『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

プルカレーテ演出、佐々木蔵之介主演『リチャード3世』感想

シルヴィウ・プルカレーテ演出、佐々木蔵之介主演。2017年上演。(2023年、BSプレミアム再放送。)

 

これは本当に好きな作品でありながら、感想記事を書き始める前に観た作品だったこともあり独立の感想記事にはしていなかった一方、下リンクのオスターマイアー演出版『リチャード3世』の感想記事内で、比較である程度のことを書いてしまっていました。ですが先日再放送の機会があったので、これも1本の記事にすることにしました。他作品の記事内だとその部分だけを読みにくいと思いましたし、『守銭奴』のことも書きたかったですし。下のリンク記事や本日アップした『守銭奴』の感想とやや重なる点はご容赦下さい。うーん、でも、今回改めて感想記事を書いても、この作品の面白さを十分伝えられない不全感はありますね。

 

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↑オスターマイアー演出版も暗さと悪夢感があると思うので、プルカレーテ版のそんなテイストが好きな方には気に入っていたただけるかも。

 

本作は、佐々木さんのリチャードを始めとして演者の方達が素晴らしく、『守銭奴』の感想記事にも書いたように、純粋にそれぞれが演じる役を見るのも楽しいです。アンやバッキンガムについてはこの下で書きますが、その他にマーガレットの今井明彦さん、エリザベスの植本純米さん、公爵夫人(=リチャードの母)の壌晴彦さんがとてもよかったです。今井さんのマーガレットには現在の零落ぶりと元王妃の優雅さが共にあり、しかも「呪いのマーガレット」の宿怨や呪力を感じさせて本当に素敵。比べると植本さんのエリザベスは(スキンヘッドで演じているのに!)なんだか可愛気があり気弱さも窺え、2人の地位や関係性にとてもはまります。壌さんは太い声のままでも戯画的にならず重みのある母親を感じさせます。

 

廃墟のような装置も、金属が軋むような効果音や暗いのにカーニバル感のある音楽も、悪夢的で薄ら寒い怖さもあるのに魅了されます。​​

 

今回改めての視聴で『薔薇王の葬列』関連で思ったかなりたわいないことも最後に書きました。そこだけ読む方はこちらをクリックして下さい。

 

モテモテのリチャード

何と言っても主演の佐々木さんの魅力全開の『リチャード3世』だと思います。下のリンク記事では「醜い」と書かれているものの、佐々木さんのリチャードは、台詞が言うところの障害があり、また醜く恋に縁がないと思っている男ではありません。そんな疎外を語る冒頭の独白は、パーティーのシーンで冗談のように笑いながら語られます。劇中劇の様相で、皆が素の男性の姿(あるいは皆同じ白シャツ黒ズボン)のパーティーのシーンから『リチャード3世』世界に移行していく感じですが、こう語るリチャードはパーティーの中心にいて、周囲が自分に魅了されることをおそらくわかっています。その時点での彼には身体の障害もありません。台詞の内容が否定される演出・演技になっています。その後の彼の障害を示す格好も取ってつけたようだし、それが登場の度に違っているしフェイク感が強いのです。

 

こちらの記事には、パーティーシーンも含め写真がいっぱいあります。

spice.eplus.jp

 

リチャードがアンに結婚を迫るシーンは、誑かしや泣き落としというより色仕掛け手塚とおるさんのアンも色っぽく、この場面のリチャードとアンのやりとりは、リチャードが強引に口説いている風ではなく色恋の駆引きのようになっています。アンは若く無垢な被害者のようではなく、ヘンリー王の遺体に自ら血をかけて被害を政争化し、その死を悼む言葉をマイクで語り葬儀を取り仕切る女主人の風格があります。『リア王』の姉娘とエドマンドのような雰囲気も感じます。後半ではリチャードはエリザベスに対してもセクシュアルな迫り方をしており、それはセクハラ的にエリザベスを追い詰めたということかもしれませんが、色仕掛けに自信がありそうに思えるんです。

 

バッキンガム(山中崇さん)とケイツビー(河内大和さん)はパーティーの時にリチャードの脚に絡みついていました。バッキンガムは、領地譲与の約束でリチャードから協力を持ちかけられるシーンでもうっとりと彼を見つめ、リチャードはそれにつけこんでバッキンガムを利用する感じがします。リチャードとバッキンガムのキスも、バッキンガムが望んでいるので与えたように見えます。終盤の亡霊シーンではバッキンガムの側のリチャードへの想い・執着を強く感じます。

