『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

14巻62話父と子について

(薔薇王の葬列アニメ19話対応)

(※ネタバレになっていますので、ご了解の上お進みください。)
 

62話については61話の記事をアップした後から思いついたものもあって、展開がすごいだけではなくやはり話の掛けられ方も素晴らしいと思いました。いつもながら、眉唾の推測も含めおつきあいいただけると幸いです。

 

リッチモンドの暗躍について

今話ではリッチモンドが王宮の厨房に入り込み、王太子エドワードがリチャードの本当の子ではなく(「ちっとも国王に似ていない」)、リチャードが悪魔の体だから子どもはつくれないだろうという話を触れ回ります。

 

この辺もリッチモンドが『リチャード3世』(以下、RⅢ)のリチャードのようです。RⅢのリチャードは、「エドワード〔4世王〕の子供は私生児だと言いたてろ」と言い、エドワード4世王についても「兄は父上の種ではない……父上とは似ても似つかぬ顔だ」と言っています。ここは12巻でも使われ、これと関連させてエドワード5世と王弟が私生児ということになった訳ですが、『薔薇』では更に、リッチモンドがリチャードに対してこう言いたてることになっています。『夏の夜の夢』に出てくるカッコウの子=父親の実子でない子の喩えも出てきますね。

 

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また、リッチモンドとその義父スタンリー卿との関係が62話ではこの2人の会話で触れられるのに対し(←リッチモンド、かなり下世話)、RⅢではリチャードが言及しています。「あなたの奥方の連れ子だ、気をつけてくれ。(中略)手紙を出すようなことがあれば責任をとってもらうぞ」。更にリチャードは「お前の心がぐらつけば息子の首もぐらつきかねないぞ」と息子(=実子の方)を盾にスタンリーを脅します。RⅢでは、スタンリーとリッチモンドは互いに信頼し合い、スタンリーはリッチモンドの武運を祈り苦境の中で陰で支えます。「周囲の目をうまくあざむき(中略)お前の力になろう」。

 

『薔薇』では、スタンリーがリッチモンドの動きを警戒し、またリッチモンドは、スタンリーの首根っ子を押さえつけて、自分が国王になったら父と呼ばれたいだろうことを仄かし、リチャードを息子エドワードの件で窮状に陥れようとしています。そして、周囲をあざむき、実の子でない息子を守ろうとするのはリチャードです。ここも逆になっている感じです。

 

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リチャードの息子エドワードについて

父の子でないと囁かれたり父母の閨房の話まで耳にしてしまうエドワードが不憫ですが、エドワードは父を悪魔と呼ばれたことや、それが嫌だったのに「怖くて何も言えなかった」ことに一番傷ついていました。「悪魔」と口にしたエドワードに、リチャードは一瞬〈母上のようにこの子が俺に背を向ける様を〉想像しましたが、エドワードの言葉がそれを打ち消します。リチャードは自分の想像に多少とも呵責を抱いたようにも見えました。父を慕い、「強くならなきゃ」と自分のせいのように思う点では、エドワードはむしろかつてのリチャードに似ています。

 

リチャードはエドワードを愛しく思い、かつての父と自分に重ね、エドワードもまた「父上は、僕の光です」とリチャードを抱きしめました。

 

ここは本当に1巻のリフレインのようで感動的です。ただ、他の方も書かれているように、アンが2人を見ている構図もこの時のセシリーのようで気掛かりです。一寸別の感想を加えると、1巻ではヨーク公のリチャードへの思いと誇りがある意味で命取りになりましたよね。(セシリーは、リチャードがヨーク公を危うくすると言って遠ざけた面もありました。)ここでは、リチャードのエドワードへの思いがリチャードを苦境に立たせるという点で、似た構図として読めそうな……気も……(弱気)。アンの表情も気になりましたが、63話の展開を考えると、女装計画でもリチャードの性別疑惑が解消しなかったところに、悪魔の噂が復活し不安なのかも……と思いました(ここも弱気)。

 

リチャードも愛し愛されることを知ったからこそ、エドワードへの愛情を自覚できた訳ですが、今話ではその点でリチャードが愛に振れており、それがバッキンガムとの関係を危うくもします。

 

そして、リッチモンドから私生児と言い立てられる点、バッキンガムとの軋轢を生む点で、『薔薇』エドワードは、RⅢの(エドワード5世と弟)王子達の役回り(の逆バージョン)にもなっているように思います。

 

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John Everett Millais / Public domain
(12巻の表紙のエドワード5世と王弟は、ミレーのこの絵を始めとする「ロンドン塔の王子達」が参照されているのだろうと思います。髪型などもこの絵に近い気がします。同時に、王子達の儚げな雰囲気は62話の表紙のエドワードのような印象もあります。)
 

