『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

1巻3話ヘンリーの祈りについて

マーガレットの小箱について

ヨーク公の敗走でランカスター側が一旦勝利し、祝宴が模様されるものの、ヘンリーは祝宴の様相に絶えられずに退席し、マーガレットはそんなヘンリーの弱さに苛立っています。マーガレットが怒りに任せて蹴った机から小箱が落ち、かつての想い人サフォークの肖像が出てきます。

 

(※『ヘンリー6世』(第一部)(第二部)(第三部)はHⅥ(1)(2)(3)、『薔薇王の葬列』は『薔薇』と表記します。2幕3場など細かいところまで書く場合はHⅥ(1)2-3のように表記しますが、書いたり書かなかったりです。翻訳は、HⅥ(1)(2)は松岡和子訳・ちくま文庫版、HⅥ(3) は小田島雄志訳・白水社版から引用しています。)
 

と、なんでこんな状況まで説明しているかというと、HⅥでは、サフォークがマーガレットとの別れの場で「あなたの心は宝石だ、この胸の悲しみの小箱に鍵をかけておきます」(HⅥ(2))と言っているからなんですよ。この台詞を使っていると思うんです。

 

端折っていかないといつまでたっても書き終わらないと思う一方、こういうところこそ拾いたくなるのでなかなか進みません。

 

小箱が落ちてマーガレットがサフォークの肖像を抱きしめるまで、これもほぼ絵だけの表現です。でも、こういう元ネタを知らなくても、場面の流れと感情の振り幅でマーガレットも自分の想いに鍵をかけていただろうことが十二分に伝わってきます。

 

マーガレットのこの箇所の台詞は、HⅥ(2)でサフォークが亡くなった場面から取られています。

 

そこでは、「悲しみは心を弱くし怯えた意気地なしにするという。だから復讐だけを念じもう泣いてはだめ。」と自分に言い聞かせながらもマーガレットの嘆きは止まりません。そんなマーガレットに、原典ヘンリーは、自分が死んでもそんなに悲しんでくれないだろうと言い、彼女は「ええ、陛下、悲しみません、あとを追って死にますから」と答えます(HⅥ(2))。

 

(もう)悲しまない、自分は死ぬというマーガレットの台詞は、ヘンリーへの回答ですがサフォークにも向けられたものになっていると思うんですよ。『薔薇』では、「あなたは私の心を天国に持って行ってしまった」「人を意気地なしにさせる涙と共に」と言い換えられていて、すばらしいとしか言いようがありません。

 

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死を夢想するヘンリー、この世もあの世も地獄と言うリチャード

一方、リチャードの方は、悪夢を見て、ヘンリーに救いを求めるように再び森にやってきます。ヘンリーもまたつらい現実から逃げるように森に来ており、2人は再会します。ヘンリーは、自分が死んだ方が自分も民も幸せになれると言います。

 

ヘンリーに対してリチャードは、自分は死んでも天国にはいけないから死にたくない、悪魔だから母にも愛してもらえない、とヘンリーに返します。HⅥ(3)の、多分ここかと思われるリチャードの台詞を長めに引きます。

 

愛の神はおれを見捨て、おれを愛の花園から閉め出すべく(中略)おれのからだをどこもかしこもむちゃくちゃにしたのだ、まるで天地創造以前の混沌か、母熊さえその醜さになめて育てることをしなかった子熊みたいに。(中略)だから王冠を夢見ることがおれの天国なんだ。今後は生きているかぎりこの世を地獄と思おう(中略)輝かしい栄光の冠で飾られる日がくるまでは

 

3話でも2人の望みは対照的です。ヘンリーは死んだ方が幸せになれると言い、リチャードは地獄(あの世)より牢獄(現実)の方がましと言います。

 

ここでも全く別の箇所の2人の独白を抽出して、再会した2人に言わせています。 独白を2人の対話にし、孤独を語らせることで、心を開く展開につなげるという凄技!