 

2人のキスについては、下のブログ記事で上演プログラムに「共産主義国の政治家同士の儀式のようなもの​​」とされていたことが紹介されていました。確かにブレジネフとホーネッカーの写真とか有名ですしプルカレーテの意図としてはそうだったのかもしれませんが、少なくともバッキンガムの側については(あるいは私の腐女子視点からは)そうは見えません。

 

mineyo-tk.main.jp

 

とはいえ、彼らの関係を恋愛フェーズで見られるかというとそうも言えず、リチャードの欲望はひたすら王位や権力と自分自身に向けられ、他者はあくまで利用の対象にしている感じがします。他者の感情も利用して王位/権力だけを志向するリチャードのあり方に、悪い意味での政治家的なところが出ている気がしました。

 

欲望のフェティッシュな対象

(すみません、かっこつけて映画タイトルをテキトーにもじってしまいました。)

今回の放送で『守銭奴』と組み合わせて観たことで、フェティッシュな欲望の対象に魅入られ、それが手に入っても渇望し続け猜疑的になり自ら潰れてしまう、そんな主人公や権力(金銭)欲のことをプルカレーテは描いたのではないかと思いを強くしました。オスターマイヤー演出版やヴァン・ホーヴェ演出版のリチャードは、愛から疎外されていて承認欲求や対人関係欲求が核にあるように思えたのですが、こちらのリチャードはそうでない気がするのです。

 

佐々木リチャードは障害のために愛から疎外された人ではないと書きましたが、逆に言えば彼には王位への野望の背景となる動機や理由がない/不明だということです。彼は非常に魅力的である一方、同情可能・了解可能な感情は見えなくなっています。その動機がないままひたすら王位=権力を求める人になっており、その点は『守銭奴』のアルパゴンと似ている気がしました。王位簒奪のためにおそらく偽の障害も理由にし、利用できる相手は利用し、邪魔になれば切り捨てるということかもしれません。

 

王位就任が現実のものになるあたりから、リチャードはバケツを抱え全く美味しくなさそうなオートミールか粥のようなものを食べており、それが彼の貪欲さや満たされない渇望のようにも思えます。

 

また、彼の玉座への執着はフェティシズムと言えるものだろうことが、非常にセクシュアルな描写で示されます(物神崇拝的意味と性的な「フェチ」が重ねられている感じです)。ビニールのかかった玉座に入り込むのがスカートに潜り込むようにも、玉座との性関係や自慰のようにも見えます。ここでも、欲望が他者との関係に向けられていないことが示されている気もします。そうでありつつ、そのビニールの中で窒息するようにも見えます。そこに王子達の存在も示されると、空気を求めてリチャードはビニールを破っており、権力を手にした途端に彼はそれを失うのを恐れ、その中だけで充足しては生きられず自ら破綻していくようにも思えるのです。

 

その後のリチャードに対する叛乱や戦争は、その台詞が声のみで語られ、1人舞台にいるリチャードがそれを聞く形になっています。原作ではリチャードを倒すリッチモンドも、大写しになった顔の映像がその台詞を語るだけ、しかもその映像リッチモンドも佐々木さんです(このリッチモンド、悪辣そう)。城内の奥で戦況の情報に1人で怯えているようにも、あるいは全てがリチャード自身の悪夢か妄想のようにも思えます。原作での悪夢場面が今作では歌も入ってカーニバル的狂乱を感じさせるシーンになっていますが、原作での悪夢を、王位・権力にまつわる疑心暗鬼や怯えとして捉え、もっと全般化・肥大化させた演出のような気もします。

 

恐怖政治と権力の崩壊

下のリンク記事で、手塚とおるさんがプルカレーテの演出について以下のように語っています。

かつては実際に、下手したら死刑になるかもしれないという検閲の中でやっていたわけですから。『リチャード三世』ならチャウシェスクに結び付けて彼が崩壊していく様を見せるというのを、たぶんいろんなオブラートに包みながら、でも客にはその政治的メッセージがわかるように作っていったんでしょう。

 

community.pia.jp

 

手塚さんの話は今作の解釈ではないかもしれませんし、今作も色々な見方ができると思いますが、チャウシェスク政権下で演劇活動をしていたプルカレーテが、権力のありようを描いたという見方は私にはとても納得できるものでした。今作では、権力それ自体の魅力のために権力を求め、猜疑と不安のなかで自己崩壊するストーリーラインが抽出されているように思えます。(いや、権力はそんなにうまく自己崩壊してくれないでしょうが、どんどん闇が深くなり中で腐っていくだろうとは思うので。)