美しい薔薇について

エドワードに愛情を傾けることができたリチャードは、庭の薔薇を見ながら、かつての自分には「白薔薇は復讐の誓い、赤薔薇は流した血の証」だったが、「今は、ただ美しいと感じる」と言いました。

 

61話の記事を書いた時には『ソネット集』しか思いつかなかったんですが、“はっ、もしかして”とチェックしたら、『ヘンリー6世』(以下、HⅥ)とRⅢでは、薔薇はほぼヨークとランカスターの象徴としてのみ出てきて、HⅥ(3)でリチャードが「この白バラが、ヘンリーの生温かい血で真紅に染まる」という言い方で血に言及しています(←1巻から使われている台詞ですね)。ここはHⅥでの「薔薇」の使われ方を踏まえての台詞じゃないでしょうか、第1部=HⅥから現在の心境への変化を示す台詞にこういう忍ばせ方。さりげなさすぎてもったいないくらいですが、本当に素敵です。そして薔薇の美しさから次の話に展開している気がします。

 

ほぼ、としましたが、RⅢで「薔薇」が使われるのは少なめで2箇所のみで、1箇所が両家の象徴の薔薇(言及するのはリッチモンド)。もう1箇所は、王子達の唇を薔薇に擬える記述です。この点でも『薔薇』エドワード=RⅢ王子達をこじつけてみたくなったり……。(『シェイクスピアと花』がとても使えました。)

 

HⅥでは「薔薇」は両家の象徴ですが、それに対して薔薇の美しさが多く語られるのが『ソネット集』です。62話の場面に一番近い気がしたのがソネット54番です。(54番も、今の薔薇の美しさを感受するとか、そのままを愛するというよりは、詩の中にきみの美しさが残るという趣旨だったりはするのですが。)

 

ああ、真実の心がああいうみごとな飾りを添えるせいで

美がどんなにか美しくみえることだろう。

薔薇の花は美しい。だが、そこにかぐわしい香りが

ひそめばこそ、なおさら美しいと思えるのだ。

 

美しい薔薇については(他でも出てきますが)1番の最初から登場して、それはこんな始まりです。

 

たぐいなく美しいものの子孫こそ殖えてほしいものです。

そうすれば、美の薔薇が死にたえることはない。(中略)

だが、きみは自分の輝く眼ざしと婚約したようなもの、

われとわが身を燃やして自分の光の焔をかきたてる。

豊穣のきわまるところに飢饉をつくりだし、

ご自身を敵にまわして、美しい姿をむごい目にあわせる。

 

62話のこの後のバッキンガムとのやりとりや、64話以降の流れを思わせませんか?(書誌情報を挟んでまだ続きます。)

 

 

リチャードとバッキンガムの亀裂について

リチャードはバッキンガムにエドワードの噂に対する対応を求めます。バッキンガムはそれに応じつつも、リチャードがアンとの間にもう1人子どもを儲けることが最良の対策だと言いました。ここで初めて、リチャードは、アンと夫婦の関係を持ったことがないこととエドワードが自分の子でないことをバッキンガムに告げます。

 

バッキンガムにとっては衝撃です。エドワード5世を私生児として退けたのに大ブーメランですよ。「己の編んだ縄で首を絞めることになるぞ」。「誓ったはずだ……、秘密はないと……」と怖いくらい静かに怒りながら、エドワードの廃嫡を要求します。

 

ですがリチャードは、ヘンリー6世王の息子の子だから血筋は正統、エドワードは自分が守ると言います。ランカスターの血筋と聞いてバッキンガムはますます怒ります。

 

61話の感想記事でバッキンガムが愛に振れたと書きましたが、ここではまだ自分を抑えてキングメイカーや腹心として振る舞っていて、この箇所は、エドワード4世王とウォリック伯の対立も思わせます。(その点でも森の屋敷の後の感じがあります。)“私と息子、どっちを取るのです!”とは言わないものの、バッキンガムにとっては、全ての御膳立てを覆すような仕打ちでしょう。キングメイカーとしてのバッキンガムには、リチャードが政治的判断を蔑ろにして(息子への)愛を取ったように見えたはずです。

 

