『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

12巻53話狂乱の森での愛と陰謀について

リチャードとアンの別の相手について:オーベロンとタイテーニア

52話の記事では、取り替え子という点からのみリチャードとアンの諍いについて書きましたが、『夏の夜の夢』のオーベロンとタイテーニアは、その前に、それぞれ別の相手に気があるだろうと言って喧嘩になってもいます。

 

(※ 『夏の夜の夢』は『夏』、『リチャード3世』はRⅢ、『薔薇王の葬列』は『薔薇』と表記します。『夏』『タイタス・アンドロニカス』の翻訳は小田島雄志訳・白水社版から、RⅢは、河合祥一郎訳・角川文庫版から引用しています。)

 

リチャードとアンはそのことで揉めているわけではありませんが、リチャードには別の相手がいて、久々に会ったリチャードをアンは怖いくらいにきれいだと思っています。アンには別の相手がいるわけではなく、ランカスターのエドワードは過去の結婚相手ですが、リチャードが角のついた仮面を被っているのは52話の記事で書いた通り(その意味での角なのかは確信がありませんが)。息子のエドワードがランカスターの子だと公にできないことが、夫と別の相手がいることに代替されている気もします。

 

また、「あの子に何かあったら許さない」と言うアンに、リチャードが「俺を信じろ…、息子(あの子)のことは必ず守る」と答えた時、おそらく不信を解きつつ、アンは前夫エドワードを思い出しています。父が命じた最初は愛のない結婚であったとはいえ、アンにとっては、互いに本音をぶつけられたエドワードの方が信頼できる相手になっていたようにも思います。

 

既に覚悟を決め、手段を選ばず王位を狙うリチャードは、アンにとって、彼女の愛していた過去のリチャードとは更に「変わってしまった」ように見えています。一方、リチャードは、アンに「変わった」と言われ、王冠を望む自分をバッキンガムこそが理解し信じていたことに改めて気づき、彼への想いを強くしています。

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ジョゼフ・ノエル・ペイトン『オーベロンとティターニアの諍い』
 

バッキンガムの混乱と自制について

53話冒頭ではバッキンガムの子供時代の回想シーンを通じて、リチャードと共に王位を狙うことが、彼にとって妻方=擬母方支配への抵抗や復讐でもあることが示されました。自分のリチャードへの熱望は、リチャードを通じた王位奪取だと自分に言い聞かせるかのようなバッキンガム。その一方で、ジェーンにリチャードの身体のことを尋ねて取引を持ちかけています。バッキンガムもリチャードも互いに対する想いを深めていながら、バッキンガムの方は身体面の現実も考えたりして、感情の取り違えが生じています。彼自身も混乱していますし、リチャードとも行き違いが生じている模様です。

 

無理に『夏』と重ねると却って矛盾してくるかもしれませんが、52話の記事でもバッキンガムと重ねたシーシュースは、「ヒポリタ、私は剣を持ってあなたの愛を求め、あなたの心をかちえたのも力づくであった」としながら、正式な結婚まで「望み(desires)を……かなえ」ることを待ち(『夏』)、彼女を大切にしているように見えます。(その辺についても『夏』には裏読み解釈があるようですが、それはここでは置いておいて。)リチャードを「完璧な王にする為に」、自分の欲望を抑えようとするバッキンガムと一寸似ているような気がしてしまいます。

 

そして、バッキンガムと気持ちのすれ違いが生じたリチャードは、「“狂乱”の森で、もう一度」(悪)「夢を見」ることになります。

 

かつての森での夢について

52話ではジャンヌ=パックが「君はいつだって、目が覚めた時傍にいた奴を愛してしまう」と言っていました。52話の記事では「いつだって」を見なかった振りで、バッキンガムが傍にいたことだけを書きましたが、本来はこの台詞はリチャードが目覚めた時にヘンリーを愛するようになった過去を思わせるものですよね。夢や幻覚で出てくる、木のウロで眠った時が決定的でしょうが、やはり狩りを口実にエドワード4世がエリザベスとの逢瀬を楽しんでいた頃、目覚めたリチャードがヘンリーを愛していくようになったエピソードがありました(3巻)。