 

しかもヘンリーの台詞の対応箇所と思われるHⅥ(3)の「いっそ死んでしまいたい、それが神のみ心なら!この世には苦しみと悲しみのほかなにもないのだから。」は、2話で引用した「私にはどんなにしあわせと思えることか、貧しい羊飼いにすぎぬ身の上で暮らすことが!」の直前にあるひとつながりの台詞です。それを『薔薇』では、羊飼いへの憧れの部分を2話、死を望む部分を3話にと、わけて使うことで、2人の対照性と共通性を繰り返し描き、2人の関係も進展させます。

 

リチャードの孤独に自分を重ねたヘンリーは友達になろうと言い、リチャードも一瞬心を動かされますが、そんな自分に驚いてヘンリーの手を振り払って城に戻ります。

 

リチャードと王子エドワードの応酬について

城では、王子エドワードが、リチャードの身体にあると言われる悪魔の証拠を確かめようとしますが、兄エドワードとウォリック伯の進軍により戦況が逆転。今度はランカスター側が形勢を立て直すために城から撤退し、リチャードは辛くも難を逃れます。

 

この場面での王子エドワードとリチャードとの応酬は、HⅥ(2)のクリフォードとリチャードの台詞からですね。

 

リチャード ……憎まれ口をたたくな、今夜お前は天国でイエス・キリストと食事をするんだからな。

クリフォード 神のたたりのきずものが、よくも天国などと言えたものだ。

リチャード 天国でなければ、お前が食事をするのは地獄だ。

 

ここでも細かすぎることをつい拾ってしまう……ウザかったらすみません!

「神のたたりのきずもの」という台詞が身体の証拠を確かめる話に転換されていると思いますが、リチャードの台詞もひねってあります。『薔薇』では、リチャードが「下らん悪口ばかり言うな、少しはお父上の敬虔さを見習えよ、これから天国でキリストと晩餐なんだろ」と、父ヘンリーの敬虔さを茶化して殺害を仄めかすので、エドワードを余計に怒らせています。

 

HⅥではリチャードとクリフォードは、それぞれヨークとランカスターの血の気の多い参謀といった印象です。互いに憎み合い死闘を繰り広げますが、クリフォードと混ぜて造形されたという『薔薇』の王子エドワードは、ここでリチャードに別の意味で陥落したようです。

 

HⅥの王子エドワードの方は理想の王子様キャラクターですが、『薔薇』エドワードは負けん気の強さと王子なところがいい意味で融合して、話が進むごとに魅力を増していったキャラだと思います。今も時々パロディ絵に登場したりして人気もあるみたい。

 

「『ヘンリー』、口に出すのも嫌な名前だ…!」

ヘンリーとリチャード、お互いに名前を教えました。

 

ロミオ ぼくの名前は、聖者よ、われながら憎らしい、というのも、それがあなたの敵だからです(小田島雄志訳、白水社

 

……再びロミ・ジュリオマージュをちょっと妄想しました。うん、強引ですよね。

ロミオとジュリエットは、惹かれた相手の名前を知って敵同士とわかり、その上で愛を深めて悲劇にいたりますが、こちらは「嫌な名前」とは言うものの、なお誰かわからないまま……。

 

2話で「父上ーあなたを王にする為なら私は神だって殺してみせる」というリチャードの台詞にヘンリーの「神よ、お許しください」という台詞が重なるのは、2人の対照でもあり、敵対する皮肉な運命を示すものにもなっていると思います。

 

ヘンリーのこの台詞、どこかで見たような気がすると思ったんですが、

(以下、『薔薇』では7巻あたりになる箇所なので問題ないと思いますが、ネタバレが嫌な方はここまでにして下さい。) 

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Frank Dicksee Romeo and Juliet [Public domain]

 

……HⅥ(3)でヘンリーがリチャードに殺されるところから?!

「神よ、わが罪を許したまえ、おまえも許されるよう!」(HⅥ(3))

ここも2話と3話にわけて、後半が3話での「君の為に祈ろう」(『薔薇』)になっているのではないかと思われます。そう言われたリチャードのあんなに無防備な顔を描きつつ、なんという箇所からの転用。みごとな布石というより、もはや強烈な地雷……。読み込み甲斐がありますよね……。

 

 

ロミジュリは本当に様々ありますが……。バズ・ラーマン監督、ディカプリオとデインズの映画の出会い場面。ジュリエットが天使仮装なのが『薔薇王』5巻との関連でもいいですよね。

www.youtube.com

 
時代設定そのままの衣装やセットが楽しめるのはやはりゼフィレッリ監督のものでしょうか。