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他方、リチャードにとっては、自分の身体の秘密に比べれば、おそらく息子エドワードのことなどいかようにも誤魔化せ、隠し通せるはずのことだと思います。そもそも「神に博打を仕掛け」た王位簒奪で、エドワード5世達のこともある意味で言い掛かりです。ランカスターの血統などありえないというバッキンガムの主張も尤もなのですが、リチャードには別様に見えていた可能性もあります。ランカスターに復讐するはずが、愛したヘンリーを復讐とは違う形で殺害することになり(「もっとも愛した人間も殺した」)、特に第2部ではヨーク王家の中での殺害に手を染め、実態としては、ランカスターの人々も身内も、王家のため、後には自分の玉座のために同様に犠牲にしてきたとも言えます。ジョージを暗殺した後、リチャードは〈そうだ、ヨークのために死んだ兵士……、ウォリック……、ランカスター……、父上……、悲しむことはない、すべては……我が王家(プランタジネット)の礎になるのだから〉と考えていました(9巻39話)。9巻の感想では、リチャードによる殺害の正当化の方が気になりましたが、リチャードにとっての死者・犠牲者達の括り方がここで提示されていたようにも思います。13巻56話の戴冠場面にはそうした死者達が描かれていました。

 

そして今やリチャードは、「なりたい者になれる」権力を手中にし、王冠と愛の両方を得られることを知りました。その道を共に歩んだのがバッキンガムで、彼が「闇も過去も共に背負う」と言ったからこそ打ち明けたということでしょう(63話)。61話までがマイナス要因に転化し、RⅢのような亀裂につながる流れです。なんてすごいんでしょうか。

 

RⅢとの関係で言えば、ここもリチャードとバッキンガムの立場が逆になっています。RⅢではリチャードが不安を抱えてエドワード5世と王弟を殺せと言い、バッキンガムは承諾の返事ができません(その必要はなく、やりすぎだと考えたかもしれません)。『薔薇』ではバッキンガムが息子のエドワードを廃嫡しろと言い、リチャードがそれを拒みます。バッキンガムが一旦リチャードのところを辞するのはRⅢ通りですが、RⅢではここでリチャードが王子達の殺害を依頼するためにティレルを呼ぶ訳です。『薔薇』では、〈解決策はあるはずだ〉と考えて部屋に戻ったバッキンガムを「待っていたよ」とティレルが出迎えます。コミックスなのでこの後の話も続けて読めましたが、怖かったー。

 

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王位継承者と亡霊について

マクベス』の話まで関連づけるのは無理があるかもしれませんし、エドワードについては廃嫡の話だけですが(とはいえ、この後、ティレルがバッキンガムの望む相手を殺すと言います(63話))、ごり押しで語ります。『マクベス』でも夫妻2人が共謀して殺人を行うのは戴冠までですね。

 

少し前に観たストラスフォード・フェスティバルの『マクベス』配信時のトークでは、マクベスの後の王位継承者について、マクベスと夫人とでは情報ギャップがあることが指摘されていました。マクベスは、夫人にバンクォーの子孫が王位につく予言の話をしておらず、それを夫人は知らないというのです。そこですれ違いが生じる、とも。『薔薇』では、リチャードの後の王位継承者が本当は誰であるか、バッキンガムは知りませんでした。

 

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そしてエドワードは、リチャードが殺し、12巻や61話で「亡霊」的だったヘンリーの子孫です。(時系列も因果関係も『マクベス』とは逆になりますが。)ここまでは今まで通り、リチャード=マクベス、バッキンガム=マクベス夫人的です。

 

マクベス』では王位継承者に対する不安に駆られバンクォーを殺し、更にはマクダフの妻や子どもを殺害するのはマクベスなのですが、62話では、バッキンガムが、王位継承者がヘンリーの子孫であったことに、政治的見地からも、個人的感情からも怒りを感じています。ここはバッキンガムがマクベス的とも言え、『薔薇』リチャードとバッキンガムでは、RⅢリチャードとバッキンガムの立場が都度都度に入れ替わるように、マクベスと夫人の立場も今話あたりから都度都度入れ替わって絡められている気もします。シェイクスピアズ・グローブ版では、マクベス夫人がマクダフの子どもを助けようとする演出になっていたりしたのも、なんだか感慨深く思い出されます。(ついでに言えば、リッチモンドもヘンリーの異父弟の子ども=甥(母キャサリン妃とその夫の子の子)です。リッチモンドの王位継承権はヘンリーの異父弟である父からではなく、母からになるそうですが、ランカスター家の継承者。HⅥでは、ヘンリーがリッチモンドの王位を予言するシーンも出てきます。)

 

これにティレルが絡むので余計に複雑になり、続けて読めたとはいえ、まだ色々な意味で怖い……

 

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(※HⅥ、RⅢは松岡和子訳・ちくま文庫版から、『ソネット集』は高松雄一訳・岩波文庫版から引用しています。)

 

ソネット18番ではトムヒを優先させちゃいましたが、54番はパトリック・スチュワートの朗読でどうぞ。

 

ソネット1番は音楽が見つかりました。とてもきれいな音楽ですが、私には言葉が全然聴き取れず、1番と表記されているのでそうなんだろうというぐらいの認識。

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