 

この記事で書くのは余計だとは思うのですが、いつ3巻の記事が書けるかわからないので併せて書いてしまいます。12巻を読む前は、ここまでがっつり『夏』が出てくると思っておらず、実は3巻のこの展開が『夏』っぽいと思っていました。3巻の関係性では、リチャード=ハーミア、ヘンリー=ライサンダー、ランカスターのエドワード=ディミートリアスにしてパック、のようだと思います。(その都度その都度、擬える『夏』の登場人物が異なるのでわかりにくい記述になって、すみません。)『夏』は喜劇なのでハーミアとライサンダーも結構呑気ですが、ライサンダーは親の決めた婚約者ではないので、ハーミアはアテネの法で、婚約者と結婚するか、それを拒否して死刑(!)または一生独身の選択を迫られています。考えようによってはロミ・ジュリくらい深刻です。

 

そんなアテネの法/本来の身分から離れて、森の中にいる2人と、それを嫉妬して追ってきたディミートリアス=ランカスターのエドワードという印象でした。エドワードは川に落ちたリチャードを救い、“Sleeping Beauty”なら王子の特権を与えられてもいいぐらいのところでしたが、姿を隠したために、リチャードが目覚めた時に傍にいたのはヘンリー。パックとしては(『夏』とは逆の形で)失敗し、リチャードは取り違えをおこして更にヘンリーを意識するようになった経緯がありました。

 

狩りの陰謀と剣をめぐるやりとりについて

今回の森の狩りではリチャードの暗殺が計画されていますが、狩りの場面は『タイタス・アンドロニカス』も重ねられているだろうと思います。

 

狩りの前にリチャードの剣を王弟ヨーク公リチャードが所望する箇所は、陰謀の一部で脇の場面といえるでしょうが、この箇所の掛け合わせがまた大変に見事です。

 

王弟がリチャードに短剣でなく長剣をくれと言い、それは重すぎるとリチャードが返すところはほぼRⅢ通りなのですが、『タイタス』には、タモーラの息子たちが喧嘩をして、弟は飾り剣しか持たず腕前も十分でない、と兄が言う場面があり、そこが絶妙に組み合わされているように思います。更に、タモーラたちがタイタスと彼の息子を嵌めて、息子の命と引き換えにタイタスの腕を切り落とさせる箇所があり、タイタスはそこで「枯れしぼんだ草こそ引き抜くにふさわしい。だからおれの手を届けよう。」と言っています。

 

もともとのRⅢでの剣をめぐるやりとりは、王弟の機知と、王と王弟へのリチャードの殺意が示される場面になっています。RⅢでの、喜んで短剣を差し上げる、もっと大きな贈物を差し上げるというリチャードの台詞が、相手を刺したい、死・天国をやるという暗喩になっているそうです。

 

それが『薔薇』では、『タイタス』と重ねられ、むしろ王弟がリチャードの武器を取り上げて罠に嵌める形になっています。王弟はリチャードの身体を、エドワード5世はリチャードの野心と陰謀を当てこすりつつ、血統的優位を誇示する形で「熱に爛れた枯れ枝より」自分が重いもの(長剣・王権)を持つことができると言います。タイタスの「枯れしぼんだ草」は彼が老齢であることを意味しますが、もともとRⅢと50話で使われたヘイスティングス粛清の言いがかり(「立ち枯れた若木のように萎えしぼんでしまった」(RⅢ))を逆手に取ったものになっています。

 

「細くて女みたいな身体」のリチャードも長剣を持っていると皮肉る王弟に、「“力”は、己が手で奪うもの」と言いながら、リチャードは剣を渡してしまいます。(RⅢでは長剣をねだった後に「叔父さんの背におぶってもらえばいい」の台詞があるので、身体への揶揄も掛けられているのでしょう。)ここも応酬的・相克的に構成されていますよね。

