『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

16巻72話 冬の気配について

(薔薇王の葬列アニメ23話対応)

(※ネタバレになっていますので、ご了解の上お進みください。)

 

個人的には71話より72話以降の方が辛くて、読んでいる時はそれに持っていかれました。バッキンガムについてはそれでも自分の結論を見つけて生を全うした感があったんですが、リチャードの決断は皮肉な結果になって行くし、この後の73話も含めてアンがリチャードに鬱屈した思いをぶつける場面はやるせない気がしたんですよ。15巻が和解的でよかったと思っていただけに……。ただ、最終的にはアンはそれを言えてよかったんだろうと思いますし、2人とも(息子のエドワードも含めて3人とも、かな)やはり結論を見出せたのだと思います。また、思えば71話でのジェーンの「後悔のない人生なんてない」という言葉がその後の展開も救っているような気もしました。ただ、そう思ったのは74話まで読んで、というより読み終わってしばらくしてからです。

 

で、こうやって感想を書く段になって改めて、やはり構成もすごいと思い至りました。

 

今話では、リッチモンドイングランド上陸場面で、『リチャード2世』(以下、R2)を掛けて史料に近い形にしているんじゃないかと想像しました。これまでも、ジョージの暗殺の箇所で史料に近づけつつ『ヘンリー6世』(第2部)が重ねられていたり(9巻)、スコットランド遠征時のジェイムズ王とオールバニ公についても(10巻)史料と『リチャード2世』が重ねられていただろうと思います。

 

今話はもっと短かくてそこまでの類似ではないものの、このR2との重なりが、今話では森の場面でエドワードが実を落とす話に繋げられ(←ここは願望に近いですが)、73話からは自分の王位を神の意志として正当化するリチャード2世=リッチモンド vs. 罪の意識に苦しむ王ボリングブルック=リチャードという構図に繋げられている気がします。(10巻や15巻で想像したR2のモチーフとは別です。)この辺は73話感想記事でもう少し書ければと思いますが、更に、R2が踏まえられることにより、『ヘンリー6世』や『リチャード3世』(以下、R3)でリッチモンドが予め未来の王として祝福される不可解さと偏向性も仄めかされ、リッチモンドの情報戦の巧みさと、いかにテューダー朝の物語としてR3が作られたかが一層効果的に提示されているように思いました(「私たち●●●の物語さーー」)。

 

しかもその一方で、荊棘と愛をめぐる物語もバッキンガムからアンやエドワードへと続いていっています。加えて、今話では紋章院の話がきっちり拾われているかと思えば、バッキンガムが忘れられずケイツビーの肌の熱を求めるリチャードが描かれるという幅広さです。

 

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冬の気配について

〈運命(さだめ)は巡る、季節が決して止まらぬように、歓喜の夏にも、いつしか冬が忍び寄る〉

とする冒頭で、アンの喀血、次いでリッチモンドイングランド上陸が描かれます。R3の始まりの「ヨークの太陽輝く栄光の夏」と、「冬の王」としてのリッチモンド(ヘンリー7世)に掛けて、アンの死期が近づいており、リチャードの王権が終焉に向かいつつあることが示されているのでしょう。今話後半では、ベッドの中でリチャードが「寒い」と何度も言っています。

 

でも、74話の『冬物語』っぽい展開とも掛けられているといいなと思いました。いや、ここはもう当たっているかどうかはいい、掛かっていて下さい。願望です

 

大変に大部で高めの本ですが、ボズワースの戦いまでのことは最初の数ページ程度です。

 

リッチモンドイングランド上陸について:『リチャード2世』

『薔薇』では今までも王宮に出没したりしていましたが、今回海岸に上陸したリッチモンドは「ただいま……愛しい祖国よ!」と寝転がって足元が揺るがない!これ以上の幸福があるか」と言っています。この場面の風景が『ホロウ・クラウン』R2パートでリチャード2世がイングランドに戻った時のようで(イギリスの海岸風景が似ているということかもしれませんが)、その台詞もR2と史料に似ている気がしました。R2では「荒波にもてあそばれたあとご上陸されたここの空気、いかがなものでしょう?」と問われたリチャード2世が「こころよいかぎりだ、嬉しさのあまり泣けてくる。ふたたびわが王国の地を踏むことができたのだから。なつかしの大地よ、この手で触れてあいさつを送るぞ」と言っています。上の『冬の王』では、リッチモンドが浅瀬に膝をついて合掌して「砂浜に口づけし、十字を切った」ことが、史料参照で書かれています。

