『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

バイエルン州立歌劇場、ミキエレット演出『アイーダ』感想

バイエルン州立歌劇場、ダミアーノ・ミキエレット(Damiano Michieletto)演出、ダニエル・ルスティオーニ(Daniele Rustioni)指揮、2023年上演、配信。

 

シェイクスピアからどんどん離れてすみませんが、感想を書いた『薔薇の騎士』のミキエレットの演出が素晴らしかったのに加え、『Kings of war』演出のイヴォ・ヴァン・ホーヴェが好きな人にもハマる作品ではないかなと思いまして。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

記事をアップしたときはギリギリ配信期間内だったのですが終了しました。早く観ないから試聴期間の余裕をもたせた記事にならず、自分のダメさを再認識。

 

キャスト等はこちらに書かれていますが、この下にも情報を載せます。

https://www.staatsoper.de/en/productions/aida-2

Amneris:  Anita Rachvelishvili
Aida:  Elena Guseva
Radamès:  Jonas Kaufmann
Ramfis:  Vitalij Kowaljow
Amonasro:  George Petean
Der König:  Alexandros Stavrakakis
Ein Bote:  Granit Musliu
Eine Priesterin:  Seonwoo Lee

 

戦争の悲劇を示す現代演出

ミキエレット演出の『薔薇の騎士』では、それまで甘美な恋の物語のスパイスのように思っていた元帥夫人マリー・テレーズの、夫との関係や、若さを失いつつある苦い自覚に焦点が当てられたように思いました。今回の『アイーダ』では、主人公たちの許されない愛や三角関係の背景と思っていた戦争の悲劇が強調され反戦的色彩の濃い作品になっていたと思います。

 

アイーダ』はそんなに本数も観ておらず現代化演出も初めてという程度なのですが、エジプトが舞台のスペクタクルでエキゾチックな設定に、三角関係的恋愛悲劇が絡むオペラという印象でした。エジプトとエチオピアの戦争が描かれてはいても、それは、敗戦国エチオピア王女のアイーダとエジプトの戦士ラダメスの許されない恋や、エジプト王女アムネリスとアイーダのライバル関係を盛り上げ、かつ戦勝祈願や凱旋行進曲での豪華場面を作る設定のように思っていたんですよね。以下の解説記事やMETライブビューイングでの作品紹介を見ても、それがあながち間違った印象ではないと思うんです。ですが、今作の第1幕は、避難所に使われている体育館が舞台。空爆で穴が空いている天井まであり、ウクライナ戦争も想起させます。そこから紡がれるストーリーも、これまでの印象とは別の話のようにすら思えました。

 

opera-hearts.com

 

www.shochiku.co.jp

 

凱旋行進曲場面の意外性に感激し、また、『薔薇の騎士』の終幕もそうでしたが、今作の終幕も切なくて美しくて残酷で胸が熱くなりました。

 

以下がtrailerです。trailerの下から演出ネタバレ感想です。

 


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前半第1幕、第2幕

避難所の体育館で働く現場職員かボランティアのような作業着のアイーダに、“手伝いに来たよ〜”みたいな雰囲気で登場する、職員か作業員風のカジュアルな普段着のラダメス。アイーダもラダメスも質素でつましいし優しいしで、この第1幕第1場は作曲者違いですがなんだか『アイーダ』より『ラ・ボエーム』的にみえます。このラダメスは、周囲の尊敬や憧れを集める戦士というより、再度戦争に行って手柄を立てればアイーダを幸せにしてやれると思っている庶民に見えました(経済的徴兵制をなんとなく想像してしまう)。英雄的なラダメスではなく、アイーダとの幸せのために戦場に行かされる優しいラダメス、誰にでも置き換え可能なラダメスに思えるところがよかったです。オリジナル版では司祭長のはずのランフィスの方がシュッとしてかっこよく軍人の雰囲気です。いや、確かに素の歌手の風貌がかっこいいところはありつつ、敢えてそう作っていると思うんですね、後半になると風貌的にはかっこよくてもその分ランフィスがどんどん嫌な人に見えてくるので。アムネリスは避難所や人事を采配できる上級公務員か議員風。

 

第1場後半でエジプト王が登場し司祭や大臣等が進軍を鼓舞するシーンは、男性市民達が合唱曲の明るく勇ましい合唱が歌うなか、真ん中で1人の女性が棺の上のぬいぐるみを抱きしめて泣いており、アイーダがそれを見つめる形になっていました。彼女はおそらくエジプト国民で、そんな戦勝祈願で送り出されて犠牲になった兵士の遺族か、戦禍で家族を亡くした女性で、どちらの国にも悲しむ女性がいるということだろうと思います。アイーダが「勝ちて帰れ」の歌で、自分の祖国や父を打倒するような言葉を発してしまったと嘆きますが、戦勝祈願の裏にある悲しみアイーダの歌の前に示される形になっています。それは元々のオペラにきちんとあると言えばある訳ですが、普通には多分、敵国戦士ラダメスを愛してしまったアイーダに固有な悲哀に見えるところが、戦勝と表裏一体の普遍的な悲しみとして明確にされている気がするのです。

 