 

様々な登場人物が暗殺されたり処刑に追い込まれる様子が不気味な形で示されていたのも、権力と恐怖政治の描写として捉えていいかもしれないと思いました。殺害場面は残酷または悪趣味に描かれていた気がしますし、暗殺者でもある屠殺業か掃除夫のような格好をした人物達が、それ以外の場面でも頻繁に床を掃除しています。

 

クラレンス公ジョージはパーティーでの悪ふざけのように逮捕され、しかも何かの間違いだと信じたまま殺されます。冗談を言っていた間柄で突然粛清に移行するような薄ら寒さや、兄エドワード王の命令の(手続きや裁定の正当性を欠く)恣意性が際立ちます。後ろで展開される殺害場面にリチャードが怖い顔で聞き耳を立てていて、原作の恐ろしさを教えてもらった気がします。

 

リヴァース達も、この演出では拡声器で逮捕が決まったと言われて連行され処刑されます。ヘイスティングズについても原作通りケイツビーが彼の動向をリチャード達に報告している訳ですが、ケイツビーが河内大和さんなのでスパイのような不気味さが強調されます(褒め言葉なんですよ〜。台詞の少なさが不穏さを醸す感じのケイツビーでしたね)。ヘイスティングズが議会で糾弾される前は、議会で皆が下を向き無言でマイクを回してヘイスティングズとバッキンガムだけが発言し、これも嫌な雰囲気です。『リチャード3世』の中で、ヘイスティングズの罪状捏造と議会での糾弾は、明らかな嘘なのに誰も何も言えない権力の恐ろしさを一番よく描いている場面だと個人的には思います。今作ではそのおかしさを指摘する代書人役(渡辺美佐子さん)が、おそらく劇中登場人物でなはない著者シェイクスピアのような設定になっていました。原作では市民がおかしいと言うところを、今作では劇中人物が言わないところも閉塞感と怖さになります。

 

アンの暗殺命令は明言されず、「重病だと言いふらせ」のリチャードの台詞でケイツビーに察するよう求める演出になっていました。「何をぼんやりしている!」と叱責されますが、これ、“忖度”ですよね……。しかも、王子達の件でそれができずにリチャードに暗殺を明言させてしまったバッキンガム、察しがよくて欲しい答えを言うティレル、と、4幕3場に様々なパターンが出てくることが今作の演出でわかりました。原作の含蓄よ……。

 

バッキンガムの処刑には(台詞とは異なり)リチャードも立ち会い、その後慟哭します。ようやくバッキンガムに対して人間的感情が動いたとも取れる一方、王位/権力の座がもたらす不安や、結局は満たされない渇望にリチャードが壊れたようにも思えます。

 

「馬を、馬を。王国などくれてやる」の台詞は、そんな王位から逃げたい、権力を投げ出したいニュアンスで言われていました。外世界にいた代書人が引導を渡す、あるいは悪夢からの救済を示すような終幕に見えました。

 

 

『薔薇王の葬列』連想(大したことない内容です)

王冠への野望の背景に愛からの疎外がないことや、「なんちゃって」的フェイク感があって底根が見えない点で、佐々木リチャードは『薔薇』リッチモンド的にも思えました。リッチモンドの“道化メイク”が菅野先生が描いた佐々木リチャードに似ているという話を以前以下の記事でしましたが、やはり両者の類似性を感じました。『薔薇』リッチモンドは、原作リチャードの道化っぽい悪役ぶりが託されたキャラだと思いますが、放送時のインタビューで佐々木さんが今回のリチャードは道化的だとおっしゃっていました。また、今作では佐々木さんが一人二役で(またはリチャード内妄想のように)リッチモンドも演じていましたが、そのリッチモンドが悪役的で、これも『薔薇』リッチモンドっぽかったです。

 

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もう1つ、リチャードとバッキンガムのダンスの扉絵は、蜷川幸雄演出版『リチャード2世』からかなとやはり以前の記事で書きましたが、プルカレーテ演出版でもまさにリチャードとバッキンガムがタンゴっぽいダンスを踊っていました(亡霊シーン)。しかも背を反らせたポーズが扉絵と似ている気がしました(リードとフォローの立場は逆ですが、その逆転も感慨深いですし)。こちらのオマージュもあるかもしれませんね……。

 

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