 

嵐でしばらく上陸できず(史実ではリッチモンドは一旦ブルターニュに戻りました)、その間に味方が殺されたり兵力が失われたりするというのも似ています。それが上陸後に告げられる今話もR2っぽい流れ。もっとも、R2ではそれを聞いたリチャード2世が「死ぬべき人間にすぎぬ王のこめかみをとりまいているうつろな王冠(Hollow Crown)」という台詞で嘆くのに対し、リッチモンドは底根の見えない笑みで「“最大の味方(半身)”を葬り去った」のはリチャードの方だと語っているのは逆ですね。

 

バッキンガムの処刑でリチャードの方こそが失っているというのは『薔薇』的にはまさにその通りで、精神的にはもちろんのこと、腹心が反乱した政権ダメージもあるでしょう。そして史的にも、王位継承の資格もあったバッキンガムが亡くなり、リチャードに懐疑的な勢力を、継承権は微妙なはずのリッチモンドが集約できて有利に働いた面もあったそうです(←ここは、またまた『悪王リチャード3世の素顔』参照)。

 

紋章院と赤い龍について

ロンドンの王宮に戻ったリチャードは、スタンリーに、エドワード5世達の捜索状況とともに「お前の義理の息子、リッチモンドは何処だ」と問い、「裏切りには極刑を以って対処する」と言い渡します。加えて「軽々しく血統や紋章を捏造し、王統を騙る詐欺師達をのさばらせぬ為に」紋章管理を厳格化する旨を伝え、牽制してもいます。紋章院は今でもイギリスの政府機関として紋章と系図を管理しており、「紋章院」と引けばリチャード3世の創設と記載されていますし、リチャード3世を記述した歴史関係本で彼の功績としてしばしば言及されています。リッチモンドは王位継承権が怪しいにもかかわらず、紋章にアーサー王の血脈を思わせる赤き龍を使った(これも史実)ことが72話最後で描かれ、リチャード3世の功績をリッチモンドの巧妙さと対照させているのもいいですよね。紋章院の設立が実際に反乱制圧や牽制と結びついていたか私には不明ですが、紋章管理にそういう機能はありそうですし。

 

裏切る者は「近親者だろうと、親友だろうと、どれほど愛した者であろうと、例外はない」と言うリチャードの表情は冷え冷えとしています。『薔薇』的にはバッキンガムを手にかけたリチャードの痛手と孤独がわかり、同時に、R3でバッキンガムの離反後に次々と反乱が起こって疑心暗鬼になり、孤独になっていくリチャードとも重なる印象です。

 

R3では、リッチモンド上陸の知らせを受けたリチャードがスタンリーの内通を疑って釘を刺し、彼の実子を人質として差し出すように命じています。14巻62話記事でも書いた箇所で、もしかしたら62話と同様、逆転した形にされて、アンが息子エドワードの命を心配する話と繋げられているかもしれないと思いました。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

リチャードの孤独について

(↑とはいえ、『薔薇』でもR3でもケイツビーはずっと側にいるんですよ、リチャード!)