第1幕第2場の神殿で司祭や巫女たちが戦勝を祈願するシーンは、今作では、これから戦地に向かう兵士達がブーツを抱えて祈る深刻な作りにされていました。ブーツは亡くなった戦友のものかもしれませんし、なんとか無事に帰りたいという祈りかもしれません。ラダメスはバリカンで髪を刈られ、迷彩服を着ます。第2場はエジプト風のエキゾチックな音楽から荘厳で勇壮な音楽に移行しますが、この演出だと、エジプト風というより静謐な祈りの曲に聞こえ兵士達が祈っているところに威圧的な進軍命令が出され彼らが悲壮な決意をするように聞こえます。

 

上でも少し触れたように、更にすごいと思ったのが第2幕第2場の凱旋行進曲のシーンです。『アイーダ』でも注目の華やかなシーンのところ、帰還兵達が1人ずつ行進曲に合わせて入ってきますがその多くが負傷したり障害を負っています。有名な凱旋行進曲を皮肉に裏切るような演出で、明確にアンチ・クライマックス。曲も通常盤よりへろへろしているようにも聴こえたんですが、これは絵的にそう聴こえたのか、そんな演奏だったのかわかりません。ここはtrailerにも少し出てきます。ラダメスもPTSDになっていて、叙勲の途中で亡くなった人々の幻覚が見えたりしています。また、この後、敵国エチオピアの捕虜を殺すかどうか揉めると、中央あたりにいた片足の兵士が怒って勲章を捨てる描写もあります。第2幕第2場の後半は、確かに元々、敗戦国エチオピア側の悲哀とアイーダの更に深まる悲しみが描かれていると言えますが、この後半にもつながり、かつ戦争に対する皮肉をきかせた作りだと思いました。

 

E. Stikhina, B. Jagde ©️W.Hösl (https://www.staatsoper.de/en/productions/aida-2)

 

後半第3幕、第4幕

第3幕以降は、体育館が半分ほど灰に埋まった象徴性のある装置になります。灰は戦争で失われたもの、過去を象徴したものということが幕間のインタビューで語られていました。アイーダが、ラダメスと別れるなら死のうと考えつつ祖国を偲ぶ「おお、わが故郷」の歌の箇所では、少女時代のアイーダと母親の幻影が登場します。その前の場面でも幸せな少女時代を象徴するように少女は登場しており、少女が出てくるのは『薔薇の騎士』と似ていますね。また、この後にアイーダの父(エチオピア国王)が登場し、ラダメスに進軍経路を聞き出すようにと言って彼女を追い詰め、その過程で彼女の母親を「恐ろしい亡霊」とかアイーダを呪っているとか言うのですが、今作では、その前に母親の幻影がアイーダの気持ちに寄り添い慰めるように振る舞っているのです。

 

アイーダから一緒に逃げてと言われて、ラダメスは最初は難色を示しつつ結局同意しますが、今作のラダメスは第1幕から栄光よりもアイーダとの幸せを望んでいるように見えますし、戦争のPTSDまであるため、逃げようと決意するのも説得的です。ラダメスが彼女と逃げるために意図せず進軍経路を口にし、陰で聞いていたエチオピア国王がラダメスも共に来いと言っていると、アムネリスがやってきてその計画がエジプト側に発覚するのはオリジナル通り。

 

今作だと、なんとなく、そこで捕まって尋問を受けたラダメスに許される道はないんだろうなと思います。アムネリスと結婚すれば命は助かる、その選択を迫られるラダメスという展開もスリリングでドラマティックですが、特に今作のアムネリスは実はそんな決定権はない気がするんですよ。彼女はなんとかなると思っているけれど、多分状況的に無理で、ラダメスにはそれがわかっている感じがするんですね。元々の歌詞でも彼女の訴えは省みられないので原作的にもアムネリスは無力なのかもしれません。今作では、絶望するアムネリスを父のエジプト国王がランフィスと結婚させようともしており、彼女がお飾り的でやはり国のために犠牲にされる存在だったと示す演出になっていました。

 

このラダメスが生が厭わしいと言うのも、(歌詞にある)名誉を失ったからというより、戦争を倦みはじめアイーダとの未来が絶たれた心情として理解できます。終幕の第4幕第2場は、ラダメスが幽閉された場所にアイーダがいたという展開ですが、今作では、それがラダメスの夢想か、もう亡くなったアイーダが迎えに来たかラダメスも既に亡くなっているという幻想的場面です(上画像)。今作だと、アムネリスがラダメスを説得する時にアイーダは生きていると言ったのも嘘だったかもしれません。アイーダは逃げる時に置いてきた白いドレスを着ており、幸せそうなカップル達が風船をもって結婚式のように2人を祝福し、アイーダの父母も2人でダンスを踊っています。それがとてもロマンティックな場面になっており、穏やかで美しいメロディーで「天国が開く」と歌う曲によく合います。同時にその美しさと甘美さが、その下の段で苦しむアムネリスの描写と共に残酷さも感じさせる素晴らしい終幕だと思いました。

 

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今年のロイヤル・オペラハウス・シネマで今年上映された『アイーダ』も現代演出になっていて、これは見逃してしまいましたが、情報としては知っていて気になっていました。奇しくもロイヤル・オペラの方は、METの素敵な『薔薇の騎士』を演出したロバート・カーセンによるものなんですね。

 


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