のような動きのダンスが続きます(『ムーミン』のニョロニョロっぽくも見える)。この細かい不思議な動きは素晴らしいものの、「不気味の谷」(の逆)のような感じもする、なんともいえないムーブメントです。“これ……『眠り』?”と思い、その不明さは最後まで続くとも言えますが、赤ん坊出現と共にチャイコフスキーのオーロラ誕生祝宴の音楽になり(でも不協和音入り編曲)、皆でその子を可愛がったりするので、彼女・彼達が妖精役かな、と思えてきます。そこからのシークエンスは、子どもを抱いた女性が残されて天井に押し潰されそうになったり、豪華なドレスに薔薇の花束を抱えた人に見下ろされたりして、今度はその女性が、子どもを祈願されたのに不当に扱われた(または子どもを盗まれた)カラボスにも見えてきます。ここになって、揃いのコスチュームが『侍女の物語』に似ていることに気づき、『侍女の物語』にも赤ん坊を花束のように見るというような記述もあって、豪華なドレスとの対比に代理出産の文脈も彷彿としました。妖精/カラボス/侍女が重ねられているように私には思えました。

 

侍女の物語』オマージュがあるよね、と私自身は思って、この後もその線で書きますが、これは私の勝手な想像です。今作の解説や批評があればと一寸検索してみたんですが、リヨン・オペラ座バレエのサイトのマルコス・モラウ自身のインタビューしか見つからず、モラウは今作を「不安」や「悪夢」を反映したものと言っていたものの、そんな話はありませんでした。

 

薔薇の花束をもつ人達が登場するシーンの音楽は確かグランワルツとローズ・アダージョ。今作ではまだ赤ん坊ですが、花束のように欲されているように見えます。通常は、オーロラ姫が王子達からプロポーズされるロマンティックなシーンですが、そこでもオーロラ姫が物のように扱われているのではないかという通常版への皮肉・批判も感じます。最近のシュプック振付版も、カラボスが子ども=オーロラを盗まれており、王子達に求婚されたオーロラが怯えて逃げてしまう展開になっていたことを思い出します。

 

で、今作では少女になったオーロラが突然昏睡状態に陥ってしまい、妖精・侍女的人達は焦ったり嘆いたり何とか対応しようとしているうちに、後ろ側の扉を開けるとそこには(昔のSF映画風な)電気装置が。そこに1人が触れると、彼女・彼等は突然ぎこちない動きになり、どうもアンドロイドがその装置でスムーズに動いていたのがおかしくなったように思えるのです。そして冒頭20分の不気味にも思える機械的ダンスが、アンドロイドが徐々に人間的になっていく動きだったのかも、と思えます。もう一度別の1人がその装置に触れて扉を閉めると、皆人間らしいゆっくりとした動きになり、静かに悲しんだり慰めあったりします。

 

リアルな看護・介護の重さも示唆され、オーロラは大人になっても昏睡状態のままで、彼女を運んでいた妖精/侍女が絶望して階段から投げるように落としてしまうのですが、落ちたオーロラはガシャンと物が壊れるような音がします。その事態を何人かが泣いて悲しんだり、やはり壊れたような機械的ダンスを踊ったりします。オーロラが死んだことを悲しんだのか(死んでしまったかどうかもわからないですが)、物体だとわかったことを悲しんだのかはわかりません。

 

新しい赤ん坊も生まれたようで抱いて喜ぶ妖精/侍女もいる一方、オーロラの件がきっかけになったのか、妖精/侍女達は徐々にその場から逃げ出していきます。最初は恐る恐るゆっくりと、段々勢いづいて走っていきます。赤ん坊を抱いていた妖精/侍女も声をかけられ、一緒に逃げていきます。多分オーロラのように介護されている人が他にもいて、そういう人を抱えて逃げる妖精/侍女達もいます。カーテン、扉、階段がある装置だったのですが、逃げながら彼女・彼達はそれらも壊していき、それによってそこが施設だったこともわかってきます。服装も最初は白いボンネットにドレスのままで逃げていたのが、ジャンパー姿に、下着にとそれぞれの人になっていく感じです。ここが通常版の、オーロラ姫の呪いからの解放・目覚めとかけられているのでしょう。

 

このあたりには、オーロラが眠りにおちる場面の劇的な音楽と最後のグラン・パ・ド・ドゥの曲が使われていて、囚われていた多くの人達が逃げ出すことを示すように、その間ずっとダンサー達が舞台を何度も走るだけなのにもかかわらず、とてもドラマティックです。ダンサー達の表情やちょっとした仕草もとてもよくて、それぞれが思いを抱えて逃げ出していくのがわかります。人間として目覚めたアンドロイド達が逃げていくのかもしれませんし、『侍女の物語』ギレアデ共和国で洗脳されていた(かのような)人達の逃走なのかもしれません。

 

すっかり解体された施設の跡に、老女になったオーロラを抱えて途方に暮れたように、裸に近い姿のおそらく元妖精・侍女(男性ですが)が現れます。もう1人やはり裸に近い姿の女性が老女のオーロラを抱いて受け止めると、彼も逃げていきます。老女のオーロラを愛おしむように抱きしめる彼女の姿で終幕です。それはケアの両義性のようにも思いました。呪いのようでもあり、愛でもある(王子との結婚の代わりにそれが来ている)。老女になっても愛しい、という本物の愛情かもしれませんし、それがあって彼女は逃げられないのかもしれません。でもアンドロイドならぬ人間は、ケアに依存せざるをえません。それを受け入れる、ということなのかもしれません。