 

「己が手で奪う」は、リチャードが王位簒奪の決意をしてからキーとなり、この後の展開でも重要な意味をもつ台詞ですが、この短い場面の中に、全く違和感なく様々盛り込まれている感じです。

 

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森での陰謀と愛について

アンに「息子(あの子)のことは必ず守る」と言って、リチャードは狩りに向かいます。獲物がいると誘導され罠に嵌められるのも『タイタス』の感じですね。タイタスの息子たちが、誘導されてきた場で目が霞んだり眠くなったりして森の中の穴に落ちる展開があります。

 

『薔薇』では、誘導された後に獲物を見失ったと足止めされ、刺客たちがリチャードを襲います。リチャードは刺客をかわして逃げますが、勧められるまま飲んだワインのためか意識が朦朧となり、そこにヘンリーと再会を約束したウロのある木とジャンヌが現れます。この辺りから、52話の悪夢の続きのようになっており、『夏』も重なってきます。「森で密やかに暮らそう」と木のウロに引きずり込まれる幻覚に抗うなか、刺客の1人として皆と同様に仮面をつけたティレルがやってきました。

 

(追記:ティレルが「見つけた……、悪魔の子」と狼(?)の仮面で登場する点が、5巻20話の狼の話を逆にしたような皮肉にも見える展開にもなっています。凄く複層的。)

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これは暗殺計画でもありますが、「森の支配者」(オーベロン)=エドワード5世が、「いたずら妖精」=王弟リチャードと共謀して、「王に挑む」者(「オーベロンに盾つく」タイテーニア)=リチャードに報復すべく、夢の驢馬・間違った愛の対象=ヘンリー/ティレルを差し向けたとも取れます。

 

最初は仮面のために互いに気づかないまま、ティレルは「これで苦しみは終わる」と斧を振るい、リチャードは〈何処へ逃げても…!苦痛は終わりはしないんだ…!〉と矢で応戦します。1巻の頃から変わらない、原典に近い2人の本質の対決とも言えますし、抱える苦しみと孤独を通じて2人が惹かれあった頃から随分違ってしまったとも言えそうです。

 

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リチャードがティレルに矢で立ち向かったり、53話最後にリチャードが矢を受けて倒れたり、と、かなり矢が出てきますが、『夏』で使われる花の滴は、キューピッドの愛の矢が狙った相手に届かずに落ちて傷つけた花から取られたものです。タイテーニアにかけられる花の滴の代わりに、『薔薇』では薬入りワインと矢がリチャードに夢を見させることになっています。

 

『夏』の別箇所には「翼をもつキューピッドは盲に描かれている、恋の心にはどこを探しても分別などない、だから無分別を示すよう翼はあるけれど目はない」という台詞もあります。

 

応戦するリチャードが期せずしてティレルの目を刺した時に、2人の仮面が外れます。盲いた目を矢で刺すことで、逆にお互いを認識するという両義的な展開です。更に、リチャードがかつてと同じ部位を傷つけたことで、象徴的にはヘンリーを再び殺そうとしたことにもなるでしょう。

 

「ヘンリー」と言った後もリチャードは斧を奪って闘いますが、飛んできた矢を受け、リチャードは〈もう二度と、俺は夢など見たくないんだ〉と思いながら意識を失いました。リチャードの思いとは裏腹に、54話では更に夢が深くなっていきます。

 

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『夏の夜の夢』はメンデルスゾーンが有名ですが、ブリテンのオペラ版では、オーベロンをカウンターテナーが歌うことを最近知りました。超自然的な存在ということでのカウンターテナーなのでしょうが、カウンターテナーって性を超越した感じもありますよね。グラインドボーンの2006年上演作品。静止映像ですが、妖精の子達がかわいい版です。
 
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