 

結核を再発し余命が長くないと悟ったアンは、王の子である限りエドワードの命が狙われ続けることを案じて、エドワードを廃嫡してほしいとリチャードに懇願しました。

 

エドワードやアンや国を守ろうと、リチャードは約束の森に行かずに王の道を選び、バッキンガムもそれがわかって自ら斬首されたはずなのに……。(しかもエドワードの廃嫡については、それ以前にもバッキンガムと揉める一因になりましたよね。)国の方も、人々はリッチモンドを支持するようになっています。

 

アンがどういう形であれ亡くなることはわかっていたつもりですし、エドワードについてはむしろほっとする展開でしたが、71話の時点ですら、守ろうとした大切なものをリチャードが失うことになるはずだと気づかずに読んでいました……。原案も史実もある程度わかっているのに、怒涛の展開で先読みできずに翻弄されます。上げて落とされるというべきか、底だと思っていたら上げ底だったというべきか……。

 

冒頭の繰り返しになりますが、15巻でアンとの関係もいい形になったと思っていたので、エドワードが「血と陰謀から逃れられない」ように「あなたが、そうしてしまった●●●●●●●●の」とアンが言った時には本当に辛かったです。12巻で既にエドワードは狙われていて、その時は両方が悪でもよりよい方をアン自身も選んだはずでした。この辺は、アンが冷静さを失っている敢えての描き方かもしれません。ただ、15巻でアンは、エドワードには自分達のような悲しい思いをして欲しくない、そのために平和な国を作りたいと言っていて、今のリチャードとならそうできると思ったからの和解的な流れでもあったのでしょう。でもその後も反乱制圧せざるを得なくなっているし、ロンドンに入場する時にはアンの乗っている馬車にも「甥殺し!」と物が投げつけられ、自分はもうエドワードを守ることができないと必死になるのも、それはそれでわかる気がします。

 

アンに乞われて親子3人で森に出かける場面は、リチャードとアンの初デートを思い出させます。その時もどんぐり拾いましたよね……。アンは、その頃を思い出して「何だか……何もかも、夢みたい……」と言った後、「…悪い夢よ…」と言い直し、その台詞はR3のアンと重ねられているかもしれません。R3との重ね方の推測自体、ここでは冗長な気がしてきましたが(←今更!)……。R3ではアンが「あの男がうなされる悪夢でいつも起こされる」「おまえと一緒に一時も安らかに眠れなかったおまえの妻がこうしておまえの眠りに不安を注いでやる」と言い、『薔薇』アンはそういう恨み言を言った訳ではないものの、アンの話はこの後リチャードの眠りを妨げるものになりました。

 

『薔薇』アンは、リチャードは男だからまだ子どもを設けることができる、「今度こそ、あなたが本当に愛せる●●●●●●ひとと、本当の●●●後継者(むすこ)を」とも言いました。バッキンガムを処刑し、堕胎薬を使ったリチャードに更に刺さる言葉です。

 

実を落とすことについて:『リチャード2世』

森の場面のR2解釈は、相当怪しい気はしつつ、ほら、R3にはないエピソードじゃないですか、何か掛かっているかもしれないじゃないですか。R2では王の庭で庭師が杏の実のついた枝を剪定します。今話では森番がエドワードにドングリの実を落とすことを許しました。王の森で庭師(森番)が出てきて、実を落とす。……随分違う気もしますが、当たっているかどうかはもういい、願望です(2度目)

 

R2で庭師はこう言います。

 

庭師 おれたちは余分な枝を切り落とすだろう、ありゃあ実をつけた枝を生かすためだ (R2)

 

64話以降でリチャードが断念し選択してきたのは、もう一方の大切なものを守るためでした。堕胎にはそれ以外の様々な要因や感情も絡みつつも、大切なもののための断念でもあるでしょう。この後、リチャード達は、今度はエドワードを生かすために諸々を捨てようとしています。

 

R2の元の意味はむしろ逆で、リチャード2世が寵臣をのさばらせたままにしたから国が荒れ、王として得られるはずの果実を手にすることができなかったという非難の文脈で語られます。ですが、この72話では、エドワードはなった実りを落として白いのに与えることもできています。そして、森番は、実りが得られた理由を「王様のものだから」でなく「すべてのもんは神様のもんでもある」からと言っています。王族でなくてもエドワードが得られる恩恵を象徴するかのように思えるのです。

 

(※R3は河合祥一郎訳・角川文庫版、R2は小田島雄志訳・白水社版から引用しています。)

 

 

 

 

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